江戸川乱歩の小説に出てくる時代と、平成の生きにくさなど



前日記に、

フルタイム勤務なのに、

家族を養う余裕が持てない自分の事を書き、

ひとそれぞれ、得手不得手がある、とはいえ、

これでいいのか?との思いもある。


なぜなら、父母の時代は、

貯金も無い労働者が、

一軒家を持ち、

子供三人を学校に行かせ、

私は中退だが、弟二人は四大を出て、

つまり、無一文の若い人達が、

働いて庭付きの家を持って、

子供も複数育てられたのだ。


これは、私の父母が特に努力家だったというわけでもなく、

それが可能な時代だった。


ちなみに母は専業主婦だった。


ウチの家庭も、決して余裕が有った訳ではなく、

固定資産税を滞納して何度も差し押さえの危機に遭ったし、

両親はお金の事で毎晩喧嘩していた。

でも、何とかなっていたのだ。


ちなみに、ネットで現代の貧困と言われる人の話を読むと、

私の子供の頃の食生活と似たような物だ。

子供の食事が、味噌を塗ったおにぎりだけとか、

ご飯に塩を掛けただけとか、

それで自分が貧しいとは特に感じなかった。。。。。

甘い物なんて、給食で、学期の終わり頃に出る、

ショートケーキが珍しかったし。。。。

まあ、何しろ、庭付きの家が持てたのだ。


むろん、栄養の観点からすれば、

偏った食生活は子供の為に良くない事は言うまでもない。





子供が成長するに従って、

子供に各自の部屋を与える事も行えた。



これは、

東京生まれの両親が、有るのは若さだけで、

何の疑問も無しに結婚して、

東京のベッドタウンとして田んぼを埋め立てて家が建ち始めた南埼玉郡に越して来て、

それを行ったのだが、

私の周囲の子供たちも、同じような状況だった。


現代では、

結婚資金がいくら必要であるとか、

何歳までにいくら溜めた方が良いとか、

老後にいくら掛かるから貯金せよとか、

色々言われるが、

そんな事を計算していたら、

昭和一桁の男女など、

結婚する事すら出来なかったであろう。





先日、江戸川乱歩の小説を再読していて、

気がつく事があった。

「百面相役者」という短編が、

文庫本の巻頭にあった。

その冒頭を引用する。



「僕の書生時代の話だから、ずいぶん古いことだ。年代などもハッキリしないが、なんでも、日露戦争のすぐあとだったと思う。
その頃、僕は中学を出て、さて、上の学校へはいりたいのだけれど、当時僕の地方には高校学校もなし、そうかといって、東京へ出て勉強させてもらうほど、家が豊かでもなかったので、気の長い話だ、僕は小学教員をかせいで、そのかせぎためた金で、上京して苦学をしようと思いたったものだ。なに、その頃は、そんなのが珍しくはなかったよ。何しろ給料にくらべて物価の方がずっと安い時代だからね。」



給料に比べて物価の方がずっと安い?????????????

それは、頑張れば苦学も出来るし、家賃も払えるし、家も買えるし、結婚して子供も育てられる、希望に満ちた時代だったのであろう!!!!

まあ、主人公が「ずいぶん古いことだ」と言っているので、
乱歩のリアルタイムの読者の時代には、そうではなかったのであろう。


まあ、私の子供の頃は、

世の中全体が、豊かではないにしろ、

ウチの母は、父の結婚した時の財産が壊れたステレオしか無かった、と繰り返し子供に言っていたように、

働き口はあったし、財産が無くても、働けば庭付き一軒家が持てて、
子供も育てられたのだ。


お金のことで両親が毎晩喧嘩するので、

幼い私は母に、
「どうして結婚して子供を産んだの?」
と心底その考え無しを恨んでたずねたものだ。

無責任だ、と言いたかった訳だ。

母は、「大人になったら結婚して子供を産むに決まっているでしょ」と怒った。

決まっている???

