辻村ジュサブロー「人形曼荼羅」


人形作家、辻村ジュサブローのエッセイ、「人形曼荼羅」を再読しました。

若い頃読んだので、内容をほとんど忘れています。

大変読みやすい語り口で、

仏教的な人生観に到達した、穏やかな一冊です。



現実の煩わしさが嫌になると、ジュサブローは、

よく「いっそ山にでも籠って、一人で思いのままに人形が作れたらどんなにいいだろう」と

思った時期もあったそうです。

これは、表現者なら、ほとんどの人が、思った事があるのではないでしょうか。



「しかし、私が本当に一人で山に籠ったとしたら、はたして思いのままに人形が作れたでしょうか。
おそらくは、否です。」

「切り花が長持ちしないように、私が現実を逃げ出せば、私の中の人形もそのとき死んでしまうでしょう。」


なるほど。

私などは、人が多勢行き交う、賑やかな場所を居心地が良いと思うので、

山は、籠る場所ではなく、心を清らかにする一時的な場所です。

ずっと滞在したら、鬱がひどくなりそうです。

もっと歳を取れば、山にずっと住みたい、という願望が出て来るのでしょうか?



今住んでいる東京は、

アパートの隣の部屋に誰が住んでいるのかも分からず、

アパート近辺は、挨拶をする知り合いも居ません。


下界の煩わしさの無い、

これは、一種の、

「都市部だから可能な仙人生活」とも言えます。

人間関係や世俗の問題からすれば、

山生活と同じです。



とは言え、今は静養しているだけで、

昼間は「仕事」に出掛け、職場では本当に、理不尽と人間の醜悪な面と、

理不尽が襲いかかってくる、

戦場のような感じなので、

一昔前の言葉、「東京砂漠」で、仙人生活をするには、

働かずに作品に没頭出来るような、経済力が必須ですね。


山にこもるにしても、

洞窟で暮らせるのでも無し、

山小屋の維持管理、

食料の調達が充分可能な、経済力は必須です。



ジュサブローは続けます。

ーーーー

山に籠る自由が自由なのではなく、不自由をしのいでいくところにしか、本当の自由は産まれてこないのでしょう。猥雑な現実に生きることによってこそ、美も、夢も、憧れも紡ぎ出していける、といまの私は考えています。このことを裏返せば、美しいものや、喜ばしいものは、私たちのなりわいのなかにある醜い面や悲しい事実の裏付けによって、美しいのであり、喜ばしいのだと言えるでしょう。醜とせめぎ合う美、悲しみを背中にした喜びこそ、より強いのではないでしょうか。

ーーーーーー


なるほど。

彼は、本当の自由とはどうやって産まれてくるか、を、人形作家の視点で結論に達したのでした。


まあ、このような語り口で、

読者それぞれが、

自分の人生観を振り返って、考えてみる事が出来るような、文章が、

押し付けがましさが全くない流れで、続いていく一冊です。


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by leea_blog | 2017-08-30 23:25 | Comments(0)
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