2017年 02月 21日 ( 1 )

ホフマン「砂男」と自宅図書館化計画


さて。

白い長襦袢を着た宮無后は、その後どうなったのであろうか。

いや、もう、ちょっと大変でした。

色々。



それは後日書くとして、

私は、急遽、人形愛に関する蔵書を探して、

読みふけった。


子供の頃、

「自宅図書館化計画」を夢見ていた。


膨大な図書、すぐには読まれないものを大量に含む、

誰が読むのかさっぱり分からない本も大量に含む、

図書館という空間は、子供にとって、

時間空間を越える、秘儀の場所であった。

紀元前の人などが、

隣近所の人と話をするように、

私と話してくれるのである。

生きているか故人か、国はどこかは、

ほとんど関係が無かった。



(もちろん、長ずれば、

もっと様々な問題に直面するようになる。

翻訳されていない、とか、

流通経路に乗っていない、とか、

そういう作品がある事自体を、

知るのが難しい、とかである)





今、私は、実家から膨大な量の書物を賃貸アパートに引き上げ、

その有り様は「書物の密林」、「書物の樹海」と称される。

一度足を踏み入れたら磁石も狂って出られない、という、

富士の樹海や、アマゾンの密林の様相を呈しているのだ。


振り返ってみれば、

子供の頃の夢が一つかなっている訳だ。



人形愛については、

台湾の人形劇、piliにはまる前は、

図書館のうち、

特に普段は省みられないジャンルであった。


自宅図書館の良い所は、

火が付いて燃え上がった「読書欲」を、

深夜であろうと、明け方であろうと、

満たしてくれる所だ。


バレエに、「コッペリア」という話がある。

ホフマンの「砂男」を下敷きにした話だ。


恋人の居る学生が、等身大の自動人形を、

人形とは気づかずに愛してしまい、

人間の恋人の方を、

自分の心を分かってくれない、

人形のような女だと思う話で、

人形だと分かってからは不気味な小道具でしか無く、

愛が続く訳ではない。

人形愛の観点からすると、

特に面白くはない。


学生が、子供の頃に聞かされた怪談の砂男が、

長じてからも実生活に割り込んで破滅をもたらす、という、

砂男に視点を移せば、面白い。

人形愛に関してなら、やはり、

江戸川乱歩の「人でなしの恋」がお勧めである。




うちには確か、リラダンの「未来のイヴ」もあった筈。

美しいアンドロイドが出てくる。

アンドロイドを人形に含めるか否かだが、

アンドロイドと言えば、

大島まり子のクラムジーとイルシリーズも持っている。

銀河郵便局員と、美貌の男性型セクサロイドの話だ。

国書刊行会から出ている、「書物の王国」シリーズの、

人形篇もあった筈。

何処に行ったかなあ。


と、一読しただけで、

普段は忘れ去られている書物たちを、

この樹海から探し出さねばならないが、

こうした探索を極められるのも、

普段から書物を、こつこつと溜め込んで捨てないでおいたおかげである。


ところで!

PILIの木偶たちと暮らし始めてから、

私は、大昔に書いた短編小説を、

探していた。

「闇の婚礼」という題である。

それも、樹海のどこかにあるはず、と、

ずっと探していた。


探すと見つからなくて、

探していない時には見つかる、という法則通り、

急に見つかった。


若い男性が、等身大の蝋人形と恋に落ちる話だ。

その頃の私は、人形愛について蘊蓄はあっても、

自分自信が肩まで浸かる事は無かった。

忘れていたくらいだから、

自分の中では特に傑作には認定されていなかったのだろうが、

ともかく、読みたくて読みたくてたまらなくなったのだ。


経験しなくては書けないとしたら、

それは、文学とは言いがたい。

人間が自分で経験する事など、

この世で過去から現在、未来に至るまで起こっている事、

人の心の中で起こっている事を考えれば、

砂粒程度なのである。




そのような訳で、読み返した自作だが。

これが、詳細を忘れた頃に読み返してみると、

まったく面白かった!!!!

「書物の王国」の人形篇に入れて欲しい位である。

「ある訳無いだろ」と「それは有るかも」が絶妙に入り交じり、

主人公は声を奪われ、蝋人形は眼を潰され、

酷い話なんだか良い話なんだか

まるで分からない終わり方といい、

大変奇妙な話である。



大変、創作意欲に火が付いた。














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by leea_blog | 2017-02-21 14:24 | Comments(6)