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谷崎潤一郎「秦淮(しんわい)の夜」あらすじ 迷宮・闇の中の女人たち


華麗にして根源的な、

女人像を様々に提示してくれる大文豪、谷崎潤一郎。

これまでもいくつか紹介して来ましたが、

今回は「あまり注目を浴びてない」と思われる短編を紹介します。

「秦淮(しんわい)の夜」です。


谷崎のエキゾチシズム系の作品です。


案内者を雇って、中国美人を求めて、迷路のような闇の中を、

ひたすら走り続けるお話です。


要するに、旅の旦那が、異国で、地元の女性を買ってみたい、という、

現代人からすると、「とほほ」なお話ですが、

(谷崎等は、背徳耽美系なので、義憤にかられて読むものではないのですね。)



これが、恐らく実話に基づいていそうなのに、

大変幻想的な短編に仕上がっているのです。



日常と異界が浸食し合う、という状況、時間、場を追求している私は、

再読して感嘆した次第。


主人公が全く不案内な、

中国都市の迷宮状の通路、

真の闇をくぐった先に、女達の居る娼窟があり、

そこを巡るさまは、現実世界なのに、

谷崎の筆に掛かると、あたかも異界巡りのよう。



「男性は女郎買いなどという楽しみがあって、結構な事でございますね。

いいもん、いいもん、女性は自分で綺麗な服を着て、

お化粧して、鏡を見れば、充分非日常だもんね〜」


現代日本の「買春」とは、

谷崎の時代は、

かなり趣が違っており、

何が違うかというと、

「情緒を楽しむ文化」。

このあたりが、女性の私も、

「それはちょっと羨ましい!」と思う点です。





さて、ある暮れ方、旅の宿にくすぶっているのは惜しい心地がした主人公は、

地元の案内者をやとい、人力車で、秦淮の夜に繰り出すのである。


しかし、夜に繰り出すと言っても、

この辺りの夜は、六時を過ぎた頃なのに、

真夜中のように深閑としているのです。

以下、引用してみましょう。

「日本の町と違って、支那では北京でも南京でも夜になると非常に淋しい。電車も走らず街灯もともっていない街路はひっそりと静まり返り、厚い壁や石造りの塀で囲った、窓と云うものの一つも見えない、狭い戸口にぴったりと板戸を閉ざした家々からは、一点の灯影さえも漏れては来ない。東京の銀座通りのような繁華な町でも、大概六時か七時になれば多くの商店は店を閉じてしまうのである。ましてこの宿屋の近所は、しもうた家ばかりであるから、ようよう六時を過ぎたほどだのに、人気の無い往来が真夜中のように深閑としている。」


家々からは一点の灯影さえ漏れない街の特徴が描かれています。

そして、深閑としているのは、革命騒ぎがあり、兵隊を恐れて、余計夜が淋しいようであります。


闇の迷路の街並を走り抜けて、案内者と語り手は、漸く南京料理の店に着きます。

美味な南京料理を食べながら、旅人は案内者に水を向けます。
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「どうだね、此の河の向こう岸には大分芸者家があるそうだが、別嬪が沢山居るかね。」
私が頻りに紹興酒をすすめながら、こう云って水を向けると、案内の支那人はほろ酔い機嫌の赭ら顔に人の好い微笑を浮かべて返辞をする。
「ええ、別嬪が居ないことはありません。日本から来た旦那方は大概一度は見物の為に芸者を呼んで遊びます。誰か一人此処へ呼んでご覧なさい。呼んで歌を歌わせて三ドルくらいやればいいのです。」
「此処へ呼んで歌を歌わせただけでは面白くないから、いっそ此れから芸者家の方へ行ってみようじゃないか。君の知って居る内があったら案内してくれ給え。」
「成る程それも面白いです。」

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しかし、兵隊が乱暴するため、
芸者家の女達は兵隊の来ないような、
暗い淋しい何処かの路地の方へ逃げ込んでしまい、
探し出すのが面倒になっていると言います。

