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谷崎潤一郎「魔術師」あらすじ

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前回は、一家に一冊、必携の、
谷崎潤一郎著「人魚の嘆き」をご紹介しました。

中公文庫には、
美しい挿絵とともに、
「人魚の嘆き」「魔術師」の、
二短編が収められています。

今回は、「魔術師」をご紹介します。

「人魚の嘆き」に比して、
地味目な筋書きですが、
読後、じわじわと来ます。

魔術師は、以下の文章で始まります。



「私があの魔術師に会ったのは、何処の国の何という町であったか、今ではハッキリと覚えていません。ーどうかすると、それは日本の東京のようにも思われますが、或る時はまた南洋や南米の植民地であったような、或いは支那か印度辺の船着き場であったような気もするのです。とにもかくにも、それは文明の中心地たる欧羅巴からかけ離れた、地球の片隅に位している国の都で、しかも極めて殷富な市街の一郭の、非常に賑やかな夜の巷でした、しかしあなたが、その場所の性質や光景や雰囲気に関して、もう少し明確な観念を得たいと云うならば、まあ私は手短に、浅草の六区に似ている、あれよりももっと不思議な、もっと乱雑な、そうしてもっと頽瀾した公園であったと云っておきましょう。」


東京のような、別の異国のどこかのような、非常に賑わった公園。
もちろん、谷崎の時代の浅草と、現在の浅草は、
相当に違うけれども、
浅草は、現代日本人が見ても、
ちょっと独特な、なにか、作り物めいていて、
なおかつ、頽瀾、という言葉が確かに、残っています。


「浅草の公園を、鼻持ちのならない俗悪な場所だと感ずる人に、あの国のあの公園を見せたなら果たして何と云うであろう。其処には俗悪以上の野蛮と不潔と潰敗とが、溝の下水の淀んだように堆積して、昼は熱帯の白日の下に、夜は煌々たる燈火の光に、恥ずる色無く暴き曝され、絶えず蒸し蒸しと悪臭を発酵させているのでした。けれども、支那料理の皮蛋の旨さを解する人は、暗緑色に腐り壊れた鶩の卵の、胸をむかむかさせるような匂いを掘り返しつつ、中に含まれた芳鬱な渥味に舌を鳴らすということです。私が初めてあの公園に這入った時にも、ちょうどそれと同じような、薄気味の悪い面白さに襲われました。」

ふむふむ。
皆さんは、ピータンをご存知であろうか。

見かけは、「本当にこれ食べられるの? 腐っているんじゃない?」
と言うような外見ですが、
美味しいんだな、これが!

公園の、強烈な気配を、皮蛋に比するとは、さすが谷崎潤一郎、
読者にも良く伝わります。

よもや皮蛋を知らない人が居るとは思えませんが、
居るとしたら、
納豆で代替可能かも。

「糸引いてる! 臭い! 絶対腐ってる!」
と思うでしょ?
でも美味しいでしょう?

そして、語り手の男は、美しく貞淑な(死語!)恋人と腕を組み合って、
公園に向かいます。

恋人は言います。

「だってあなたはあの公園が大好きな筈じゃありませんか。私は初めあの公園が非常に恐ろしかったのです。娘の癖にあの公園に足を踏み入れるのは、恥辱だと思っていたのです。それがあなたを恋するようになってから、いつしかあなたの感化を受けて、ああいう場所に云い知れぬ興味を感じ出しました。」

健全な人が、悪徳の?世界に堕ちて行くさまが、
おとぎ話のように語られております。

まだ珍しかった映画、それを観た彼等の、その恐ろしいまでの世界が、語られます。

そして、男は言います。

「しかし恐らくあの公園には、もっと鋭くわれわれの魂を脅かし、もっと新しくわれわれの官能を蠱惑する物があるだろう。ー物好きな私が、夢にも考えたことのない、破天荒な興行物があるだろう。私にはそれが何だか分からないが、お前は定めし知っているに違いない。」
「そうです。私は知っています。それはこの頃公園の池の汀に小屋を出した、若い美しい魔術師です。」

