森茉莉ではないが。
繕い物が苦手だ。 ボタンが取れても、スカートの裾がほつれても、基本は「放置」である。 スカートのほつれは意外と目だつらしく、 「裾がほつれていますよ」と他人に指摘される為、 しかたなく、東急ハンズで「衣類用接着剤」を買ってきた。 生活習慣の中に「縫い物」という発想が極度に少ない。 これは、繕い物をするより買った方が安い、使い捨て時代のせいもある。 が、昨今は「エコ」の思想が広まってきた。 使い捨ては、地球に優しくない、というのだ。 使い捨ては「もったいない」と考えられた時代の森茉莉だって、 衣類の繕い物をするのが苦手で、夜間、河に沈めに行ったというではないか。 これは、時代の考え方以前に、「その人のライフスタイル・生活思想」がある。 時代といえば。 昔は、ボタンがかんたんに取れたり、裾がかんたんにほつれたりしなかった! 今では、デザイナーズブランドの衣類でさえ、 「縫製」が緩すぎる! 「あのなぁ。これだけの金取って、なに、このいい加減な縫製! 糸は終わりの部分は抜けないように処理しておいてよ!」と叫びたくなる。 デザイナーズブランドだって、縫製は国内じゃないもんなぁ。 そんなこんなで、針や糸とは縁が薄かったが、そうも言っていられなくなった。 着る物が無くなってくるのだ。 いちいちリフォームに出す暇も、無い。 それに加えて。 和服生活を始めた訳だが。 これが衝撃的なのだ。 まず、半襟。 長襦袢の襟など、そのままの地色だとバリエーションに限界があるため、 襟だけ布地を変えて楽しむものだ。 長襦袢なんて外からは襟しか見えない訳だし、襟だけ取り換えて、色彩の妙を楽しもう、というのだ。 合理的で、なおかつ些細な色彩の違い、布目の違いを重要視する、生活の美学である。 それはいいとして。 半襟は。 いちいち「自分で縫い付けなくてはならない」代物なのだった!!!!!!!! それを知って、私の頭は一瞬、空白になった。 ネットで「半襟」で検索すると、 つまりは「ただの端切れ」だったりもするのだ。 端の処理もせず、単に切れ端〜。半襟と言うより「布の切れ端」。 針や糸を家庭科の時間限定の物と思っている現代人向けに、 ワンタッチ半襟も、存在する。 だが、基本、ディープに日常を楽しむ人は、自分で縫い付けるのが当たり前なのだった!!!!! 一瞬真っ白になった頭に、古代人の姿が浮かんだ。 「良いかい、聞きなせぃ。 針は、基本、日本刀と同じだ。 熟練の職人が、いちいちしっかり焼きを入れ、鍛え上げた道具だ。 石器から青銅器、そして、鉄の発見。 それは、一民族の存亡に関わる重大事だったんだ。 鉄器が行き渡ると、今度は鉄の強度と柔軟性、精度が戦を決める。 日本刀に活かされた技術が、日本の針にはあったんだ。 そうした呪物を、姐さん、おろそかにしていいのかぃ?」 うわっ。 オーダーメイドのナイフにはこだわる私が、うかつであった。 今の針は、百円ショップで買うような、安物の使い捨て、量産品が主流である。 熟練の職人が鍛えた針など、和裁職人しか使って居るまい。 が、「鉄器かぁ」と思うと、確かにおろそかにしがたい。 昔は、針山の中には、人毛が詰まっていた。 針のサビを防ぐ為である。 小学生のころ、それが本当か、家庭科の授業の為に買わされた裁縫セットの針山を破って見た。 当時は、本当に人毛が詰まっていた!!!! 今の時代、人毛は無意味だ。 カラーリング、毎日のシャンプーで、人毛は化繊以下と化している。 人毛の針山に、職人が鍛えた鉄器としての針。 失われ掛けたこみちを整備する気分で、半襟を縫い付けるとしようか。
by leea_blog
| 2010-04-28 20:18
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