古書市場に潜む業

家の更新料を捻出するため、身の回り品を少し売却中である。

身の回り品といっても、本や衣服だ。高級宝飾品や高級美術品は所持していない。


以前、元の値段より高値で売られる書物について書いた。
あの時は怒り心頭だったのだが、
読みたい人の足元を見る方法で申し訳ないと思いつつ、私もやっている。
マニアックな絶版本を元値の倍近い値段で売却したりしているのだ。

インターネットで売却すると、売れるとメールでお知らせが来る。
「わーい! 売れた」というのが通常の反応だろうが、ワタクシは様子が違う。
深い悲しみに襲われるのだ。

プロは売れそうな物を安値で仕入れて高値で売る。手放すつもりで入手する。
ワタクシは自分の為の物を仕方無しに売るので、手放すのはかなり悲しい。
余所様が高値でも欲しいと思うような本は、ワタクシにとっても二度と手に入らないな本だ。

インターネットの古書市場にも、頻繁に検索をかけまくった所でほとんど出てこない、出てきたところで、安値だとプロの商人がさっさと落札する、そういうたぐいの本が、高値を付けても売れるのだ。
(本当に凄い世界です。欲しいブツを登録して出品されたらお知らせメールが来るようにしておいても、ワタクシが駆けつける頃には売却済みになってるんですよ。素人に先を越されるようではプロは勤まらないので当たり前ですが)

そういうわけで、売れても嬉しくない。
悲しみに暮れながら「新しい持ち主はきっと私よりお前を可愛がってくれるよ」
と心で言いつつ、本を梱包するんです。
ちらとページをめくり、売られていく書物がしどけなく魅惑をふりまくのにどきっとしつつ
「はした金の為にお前を手放す私を許してくれ」とか
「私は定価ですらお前を買うのに逡巡した。新しい主は古書のお前を定価の倍で引き取ると言っている。余程お前を必要としているのだよ」とか言いながら、あのぷちぷちした梱包材でくるみ、受取人がじりじりと待っている姿を想像しながら宛名を書くわけです。(間違っても金の使い道に困った成金が高値がついている本を遊び半分に入手するケースは想像しない)

何としても手放したくない本は、別格として本棚の奥にかくまってある。手放す本は、貴重とはいえ、手放してもいいと判断した本だ。にもかかわらず、このいつまでも消えない悲しみは何だろう。

そんなことが続いて、ワタクシははっと気が付いた。
この異常な程の喪失感は、心身にとても悪い!!!
喪失感に利益が釣り合わないのだ!!!!!! 嫌なら売るな。

それにね、ワタクシの持っている本は、貴重な本とはいえ、貴重さもたかが知れている。
何万の利益が出るわけではない。泣く泣く手放して何千円の利益である。
付き合いで飲みに行けば一回で無くなる。いや、飲みに行くにはまるで足りない金額ではないか。
気づくのが遅かった。
貧すれば鈍する、とは良く言ったものだ!

よくも何千円の為にあの本やあの本を売ったよなぁ。
(本の名を挙げれば、知っている人は「そんな値で手放すなんて馬鹿だ」と思うに違いない) そういう訳で、カラオケは昼間限定、大人数の飲み会は、申し訳ないが私が居ても居なくても影響は少ないので、欠席します。


これには後日談がある。
「絶版本とはいえ元値の倍で買うか?人の足元見るんじゃねぇよ!」と買う方はひかえていたワタクシだが、先日買ってしまった。元値の倍以上で。世間の人はどんなに読みたい本だろうと古書に高額を出すよりも、図書館で我慢するのを選ぶはずだ。

書いたり読んだりの世界は、泣いてすがる妻子を蹴倒して別の道に足を突っ込むのに等しい。

いや、人間の振りをしていた怪異が隠しきれずに正体を現すのに等しい。
私が本当に欲しい物はごく幼少の時から、金では買えない物ばかりだった。
此の世では手に入らない物ばかりに惹かれるたちに出来ていたのだ。
書物や絵は、そうしたものと此の世をつなぐ呪術の手段の一つでしかない。
[PR]
by leea_blog | 2006-04-16 01:38 | Comments(0)
<< 幕張のホテルとマンハッタン自殺... 春だ。美術館は人で埋まっている。 >>