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   外は風と雨、春近し



遊行小径に
J.R.R.トールキン 出典・フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)
を追加しました。

ウィキペディアは、利用者により書き加えられてゆくフリーの百科事典、のようです。インターネットらしい試みで、そういうのもあるのかぁ、と感心。

なんとなく関心持った人向け。トールキンの著作も未邦訳分含めてリストアップされてるし、外部リンクも良いです。





だがしかーし。

文学の扱いにいささか真面目な人が読むと、突っ込みが入りまくりそうである。試み自体が面白いし、善意の人たちが無償でやってる事だ。細かい事をあげつらうつもりは無いが、短い文章の中で、これはどうか! ! !と思う記述が目立つのだ。。。


個人のホームページなら主観満載でいいし、独断と偏見がカラーになる。しかし、百科事典を名乗るなら、不特定多数の利用者に対し親切であるべきで、知らない人が読んだ場合の誤解は、最小限に押さえるべきではないだろうか。

“あなたが精通している事があれば、ぜひ執筆して下さい。”という趣旨からしても、通りすがりが簡単に直せない本文部分は冷静であった方が良いと思った。と言うのも、あまりに趣旨が違う文章に対しては、自分の知識と時間を費やして付け加えの作業をしたい人は少ないと思われるからだ。



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幻想文学がいかに色物に見られているかに驚いて、以下、疑問点に突っ込みをいれてみた。トールキンに限った問題ではなさそう、と思ったからだ。

例えば。《 》内は引用。


生涯の欄では

《トールキン研究家は、この戦争は彼の作品に強い影響を及ぼしたと説明している。つまり、20世紀における工場、機械の乱立・製造、銃、兵器の発達というおぞましい現実からの逃避の方法として、ファンタジーを見いだしたのだと。》

戦争体験が作品に影響を及ぼすのは特に否定しないが、《つまり》以下に繋げるのは短絡的すぎる。せめて誰の記述か明記すべし。その研究家の意見が適正だと誤解されるような引用方法はいかがか。トールキン未読の人がこれを読めば、ろくでもない作品を連想するに違いない。逃避という言葉を作者が使ったにしても、一般の人が使う意味かどうか検証してからにしよう。


著作の欄では

《1960年代 、『指輪物語』は多くの学生たちの間で好評を博し、それ以降高い人気を保っている。その一方で、何人もの(特に北欧神話を専門とする)学者たちは、トールキンが使用した資料に感づき、この作品は古典から素材を得たものだと考えている。》

わざとやっているんではなく、言葉の選び方に無頓着なだけかもしれないが。《その一方で》とか《感づき》という表現は、どういう意図があるのだろう? 学者じゃなくても、北欧神話を読んだことある人は子供でも分かる事だと思う。執筆に際して古典から素材を得るのが、ぱっとしない事だと言いたいのであろうか。。。。


《トールキンの小説の読者を魅了した特徴の一つは、その単純さである。中つ国には統治機関はあっても官僚制度はない。農業や手工業はあっても、現代的な経済観念はない。生活風景はあっても、セックス描写はない。神々はいても、宗教はないに等しい。魔法はあっても科学はない。さらに、きわめて非現実的である。たとえば、森に覆われ農作地を持たないロスローリエンの王国が、敵地のただ中にあっていかにして食料を得ていたのか、ということにトールキンは何ら説明をしようとしない。》

ううーん、困った。いちいち突っ込むのは申し訳ないのだけど。

《トールキンの小説の読者を魅了した特徴の一つは、その単純さである。》 「単純さ」に魅了された人って多いのか。根拠がわからない。面倒で読むのを投げ出す人なら多いが。トールキンの文章自体はくどくどしく無いが、文体の事を言っているのでは無いようだし。


統治機関はあっても官僚制度は無い、、、。人間の王国にはあったのではないか? 

現代的な経済観念は無い、、、。現代の話じゃ無いんだから

セックス描写はない、、、、、。生活風景を入れたらセックス描写も入らなくちゃいけないのか??? 

宗教はないに等しい、、、、。宗教が無いとなぜ納得できない??? 作品に出てくる神々は我々の世界の神々と同一じゃないのだ。同じような宗教が生まれないのは無理は無い。

魔法はあっても科学がない、、、、。人間の王国には時代設定に即した科学はあったでしょう。現代と同じ科学は当然無いでしょう。魔法は予想されるほどは出てこない。
エルフやイスタリの、魔法に見えるものは人間やホビットから見たら魔法にみえるが、エルフ達には科学知識ではないか? 飛行機を知らないにとっては鉄が空を飛ぶなんて魔法だ、という具合に。
人間やホビットの思いこみ(ひいては我々読者の思いこみ)を、思いこみであると知らせる場面は繰り返し出てくる。


つまり、現代と同じ設定か、現代とどう違うか細かく説明してある作品じゃないと駄目で、文脈を読むことが出来ない人なのだろうか。推測や連想で読み進める作業が出来ないタイプは、文学読むのは厳しいだろう。。。。特に幻想文学。。。神話や伝説を読んで、「こんなの嘘じゃねーか」と言うだろうか。


《さらに、きわめて非現実的である》 海に潜って、陸の生き物がいないと文句言うに等しいです。
だってね、ロスローリエンはエルフの領土。人間は住んでいないんです。エルフは人間みたいにひっきりなしに食べて寝てセックスして病気になったり年老いたり死んだり、という種族じゃないんですよーーー。エルフがいかに人間と違うかは本文中に幾らでも出て来るじゃないですか〜。


不死の種族を人間と同じ条件で測って《非現実的》と指摘する、その方法自体が《きわめて非現実的》ではないだろうか。大体作品にはこの世にはない植物等が沢山出てくる。ローリエンのエルフが居住しているマローン樹もそうだ。自然の恵みは沢山あるし、家庭菜園程度の耕地があれば彼らには十分と思われる。

人間ではないエルフやドワーフが出てくる事自体に目をつぶって、エルフの領土の農耕地や食糧事情を非現実的というのは理解不能。


《トールキンは何ら説明をしようとしない。》 エルフがいかなる種族か、本を読んで頭に入っていればもう少し違った疑問になるはず。作者は困った読者の勘違いな疑問に説明する労力を、他のことに向けて欲しいし、向けるべき。作品理解に必要な質問には作者は答えるであろう。。。。トールキンはもう此の世にいないけどね。



《『指輪物語』の成功に続いて出来上がったファンタジー文学というジャンルに、多大な影響を残している。》

ファンタジー文学は、『指輪物語』の成功前には無かったのか????
『指輪物語』以降のファンタジー文学に多大な影響を残している、というのが正しいのでは。


余談だが、ポール・アンダースンが『折れた魔剣』という作品を書いている。北欧神話等に準拠した作品で、エルフやドワーフ、トロルなど、トールキン作品で有名になった種族が主な登場人物である。そのため、作者及び関係者はこれが『指輪物語』以前に書かれたものだとさりげなくも一生懸命アピールしなければならなくなった。


作品に地図や年表を付けたがる作家は、『指輪物語』以降の作家であれば、仮に読んだこと無くても“影響を受けた”とされて悔し涙を呑む事になる。長い作品書く時はトールキンじゃなくてもやるんだけどね。なぜって、書いていて分からなくなるじゃないですか。

あれやこれやで罪作りですなぁ〜〜。
by leea_blog | 2004-02-22 04:03 | Comments(0)
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