ワタクシが小学生低学年の頃は。
今もそうなのかも知れないが、 先生達は、 「人一人の命は、地球と同じくらい重い」と教えたがったものだ。 もっと過激に、 「人一人の命は、地球 “よりも“重い」と言う先生もいた。 子供は正直だから、 「理論的に無理」、「物理的に無理」、すなわち、 「嘘ばっかり」と閉口したものだ。 大人になれば、 「人一人の命は、地球と同じくらい重い、、、、と信じたいですね」とか、 「、、、、、だったらいいですね」とか、 「自分が死んだら世界を認識する自分は居なくなるから、地球も自分と共に消滅する」とか、 「自分と、自分の親しい人たちの命は重いが、それ以外はまぁ、うん、言わなくても分かるだろう?」とか、 【言葉の余白】の部分を補って聞く事が出来る。 先生達の言いたかった事は、まぁ、わからないでもない。 が、子供は現実的で残酷で単純で正直だ。 「ああ、こんな嘘にも、“先生の言う通りだ”、と言えば、良い点をもらえるんだな。 でも、事実と違う事を言って点取っても仕方ないでしょ? ◎◎ちゃんったら、感動したような演技して、中々世渡りが上手いな。 あとで良い子ぶるなよ、と言ってやらなくちゃ」 なんぞと思いながら聞いていたのであった。 「職業に貴賎は無い」とも同時期に強調された教育だった。 これも、子供的には 「現実と違う」で終わった。 現実はこれこれである、だが、理想はこれこれだ、あなた方はどう考え、どう解決して行くか? そうした道順が思いきり省略されて、理想部分だけを「断言形」で語られると、 子供時代のワタクシは「思想の強制」に感じられて苦痛だった。 だって、現実はそうじゃないじゃん? 日本は戦争してないけど、他の国では人が沢山死んでるし。 地球と同じくらい重かったら、地球が何億有っても足りないよね? 私はけして、非人道的な差別的な子供だったわけではない。 子供の世界は、腕力が強かったり、気が強かったり、一芸に秀でていたり、多芸多才だったりする子供が、意思表示が苦手な子供や、泣き寝入り体質の子供より、上の階級に居たりする。 派閥があったり、我が道を行く無派閥の子供がいたり、派閥を転々とする子供がいたり、パシリをさせられる子供が居たり。 まぁ、理想や理屈抜きに、ワイルドな日々を生きているのが子供なのだ。 一言で言うと、「子供は残酷」。 今でも、やはり思うのだ。 「理想」を「事実」であるかのように断言形で語るのは、よろしくない。 事実を把握する能力を先に育成しないと、バカな大人になってしまう。 自分自身で考える力を養うことの重要さ。 色々な考え、色々な正義があり、色々な価値観がある事を知れば、世界は地球よりも広くなる。 そして、文句や愚痴は、大人になれば日常茶飯事となるのだから、 文句や愚痴を、「では、どうしたらいいのか?」に繋げる回路を養うことの重要さ。 それらに必要なものは、 先生に褒めてもらう事ではなく、 「王様は裸じゃん?」と取りあえずは認める作業から始まると、昔も今も思っているのだった。 うむ。ワタクシは「嫌な子供」だった事だろうなぁ。
by leea_blog
| 2010-05-14 22:28
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