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台湾が十倍楽しくなる・台湾に行く前、帰ってから読む本



台湾に出かけて、興味を持ったのだけれど、あるいは、今度台湾に行くんだけれど、
ガイドブック以外に読んでおくと良い本ってある?

あんまり詳しくないので手軽で初心者向けのやつお願いします、
沢山読むのも面倒なので、一冊でお願いします、と言われたら。


司馬遼太郎の、「街道を行く・台湾紀行」がおすすめです。


紀行文で肩肘張らずに読めるし、台湾の歴史を公平な目で語り起こしてくれるし、
ざっと読んでおくと、大体の事が頭に入ります。

面白いエピソードも満載だしね。


初の本島人総統、李登輝さんが登場して間もない頃の話なので、
少し情報が古いですが、大まかな事を知るにはお手軽な一冊です。


私は初めて台湾に行った時は、本当に行きたかったタイのチケットが取れず、
どちらかというと仕方なくなノリで台湾行きを選んだのでした。

凄かった。はまった。
その後はゴールデンウィーク、年末年始と台湾漬け。


でね、大体の事を頭に入れておくと、
とりわけ、司馬遼太郎の「台湾紀行」は本島人総裁誕生の祝賀ムードに溢れていて、
それを知っておくと、


縁起の良い人に触って幸運にあやかりたい、と思うように、
台湾の土を踏んだだけで、自分にも幸運のお裾分けがありますように、な、
お寺でお線香の煙を自分に掛けて悪い所を治せるような気分になれるんです。


予備知識を入れておくと、屋台の飯も十倍うまく感じられます。


はぁ〜、台湾ってそんなに奇蹟の島なの???



まぁ、台湾紀行から引用してみましょうか。


戦後のある時期、人々はゆえなく“国家”から襲われる危険におびえていた。
その時代が、おわった。蒋家の時代が終幕し、信じがたいことに、本島人の李登輝氏が総統になった。
この間、奇跡としか言いようがないが、一発の銃声もなく、権謀術数さえなく、あたかも百貨店の売り場から他の売り場に客が移るような自然さで、蒋経国の死により、さらには憲法の規定によって、副総統のこの人が、総統に昇格した。1988年一月のことで、わずか六年前のことである。クリオ(ギリシア神話で歴史をつかさどる女神)が、どの国にも一度だけ微笑むとすれば、台湾の場合はこのときであったにちがいない。


引用終わり。


で、さらに凄いのは、本島人にも権力を私物化する人がいるだろうに、
李登輝さんが「公」を大切にする人だった事ですね。

え〜???

政治家なんて、奇麗な事言うのは仕事の一つ、思惑ありありのはずでしょ?と、思うのは分かります。私もそう思っていたから。


でもさ、日本にも昔は、本当に国のため、人々のためを考えていた人たち、いたじゃない? 昔だけれどね。

他の国にもそういう人はいたし、本人ご存命中の場合もあるし。

まぁ、台湾紀行は、異論もあるという事は頭に入れておけば、かなり公平で頭に入りやすい一冊です。






で。

以下は個人的な関心だけれど、台湾紀行の中で、凄く詩のようなエピソードがあるんですよ。


司馬遼太郎の知人に、田中準造氏という人が居て。

氏は幼少年時代を日本統治時代の台湾で過ごし、敗戦とともに引き上げて来た日本は、遠流の地だったのですね。小学生時代までの、幸福すぎた情景、台湾。


で、田中さんは大人になって、ニューカレドニアに出張に出ます。で、帰りの便がストで混乱して、香港に着くと、日程に余裕がある事に気づきます。

東方六百キロの海上に故郷(台湾島)が浮かんでいる。矢も盾もたまらなくなり、香港のホテルに荷物を預けたまま、身一つで台北行きの飛行機に乗るんですね。


台北から汽車で故郷の新営に向かいますがすでに車中、涙がとまらず。

が、新営の駅前はすっかり変わり、とりつくしまもない。で、少年に戻っている田中さんは、子供の頃の主治医であり、親友のお父さんである沈先生の医院をめざすつもりだったのですが、方向も分からなくなっている。

 で、路傍にしゃがんで、酒瓶が割れたように涙があふれてとまらなくなった。

ずいぶん泣いたあと、顔をあげてみると、人垣が出来ているんですね。

まだ日本人がめずらしく、しかも三十代以上ならどの本島人もきれいな日本語が話せた時代。

「何か悲しいことがあるのですか」、と、ひとりが訊ねてくれました。

司馬遼太郎は「中世の物語のようだった」と書いていますが、本当にそうですね。


幼児に戻った田中さんは「このまちはボクがうまれたまちで」、と、
泣き喋りに喋ります。沈先生はどこにいらっしゃるでしょうか、と聞きます。

「連れて行ってあげましょう」とひとびとが口々に言い、人だかりに囲まれながら田中さんは沈内科にたどり着きます。

看護婦さんに先生はいらっしゃいますかと訊ねたところ、奥で診察中の先生の耳に届いたのか、姿が見えたのか、先生は白衣のまま受付まで出て来られて「田中さん」と抱きつかれるのですね。

先生の記憶では田中準造氏は小学生のままであるのに、どうして見分けがついたのか、よくわからない、と司馬遼太郎も書いていますが、

準ちゃんも泣き、沈先生も泣かれます。

そのあと、沈先生はいつもの重厚な顔に戻ると、ドアに「本日休診」と札を掛けます。
で、準ちゃんはまた泣きます。






詩のようです!


つーか、にわかには信じられなかった。記憶の美化や創作では????
沈先生は実在しないのでは?と私がいぶかしく思うほど。


司馬遼太郎が今回の紀行の執筆のために、田中さんを誘って沈先生と実際対面して、
私もようやく、実話なんだと分かりました。



事実は詩よりも奇なり。。。。。。。








by leea_blog | 2014-05-15 20:05 | Comments(0)
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