2017年 11月 02日 ( 1 )

自殺サイトなどその2。今はSNS



久しぶりに、重い話です。

苦手な方は、以下はスルーして下されたし。



このところ、座間九遺体事件が世間を驚かせている。

1kロフト付き、という間取りのアパート(私の部屋と同じだ!狭い)で、
頭蓋骨が9見つかったのだ。


まだ捜査は始まったばかりだが、
短期間のうちにこんな隣近所と密接した部屋で、
9人もが解体されたらしい。いや、殺して解体した場処は違うかもしれない。


容疑者は、どうやら自殺サイトで
自殺したい人とコンタクトを取って呼び出していたようだ。
自殺サイトへの世間の注目が、また集まっている。


よくよく読んでみたら、
昔ながらの自殺サイトではなく、
今の人はSNSを利用して出会っているらしい。


自殺サイトを利用する人の心理に、
当事者の立場でふれた過去日記を貼っておく。

当時、一緒に死にませんかとのメアドに何件か送ってみたが、
返事は一通も無く、失意に終わった。


自殺サイトなど・単独自殺と複数自殺
http://leea.exblog.jp/21673483/
(拙ブログはセキュリティーの観点から直接リンクが貼れません。
URLをコピペして飛んで下されたし)


端から見ると、
一緒に死ぬ人を募っている人は、
自分ひとりでは死ねないのだから、
殺されても死ぬという結果は同じで、
此の世から去るという目的は果たしたのではないか、と
思う人も居るかもしれない。


長年強い自殺衝動と闘ってきた私からみれば、
この世から去る事は同じでも、
「殺される」のと「自分で死ぬ」のは、
相当に違うと思う。


以下は、いろいろと綺麗ごとを排除して、
語る。


人によっては、
死にたいけれど痛いのが怖い人も実際に多い。

(ちなみに、自殺衝動が本格的になると、
脳が死に誘導するような物質?を出し、
死ぬ時の痛みや苦しみが、爪を切る位にしか思えなくなってくる。
これも、過去日記に書いた。
痛いのや苦しいのが怖い人は、
まだ死ぬのは待った方がいいかもしれない?)


容疑者がTwitterに書き込んだ文面を見ると、
痛みも苦しみも無く首をつるノウハウを持っている人のようである。
報道に依れば、
「首つり士」と名乗っていたようだ。
「士」かよ! 


死ぬ時の痛みや苦しみもほとんど無く、

失敗する可能性(これは、正直、怖い)もほとんど無いような事を書いているので、

まるで夢を叶えてくれる人に見えるはずだ。



実際、コンタクトを取って、
心中ではなく、

「実は死ぬのはあなた一人で、
僕は人を殺すのが趣味です。
しかし、痛みも苦しみもほとんど無く、
失敗もありません」

と、仮に言われたら。

現在は捜査が始まったばかりで、
これから色々詳細が明らかになっていくはずで、
現時点での想像でしかないし、

綺麗ごとを排除する立場で敢えて言うのだが、
あおっているのではなく、
一緒に死ぬ人を探す人の立場や気持ちを想像する手助けの一つになればいいという目的でいうのだが、


お願いしてしまう人も、いるのではないか?


が。

「一緒に死のう」といわれて、
出掛けてみたら強引に殺されそうになったとしたら、
抵抗すると思います。


過去日記にも書きましたが、
人間は動物ですから、
自分で自分を殺す、というのは、
そういう事もある、と教育を受けた人は例外として、
(例えば、昔の武士階級)
生きる本能に反するので、
実際に一線を越えるのは、
そうとう大変なものです。


高い所から飛び降りようとしたけれど、
怖くなってやめた、とか、
そういう類いの経験者の話も多いです。

脳が、本能の一線を越えて、自殺の準備を整え、
「さあ、今死のう!」
「電車が来た、今がチャンス!」と指示するけれど、

「殺される準備」は、脳はしていない訳です。
本能的に必死に抵抗し、
「殺されるのは嫌だ」と思いながら、
殺されてしまうので、

死ぬ、という結果は同じでも、
死ぬ直前が、大変違うと思います。


これらの話は、
あくまで、
ネット上であの世への同行者を探す場合なので、
そうではない人も、たくさん居ると思います。


それはそうと、
しばしば、
自殺未遂の人が、
自分の「あの時死ななくて良かった」という経験を元に、
「死ぬな」と呼びかけるのを、目にします。


綺麗ごとを排するのが拙ブログの自殺関連日記の趣旨なので、
言いにくい事を敢えて言うなら、


死を選ぼうとしている人から見れば、

「俺も何度も死のうとした。が、あのとき死ななくて本当によかった。
君たちも同じだ、死ぬな、生きろ」という人は、

「結局、勝ち組の遠吠え」。


人生の成功談をひけらかされているようにしか感じられないし、

死のうとしている人からみれば、

そう言う人は結局死ぬほど苦しんではいなかったようにしか見えず、

とても気分が悪いものです。



人生の苦しみや幸せは、しょせん人それぞれ。

あとで「死ななくて良かった」と思う状況なんて、
想像できるくらいなら、自殺しようと思わないです。


「自殺しそうになった、でもできなかった、
そして後日、死ななくて良かったと思う」、

それ自体は、凄く良い話です。


それを、人に押し付けるのが、よろしくない。

人によっては、
一生が地獄で、
「なぜあの時死ななかったのだろう」と思う人もいるのです。
   ↑
そういう「他人の状況」への想像力が、欠如していて、

聞くのが苦痛です。

ますます追いつめられる気持ちになるでしょう。




身もふたもない話ですが、

「なぜ現代社会では、自殺がよくない事とされているのか」

と、何度も真剣に考えました。


私自身は、一生付き合っていくのかと思った自殺願望から奇跡のように解放され、
現在も生きているので、
死にたい人にどう耳を傾けたらいいのか、
何度も考える訳です。




悲しむ人が居るから。

殺すのが自分であっても、殺人だから。

色々、自殺がよくないとされる理由の意見を、
見聞してみました。

どれも、どうもしっくり来ませんでした。



自分ひとりの人生だけで、もう背負いきれないのに、
他人が悲しむからという重荷を、
更に負うのは、そもそももうむりではないか?


他人を悲しませない為に、
自分は更なる地獄を生きていかなくてはならないとしたら、
もう荷を背負いきれない人に、
過剰過ぎて残酷過ぎる要求をしているのではないか?



そのとき私が思ったのは、

「自殺を認める事は共同体にとって損失だから」でした。


生まれてから、自力で生きて行けるようになるまで、
巨額の金と時間と人手が投じられている訳です。

子供に自殺の自由が許されたら、
子供を産む人が激減する。

人が自殺する自由を認められたら、
真剣に友情を育まないし、
会社も社員を使い捨てにしか見られなくなるし、
妻や夫に自殺の自由が認められたら、
結婚も激減する。

人が人と接する時は、
相手が生きていこうとしている前提がほとんどです。


信用制度や
社会制度が根底から揺さぶられてしまいます。

と、一度自分がいない者になろうとした立場で、
納得のいく理由を、
探っていたのでした。


「今死ななくてもいいかもしれませんよ」とは、
言いたい場合もあります。



















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by leea_blog | 2017-11-02 20:23 | Comments(0)