読み終えるのがもったいなくて読み進め難い本もあれば、今一つ面白くなくて進まない本もある。
井伏鱒二の「さざなみ軍記」は、大いにオススメ本であるが、別の理由で読み終えるのが大変だった。 平家物語の内容を知っているか否かで、読中読後感はまったく違うだろう。 以下は、いわゆる「ネタバレ」を含む。 日記の体裁を取るこの作品は、平家の運命が傾いた頃、平知盛(たいらのとももり)の息子、平知章(たいらのともあきら)によって書かれたという設定だ。 実家から救出してきた本であり、大昔、一度読んだはずだが、すっかり忘れてしまっているので初めて読む心地で読んだ。 電車の中で何ページかづつ読んでゆくと、まともな料理を口にしたときのように、ほっとする。 文章の味わいが、大変良いのだ。 気持ちをくつろげて読む内に、書き手の知章や、生き生きと描かれるその配下達の善良さに心よろめき、 「知章、死なないで!」と痛切に思ってしまう。 平家物語の内容を知らないひとは、 「うーむ、この人たちも壇ノ浦で死ぬのかなぁ」という辺りで終わっている。 平家物語の内容を知っている人は、高名な一の谷の合戦時、知章は父の知盛を逃がす為に討ち死にするのを知っている。 これが書かれた時代は、これを読むほとんどのひとが平家物語を読んでいたと推測する。 というのも、現在より娯楽が少なく、手に入る書物も少ない時代にあって、平家物語はどこでも手に入る一般的な読み物だったと思うからだ。 そんなわけで、「知章〜! 死んじゃ嫌〜」と涙しつつ、読む進むのを苦痛に感じた人は、多かったのではないか。 まだ16歳の知章討ち死には、同じ年ごろの有名な美少年・平敦盛討ち死により悲しい。 敦盛は勝てる訳が無い敵に呼び戻されて引き返し、討たれた。 が、知章は。 貴族時代を過ごした平家一門には、勝てる戦いが出来る将は、知盛と能登守教経くらいしかいない。親の知盛には、息子が目の前で殺されようとも、逃げ延びてもらわなくては困るのだ。親の立場の重さを知って犠牲になった知章は天晴れ花の若武者である。 だがしかし、それは、平家物語でのことで、「さざなみ軍記」を読み進める内、知章の襟首をつかんで引き戻し、逃亡させたくてたまらなくなるのだ。 「君みたいな人は死んではいかん。華々しい戦死には向いていない! 逃げて逃げて逃げまくれ。それが男の生きる花道!」と。 だが、一の谷の合戦は刻々迫っている。ああああ。読むのが嫌だ。 作者が変な気を起こして、「知章は実は死にませんでした。逃げちゃいました」という話にしてくれないものだろうか。天を仰いで懇願した。 作中の知章は、時折「脱走したい」と思うからだ。 平家の使用人の女性達が逃亡し、遊女になった話も出てくる。遊女か! 「そこまでやらないと生きて行けないのなら、生きるも死ぬも地獄でござんすな」、と私は思うが、作中の知章は「そこまでしなければならないとは悲惨だ」とは思わないのだ。 遊女が悲惨でないなら、お前は生きて行けるぞ、知章。身分を隠して男娼でもすればよろしい。いいから、討ち死にはやめなさい。 そうはいっても、歴史物の悲しさ、架空の登場人物ならともかく、知盛を逃がすために討ち死にした知章、という設定はどうしようもない。ああ、井伏鱒二は戦争の愚かさ悲しさをこんな形で読者に伝えようというのか? 一頁めくる毎に珈琲を入れたり煙草を吸ったりして、読み終わるのを先に延ばした。 が! 天は我を見離したまわず! 知章は死なないまま話は進んだ。日記だから、一の谷の戦の当日辺りで打ち切られていると思いきや。 並み居る平家の公達が討ち死にしても、知章は乱戦の外にいた。 持ち場を死守する覚悟でいたが、敵は彼の持ち場には現れなかったのだ。 都でさらし首にされた一門の首の中には、知章の名もあったが、「どうした間違いか」と書かれていたりする。 知章は死なないまま、戦線を離脱し側付きの知将の進言で城塞造りに取りかかる。 ラストの、さりげない描写も、読み終えて腕の産毛がそわそわと逆立つような感慨をもたらした。 さすが文豪! 書く物が違いますなぁ! これほど淡々とした描写でぐらぐらと来るのは久しぶりだ。 昔、子供のころ読んだのでは、この感慨が無かったのは当然である。こうした奥の深い味わいは、子供にゃわからん。 今が大人で良かった。。。。。。。。
by leea_blog
| 2010-02-14 22:03
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