黄金の週間が始まった。
成田は出国ラッシュらしい。 私は積ん読状態の本の山から、高橋源一郎の『文学王』を手に取った。 ブログを書いている人は気付いているはずだ。 紙媒体とネット媒体では、読みやすい文、面白いと思える文が違う。見どころが違うのだ。 泉鏡花のような文をブログで読んでも、味わいが伝わらない。紙媒体でネットのような文章を見るのは、退屈だ。 うん? どっちもイケる携帯小説があるだろうって? 文学じゃないので除外だ。高級な物を文学と思っている訳ではないが、文章や文字表現に力点が無いと。 『文学王』は、本や作家の紹介だが、もう、エッセイでも評論でも無い。ブログで山無し落ち無しご免で書いた文の如し。 作中に高橋源一郎に向かって「お前の書くものはなに一つ認めないぞ」と啖呵をきる雑誌編集長が出てくるが、読者にも「こんなん文学じゃないだろ」とぼう然とする人は多いだろう。 私も最初はぼう然とした。 次に、思った。「文学が苦手の人にも、面白おかしく取っつきやすく文学に触れる機会を提示している。バカ文章の振りをして。やるじゃないか」 バカ文章とは? 引用しよう。 『葛西善蔵と口述筆記 —手を抜いたっていいじゃないか— ------------------------------------------------------------------------- 「田山さんが、いつかの『新潮』だったかに、僕の『蠢く物』の事をいって、酒呑みのクダのほかに何があるんだ?と言っていられたようだが、蓋し、至言と言うべきである。僕の小説から愚痴とクダと嫌味とをぬいたらなにが残るんだ? 何もありゃしないじゃないか。俺の小説から、愚痴、クダ、嫌味—それを抜いたら何があると思うんだかな。愚痴に始まって愚痴に終わる—クダに始まってクダに終わる—嫌味に始まって嫌味に終わる—そんなものじゃないですか(中略)」「愚痴とクダと嫌味」 な、なんだ、こりゃあ、おまえさん、酔っぱらってんじゃないのお—そう思うでしょうが、ホントに酔っぱらってるんだな、これが。この酔っ払いは葛西善蔵である。ずばり、日本の私小説の神様である。』 ------------------------------------- いやいや、葛西善三も凄いが、高橋さんも十分なんだこりゃあだぜ。 えらい、と思ったのは、読み捨てられるブログのバカ文章みたいなノリで、ぐいぐい読者を引っ張って、文学嫌いも葛西善蔵を読んでみたくなるこの持って行き方である。 文学マニアは高橋源一郎氏のバカなノリに意表を突かれて、それはそれで「文学王』のページをめくってしまうのだ。 『文学王』金色夜叉の解説の、「よくいうよな。バカじゃないの。勝手に死ねば?」などなど、ブログ文どころか、掲示板の荒らしみたいな語調がふんだんに盛り込まれている。これで、文学マニアはびっくりして、そのまま一冊読んでしまうのだ。 私もしばしば「文学嫌いにもわかるようなノリで文学を紹介して」と言われるが、意図的にやろうとするとかなり難しいのである。(リクエストが多ければやります) お得だったのは、高橋源一郎が、『現代詩を書かないが現代詩を読む』作家だったことだ。 あまり知られていないが、現代詩の読者はひたすら少ない。読者=作者=批評家の、人口の少ない世界である。 「書かないが読む、評する」、という人の意見を聞く機会など滅多に無い。 後日引用してみる。
by leea_blog
| 2009-04-25 14:34
|
Comments(0)
|
カレンダー
HOME
最新のコメント
最新のトラックバック
以前の記事
ライフログ
検索
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||