旅人の時間が日常に流れ込む—「アルケミスト」—パウロ・コエーリョ


積んであった本の中から、旅人作家の作品を読んだ。
 童話風の長くない話で、かなり面白かった。旅人脳の作品だ。

 羊飼いの少年が夢に見たことを信じて、長年一緒に過ごした羊たちを売り払い、別の大陸に渡り、言葉も通じない国でいきなり騙されて全財産を失い、人生をやり直す金どころか今夜のパン代も無い、と、絶対嫌だけれど一番ありがちな災難に遭遇する。全財産を売り払って宝物を見つけに行くだけでも大抵の人はやらない。リスクが大きすぎるからだ。更に、言葉も風習もわからない場所へ行けばこんな危険が沢山、という典型的な目に合って、こころざし半ばどころか一日もたたない内に一文無し。「あいつは馬鹿だ」のお手本のようではありませんか。
 しかし、今までの人生がすべて否定されたかの時にどうするか、どう考えるかで、その先が変わってくる。主人公は素朴で癖のない性格で、幅広い読者が感情移入しやすく、平易で起伏に富んだ物語展開なので、誰が読んでも面白い(多分)。
 複雑な思考で快楽を得るタイプの読書マニアにも面白いはずだ。詩の湧き出るところとかなり近い場所から生まれてくる視線で書かれている。
 特筆すべきは、旅人モードの頭が紡ぐ物語、という点だ。
 少し引用してみよう。
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「少年は、直感とは、魂が急に宇宙の生命の流れに侵入することだと理解し始めた。そこでは、すべての人の歴史がつながっていて、すべてのことがわかってしまう。そこにすべてが書かれているからだ。」( 『アルケミスト』 パウロ・コエーリョ 山川絋矢+山川亜希子訳)

「二人はそこに立って月を見ていた。「あれは前兆の魔法だ」と少年が言った。「案内人がどうやって砂漠のサインを読むのか見ていました。そして、どうやってキャラバンの魂が砂漠の魂に語りかけているのかも、観察したのです」(同上)

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旅のさなかの感触が、とてもよく伝わる。旅の時間では、文字を紡ぐ脳が定住時のようには働かない。家の中、部屋の中での作業とは脳の目覚めている部分が異なるのだ。
 単語や精緻な概念がぽろぽろとこぼれてゆくのだ。そして、別のものが目を覚ます。

 パッケージツアーでは、その感覚は目を覚まさない。飛行機も宿も、用意されている。 パッケージツアーは言葉の通じない場所で、土地の人々の眼差しや仕草、気配や風や大気中の水分や、植物層動物相、気温の変化、その他から、一々何かを読みとる必要は無いからだ。必要が有れば、それは目を覚ます。助手席でまどろんでいたものが、運転交代の為に身を乗り出し、「意味の通じる言語を駆使する運転者」を脇に押しやって運転席に座るように。

 主人公の少年の、羊を追って移動し、言葉の通じない港町のカフェでお茶を飲み、駱駝の背に揺られ、といった時間が、物語の文字から立ちのぼる。作者の、旅人モードの頭がつむぐ文字の流れは、あきらかに書斎で目覚めている脳が紡ぐものとは異なる。

 宇宙の言葉、宇宙の生命、前兆の魔法、などは、定住しているマンションの一室で聞いたなら「この人大麻でもやっているのでは?」と心配になる類の言葉かも知れない。
 しかし、旅の時間、旅の中で目を覚ます脳にとって、それらは誇大な妄想でもファンタジーでもない。旅人同士のやり取りでは、こうした言いまわしは、重要なことを伝える表現となる。

 非・旅人にももちろんお薦めだ。生きている事自体が有る意味旅なのだから。 
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by leea_blog | 2006-11-19 12:11 | Comments(0)
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