職場のいじめと「コメントできない」


さて。

「幻想文学」で検索して下さった皆様には申し訳ない話題となる。



幻想文学のブログかと思いきや、作者は表現上の悩みで寝込んでいるのではなく、
なんと職場のいじめで通院中なのである。


そういう話題はよそでやれ。

ごもっともです。


お嫌な人は、読まずに飛ばして下され。



でもね、日々のご飯をいただく為に、大抵の詩人は詩とは関係ないお仕事をしているのです。
作品は、日常とかけ離れた所から生まれるのではないのですよ。


そして、私の個人的な問題も、どこの誰かの「一歩」につながるかも知れない、とも思っているのです。



私の「職場物語」の登場人物は、どこの組織にも居るような人ばかり。
そして、「職場における私」も、どこの組織にも居るような一人。



日曜ははいいお酒を飲んだ、とポジティブな話をしたいのだが、
実は、飲んでいる間中、自分が棚上げしている事柄の重さを痛感していたのでした。


私にのし掛かっているのは、職場のトラブルです。


死んだら、表現論も何も無くなるではないか。
そうです、頑張った自分へのご褒美に、人生を終了したいという気持ちが、根強いのです。


直視すると、比喩ではなく、本当に吐き気がしてくるので、棚上げしていた。



昔は「セクハラ」研修も無く、大抵は泣き寝入りだった。
被害者達が地道に声を上げ続けて、ようやく「やってはいけない」事になった。
先人達の血のにじむような経験と、声を上げ続けてくれた事に、頭がさがる。
それでも、いまだ多数の泣き寝入りを、今もどこかで産んでいる事だろう。



最近、遅ればせながら「パワハラ」防止の回覧が来るようになり、
職場にも「セクハラ相談職員」に追加で、「パワハラ相談職員」が設立された。


意識が向上しているか?

本音と建て前という言葉をご存知か。


大きな組織ではとりわけ、建て前と本音の乖離は大きい。



ちなみに、パワハラ相談職員の庶務課長に相談した所、
「力になれない」と言われた。


今日は、問題から目をそらす事の重さに吐き気がして、直属の課長に相談した。



まずは直属の上司に相談するのは、一般的な手順だからだ。
わたくしの職場は、異動が大変多い。
これまでも、歴代の上司に相談してきたが、今の課長にはまだ話していなかったのだ。


直属の課長のリアクションは、
「コメントできない」の一点張りだった。



これは凄いな。
直属の課長が、長い時間一対一で話をしている間、部下に「コメントできない」を連発し続けるとは。
記者団への対応じゃないんだから!


うん、なかなか凄い。

毎日顔を合わせている人と長時間話ながら、
「コメントできない」といい続けるのは、ある種の意思の動員が必要だ。
「拒否」の意思である。



率直な所、こういう対応をしているから告訴されちゃうのである。
相談相手を追いつめる悪い例の対応である。
真摯な対話の拒否だから。



普段は仕事の出来る、穏健な人がらの課長の別の一面を凝視しながら、
「直属の上司に一応、SOSは出しておきましたからね」と言わざるを得なかった。

でも、何か有ったら「知らなかった」とか「聞いていない」とコメントするのだろうな。


驚き呆れたので、仕方なく
「課長にコメントできないと言われたと付けておきますよ」とも言った。


「脅しているんですか」と反応があった。
「どうして脅されていると思うのですか?」と返した。



今日痛感したのは、
こういう人も、いざとなったら加害者になるのだろうな、という事である。


自分を守りたい、その為には自分の部下に対して「コメントできない」「コメントする立場ではない」を連発する、これはどこにでもいるいいお父さん、いい上司の一人の、生き抜く為の別の一面だ。


濁流に呑まれて必死に鉄柵にしがみついた、流されてきた職場の部下がしがみついてきたら、
振り払う。

あなたはどうする? 
私だったら、どうする?


頭の良い皆さんは課長の対応でお気付きと思うが、
私を押し潰しているトラブルは、
「椅子に剣山を置かれた」「机に線香を立てられた」という類いとは異なる。
(されたら、速攻で写真を撮りましょう)


組織人がうっかり関わっちゃいけないダークな問題に直結しているのだ。


「そんなに辛い職場なら、辞めればいいのに」、とお思いか?


それは、一つの選択肢だ。
辞めて自分が納得できるなら、辞めるのも一つの手だ。
辞めたくない人も沢山いるでしょう?


「何で私が辞めるのですか? 辞めるのは相手のほうでしょう?」と
言いたい人も沢山居るはず。
私は医師にそういいました。


パワハラセクハラで、「運が悪かった」、で終わらせられるなら、それも良い。
でも、そうではない人も沢山いるのです。


が、被害を被って泣き寝入りする時代は終わりつつあると考えています。

セクハラパワハラは、個人的な事のように見えて、
実は社会との関わり方、社会の有り方の問題です。


自分を責めている人がいたら、
「自分を責めないで。とりあえず、立って、自分の意見を言ってみる事から始めませんか?」
と、言いたい。
[PR]
by leea_blog | 2012-11-12 22:36 | Comments(2)
Commented by xino at 2017-01-05 09:19 x
はじめまして、過去のエントリへの突然のコメントとなることお許しください。Google検索から「鉄道 飛び込みたい」で検索して辿り着いた者です。

さて、
職場のいじめにより本当に御苦労御辛労多い中に記事まとめられましたことは、とても行動的で素晴らしいコトと感じました。セクハラ、パワハラもそうですが『当事者が「被害にあった」と感じた時点で事案になる』という教育を、上司方々も受けていると思います。にもかかわらず、いじめや精神的苦痛に対して何もアクションをしないことは、無意識的な職務の怠慢であるか、部下に対して区別をつけているように思えます(私は後者のケースで通院の後、上司、人事部、社長と面談の後、前職を諦めて離職しました)。

ともあれ、貴方(貴女)がつらい環境にいらっしゃることは、とても共感できます。何か改善される事を願っておりますが、まずは、鉄道に関するエントリ同様、職場には嫌なヤツしかいなかったとしても、ネット含めた周りの環境には味方が多くいますことを忘れないで頂けたら幸いに思います(※私もその一人になれたら幸いです)。

心穏やかにお過ごしできる時間が増えますよう、願っております。失礼いたします。
Commented by leea_blog at 2017-01-06 18:19
xinoさん 貴重なコメントを頂き、ありがとうございます。
自殺願望が長年続いた身としては、
綺麗ごとを排して綴り、
通りすがりの方々に、
考えるきっかけにしていただければ、と思って居ります。

xinoさんも、理不尽な目に合われ、しかも離職を余儀なくされたのですね。
大変なご苦労をなさったと思います。

日本の労働環境は、まだまだ、雇用されている者の「人権」や「尊厳」を守るまでにはなっていないですね。
そもそも、「人としての尊厳」の概念も、無いかもしれません。
多くの人が無念の泣き寝入りをしている事と思います。

私も地道に闘って行くしかありません。

暖かいお言葉を頂き、心より嬉しいです。

xinoさんにも、良い事が沢山降り注ぐよう、お祈り申し上げます。



<< 鉄道自殺の心理状態 大河ドラマ「平清盛」の駄目さ加... >>