耽美と女人崇拝の系譜・谷崎潤一郎「二人の稚児」あらすじ


谷崎潤一郎を再読しているが、
びっくりするほど古びていない。

そして、味わい深い文体は、
安心して耽読出来る。

昔の文豪は、
文章そのものを、
実に鍛錬したのである。

あまり知られていない短編に、
「二人の稚児」というものがある。

私は大好きな短編である。

入門編として、
「人魚の嘆き」とセットで読むのがお勧めである。

人魚の嘆きについては、
過去日記をご参照下さい。

http://leea.exblog.jp/25091842/

(拙ブログは、セキュリティーの観点から、
直接リンクが貼れません。
URLをコピーし、ペーストして飛んで下されたし)


「人魚の嘆き」は、
支那の国に生まれた貴公子が、
有り余る財力と見識眼で集めた美女と
退廃耽美の暮らしをしており、

この世の快楽を汲み尽くそうとして
ついに、
人間では到達出来ない美と悪徳の生きもの、
「人魚」を、オランダ人の商人から手に入れる。

そして、これまでの生活を捨て、

人魚の故郷、
オランダ人の商人の話によると、
「人魚など特に珍しくない」という、
異郷、欧羅巴へと旅立ってしまう。

と、あらすじを書くとつまらなくなるが、
文章には、美に耽溺する香りが濃厚に立ちこめ、
美酒のような短編だ。


「二人の稚児」は、
日本の比叡山が舞台である。

女人禁制の聖域に暮らす、
幼い頃に比叡山に入れられて、
俗世を知らない、
そして女性を見た事が無い、

二人の稚児。

清冽な文章の合間に、
魔的で、菩薩のようにも見える、

恐ろしくも美しい「女人」への、
想像と、誘惑と、耽溺が濃厚にあらわれてゆく。

いくら幼い頃に比叡山に来たと言っても、

実際は、比叡山の生活は、
もっと世俗的で、

寵愛争いも、
地位争いもあれば、

美しい稚児さんへの、
恋文なども、
僧たちから届けられたりするであろう。

そして、
女人を見た事が無い稚児さんがいたとしても、

僧たちがよってたかって俗世体験を語るであろう。

が、そこは、人魚の嘆きと同じく、

禁欲の地に住む善良な二人の稚児さん、という、

童話のような、

谷崎マジックに酔いしれるのがお勧めである。

美しい二人の稚児は、

比叡山のふもとに広がる俗世を色々想像し、

語り合う。

仏典から女人を描写した部分を見つけては、

想像を交換する。


以下、引用しよう。


「二人は幼い頃から習い覚えた経文に依って、女人と云うものが如何に獰悪な動物であるかを、よく知っている筈であった。しかし、女人が、いかなる手段で、いかなる性質の害毒を流す物であるかは、殆ど推測する事が出来なかった。
「女人最為悪難一。縛着牽人入罪門。」(にょにんはもっともあくなんをなすこといちなり。ばくじゃくしてひとをひいてざいもんにいる)と云う智度論の文句から察すれば、女人は男子を高手小手に縛めて、恐ろしい所へ引き摺って行く盗賊のようにも考えられた。」

ううむ、凄い。続けよう。

「けれども、又、「女人は大魔王なり。よく一切の人を食う。」と、涅槃経に説かれた言葉に従えば、虎や獅子より更に巨大な怪獣のようでもあった。「一とたび女人を見れば、能く眼の功徳を失う。たとい大蛇を見るといえども、女人をば見るべからず。」と、宝積経に書いてあるのが本当であるとしたら、山奥に棲むうわばみのように、あの体から毒気を噴き出す爬虫類でもあるらしかった。
千手丸と瑠璃光丸とは、さまざまの経文の中から、女人に関する新しい記事を捜して来ては、それを互いに披露しあって、意見を闘わすのであった。


たんたんと描かれているが、
こうした恐ろしい記述は、
抹香臭いと言うよりは、
幼い子供たちにとって、
冒険物や探偵小説を読むかの如き興奮をもたらした筈である。

引用を続けよう。

「そなたは唯識論の、その先の方にある文句を知っているか。女人地獄使、永断仏種子、外面似菩薩、内心如夜叉(にょにんじごくし、ようだんぶちしゅし、げめんじぼさち、ないしんにょやしゃ)ーこう書いてあるところを見ると、たとい心は夜叉のようでも、面は美しいに相違ない。その証拠には、この間都から参詣に来た商人が、うっとりと麿の顔を眺めて、女子のように愛らしい稚児だと独り言を云うたぞや」

