鬱時はたいていの人が読書が出来ない。 私もだった。 元々活字中毒なのに、活字が読めない。 これほど自分は酷いのかと思った。 最近は、読書が復活している。 ドナルド・キーンの「百代の過客」を再読し、 日本の日記文学への認識を新たにした。 ドナルド・キーンはアメリカ出身の日本文学者・日本学者である。 日本人には当たり前の事も、違う視点からすぱっと切る切り口が目から鱗の心地がして、「ドナルド・キーン自伝」を読んだ。 前向きで陽性、自らの幸運を噛み締める著者の姿勢が、 押し付けがましくなく淡々と描かれ、鬱時にも読みやすい。 何より、著者の勤勉な姿勢には強い感銘を受ける。 例えば、著者が京都に下宿して日本文学の研究をしている時。 新聞を読まなかった。 今はインターネットがあって世界中のニュースを知る事が出来るが、 当時は今何が起こっているかは新聞やラジオで知るしか無かった。 「京都滞在中の一年間、私は日本文学について出来るだけ多くを知るように心掛けていた。同じ一時間なら、芭蕉の俳句について考える方が、新聞を読むより有効な時間の使い方だと私は考えたのだった。」(ドナルド・キーン自伝より) しかし、同宿の友人との会話の結果、 現に生きている日本の文化を無視する事が出来ないと気づき、新聞を読み始め、 日本人の生活に参加したいと思うようになる。 一時間の暇を惜しんで勉学に励む。 これは我々大人が忘れている事ではなかろうか。 いや、資格を取る等勉強中の人は、 一時間の暇も惜しんで勉強している事だろう。 私も今の会社に入るときには、 経済学政治学法律学などを一から勉強する為、 風呂に入っている時も、食事中も勉強していた。 遥か昔の事だ。 今の自分を振り返ると、明らかに脳が退化している。 幻想詩人としては、感性の退化の方が怖いから、 勉学の重要性を忘れていた気がする。 ドナルド・キーンは終生みずみずしい感受性を保ったまま 勉学を続けた。 今の私は間違っていないか? 自分を振り返ってみる良い機会になったのは、 著者の、明るく前向きな人生観、暖かい人間性によって書かれた文章のおかげだ。 鬱々と日を暮らす人にも読みやすいので、おすすめである。
by leea_blog
| 2014-02-06 08:16
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