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揺蘭12 紙上合評会   原詩夏至→相田邦騎



【揺蘭】2015年版の、新たな評が届きました。


これは、ミニ小説のような、

原詩夏至の話芸が、

メールという手段で別のステージを開いた、

名評です。


どのあたりがミニ小説のようかというと、

原お得意の、

イメージの重層化が

こんな短いメールの中に、

目眩がするほど活かされているのですね。


とりあえずアップして、


あとで

私が注釈をつけます。


実際、注釈だらけになって、

「家畜人ヤプー」のようになると思いますので、

もっと読みやすく、

要所要所だけにします。





     ☆     ☆     ☆

りーあ様

おう! 晴れたらまた暑いな!
怪獣マゴドンもめでたく町田へ去り、
俺も、 昨日一日ぐでーっとして、
少しはパワーが回復して来たみたいだ。

というわけで、「揺蘭」評、第3弾。
今回は、相田さん「密室の謝肉祭」だ。
こないだの「いい◎◎◎したあとの…」云々は、
もちろん、俺的には全然かまわんのだが、
問題は、むしろ、言われた当の相田さんが
それをどう感じるかの方だからな。
で、もう少し一般的な表現で、再度、評するわけだが、
例えば、次の歌。

密室の謝肉祭では黄金(きん)の陽が千の娼婦の膚を焦がして
地下室の美(は)しき時空を掌(つかさど)る花の天使は不死のすがたで
燭台の黄金にかゞよふ密室にマリアは愛づる馬の斬首を

「密室の謝肉祭」「地下室の美しき時空」「燭台の黄金にかゞよふ密室」。
この「閉塞」と「自由」、「孤絶」と「祝祭」の
矛盾と緊張に満ちた融合が、まさに相田さんの「詩境」なわけだが、
重要なのは、それがまさに彼の「生きる場所」「生きる方法」そのものでもあり、
そうした「詩」と「生」の至純の直結が、
一首一首に、一分の隙もない「張り」と「つや」、
それから「迫力」を齎しているらしいということだ。

つまり、相田さんにはどこか、
フツーの世俗的価値観に生きるフツーの生活者を
心底から震え上がらせてしまう、
或る種の、本当の意味での詩人的なヤバさ、
…そう、例えば、家屋敷をぽーんと売り払って、
たった一つの壺を買い求めて、
その壺口から見えるいわゆる「壺中天」を
一生涯、段ボールハウスの中で
うっとりと覗き眺め続けて飽きない、みたいな、
或いは、美しい春琴の面影を永遠に脳裏に封印するために
何のためらいもなく自分の両目に針を突き刺して悔いない、みたいな、
そういう「神聖狂気」のようなものがあって、
それが、作品の中で自分の愛する美的イマージュに没入する際の
「常時アクセル全開感」「一度もブレーキを踏んだ形跡のなさ感」に
めらめらと反映しているんだな。

はっきり言う。
これは、俺とは全く違ったタイプの書き手だ。
だが、だからこそ、この種のタイプの書き手の怖さと尊さは、
却って、ひしひしと、よく分かる。
彼は、やっぱり、俺より、りーあに遥かに似ているよ。

例えば、自分では自覚しているのかどうかわからないけど、

原と相田さんに請求するのが
恐ろしくて、
飲んでしまったよ。

こういう、葛西善蔵も真っ青!みたいな、
珠玉の「破滅型私小説」的名言(特に2行目から3行目への飛躍!)が、
突然、さも当り前みたいにぽろっと零れる、
その「恍惚と不安」な(笑)。
これなんか、俺が相田さんに感じる
或る種の「驚愕まじりの畏怖の念」に、
微妙に、だが、そのくせ、ありありと、
一脈通じるものがあるんだよ。

それでは、また!

詩夏至
by leea_blog | 2015-08-18 21:21 | Comments(0)
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