2017年 04月 19日 ( 1 )

「書物愛(海外編)」・書物愛好家の驚愕の世界・狂った官能の世界にようこそ


富士の樹海のように、

ひとたび足を踏み入れたら生きて出られない、

人呼んで「書物の樹海」に暮らすワタクシ。


同居人が書物にまで焼きもちを焼くようになったのをきっかけに、

自分を見直してみた。


今日は、

傑作アンソロジー、「書物愛」海外篇・紀田順一郎編、を紹介します。

江戸川乱歩の短編集並みに面白いぞ!

「書物の魔力に取り憑かれた人々の、滑稽でもあり悲しくもある姿を描いた作品ばかりを、本の達人が選びに選び抜いて編んだ、傑作アンソロジー・海外篇。本好きを自負する人々であれば身につまされ、ビブリオマニアの何たるかをまだご存じない方々は、未知の世界に仰天すること間違いない、読書人必読の書」


帯文は、以下。

「ビブリオマニアー書物の魔に囚われた人々

本に魅入られた読書家、愛書家たちの赤裸々な姿。

あなたはこんな世界を

ご存知ですか?」


はははは。

恐らく、

世間一般の人が思い浮かぶような読書家のイメージを裏切る、

狂った世界、執着の世界、

異常な欲望の世界、

フェチの世界、凄まじい世界です。


読書家というと、

知らない人から見れば、

知的なイメージがあると思いますが、

いく所までいってしまうと、

頭の蓋を開けてみれば、

愛欲に身を滅ぼしたり、

金銭欲や、

権力欲に身を滅ぼす人たちと、

姿は変われどさして違わない、

煩悩と欲望が怒濤の如く渦を巻いており、

そういうのは大抵子供の頃からの嗜好で、

精神の暗黒部分とつながっており、

本人からすると宇宙とつながっているような心地になる、

うまく活用出来れば世の為人のためにもなるけれど、

大抵はそうはいかない、

そういう世界です。




ギュスターヴ・フローベルの「愛書狂」、

アナトール・フランスの「薪」、

この二篇だけでも、

買ってもおつりが来る位です。



私は、書物の初版か何版かはまったくどうでもいいのですが、

ネットで蔵書を泣く泣く売却するおりに、

必ず、「初版ですか?」と問い合わせがあります。

内容は同じなのに、

初版を重んずる人は多いですね。

業ですね。



登場人物たちは、

羊皮紙に書かれた古写本を求めます。

あ、これはいけない。

古写本だよ。年代物だよ。

しかも、手書きだから、

同じ人が何冊も写しても、

微妙に字やインクが違ったり、

羊皮紙の具合が違うんだよ。

要するに、世界で一冊ですよ!


「これはいかん」と、

想像出来る惨状に眼を背けたくなったが、

それは、ニコチン中毒者が、

中毒の恐ろしさを知っている故に、

「コカインなどに手を出したら、

精神も肉体も経済も人間関係も、終わりだよ。

一冊で終わる訳無いんだから。

まさしく人間辞めますか、薬やめますか、の世界。

興味を持っちゃ駄目な世界だよ!

駄目!絶対!」と、

警察の薬物撲滅ポスターのように、

力説したい気分です。


古写本など、まあ、一般の人が買える金額ではないと思うが、

価値があるものは大抵他の人も狙っており、

競売に掛けられても、

自分より金持ちの人は、必ず居るものだ。

価値が分かる人は、そもそも売りに出さないしね。



そこで、

恐ろしい妄執の世界が繰り広げられており、

その心理描写が赤裸々で、

江戸川乱歩の描く執着の世界も真っ青である。



取り憑かれた人は、

持ち主が死んで競売に掛けられるのを待つか、

持ち主を殺して奪うか、

持ち主と結婚するか、

憤死するか、

持ち主が死ぬ時期を誰よりも早く知る為に、

持ち主の家の隣に争って家を借りて監視するか、


「いや〜、皆さん、狂っていますね〜」と、

感嘆する。


これらは、特殊な人たちではなく、

何処にでも居る愛書家が、

一歩間違えたら辿っていた道だ。


書物ではなく、

何かの蒐集を一度でも経験した事がある人なら、

この凄まじい世界に共感出来る事間違い無し。


「あの本が必要だ! あれを手に入れるか、さもなくば、死あるのみだ!」
(愛書狂より)