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そう聞いて私の好奇心は益々募らざるを得なかった。
「でも一軒くらい知っている内があるだろう。そんな淋しい所にあるなら、尚更面白いじゃないか。」
「あはははは、なあに捜して見たら分からないことはないでしょう。よろしい、よろしい、此れから私が案内します。」

ーーーーーー


暗い淋しい所にある、芸者屋が、尚更面白い、のだという訳です。

そのあたりは、さすが「陰翳礼賛」の作者。

闇の中に垂れ籠める女人の幻影を思い描いて、さらに好奇心が募ったのでした。


そして、真っ暗な、土塀に囲まれた迷路のような道を、人力車を走らせます。

その迷路状の描写を読むうち、語り手だけではなく、読者も、闇の迷路に行き迷う心地がして来ます。

いよいよ人力車が通れない恐ろしく狭い曲がり角に出、二人は車を待たせておいて、歩いて行きます。

語り手は、自分の現在地も分からず、様子も分からず、

もし案内者の支那人が悪人ででもあったなら、と、段々少し気味が悪くなります。

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「おい、君、君、こんな処に芸者の内があるのかい。君は其の内を知っていないのかい。」
私はひそひそと案内者の耳に囁いた。
「ええ、待って下さい。たしかこの辺にあるのですが、、、、。」

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案内者もすぐに分からないくらいの、闇の迷路なのである。

ところで!

海外旅行をする皆さんは、上記は「良い子はまねしないでね」、であります。

日本並みに治安の良い所なんて、ありませんよ!

殺されて金を奪われて埋められたら、もう行方不明者の一人でしかありませんよ。


そして、ついに。

こんな所にある筈が無い、と思うような、迷宮の闇の中、芸者家にたどり着きます。

壁に今にも消えそうな軒燈が、一つぼんやりと瞬いていています。

そして、辛うじて人一人が入れるほどの門が壁にくりぬかれ、その向こうに板戸がぴったりと降ろしてあります。

無論、家の中の人声や燈火が漏れる筈も無く、

よくよく注意しなければ、単に土塀の表面がへこんでいるのだとしか思われない入り口です。


華やかな客商売のはずなのに、この、苦労して迷宮を行き迷わなければならない立地は、何???

本当に芸者家なのか???と、

語り手も読者も、いぶかり、秘密の中に分け入ります。

壁の厚みが影を作っているへこみの中に包まれて、

彫像のように立ちすくんでいた番人が、板戸をごそごそと開けます。

中も、非常に薄暗いのですね。

賑やかに灯を灯すと、革命前夜の兵隊たちがやって来て、乱暴をするから、

それを恐れて、闇の中で秘密にしている訳です。

ーーーーー

あまり人相の宜しくない五六人の男が、テエブルを囲んでた分賭博をやって居たらしい部屋を通り抜けると、こう云う家にはお定まりの中庭があって、そのつきあたりに二つ三つのまくの垂れ下がった女の部屋の入り口がある。私の案内されたのは、左の端の部屋であった。