自分の選択じゃなくて、決まっている????



「資金が無いから貯金してから結婚しよう」とか「資金を溜めてから子供を作ろう」とか、そんなことをいちいち考える訳無いでしょ、という内容であった。

昔の人は、正直なところ、あまり考えなかったのであろう。

幼児の私は、「決まっているんじゃなくて、お母さんもお父さんも、自分の自由な意志で恋愛結婚したんでしょ。もっと責任感を持って」と、

可愛くないことを言いたい訳である。

大人になって振り返ってみると、

両親の時代は、ほとんどの人が、ある程度の歳になると、何らかの形で所帯を持った。

それに対して疑問をもたなかった、というのが、本当だろうと思う。

両親の時代、つまり、昭和一桁生まれの男女は、

仕事を持っている居ないにかかわらず、独り身を通すとしたら、世間全体と闘わなければならなかったかもしれない。

そして、私が社会人になった頃は、

子供はある程度の歳になったら、独立しなければならない状況だった。

平成のように、ニートという生き方が、

選択肢として無かった。



もちろん、働かずに実家に居る独身者もいるには居たが、

ニートではなく「家事見習い」とか「家業見習い」などの名称がついた。

そんな状態は長くは続かない。

ご近所や親戚その他が、縁談の話を持って来て、
「見習い」は独身を通せないのだ。

「ニート」というあり方が選択肢としてあるということは、

なんだかんだ言っても、豊かな時代になって来たことを痛感する。



私が幼い頃は、

何しろ、テレビは白黒だし、

家には電話も無いので急な用は電報が一般的だったし、

今、自分がスマートフォンを持ち、インターネットが無いと口座の管理も出来ないことを省みれば、

大変な変化である。

「人権意識」も、昨今は育まれつつ有る。

セクハラやパワハラも、昔はごく普通であった。

今は、セクハラやパワハラを行っている人も多いとはいえ、

問題意識を持つ人が出て来た。

私は若い頃、地方公務員の上級職の面接を受けたが、

「上級でも女性はお茶汲みをしますよ」と念を押されたものだ。

もちろん、喜んでお茶汲みをしないとならない時代だった。

新入女子がお茶汲みをするだけではなく、

国家の方の職員になってみれば、

男女平等と言う建前があるにもかかわらず、

それは建前、というレベルの話ではなくて、

女性係長が、新入男子の分もお茶を淹れていた。

男子新人は、ずっと先輩の女性上司が、

自分の仕事の手を止めて、入りたての部下のお茶を淹れてくれることに、

何の違和感も無かったわけで、平成の時代から見ると、

あり得ない位人権意識が発展途上だった。


話はそれたが、

平成の今は、

生き方の選択肢も増え、人権意識も少しだけだが発展した。


にもかかわらず、

親の世代に比べて、


圧倒的に「生きるのが大変」な時代という感触が有る。



頑張って何とかなるかと言うと、

生き抜く力がある人なら、

いつの時代でも何とかなるものだが、

現代日本では、交通事故死よりも自殺者が多いのである。


歴史と書物が好きな私は、

大抵の人が読み書きが出来、

飢饉が起これば外国から米を輸入出来る、

男女身分に関係無く、二十歳になれば選挙にも行ける、

すごい時代じゃないか、と自分に言い聞かせてきた。



しかし、貧しい時代から、貧富の差に関わらず、

長寿は人類の願いだったが、

今は、長生きするのが怖いと本気で思う人が増えている。


私などは、自殺大国日本の、自殺者に計上されかかったわけだから、

生きるのがヘタなのであろう。


飢饉で親兄弟の屍肉を食べるわけでもないのに、

パワハラで焼身自殺を考える訳だ。


そんななかで、自分の災いのこともさることながら、

生きるのに疲れた人々のことを、考えるのだ。

いろいろと考えつつ、後日に続く。
















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by leea_blog | 2016-02-04 22:33 | Comments(0)
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