和服・伝統の美にくらくらすること・無駄の必要性


ストレスにさらされると、人はそれを緩和する物を欲する。

私は、旅と、美しいものが欲しくなる。



旅はそうそう行けないから、

ネットで美しいものを検索することになる。



極寒の我が家で越冬する為に、毛皮を購入した事はさきに書いた。

アザラシや白熊が出そうに寒い。



中古の毛皮を扱っている店は、呉服も扱っている場合が多く、

意匠を尽くした美しい布の画像を立て続けに見てしまい、

くらくらした。



とりわけ、伝統産業に身を捧げた染め師や織り師の名を挙げてあったり、

その織りや染めがどのような歴史を持っているかを語ってある品は、

説明を読んでますます目が釘付けになるのである。


人が心を込めた物には、呪力が宿るのである。




着物と言っても、

私ががんばって払えるかもしれない代金だから、

世間がイメージするような、高額な物ではない。

しかもUSEDだし。




成人式に着物を買えなかったトラウマで、

日常に着ない着物も、欲しくなってしまうのである。






死まで考えた事を思えば、

着物や帯くらい買ったところで、

詩集が出せなくなる他に、

何の支障があるだろうか?




いやいや、このところ毎年のように

「今年も詩集が出せなかった」と、

言っている。


第二詩集からだいぶ間があいているし、

どうにかして出したい物だが、

作品が有りすぎて編纂が大変なのと、

大きなお金が掛かる事も有り、

なかなか大変で、

そのお金を、台湾行きに使ってしまったりしている。




年末から、

東京労働局人事課への怒りがひしひしと押し寄せて、

「生きていても無駄だった」、と

ついまた思いかけてしまう。



これはいかん。

日常のストレスに、

取り敢えず緩和剤を投入する必要がある。



が、それが着物であっては、よろしくない。


着る機会が無いからである!




単なる宝の持ち腐れ、

ただの無駄使いである!


着ない着物にくらくらする暇があったら、

冬物の日常衣料を優先的に買わねばならないだろう。



が。

日常の無難な衣料を買っても、

まったくストレスは緩和されないのだ。



「無難」というのが、効かない理由らしい。



「無難な衣料」は、

私にとって、「世間を渡る為の制服」であり、

「本当の自分」とは、なんら関係が無い。




仕事用の服を色々と持っている訳だが、

本当に、心の底から、着ていても何の歓びも無い。



砂を噛むごとしであります。



そんな自分に、

無駄で難が有りすぎる物をオークションで買ってやれば、

ちょっとは気が晴れるのかもしれない。



でも、着物は、保管場所も無いから、

本当に止めとかなければ。



自家から引き上げた母の昔の着物は、

着物用ハンガーにかかったまま、

ほこりを被っている。



うん、壁にこうして広げて掛けておくだけでも、

目に癒しを与えているんだよね。



着ない着物を大切にして、

虫干しの時だけ取り出して眺める人が結構いるのではないかと思うが、

人間とは不思議なものである。


そして、一見無駄に見えるそれらが、

人の心を豊かにし、潤わせるのだ。

無駄の無い生活なんて、

砂漠を水無しで渡るようなものだ。








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by leea_blog | 2016-01-12 20:43 | Comments(0)
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