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室内にはほとんど装飾らしいものも無く、

部屋の隅々まで光が届かないくらいの置きランプがたった一つくすぶっており、

とてもそう云う種類の婦人の閨房とは思われぬほどに陰鬱だったとのことです。

艶かしい、豪華な調度を期待した所ですが、部屋の隅々まで光が届かぬような石油ランプが灯るのみの、闇は、

実は、「陰翳礼賛」の筆者としてはむしろ思いがけなく良かったのではないでしょうか。



案内人と語り手が椅子に腰掛けて待っていると、遣り手ばあさんのような女が、

水瓜の種と南瓜の種を盆に載せて運んで来、

支那語でべちゃくちゃと喋っては愛想良くニコニコするのですが、

語り手は言葉がわかりません。


そして、この閨房の主の婦人が、十二三の小娘を二人従えて入って来ます。

ーーーー

案内者に通弁を頼んで尋ねると、彼女は今年十八で名を巧と云うのだと答える。鈍いランプの光線の中に浮かんだ顔は、むっちりと圓く肥えていて輝かしいまでに色が白い。殊に薄手な小鼻の肉のあたりなどはほんのりと紅く透き通っている。それにも増して美しいのは、身に着けた黒繻子の服よりもなお真黒な、つやつやとした髪の毛と、無限の愛嬌に富んだ、びっくりしたようにみはっている生き生きとした瞳の表情である。北京でも随分いろいろの女に会ったが、私はまだ此れほどの美女を見たことがなかった。実際、こんな殺風景な、こんな薄暗い穢い壁の家の中に、こんな滑らかに研かれた女が住んでいようとは全く不思議である。「研かれた」と云う言葉を使うのが、蓋し此の女の美を形容するのに最も適切であろう。なぜかと云うのに、その顔立ちは美人の典型に外れて居るところが少なくないにも拘わらず、肌理の光沢や、眼の動きや髪の結い振りや、全体の体のこなしや、それ等が如何にも洗練された芸者育ちの可愛らしさを、遺憾なく発揮しているのである。」
ーーーーーー


薄暗いランプの明かりに照らされた女性の、描写ですね。殺風景な、薄暗い、汚い壁の部屋に住む洗練された美女。

昔話なら、狐狸かなにかの妖怪ではなかろうか、という所を、実地で行っている訳です。

「芸者育ちの可愛らしさ」、という言葉が、印象に残ります。

彼女が入って来る時にも、少女を二人従えているわけですが、

子供の頃からそのような世界に入り、芸や作法を学ぶので、

大人になってからその世界に入る人が及ばない、「育ち」が、あるのですね。

現代の先進国では、児童福祉の観点から、子供の頃から遊郭に奉公、ということは、禁止ですので、

そのような光景は、失われた文化でありましょう。


案内人は、語り手が彼女と泊まれるように、交渉します。しかし、交渉は難航。

高過ぎる、というのです。

四十ドル。語り手の懐には六十ドルあまりがあります。

しかし、その中から四十ドルを払ってしまうと、

これから蘇州を見物して上海の銀行に行くまでの間、残りの二十ドルで辛抱しなければならない、とのこと。

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「別嬪には違いないが、四十ドルは高過ぎるね。もう十一時過ぎだからいい加減にして帰ろうじゃないか。買わなくっても見ただけで沢山だよ。」
思い切りよく私は席を立ちながらいった。
「なあにまだ帰らないでもいいです。この女が駄目ならば他にもまだ別嬪の内があります。四十ドルなんか出さなくても、安くて面白い処があります。」

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見ただけでも満足、というのは、本当でありましょう。

語り手は、性欲にかられたというよりは、どういうものか見物をする事に重点が置かれていたと見えます。

夜も遅いから、帰りどきなのですが、

なんと、案内者は、まだこれからも語り手を闇の路地を案内する意欲が満々です。



「私は此れから変な所へ連れて行かれて、折角の美女の印象を汚したくないとも思った。貴い幻にも似たこの女のおもかげを、胸の奥深く秘めてこのまま安らかに帰路に就く方が、私には却って望ましかった。」


しかし案内者は熱心に次を捜します。

闇の迷宮に、二人は再び彷徨います。

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先から土塀との間を何遍ぐるぐると迂回するか知れないが、私達より他にこの辺をうろついている人影は全く見えない。まるで物凄い廃墟の中を彷徨っているようである。こんな深夜にこんな処を徘徊している人影があったら、それは恐らく幽霊だろう。実際この路地の光景は、人間よりもむしろ陰鬼の棲家に適しているのである。

