重い話題を差し挟む



触れるのをためらいましたが、

記します。


知っている人が亡くなりました。

まだ死ぬ年齢ではありませんでした。


ご家族や関係者の皆様の、

衝撃と哀しみは、大変なものでありましょう。


亡くなった状況は詳らかにされていません。


そのため、事故や病であるかもしれません。



そうした前提の元に、

心から哀悼の意を捧げます。


拙ブログは、

「自殺」というキーワードで、

たどり着く方も多いです。


見知らぬ通りすがりの方にも、

何となく考えるきっかけになってくれると良い、と思います。


なぜならば、

自死に関する率直で赤裸々な話は、

「自殺はいけない事だ。

家族や友人が悲しむだろう」

という意見で、ほとんど暴力的に、

我々の日常から葬られますが、

それが、

余計に、死を決心した人が、

人に告げずに旅立つ土壌になっているからです。


疲弊しきった人に対して、

「走れ、走れ! 遅いぞ! 離脱は許さん!」と、

鞭を浴びせかけるようなものと言えましょう。


「話しても無駄だ。」

「止められるだろう」。

そう思ったら、人に告げるのは、やめますよね。





どれ位前であろうか。

氏と、友人と、私と、三人で、

居酒屋で文学議論をした事があります。

当時私は、地獄のような人生を終えるための、死という選択を、

考えていました。

それが、ちょっと話題に上がったのでした。

氏は、私に同意し、

自分の考えを述べました。

私は、死を考えていた者として、

彼の言葉の選び方から、

彼も「人生が地獄に見えている」、

あるいは、「そう見える時がしばしばある」のだ、と、

気づきました。



あの時、さりげなく言えば良かったのだろうか。

信頼出来る心療内科を、受診しているかどうか。

辛い事が続くようだったら、

気楽に心療内科を受診してみるのも、良い経験である、と。


ただ、そうした話題は、

初対面の人に出来る話題では、

全くありません。


相手が悩んでいるようだったら、

勿論、そうした話題になりますが、

当時彼は、心を病んでいる様子はありませんでした。


氏が心療内科を受診していたかどうかは、

分かりません。



何度も自死の直前まで行った私としては、

悲しむだけでは、

故人は全く浮かばれないと思っています。


「大変でしたね。お疲れさま。旅路が安らかでありますように」


接したご縁のある人の中で、

一人位は、共感の姿勢で見送る人があっても良いでしょう。



そう思わない人も、勿論多数おられます。



死にたい、と思った経験は、

多くの人が持つでしょう。


しかし、人間は生き物ですから、

種が滅びないように、「生きる本能」があります。


その本能が壊れる位のストレスを受け続けた人が、

実行に移します。

死にたいと思う事と、実行に移す事の間には、

大きな隔たりがあります。


過去日記で、

死の直前まで行くと、

脳から死の物質とでも言うべきものが分泌される経験を述べました。


決心するまでは苦しいけれど、

もう決めたなら、

重い荷を下ろす時のような、

ほっとした感覚が、全身に満ちます。


迷ううちは、

まだ死ぬ時期では無いと言えましょう。



一つ、言える事は、

日本は自殺大国である現状があり、

どれほど否定しても、縋り付いても、

その現状は変わりません。

それなら、

「自死が良くない事だ」と頭ごなしにいう風潮を考え直し、

気軽に語り合える環境を作れば、

死ななくて良い人も増えるのかもしれません。

拙ブログの、

綺麗ごとをなるべく排除した自死に関する話は、

そうした環境への、ささやかすぎる一石であります。



















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by leea_blog | 2017-06-04 20:19 | Comments(2)
Commented by 八点鐘 at 2017-06-06 19:59 x
こんばんは

『善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』の一文が特に有名?な、歎異抄(全18章)の第13章の部分。※長くなるので、こちらで引用させて頂きます。→(https:)//kouhei1112.wordpress.com/2008/03/23/%E6%AD%8E%E7%95%B0%E6%8A%84%E3%80%8E%E7%AC%AC%E5%8D%81%E4%B8%89%E7%AB%A0%E3%80%8F%EF%BC%A0%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E7%9B%AE/

簡単に申せば、いかなる行為も、成否/可不可は、ご縁のままあるのみ、という事でしょうか。
運命は変えられるが宿命は変更できない、などとも云う場合の、その宿命の、部分。コンピュータの二進法プログラムに譬えるなら、0(NO)か1(YES)のスイッチ次第だと。

その上で私は、自ら命を絶つ事は、(確率の高さは別にして取り敢えずともかく)全ての人間がYESの側、即ち、可能としてプログラミングされているのではないかと、そんな思いを持っております。

だから、やるべきでない事、或いは最大の悪事かも知れない、とは感じても、完全に否定し切れない、ある意味ではLGBT、性的アブノーマルの感覚もそうでしょうが、人はみな誰でも、その要素・因子を多かれ少なかれ内包しているから、たとい心の片隅であっても、頑なに頭で遮ろうとした所で、必ず共振共鳴が起こる訳です。あの幼女連続殺人事件。(既に刑が執行されたとのことですが)犯人が逮捕された当時、幾人かの著名人の文章で、この人物の闇は自分の中にも存在すると綴っているのを見かけたものでした。それもまた、思い出しながら。

(直情的な)怒りというものは、大人なら抑えて然るべき、なんて、口では言えても、機嫌の好い時、順調なタイミング限定だったりするものですし、もっと、躾の為などの正当な理由を以って、「冷静さ」を保って人を叱っても、我が子(私は未婚で、今の所ありませんが^^;)でさえ反発します。

どこの誰が、限られた人生の中で、貴重な時間を割いてまで、敢えて涙を流すものか、怒りを湧かせるものか。

ましてや、己れの命を、己れ自身で断とうなどと企て、挙句に実行しようと、誰が、好きこのんで――。















Commented by leea_blog at 2017-06-06 20:31
> 八点鐘さん

良い引用、ありがとうございます。

「いわんや悪人をや」→あるいは、私の好きな禅の言葉では、「仏界入り易く 魔界入り難し」。

6月5日、誕生日の前日だというのに、重い日記になってしまいました。

最後の瞬間は、故人は、これまで耐えただけに、圧倒的な平安に包まれた事と推測しています。

そういえば、オウムのサリン事件、あの一連の報道がされたとき、私が当時文学論をかわしていた、私より10歳ほど上の諸氏は、行為者側に、共感したと話していました。やりたい、が、それはやってはいけない事だ、しかしやってしまった人がいる、→動揺。

闇が多くの人の中にある、別の一例と言えます。↑

全くです。

自死を選んだ人々も、決して好き好んだ訳ではなく、一見、「自死」というと、自分で選択可能のように見えても、そこに至るまでの道は、自分で選んだ地獄ではなかった筈。

追い込まれてしまったとも言えましょう。





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