旧石器時代がどうのこうの、初めて都市が築かれた頃どうのこうのと延々かたりつつ、音楽とすり合わせを行った帰り道。地下鉄の中で、はたと気付いた。
12月6日のイベントの最後を締めくくるのは、拙作品「うろくずやかた」だが、構成の関係上後半だけを読むか、全文を読むかの詰めがまだ残った段階で、今日は時間切れとなった。どうも、全文を読む方がイベントの主旨に合っていると思えるのだった。 イベントの最後に持ってきたのも、自分の詩集の表題作だから、というわけではない。未発表作を披露したって良い訳である。なにか、これでなくてはならない、必然性が自分の中にあった。 それが、わかった。 うろくずやかたには、古代メソポタミアの、バアルとアナトの神話がこだましているのでありました。イシスとオシリス神話にも見られる、兄にして夫の、虐殺さればらばらになった身体を、世界を放浪して拾い集め、再生を希求する、神の物語。 この作品が日本語の伝統的な形式の一つ、七五調で語られるのも、今現在を不可視の時間と重ね合わせる為。築地の市場で鮮魚の人魚が売りさばかれる、此の世と異界が互いに侵食し合う世界へと入って行くのに必要だからでした。 紀元前に発生して、一神教の時代にも唯一神の信徒らが形を変えて幻視した、繰り返しあらわれる原形が、こだましていたとは、思いも寄らぬ白波の。 ワタクシとしては、副題ににんぎょのひめと入れて、人魚姫の悲劇性や水妖伝説を連想させながら、実は陸に上がった者が原初の海を恋い焦がれ、兄にして恋人である異界の者(水棲の異界者)を求めて、死に別れたか生き別れたかの記憶すら定かではない者の白日夢を見せられながら、放浪する時間の物語のつもりでした。 締めくくりの行、みなわの底に沈め夢、も、深い海の底と深い眠りの底をだぶらせ、その辺りでしか到達不能と思える所に沈めて、「波の下にも都の候」という安徳天皇入水にまつわる水底伝説や水と海の神話の深みで、兄にして恋人である者と再会を果たす希求の叫び、死ぬまで何かに「呼び続けられる者」としての主人公を凝縮したつもりでした。 此の世と前の世、異界と此の世はメインテーマだとしても、「バアルとアナトは関係ないぞ」、と言いたい。けれど、一万年前等散々話した後には、自分の作品にもしっかりこだましているのを見いださざるを得なかったのでした。 はぁ〜、これを今回のイベントの最後に持ってきたかったのも、その為だったのか。おそるべし、神話の構造。 言語に尽くせぬ事を語る神話の装置は、現代人の血の中にもしっかり溶けているらしい。
by leea_blog
| 2009-11-15 20:03
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