10月7日に開催された、俳句川柳の朗読ライブの感想を順次追っていこう。 俳句界では朗読の習慣が浸透していない。 朗読が盛んな詩の世界でも、多くの詩人は「朗読など自己満足だ」と思っている。 いやいや。 太古には文字表現の前に、音声表現が有った。 現代ではもっぱら文字情報に頼っているが、そもそも表現のインスピレーションは紙を眺めて生まれるものではない。文字化する以前の領域に揺り戻しをかけ提示する作業が朗読だ。 脳は肉体だ。表現は肉体から生まれるのである。 「朗読について」を語り出すと長くなるのでこの辺にして、「独演!俳句ライブ」に戻る。 ---------+++ 第一番は、宮崎二健氏。 「天狗仮面俳句怒号 金庫刑」。 天狗が、ほらっぱというラッパを吹きながら、時間を掛けて花道を舞台に進む。 おなじみの光景で、俳ラの幕開けとしてふさわしい。 俳句怒号というが、怒号ではないのである。むしろほやきだ。心優しい天狗なのである。 これも毎回の事で、天狗仮面の味となっている。 葛原りょう氏が二次会で、二健氏の天狗仮面は「不消化感」が持ち味だというような事を言っていたが、全く同感である。 天狗が里に降りてきて何か言おうとするのだが、いいたい事を存分に伝えきれず山に帰っていく。 暴発のぼの字が呆けて鳳仙花 暴発という破壊力のある現象が、呆けて可愛らしい鳳仙花になってしまう。天狗仮面の舞台らしい。 洋梨の罪滅ぼしの金庫刑 禁固刑に掛け、用無しに掛けたた句だ。 ------------------------------------------------------------- 二番目は、「墓碑銘—エピタフ」 葛原りょう氏 この日の司会でもある。 精力的な朗読活動をしている氏は、この日もフランス朗読遠征から帰って間も無い。 詩人で歌人で俳人である。 フランス朗読遠征では「鳥肌が立った」と評されたとのこと。 何かが乗り移っているような、緊迫感溢れる舞台である。 狐の面、竜胆、鎖、木刀を小道具に、濃紺の短冊に銀の文字で記された作品が繰り出される。 仙人掌の遊星となってゆく雫 あたし白玉だから赦して 白玉の、つるり、もっちりの食感と、玉を平たくして真ん中を少しくぼませた曲線、つやつやとした外見が脳裏を駆け巡る。あずきに乗っている様を思い出せれば、もう「赦す」しかない。 以下、続く。
by leea_blog
| 2012-10-14 13:07
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