「まろも先達の方々から、そなたはまるで女子のようだと、たびたびからかわれた覚えがある。まろの姿が悪魔に似ているのかと思うと、恐ろしくなって泣き出した事さえあるが、何も泣くには及ばない、そなたの顔が菩薩のように美しいと云うことだと、慰めてくれた人があった。まろは未だに、褒められたのやらそしられたのやら分からずにいる。」
こうして話し合えば話し合うほど、ますます女人の正体は、二人の理解を越えてしまうのであった。」


上記のやりとりは、実に素晴らしい。

「外面似菩薩、内心如夜叉」。

ほおー。

若い頃、この文句が、実に頭に残った記憶がある。

西遊記にでも出て来そうである。

それが、妖怪でも何でも無く、

普通にその辺に居る女人を描写した所が、

この世が地続きで異界に接しているかのような、

西遊記の妖怪がその辺にいるかのような、

しかもそれが、

たまらなく美しく妖力を備えている不思議で恐ろしい存在であると言う事が、

実に味わい深かった。


リアル女人である私としては、

「酷い言われようだ」とまるで思わずに、

この世が異界と混じりあっており、

自分が菩薩のように美しく、

夜叉のような妖力を備えたものであるかのような、

満足した気分になった記憶がある。


子供にはよくある事に、幼い頃、

私は、どうも人間界に違和を覚え、

「私は妖怪なのではないか」と思った。

ボキャブラリーも概念も乏しい幼さの頃は、

「私は何の妖怪なのだろう。雪女かな。

寒いのが苦手だから、違うだろう。

きっと化け猫だ」

と、妖怪たちの絵を書いていた。

長ずるに従って、

神話の生きものになったり、

まあ、中学生の頃には、

「前世はエルフだな」と思ったり、

それが大人になっても、まったく治っていないのだが、

人からも、「本当は妖怪なのではないですか」と、

しばしば言われるので、違和感が無い。

そうした訳で、この二人の稚児の想像は、

神話的真実を云い得ているのではないだろうかと思う。

一方で、

男性という生きものが如何に不自由なものか、

女性で良かった、と思うのであった。



さて、こうした、憧れに裏打ちされて、

恐れたり、不思議がったり、という二人の稚児の女人談義であるが、

急展開を迎える。


歳上の稚児、千手丸は、だんだん、

女人の幻に責め立てられ、

つまり、単なる好奇心では無い、

煩悩が成長とともに生まれ、

怪しい憧れ心に、

夜な夜な、苦しんで過ごすのであった。


そして、ついに。

十六歳になった千手丸は。

煩悩の炎に苦しむあまり、

出家する前に、比叡山のふもとに下って、

実際の女人を一目見て、煩悩を払おうと決心する。

「そんな事をして、上人に叱られはしないだろうか」、と心配する、十四歳の瑠璃光丸。

なにしろ浮き世という場所は、

女人という妖怪が住むばかりではなく、

山賊もいて、命を奪われるかもしれない場所である。

叱られるで住めば良いが、生きて戻れないかもしれない。


が、千手丸は、昼までには戻る、と言いおいて、

山を下りてしまう。

そして。

戻って来ないのであった。


「一旦浮世へ出て行ったからには、大海の中へ石ころを投げたも同然。千手の体は、もうどうなったか分かりはせぬ」

と、稚児たちの師匠である上人はいう。

瑠璃光丸は、なぜ千手丸を止められなかったのかと思い、また、上人たちの話から、
一緒に行かなかったのは、仏の加護が有ったのだと思うようになる。


しかし!

ここからが佳境である。

千手丸が行方を断って、半年後!

瑠璃光丸に、話しかける奴僕風の男があった!

主から文を預かって来たという。

怪しむ瑠璃光丸だが、文は、千手丸の筆跡であった。

おお。千手丸は生きていたのだ。


千手丸は、山を下りてほどなくして人買いにさらわれ、売られ、苦労をしたようだ。

が。

とある長者に売られた所、美しい容姿を長者の娘に見初められ、その家の婿になったのである。

そして、

「浮き世は決して、山の上で考えていたような幻でもなく、恐ろしい所でもない。女人と云うものは、猛獣や大蛇などに似ても似つかない、弥生の花よりもきらびやかで、御仏のように情け深いものだ」と

文には書いてあり、千手は妻を得たばかりではなく、二十五菩薩よりも美しい遊女たちの群にかしずかれながら、蝶のような美しい毎日を送っている、という。


そして、山に残して来た瑠璃光丸を気の毒に思い、
従者に、瑠璃光丸も山から連れ出させようと思うのであった。


自分の一生を覆し、これまでの生活を無に帰するかの、
恐ろしい選択。

別人のような、手紙の千手丸の口ぶり。

眼もくらむような、戦慄。

何が本当で、何が真実では無いのか。

千手丸は、悪鬼に魂を食われてしまったのかもしれないし?

