秋 火の燃える古民家




親を見舞ってきた。
弟の妻と姪、甥が車で迎えに来てくれるのだ。

車でさいたま市の方角に向かっていくと、木々が紅葉しているのが「あからさま」に見えて、ワタクシはデジタルカメラを持ってこなかったことを心底悔やんだ。

現在の都内仮住まいから職場まで、季節の移り変わりを知らせるモノがほとんど無いのだ。緑から黄色や赤や茶色に変わりながら木々の葉が、とりどりに入り乱れて左右に広がる様は、陳腐な表現で言うと、まさに綴れ織りを広げたようだ。
巨大な皓い手がさぁっとレース状の織物を広げて、見せてくれているかのようである。「綺麗でしょう? 堪能しておかないと、すぐ無くなっちゃいますよ」と言いながら。

四季のない国から来たように「わぁー、凄い、綺麗!」を連発するワタクシ。弟の妻、姪、甥は心中呆れたかも知れない。道の左右に広がるこれらの光景に、さっぱり心を動かされているようには見えなかったからだ。ま、贅沢に慣れている、という事だろう。

秋は凄い。色彩が乱舞している。遠方にまで広がる景色も凄い。
空気にも澄んだ金色、薄青、薄紫が混じって、畑の終わりや森の入り口に色を重ねている。レースのような枝を半ばあらわにした木々に、葉の広い蔦が曲線を描いてからまり、垂れ下がる。濃く紅い実がいきなりたたずんでいる。高い場所から、はらはらと間断なく葉が舞い降り続ける。

この興奮は、テレビや写真では見ていたが、実物はこんなに凄いのか、と感動しまくるおのぼりさんの状態。海を見たことが無かった人がはじめて海を見て波打ち際を走り回ってなお飽きない状態。生まれて初めてツンドラの荒野にカリブーの群が大移動をしていくのを見て、走って追いかけ、そのままついていって行方不明になる島国の小娘状態。

実は、ワタクシは幼児時代から、木々に恵まれた環境で過ごしていない。視界が広々と開けた場所で暮らしたことがない。

さて、親の入っている施設の近くに、文化財の古民家があり、「生きた古民家」として一般に開放している。いろりには夏でも薪が燃え、鉄瓶が掛かっている。これも素敵だった。生きた火は、眺め飽きない。火の熱が肌に心地よい。煙が凄かったが、わらぶき屋根は下から煙でいぶす方が虫が湧かないのだそうだ。

携帯写真を載せる。携帯の、今ひとつな写真機能がむしろデジカメより味わいがでるように撮れないか、と考えた。
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by leea_blog | 2006-12-04 22:16 | Comments(2)
Commented at 2006-12-09 21:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by leea_blog at 2006-12-15 13:26
すっかり冬。美しく小さめの画像は女性の願い、、、じゃなかった、ワタクシの課題。
鍵さま、ご指摘、ご助言感謝です。いまだに容量が小さくてしかも綺麗な画像の基礎がさっぱりわかっておりませぬ〜。
画像の知識獲得を放置したおかげで、ここのブログ、異様に表示に時間が掛かっていましたか。 今年こそ、課題にします、画像基礎。
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