2017年 06月 04日 ( 1 )

重い話題を差し挟む



触れるのをためらいましたが、

記します。


知っている人が亡くなりました。

まだ死ぬ年齢ではありませんでした。


ご家族や関係者の皆様の、

衝撃と哀しみは、大変なものでありましょう。


亡くなった状況は詳らかにされていません。


そのため、事故や病であるかもしれません。



そうした前提の元に、

心から哀悼の意を捧げます。


拙ブログは、

「自殺」というキーワードで、

たどり着く方も多いです。


見知らぬ通りすがりの方にも、

何となく考えるきっかけになってくれると良い、と思います。


なぜならば、

自死に関する率直で赤裸々な話は、

「自殺はいけない事だ。

家族や友人が悲しむだろう」

という意見で、ほとんど暴力的に、

我々の日常から葬られますが、

それが、

余計に、死を決心した人が、

人に告げずに旅立つ土壌になっているからです。


疲弊しきった人に対して、

「走れ、走れ! 遅いぞ! 離脱は許さん!」と、

鞭を浴びせかけるようなものと言えましょう。


「話しても無駄だ。」

「止められるだろう」。

そう思ったら、人に告げるのは、やめますよね。





どれ位前であろうか。

氏と、友人と、私と、三人で、

居酒屋で文学議論をした事があります。

当時私は、地獄のような人生を終えるための、死という選択を、

考えていました。

それが、ちょっと話題に上がったのでした。

氏は、私に同意し、

自分の考えを述べました。

私は、死を考えていた者として、

彼の言葉の選び方から、

彼も「人生が地獄に見えている」、

あるいは、「そう見える時がしばしばある」のだ、と、

気づきました。



あの時、さりげなく言えば良かったのだろうか。

信頼出来る心療内科を、受診しているかどうか。

辛い事が続くようだったら、

気楽に心療内科を受診してみるのも、良い経験である、と。


ただ、そうした話題は、

初対面の人に出来る話題では、

全くありません。


相手が悩んでいるようだったら、

勿論、そうした話題になりますが、

当時彼は、心を病んでいる様子はありませんでした。


氏が心療内科を受診していたかどうかは、

分かりません。



何度も自死の直前まで行った私としては、

悲しむだけでは、

故人は全く浮かばれないと思っています。


「大変でしたね。お疲れさま。旅路が安らかでありますように」


接したご縁のある人の中で、

一人位は、共感の姿勢で見送る人があっても良いでしょう。



そう思わない人も、勿論多数おられます。



死にたい、と思った経験は、

多くの人が持つでしょう。


しかし、人間は生き物ですから、

種が滅びないように、「生きる本能」があります。


その本能が壊れる位のストレスを受け続けた人が、

実行に移します。

死にたいと思う事と、実行に移す事の間には、

大きな隔たりがあります。


過去日記で、

死の直前まで行くと、

脳から死の物質とでも言うべきものが分泌される経験を述べました。


決心するまでは苦しいけれど、

もう決めたなら、

重い荷を下ろす時のような、

ほっとした感覚が、全身に満ちます。


迷ううちは、

まだ死ぬ時期では無いと言えましょう。



一つ、言える事は、

日本は自殺大国である現状があり、

どれほど否定しても、縋り付いても、

その現状は変わりません。

それなら、

「自死が良くない事だ」と頭ごなしにいう風潮を考え直し、

気軽に語り合える環境を作れば、

死ななくて良い人も増えるのかもしれません。

拙ブログの、

綺麗ごとをなるべく排除した自死に関する話は、

そうした環境への、ささやかすぎる一石であります。



















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by leea_blog | 2017-06-04 20:19 | Comments(2)