昭和枯れすすき/昭和という時代



最近、昭和枯れすすきを聞き直す機会が有った。

貧しさに負けた〜
いえ、世間に負けた〜
この街も追われた〜
いっそ綺麗に死のうか〜、

(作詞:山田孝雄、作曲:むつひろし、唄:さくらと一郎)


という、なかなか衝撃的な歌である。


が。

平成も24年目になって聞き直すと、

これは、どうしようもなく昭和でないと成り立たない歌なのである。



貧しさに負けた?

金が有ったら勝てたのか?

今は、自己破産や生活保護という奥の手があるという事も、知れ渡っている。

そして、ニートさんや引きこもりさんという層の出現によって、
金が有れば勝てる訳ではない問題が広く知れ渡っている。

ニートさんや引きこもりさんは、
食べたり風雨を凌いだりする金はある。
それが親の資産であっても、だ。



そして、「世間」。

昭和の時代は、「世間」というものが確かに有った。

「世間様に顔向けが出来ない」、のように、擬人化されたり、様を付けたりされた。



平成になると、世間とは結局、顔と名前が一致する交際範囲に格下げされて、大いなるものではなくなる。
世間は大きな何者か、ではなく、見知らぬ個人の集合体になって、細分化される。



インターネットの普及により、生活や意識は一変した。


昭和枯れすすきの二番に、

幸せなんて求めぬが人並みでいたい、という歌詞が出てくる。



平成的に言えば、人並みというのはかなりの幸せである。

とりわけ、先年の震災以降は、人並みの意味が重くなった。



が、昭和の時代は、人並みの更に上に「幸せ」が有った。

平成になると、インターネットの普及で、
親による幼児虐待、老老介護の辛苦、親に暴力を振るう子ども、配偶者の浮気など、

「人並み」の内側は、地獄に溢れている事もあらわになった。



三番には、

この俺を捨てろ〜
なぜ?こんなに好きよ〜、とある。


三番まで聞くと、
のろけの歌かよ、と、一番二番が、演歌だけに不幸を演じているように感じる。


たとえ赤貧洗うが如しでも、世界の宝ともいえる相思相愛の相手が有る。


それは、金や世間などどうでもいい程の宝である。


だが、独身率が上がった平成だから特にそう思うのであって、
昭和は、相手が居るだけでは「幸せ」では無かったのだ。


彼女居ない歴が年齢と同じ、という強者も平成では多く現れているが、
昭和の時代は、不思議なほど世間の皆様は普通に結婚していた。

一定の年齢になったら、結婚するのが当たり前、と多くの人が思って実行していた。

今では考えられない事だが、
女性は25歳過ぎると、クリスマスを過ぎたクリスマスケーキのように売れなくなり、
仕事も結婚までの腰掛け、25過ぎると肩たたきされる、という有り様だった。

今では考えられない事が、昭和の時代には沢山ある。


昭和という時代。

そして、平成。

多くの事が変わっていった。

自分にとって良い時代にできるのか。


平成も、あとどれほどで終わるのだろうか。
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by leea_blog | 2012-01-20 20:18 | Comments(2)
Commented by 双子の星笛宮 at 2012-01-24 07:26 x
なるほどね。共感。大川市(家具の名産地。九州の柳川の近く)出身の大川栄作の歌っている「昭和浪漫」は明るさが垣間見えて土笛演奏する年配者には人気です。ラジオの深夜便で広がったようですね。
Commented by leea_blog at 2012-01-24 21:25
昭和浪漫、検索してみました。「昭和は夢の中」という歌詞から、
平成の作品でしょうか。
昭和は、活力有る時代でしたね〜。
がむしゃらで何とかなった、みたいな。
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