瑠璃光丸は、奴僕とともに山を下りる事は、

ようやくの事で思いとどまる。


が!

ここからも、佳境。

一旦はこの世の恐ろしい誘惑を断ち切ったかに思えた純真な少年も、

だんだん、女人の幻想に苦しむ年頃になるのであった。

春になったら、出家するが良い、との上人の言葉が有った、冬。

瑠璃光丸は、自分のうちにも芽生えた、恐ろしい煩悩、

女人の面影に憧れる恐ろしい煩悩を、

師匠の上人に打ち明け、断ち切る方法を尋ねる。


瑠璃光丸は、上人の指示に従い、

邪念を払うために、法華堂に参籠する。

そして、満願を迎え。


まどろみのなかに、気高い老人の姿が現れた。


老人は、瑠璃光丸は、前世では天竺のある王国の王に仕えていたと告げる。

そこで、彼に思いを寄せる女性が有ったが、女性は彼をどうしても惑わす事が出来なかった。

そのため、彼はこの世でありがたい仏の教えに接して生活をし、

彼女も後を追って、比叡山の鳥に生まれ変わった。

彼女も、有り難い説法に毎日触れるうち、

来世は極楽に生まれ変わるという。

彼ととともに、弥陀の浄土に生まれ変わり、ともに過ごすという。


老人は言う。

「その女は今、独りでこの山の釈迦が岳の頂に、手傷を負うて死のうとしている。早くその女に会ってやるがよい。」

瑠璃光丸は、

浅からぬ三世の宿縁をつないでいる女人の、現世の姿に会いたさに、嶮しい山路を夢中で辿った。

途中で雪が降り出し、天も地も谷も、みるみるうちに銀色にかすんだ。

以下、引用。



「ようように頂上に達したと思われる頃であった。渦を巻きつつ繽紛として降り積もる雪の中に、それよりも更に真っ白な、一塊の雪の精かとあやしまれるような、名の知れぬ一羽の鳥が、翼の下に痛ましい負傷を受けて、点々と深紅の花を散らしたように血をしたたらせながら、地に転げて喘ぎ悶えて苦しんでいた。その様子が眼に留まると、瑠璃光は一散に走り寄って、雛をかばう親鳥の如く、両腕に彼女をしっかりと抱きしめた。」


読み進めると、

全身が総毛立つような、読後感のある、最後を引用。


「瑠璃光は、彼女よりも自分が先に凍え死にはしないかと危ぶまれた。彼女の肌へ覆い被さるようにして、顔を伏せている瑠璃光の、可愛らしい、小さな建築のような稚児輪の髪に、鳥の羽毛とも粉雪とも分からぬものが、頻りにはらはらと降りかかった。」

完。


凄過ぎる。

この世が地獄とも極楽とも地続きになり、

女人の面影に苦しむ稚児さんが最後に得たのは、

ついに、時間空間を越えた、前世来世のえにしの、

瀕死の純白の鳥であった。

瑠璃光丸は、

血に染まった純白の鳥を抱きしめたまま、

凍え死んでしまうのであろうか。



短い作品なので、

是非、人魚の嘆きとともに読んで、堪能して下されたし!

貴方なら、人魚を得たいですか、

それとも、死にひんした美しい鳥、三世の縁、を得たいですか?

それとも、通常の女人?
























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by leea_blog | 2017-01-29 21:35 | Comments(2)
Commented by 双子の星笛宮 at 2017-01-29 23:59 x
千手丸と瑠璃光丸と言う二人の名前も
美しく胸に響きますね
優雅に言い尽くされてゆく言葉が
世の美しい石や玉をつないだ生きもののようです
Commented by leea_blog at 2017-01-30 18:21
> 双子の星笛宮さん

昔の文豪は、美しい言葉を、下から支える文章力を鍛錬しており、語り口に魅せられますね。
読み返す程に味わいが増してゆく、そうした作品群は、作者に、
「書いてくれてありがとう!」と感謝したいです。
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