私も、どうしても欲しい絶版書を、

ネットでようやく見つけて、

古書店にメールし、

ドキドキしながら返事を待っていたのに、

既に売れていたのを古書店がうっかりウェブから削除し忘れていたと、

お詫びの返信が有った時など、

「うぬぬ!おのれええ!!!ぬか喜びさせおって。許せん!」と、

天国から地獄に真っ逆さまだったりします。



これね、本だから人ごとのように笑ったり度肝を抜かれている人も、

書画骨董に魅入られている人なら、

同じ地獄(或いは極楽)に居るのです。



書画骨董じゃなくても、

オタクな人なら、

欲しくて欲しくて、

髪をかきむしりながら部屋中を転げ回ったり、

夜毎うなされたり、

人生が終わった気になったり、

人生が新しく始まった気になったり、

手に入れる為、あるいは、

一目見る為に海外にまで出かける人は、

実に多そうである!

業ですね。

あるいは、

そこまで魅入られて幸せですね。



ジョージ・ギッシングの「クリストファスン」は、

いかにも身近に居そうである。


古本屋に売った自分の蔵書を、

誰が買うかチェックしていたり、

自分は病気で働けなくなって一日中ほっつき歩いて、

妻が苦労して稼ぐわずかな金から、

いけないいけないと思いつつも、本を買うのをやめられなかったり、


これは、もう、人間じゃないです;;

鬼畜です。

わずかな金があればギャンブルや酒に使ってしまう人と、

同じです。

脳が中毒になっており、

意志の力ではやめられないのです。



かく言う私も、

やってしまうのだろうな。

学生時代も、

金が無いものだから、

食事を抜いた小銭で本を買い、

血糖値が下がって貧血を起こすとか、しました。


既に手に入らない本、

あるいは、古書店に出たとしても学生には買えないような本だと、

国会図書館に出かけてコピーをとります。

そこまではいいとして、

コピー代にお金を使ってしまうものだから、

小銭にも窮していた私は、

缶ジュースを買う金もなく、

地下鉄の給水器で水を飲んで渇きを癒しました。

知識欲とは、恐るべし。

うら若い女性が、

缶ジュースも買えずに地下鉄の給水器で水をむさぼり、

ふう、と口元を拭いながら、

今日の収穫を頭の中で確認している。。。

それは、一匹の、貪欲な、精神の肉食獣。


絶版本ではなくとも、

価格的に買うのが無理な本だと、

大学の隣の駅のデパートの本屋に足を運び、

立ち読みを繰り返しては、

物欲しそうな眼で見つめては、

また足を運ぶ、

それは、江戸時代の貧しい浪人が、

吉原の花魁に惚れて、

夜毎足を運ぶけれど、手が届かないので、眺めるだけ、

というような、外見であった事でありましょう。

美術本コーナーなどは、まさに、

綺羅を尽くした高級遊女の群の如くに見えました。




貧乏だったトラウマで、

仕事についてからは、

本に掛かる出費は、

「必要経費」として処理して来ました。


おかげさまで、


現在は、コツコツ溜めた本で、

白居易の長恨歌にある一節のように、


「後宮佳麗三千人」状態です。



今日も、買ってきてしまいました。


絶版書はね、

家にある本でも、古書店で売っているのを見つけると、

とりわけ、それが、安い値段だと可哀想になり、

「よしよし。

お前の価値は私が良くわかっているよ。

私の家においで」と、

いいこいいこしながら買ってしまうのです。


そのような訳で、

本で樹海状態の私の部屋は、

私からは、

古代中国の皇帝の後宮もかくや、と思われるような、

結構な世界に見えているのです。


古写本などに手を出さなければ、

本たちは良いものですよ。

再読に耐える本を買っておけば、

人生の次期に依って味わいが違うし。



会社員でも可能な、

後宮佳麗三千人状態。


あなたもこの危険で官能的な世界に、

足を踏み入れてみませんか?


電子書籍?

いやあ、官能性皆無でしょ????



それはそうと、

自給自足という手もあります。

自分で自分が納得出来る物を書いて、

何を書いたら忘れた頃に、

読むのです。


「あああああ!

これこれこういう物が読みたいのに、

そういう本が無い!

仕方が無い、自分で書くか」。



自分が納得出来るものを書く、という、

厳しい条件がありますが、

通常では手に入らないから自分で書くゆえに、

忘れた頃に読むと、

脳裏に衝撃が走ります。

















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by leea_blog | 2017-04-19 22:42 | Comments(6)