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福島泰樹 短歌絶叫コンサートの事 その2

=続き=

私にとって、自分の朗読観の中での様々な疑問に解決の光が射した時間でもあった。

吉祥寺のライブハウス曼陀羅にて、休憩をはさみ約二時間。私がやや遅刻して到着した時には、黒い眼鏡をかけた福島泰樹氏が「絶叫朗読」をしていた。

絶叫系が苦手、という人は多い。絶叫すれば何かが伝わる、と思い込んでいる人々の咎である。しかし、福島さんのはそうした意味での絶叫では無かった。心地よい系絶叫?  内面の絶叫を、露骨な叫びになる前に押さえて音声化する為、耳に心地よい。 むしろ、音の感覚としては「語り」に近い。「なめらかさ」と「非・無理強い」が濃厚。

絶叫朗読が苦手な理由に、他人のストレス発散を拝聴するクレーム担当者の気分になる為もある。皆で叫ぼうぜ、は音楽では有りだが、文学となると現在では叫びのもとが細分化されて、他者の叫びに波長を合わせて聞くには、聞く方のチューニング能力に頼る所が多い。大抵の朗読で解放感が少ないのは、その為でもある。

現在の日本で、酒を飲みつつ詩歌の朗読を聞くのが娯楽になりうるか、というのが私の長年の疑念(希求でもあった)だったが、ううむ、これはまさにその類い!

次に、ゲストの高坂明氏が痛みに満ちた短歌朗読をストーリー仕立てに構成して行い、飽きさせなかった。辰巳泰子氏が絵草紙に出てくるかの襦袢姿で登場、音楽無しの声だけで聞かせる朗読は、朗読というより「語り」の境地であり、音そのものが心地よかった。氏の地母神系、巫女系の気配は、とっさにサトウケヤキ氏を思い出した。(スタイル自体は全く違うのであるが)。

後半は福島泰樹氏と大変素晴らしいピアニストの競演で、ボクサーがステージに上がってシャドウボクシングを披露したり、亡くなったミュージシャンに捧げる短歌や村山槐多の詩の朗読等、語りの魔力と素晴らしいピアノであっという間に過ぎた。俳句もそうだったが、今回も、定型の強みを目のあたりにした。聞く方も、基本の約束事がわかっている、という強みである。

朗読系で、出演者は達成感があるものの、客として「来て良かった」と満足できるのは、そう滅多にあるものではない。

チケット3000円+ドリンクオーダーというのは、詩人の朗読に慣れている身には敷き居が高いのは事実だ。良い物を寄り手ごろな価格で、という長期不況時代の要請にも反してはいる。表現者は活動費に金が消える生き物ゆえ、個人のキャパシティというものもある。
とはいえ、一回行ってご覧なされ。ワタクシはもう一回行きたい気分だ。

そういうわけで、そのかみの世のごとく、または異国のごとく、詩歌朗読を娯楽として聞ける方法論もぱーっと光が差し込む心地でアレなわけですが、「じゃ、あんたも酒を飲みながら聞くとも無しに聞ける朗読を、やっていこうという訳ですね?」と言われれば。否である。

百物語を再開したい、と考えた。取りあえず、今のワタクシの早急の課題は、やはり地神に酒と歌と火と詩を捧げる朗読会であった。
by leea_blog | 2009-01-17 00:39 | Comments(0)
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