2017年 06月 01日 ( 1 )

谷崎潤一郎・「女性様」という妖怪か、妖精か、精霊か


以前、拙ブログで、

谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を、紹介しました。

谷崎潤一郎を読んでいると、

女性が、

「単に男性とは性別が異なるだけ」の存在ではなく、

妖怪変化の一種か、

精霊の一種か、

妖精族のように感じる事が有ります。


それは、谷崎潤一郎の、

女性崇拝の視線故なのですが、

例えば、名随筆「陰翳礼賛」の、

以下の文章をごらん下さい。


「分けても室内の「目に見える闇」は、何かチラチラとかげろうものがあるような気がして、幻覚を起し易いので、或る場合には屋外の闇よりも凄味がある。魑魅とか妖怪変化とかの跳梁するのはけだしこう云う闇であろうが、その中に深い帳(とばり)を垂れ、屏風や襖を幾重にも囲って住んでいた女と云うのも、やはりその魑魅の眷属ではなかったか。闇は定めしその女達を十重二十重に取り巻いて、襟や、袖口や、裾の合わせ目や、至るところの空間を填めていたであろう。いや、事によると、逆に彼女達の体から、その歯を染めた口の中や黒髪の先から、土蜘蛛の吐く蜘蛛のいの如く吐き出されていたのかもしれない。」


大きな屋敷の奥に、住んでいる女性たちを想像し、

妄想の中でそれは、人間以上の存在に化して行きます。

それは、「女性様」という、闇に住む、抗いがたい力を持った、

霊的存在。

深山幽谷に霊的生き物を探しに行かなくとも、

沢山いたわけで、

谷崎のように世の中を眺めると、

俗世界も「仙境」と化すのではないでしょうか。


私も、若い頃は、こういう文章に接し、

「男の勝手な妄想である。女性の身になってよ」、と思ったものですが、

この歳になってみると、

生身の世界と仙境が分ちがたく入り交じっているような視点で、

なかなか豊かである、と思えます。




現代日本のように、

保育園、小中学校から男女が席を同じくする環境ですと、

なかなか、異性の中に「霊的生き物」を見いだしづらいかもしれません。

しかし、

今日も池袋を行き交う女性をみるに、

昨今はやりの、

レースやチュールや、シフォンの布をたっぷり使った足元が、

歩くごとに金魚の尾のように、

山間にたなびく雲のように、

美しく足にまつわる様を見ていると、

同性でも、

「女性様」という霊性は、

にじみ出して見えるのでした。


女性で良かった。


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本日の戦利品。

幕末維新・明治・大正の、女性風俗の、

貴重な写真集です。


それらの時代に、

女性がどのように見えていたかを、

谷崎的に想像しながらページをめくると、

「妖精画集」を見るのと同じような感興が産まれます。





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by leea_blog | 2017-06-01 23:26 | Comments(2)