2017年 04月 18日 ( 1 )

江戸川乱歩「残虐への郷愁」・タブーの深淵


江戸川乱歩も再読中だ。

「残虐への郷愁」という、短い随筆がある。

テーマは、タイトルの通り。

狂画家・月岡芳年の無惨絵の話に絡めて、
語られる、「抑圧されたる太古への憧れ」。

江戸川乱歩を愛読する人でも、
「残虐への郷愁」と言われると、
困ってしまうのではないだろうか。

普段、グロ画像、グロ動画、
スプラッタ物を好む人でも、

「残虐への郷愁」の話をされると、

「自分の場合は、当てはまるのだろうか。
違うような気がする」と、
とっさに、考え込んでしまいそうだ。


以下、引用。

「幻影の国の残虐の部屋。

その赤い部屋にはまた、世界各国の神話と、古代伝説と、聖書、仏教経典などが、高い天井に届くほどの大入道になって、いかめしく控えている。それらのものの残虐への郷愁の豊かさと深さはどうだ。それにはたった一つ「創世記」のアブラハムの試みの話を思い出すだけでも充分すぎるほどであろう。一人子イサクを神への犠牲として、我と我が手で惨殺するために、アブラハムは我が子を殺すべきモリアの地へ、犠牲の我が子の手を引いて三日の旅をした。彼にとってその三日間は数千年にも感じられたに違いない、あの恐怖と戦慄の物語を思い出すだけでも充分すぎるほどであろう」


確かに、神話、伝説、人類の歴史は、残虐と恐怖と戦慄に満ちている。
(勿論、それが主体ではないが)


「神は残虐である。人間の存在そのものが残虐である。そして又、本来の人類がいかに残虐を愛したか。神や王侯の祝祭には、いつも虐殺と犠牲とがつきものであった。社会生活の便宜主義が宗教の力添えによって、残虐への嫌悪と羞恥を生み出してから何千年、残虐はもうゆるぎのないタブーとなっているけれど、戦争と芸術だけが、それぞれ全く違ったやり方で、あからさまに残虐への郷愁を満たすのである。芸術は常にあらゆるタブーの水底をこそ航海する。」


江戸川乱歩の時代に比して、

現代ではさらに、タブーとなっている。

良識と教養のある現代人は、
眉を曇らせてしまうであろう。

「人間の尊厳」を、
子供の頃から擦り込まれているからだ。


ところで、長年パワハラに苦しんで何度も死にそうになった私は、
最近思い当たる事が有る。


現代人は、
人間に尊厳が有る、と思い込んでいるから、
辛いのではないか?

そもそも、尊厳などは、
理想であって、

便宜上、

有るという前提にしないと、
様々な支障が生まれる為、

ある事になっているだけで、
それは、
薄い氷の上を大地だと思って歩くのと同様ではないのか?

元々そんなものは無かったのなら、

尊厳を叩き潰されたと思う感覚も、

尊厳自体が無いのなら、

架空の痛みではないのか?


そのような訳で、

太古からの地下水脈の薄氷の上を、
人間の体重に耐えきれない薄氷を歩きながら、

暗く、色彩と体温に満ちた水を覗き込んでみれば、
それは、太古からの深淵の、
支流であり、

多くの表現者は、

その水脈に身を委ね、

水源地をめざして、

水中を泳ぎのぼるのである。








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by leea_blog | 2017-04-18 19:09 | Comments(0)