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【人魚迷宮譜】の、後編について

「有ったのか、そんなものが!」

うむ。有るんです、実は。

今だから言えるが、【人魚迷宮譜】の原案は、高校時代に書かれていた。

高校生というのは、20代以上の人が考える以上に語彙も豊富だし頭も切れるし、感性も豊かだ。
散文等でも十代の人が素晴らしい作品を書くと、世間は話題するが、
先入観を見直した方が良い。

問題は、特に散文系の場合は、「完成度」に関わる能力。
こればかりは、その人の才能と鍛練によって大きく差が出る。

物語詩の場合は、散文と物語の中間であるため、いかに物心付かない内から書いていたワタクシでも、
原案は今読み返すと「赤面」である。

今は無き文芸冊子「水脈」に少しまともにして前、後編を再掲し、その後、
詩人の丸山勝久氏の強い薦めで単行本にした。

これが「物語詩」とされずに「詩集」と銘打たれて出されたので、
読んでくれた詩人は普通の詩集と勘違いし、私は言い訳に追われた。

更に嫌だったのが、「少女趣味的内容」と受け止められがちだった事だ。

あのなぁ。あなた方の「少女趣味」とは、どのようなイメージなのか?
「精霊趣味」なら、その通りだが。

人魚や人狼や、迎えに来る人魚の王を待っている親を亡くした16歳の娘、というのが、
いかにも「女の子が王子様を待っている」的に受け止められたのだが、
いや、これは呪術的幻想譚である。

たまたま巫女的少女、つまり異界と此の世の橋渡しをする役目の娘が、
偉大な巫女性というより等身大の苦悩や憧れや侮蔑や、無力を露骨に保持しているため、
「少女物」と勘違いされてしまいがちで、ワタクシは、感想を頂く度にがっくりし続けた記憶が有る。

文字が生まれる前から綿々と続く精霊指向の一つ。

それはいいとして、
後編が。
後編は、あまりに昔に書かれた物で内容をよく覚えていなかった。

単行本の主要人物の一人、狩人の「黒沼明」が、
失った少女を忘れられず、彼女がしていたように半ば錯乱しつつ夜を徘徊するのである。

最後は、ハッピーエンドに近かった!
人魚の王、「ルー」の考える事は、人間にも陸の精霊等とも違うやり方だ。
頭の構造が、人間とは違う。
すべての人魚がそうである訳ではなく、「ルー」は人魚の中でも特別なのだ。

それにしても、読み返して、
「これはいけないでしょう」と感じた。

作者が昔の自作品を否定するのはよくある事だが、
作者、つまりワタクシは後編では陰の主役「黒沼明」を救済したかったのだ。
そして、伏線も明らかにして行く。
(伏線を明らかに、という発想自体が散文として書かれた物だ。そこが前編と異なる)

ルーの思惑の前には、黒沼明一人などどうでもいいのだが、
亡くなった主人公れいらが、黒沼明に友情を抱いていたため、特別に扱っているのだ。

いやさぁ。
人魚達の「非暴力侵入ぶり」も大人になって読むと、「いいのか、これで」、である。

ルーの切り札、「夢想の姫・まりえ」も、いいのか、これで。
彼女は人間の身でありながら抗いがたい声に引かれて精霊界に身を投じた者だ。
が、もっとそれを強調するべきだった。

と、いうわけで、後編の再発表は、無いだろう、。。。。。。。。
by leea_blog | 2010-08-18 00:15 | Comments(0)
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