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冥府のような路地を彷徨し、ようやく次を見つける。

−−−−

門の入り口は、先刻の家よりも更に曖昧で真っ暗である。案内者の支那人が扉をとんとんとほのかに叩くと、壁の一部が岩窟のようにへこんで我々を中へ吸い込んで行ったが、戸外の闇は屋内にまでも広がっていて、何処から家の中になるのだか分からない程であった。我々の後で再びガサリと板戸の締まる音がしたので、振り返って見ると、目の前にはただ暗黒があるばかりである。今潜って来た筈の門のあかりも分からなければ、中から戸を開けてくれた筈の人影すらも見当たらない。外には兎に角柳だの古池だのがあったのに、内部には暗黒より外に何等の物象も無いのである。我々は確かに壁の向こう側から此方側へ来たのであるが、その壁をいつどういう風にして潜り抜けて、こんな処へ這入ってしまったのだろう。後の闇を見つめていると、壁なぞは何処にもないようにさえ感ぜられる。あの古池や柳のあった世界は、土の壁よりももっと厚い「暗黒の壁」で厳重に隠されてしまっている。子供の時分に、パノラマを見て暗い廊下を出て来る時に、よくこんな気持ちがしたことを思い出した。

ーーーーーー

迷路、闇、人気の無さ、突然現れる屋台、こうした描写は、

まるで幻想小説のようです。

が、遠方を色々彷徨った旅人としての私には、谷崎の描写は、実に的確で、

異邦の土地、言葉の通じない場所、不案内な場所の夜の気配を、よく現していると感じます。

私はいくつか既視感を覚えました。


幻想文学なんて、本の中だけじゃないか、と、ヤケになる通りすがりの方は、

いつでもこうした世界は実際に広がっており、体験可能だ、と励ましたいです、

が、実際には、幻想世界が危険であるのと同様に、リアルの世界も、いつでも命を落す危険があります。


谷崎潤一郎の時代は、海外に行くには、巨額のお金と膨大な時間が必要でした。

恵まれた一部の人以外は、

こうした本を読んで、毛穴の底まで想像してみるより外には無いのでした。


こうして、次の家で、女の子たちを検分する語り手ですが、

前の家の女が余りに良かったので、どうしても、見劣りがして、気分が乗りません。


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「どうですか、旦那、泊まって行ったらいいでしょう。十二ドルに負けるといっています。」

「いや、止めにしよう。私にはどうも気に入らないから、。。。。それよりか今夜は宿屋へ帰って寝るとしよう。」

「そうですか、宿屋へ帰りますか。、、、」

案内者は不機嫌な私の顔色を見て取って、当惑したらしい口調で云った。

「では帰り道にもう一軒寄って見ましょう。そうして其処が駄目だったら、宿屋へ帰ってもいいです。」

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もう、時刻は、深夜。人影もない迷路の闇の底で、

宿屋へ帰って寝ることが、異界から此の世への帰還に該当します。

読者諸氏も、

「そんな遅い時間に治安の良くない場所をうろついてはいけない、

さあ、君たち、もう切り上げて寝たらどうだ?」と、

心に思いつつお読みと思います。

が!


もう帰って寝よう、と提案する語り手に、案内者は、最後の切り札を出します。

何と、極く秘密にお客を取る素人の女で、そういう処へは支那人でも紹介がなければ容易に行くことは出来ない、と言います。


ごたごたと入り組んだ分かりにくい一郭に。

ーーーー

一流の芸者の内でさえあれ程陰鬱なのであるから、まして素人の女の家の暗さ淋しさは云うまでもない。闇は勿論、冷え冷えと身に染みる深夜の外気が、室内の敷石の上にまでひたひたと流れ込んで、火の気の無い、ガランとした洞窟のような部屋の一隅に、十六七になる一人の娘が、荒れ寺の本堂に安置された木彫りの仏像のようになって、寒そうに顎をわななかせながら、怪しい異国の紳士の闖入を訝るが如く目を光らせて居たのである。

ーーーーー


闇を経巡るうちに、怪異は魔窟に棲む女達ではなく、

いつの間にか、怪しいのは異国人の語り手になり、

素人の女の子に訝られるのです。

最初の家の女がルビーだとすれば、この女は黒曜石に似た憂鬱があった。

おお、良いではないか?