純真無垢な恋人の方が、男に感化されて、先導役を務めるようになっているのですね。

若い美しい魔術師。

これは、私のイメージでは、
実際に年齢が若いか否かと言うよりも、
若く見える、年齢不詳の美しさなのではないかと。

真っ黒な太い列をなして公園の方角に向かう人ごみを示して、恋人は言います。

「ご覧なさい。これ程多勢の人たちがみんな公園に吸い寄せられて行くのです。ーさあ、われわれも早く出かけましょう。」

公園に向かう、ぎっしりの人ごみは、
読後、長い間、雑踏に居るたびに、
谷崎潤一郎の「魔術師」を思い出させるのでした。

例えば、
上野の花見。

明治神宮の初詣。

あるいは、全く頽廃でも耽美でもないのに、
通勤ラッシュの、人ごみの中に居る時でさえ、
じわっと思い出させるのでした。

この本を読めば、
通りすがりの皆様も、

殺伐とした通勤ラッシュ時に、
思い出して、
密かに退廃耽美の世界に浸れるのではないかと思います。

「二人は人波に揉まれ揉まれて、一尺の地を一寸づつ歩く程にして、つい鼻先に控えている公園の入り口へ、ようやく辿り着くまでに一時間以上も費やしたようでした。」

あるよね、こういう密集した混雑。

そして、彼等は、ようやく公園にたどり着き、
目当ての魔術師の小屋を見つけ、入ります。

魔術師は、以下のように描写されています。

ちょっと長いですが、
谷崎がおとぎ話風に語る魔術師の物語の、
誘惑的な美の描写の、
重要な部分なので、

漢字が変換されないよ〜;;と泣きながら、
引用します。


「私は、魔術師が諄々として語り続ける滑らかな言葉よりも、むしろ彼の艶冶な眉目と婀娜たる風姿とに心を奪われ、いつまでも恍惚として、眼をみはらずには居られませんでした。彼が超凡の美貌を備えていることは、前から聞いていたのですが、それにしても私は今、話に依って予想していた彼の顔立ちと、実際の輪郭とを比較して、美しさの程度に格段の相違があるのを認めました。なかんずく、一番私の意外に感じたのは、うら若い男子だとのみ思っていたその魔術師が、男であるやら女であるやら全く区別の付かないことです。女に云わせれば、彼は絶世の美男だと云うでしょう。けれども男に云わせたら、或いは曠古の美女だと云うかもしれません。私は彼の骨格、筋肉、動作、音声の凡ての部分に、男性的の高雅と智慧と活発とが、女性的の柔媚と繊細と険峻との間に、渾然として融合されているのを見ました。たとえば彼の房房とした栗色の髪の毛や、ふっくらとした瓜実顔の豊頰や、真紅な小さい唇や、優婉にしてしかも精悍な手足の恰好や、それらの一点一かくにも、この微妙なる調和の存在している工合は、ちょうど十五六歳の、性的特長がまだ存分に発達しきらない、少女或いは少年の体質によく似ていました。それから彼の外見に関するもう一つの不思議は、彼が一体、何処に生まれた如何な人種であろうかという問題です。これは恐らく、誰しも彼の皮膚の色を見た者には当然起こるべき疑いで、その男ーだか女だかは、決して純粋の白人種でも、蒙古人種でも、黒人種でもないのです。強いて比較を求めたなら、彼の人相や骨格は、世界中で美人の産地と云われているコウカサスの種属に、いくらか近い所があるかもしれません。けれどももっと適切に形容すると、彼の肉体はあらゆる人種の長所と美点ばかりから成り立った、最も複雑な混血児であると共に、最も完全な人間美の表象であると云うことが出来ます。彼は誰に対しても常にエキゾティックな魅力を有し、男の前でも女の前でも、ほしいままに性的誘惑を試みて、彼等の心を蕩かしてしまう資格があるのです。」


バルザックに、「セラフィタ」という小説があります。
男からは美女に見え、女からは美男に見える、セラフィタという美の化身が出て来ます。
セラフィタは、天上の美です。
天使ですから。

しかし、谷崎の魔術師は、
ほしいままに性的誘惑を試みて、心を蕩かしてしまう、
地上の美にとどまらず、語り手の男の、
すれた、通常の美意識では満足出来なくなっている、
しかし、人魚の嘆きに登場する貴公子のような無尽蔵の富を持っている訳ではない、
一般の背徳家の、心を蕩かしてしまう、美の持ち主です。

魔術師は、彼等の望みのままの姿に変えます。

「残りの五人の奴隷たちも、順々に魔王の前にさしまねかれて、一人一人矢継ぎ早に妖術を施されて行くのです。三人の男の奴隷のうち、一人は豹の皮となって、王様の玉座の椅子に敷かれたいと云いました。二人は二本の純銀の燭台となって、王様の左右を照らしたいと云いました。最後に二人の奴隷女は、二匹の優しい蝶々と化して、身も軽々と王様のお姿に附纏いたいと云うのでした。」

どれも、魔術師に蕩かされて、ひたすら彼を美しくするために、おのれの我を捨てています。

豹の皮となって尻に敷かれたい、

自分の上に魔術師の臀部が、、、と、不埒なことを想像した皆さん、

それは正しい理解です。


観客にも声をかけます。

「どうですか皆さん・・・・・どなたか犠牲者になる方はありませんか。」

魔術師の美貌に惑わされて通い詰めているらしい、
高貴な婦人が、
魔術師のサンダルに変えてもらいます。

自分の上に、求める人の足が。

これは、普通の人には、
何の性的ニュアンスも感じられないかもしれませんが、

諸氏に足フェチの知識があれば、
この婦人がどんな感慨を持ってサンダルに変えてもらったか分かるというものです。

そして、主人公も、
魔術師の舞台に進み出て。。。。。



あとでじわじわと来る短編なので、
是非お読み頂きたいと思います。

雑踏、普通の庶民の男女、という登場人物設定ゆえに、
日常で、思い返して重ね合わせてみる頻度が高いと思います。














by leea_blog | 2016-12-29 22:23 | Comments(0)
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