しかし、彼女は恐ろしく機嫌が悪そうで、まるで怒っているように見えます。

ーーー

「なあに怒っているのではないのです。素人の娘だからはにかんで居るのです。泊まると云えばきっと承知しますよ。」

其の時女は顰めた眉根を更に一層嶮しくして、口の先を尖らせながら、案内者を摑まえて何かぶつぶつと不平を鳴らし始めた。潤んだ目からは、今にも涙が落ちそうであった。

「この様子ではとても承知しそうもないじゃないか。帰ってくれろと云って居るんだろう。」

しかし、私のこの推量は全然間違って居た。案内者の説明に依ると、娘は是非今夜泊まってくれるように哀願しているのだそうである。

「この女は、この頃世間が騒がしいのでお客が無くて困っていると云うのです。最初は十ドルだと云っていましたが、六ドルに負けると云い出しました。談判をすれば大丈夫三ドルまでには負けるでしょう。どうですか旦那、三ドルなら安いものじゃありませんか」

ーーーーーーー


うわあ。

恐ろしく機嫌が悪くて怒っているかのような素人の娘ですが、

何と、お客が無いので是非泊まってくれろと言っていたのですね!

しかも、十ドルが三ドルに負ける。。。

最初の芸者との交渉が決裂してから、

そのおもかげを抱いて宿に帰って寝たいと思っていた語り手は、

冥府巡りの末、更に闇の濃い民家で、不機嫌そうな素人の娘に遭遇したのか。


やがてやりての婆さんもやって来て、娘と共々に口を揃えてかき口説きます。そして、案内者の云った通り、彼らは三ドルに負けるのでした。

ーーー

話が極って、案内者と婆さんが別室に退くと、女は入り口の板戸の桟を下ろしてしんばり棒をかった。そうして何か分からぬことをぺちゃくちゃと囀りながら、始めてにこやかな笑顔を見せた。

ーーーー

私は彼女の名前を支那音で呼び続けつつ、両手の間に細長い顔を抱き挟んだ。挟んで見ると掌にすっぽり隠れてしまうほど小さな愛らしい顔であった。
力を籠めてぎゅっと圧したらば、壊れてしまいそうな柔らかな骨組みであった。大人のように整った、赤子のようにういういしい目鼻立ちであると私は思った。私は急に、挟んだ顔をいつまでも放したくないような、激しい情緒の胸に突き上げて来るのを覚えた。

ーーーーー

おわり。


女郎買いという此の世の事が、冥府の迷宮に棲む女達を経巡る心地を放射し、闇の底、冷え冷えとした、がらんとした迷宮の底は、

思いがけなく素人の少女が居て、二人きりの密室になってみると、花のように可憐なのでありました。


「異国で女を、しかもまだ少女なのに、いい歳した日本人の大人が、安く買いたたいた。恥である!!!」と、

怒る事も可能ですが、

永井荷風の「濹東綺譚」のように、女性と金銭が媒介する仲を結ぶにもかかわらず、

情緒が蔓延しているのが、特徴です。


それは確かに、女性から見れば、生活の為に自分を売らなくてはならない同性の心中や境遇に思いを馳せてしまい、

勝手に情緒にひたっている男が、気持ち悪く見えてしまう事は否めません。


しかし、当時の文化は、今更遡って帳消しに出来るものではなく、

そのような風俗を、まるで幻想文学のように濃密に描いた筆力に、感嘆したいと思います。


此の世の事か、あるいは、異界か。

夢を見ているのか、はたまた、うつつか。


それが混交するさまを、見事に描き取った短編です。

そのように、

幻想文学というものは、

取りたてて異界の住人を神話伝説に則って描き出さずとも、

此の世の習俗を描いても、充分に顕現が出来るのです。



























by leea_blog | 2017-07-24 16:36 | Comments(0)
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