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健康オタクでも何でもないが

一週間に多くて一度、自炊をする。
凝ったものは作らないが、外食中心の生活だと手料理は本当に贅沢に感じる。


食べたい食材を食べたい味付けで。うう〜ん、贅沢。


実家が「食」にこだわらない家風だったお陰で。いや、祖母の代から家事は不得手という伝統のお陰で? 長い間、自宅での食事内容に関心が薄かった。これはいけない、と感じたのは、体を壊して寝込んでからだ。

入院先で、食事療法や養生的生活の知識を得た。食べ物にも「陰」と「陽」があるという考えに驚いた。正直、そんなことを気にしていられるのは寝込んで時間が有る内だけだ、と思った。実際そうなのだった。時間と体力は限られている。嫁さんでもいない限り健全な食事はキープできない。そしてね、無農薬有機栽培等の食材は、割高なんです。
高給取りでもなく書物や絵の具代その他わけの分からない物に出費率高い表現関係の人は、やむなく食材にかける費用を削るだろう。


だがしかし。食事と睡眠は身体の基本である。多忙を理由におろそかにすると、間違いなく創作に影響が出る。
例えば、冷え性低血圧からくる、「坐ってるだけで痛みが酷い」。私なんか酷いもので、一時は「本も重くて持ち上げられない」状態でしたよ。本どころか鉛筆が重かったもの(汗)


「養生とは病気になったときだけすればいいものではなく、一生しなくてはならないものなのである」という考え方に触れた時には正直、気が滅入った。ムチャをするための養生なら一時的にやるけど、ずーっと健康に気を付けるなんて、要するにムチャするななんて、何のための人生なのか。


養生しなくてはならないと考えると気が滅入って人生が無意味に感じられてしまうが、鉢植えの花に水をやり日の当たるところに置き、霜よけを作る要領で、マイペースでやればいいのである。世話がやけるぜ、人体というものは!


さて、お医者の指示で取り敢えず塩を天然塩に変えてみた。味が全く違うのだった。無農薬有機栽培系の野菜を入手すると、それが、普通にスーパーで売っている野菜とは別物なのである。単に美味しいか美味しくないかの違いと言うより、「植物の体裁を取ったもの」と「ホントの植物」くらいに違って感じられた。


職場からの帰り道に、「こだわり市場」という食材屋がある。
無農薬・減農薬の野菜果物から乾物、麺麭、乳製品まで各種揃えている。珍しい物も多くて、よく立ち寄る。


12月は、平飼い有精卵の「初卵」を買った。
ニワトリが初めて生んだ卵を初卵と言うそうで、それを食べると風邪を引かないとか。縁起が良さそうで、小ぶりの卵が可愛く盛り上げられたパックを買った。平飼い有精卵って今は探さなくては無いけど、昔は卵といえば普通平飼いで有精卵だったよなぁ。暖めるとひよこになる奴。


先日は丸パンを買った。パッケージ文を引用しよう。

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酵母パン これが本物のパン自然味の魅力
パン焼き用の元種からパンの焼き上げ迄、イースト及び科学合成物質は一切使用せず、抜群の味の良い大自然が作った酵母をそのままパン元種に使い、しかも雑菌がないので酵母の魅力ある味と香りが、そのままパンの味になっています。これが本物のパンです。 原材料小麦粉(岩手県産)ライ麦 全粒粉 黒砂糖 天然酵母 食塩(自然塩)
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ううむ、あか抜けない宣伝文が何とも言えない。
“これが本物のパン”と“自然味の魅力”の間を一字分開けるべきとか、“抜群の味の良い”は“抜群に”と書きたかったのではないかとか、“酵母”にかかる語句が力が入りすぎて煩わしいとか、“しかも雑菌がないので”と言われても一般人にはよく分からないから同じ事を説得力有る別の言い方に出来ないか、とか、一読するだけで無意識の内に突っ込みが入ってしまうが、味は、確かに美味しかった。
バターやチーズ、蜂蜜を添えて、コーヒーかワインでシンプルに食べるだけで満足感がある。
むしろ、手の込んだ食べ方はしたくなかった。手の込んだおかずも、欲しくなかった。素材の良さが、シンプルに堪能することを求めたのである。


つつましい食卓の時代は、今と違って、食材そのものに存在感があったはずだ。パンとミルク、一片のチーズ。単に名前を並べるだけではつましいが、以下のような注釈を付けるとがらりと様相が変わる。
パンは無農薬有機栽培麦の全粒粉・酵母使用もちろん遺伝子組み換え麦使用せず、ミルクは天然飼料の放牧牛の乳・成分無調整・低温殺菌、チーズは上記の乳を天然熟成うんたらかんたら、そして食卓には美味しい天然の空気付き、マイナスイオンがたっぷり。

ああ。贅沢の質は変わりつつある。。。。。
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by leea_blog | 2004-01-26 04:01 | Comments(0)

  絶版本


ああ、またやってしまった。
職場の近くで古書市がちまちまと開催され、それらについつい出かけて買い込んでしまったのだ。


今の家に住まうに当たり、手元に置く本のことで煩悶しまくったのはほんの二年前。スペースの関係で持っていける本には限界があった。自分の部屋に本棚二つ、作りつけの棚は本に埋められ、廊下に本棚、亡き父の部屋にも本棚、弟たちが元所有していた部屋にも私の本がおびただしく進出し、押入にひしめくのも本であった。その中から、どうしても持っていく本を選ばねばならず、選定はのたうち回るほど大変な作業だった。引っ越し荷物の大半は書物だったが、それでも、わずかしか持参できなかったのだ。そういう事情では、新しい本を買っても保管場所が無いのは当然だ。新しく買うのは控えていた。


が! 二年経て体力も回復気味となったとたん、別の悪い病気が再発するのである。ちなみに今回買った本を挙げよう。椿實(つばきみのる)作品集、須永朝彦小説全集、ピエール・ルイス作品集の五巻(訳者の生田耕作氏サイン入り)、塚本邦雄の「琥珀貴公子」、デューナ・バーンズの「夜の森」、フランシス・ジャムの野うさぎ物語、その他こまごまとした絶版本。


マイナーな絶版本は見つけたらすぐ入手しておかないと、この先図書館でしかお目にかかれないってことになるから、迷ういとまは無い。あ、マイナーだなんて失礼な事を言ってしまったが、メジャーかマイナーかはその時代の読者がどういうものを好んで読むかで決まるものだ。世間に受ける事を書く目的としていないという意味で、マイナー呼ばわりは誉れある事と思う。


そういえば、スロウハンド氏の掲示板(年末過去ログ参照)によれば氏はよんどころない事情で大量の蔵書を古書店に売却したとのこと。書物に関しては鬼畜の如き執着を発揮するりり山は、他人事と思えず悲しんだ。が、一方で、そうしたスロウハンド氏のように蔵書を放出する方々がいるからこそ、餓えた買い手は絶版本を手に出来るのである。深く感謝、感謝。


正直、本は安い。長い年月の保管と再読に耐える。(内容が保管と再読に値しない時はとんでもなく無意味な事に金と時間を使ってしまった怒りに苛まれる事になるが)。小中学生の頃購入した本を現所在地にかなり引き具して来ているし、あの頃お洒落よりこの子達にお金を掛けていて良かった、と思う。デジタルデータのように、再生に別の機械を必要としないし、紙をめくるあの感触は書物フェチには必須だ。


書物に関する妄執の話は、つらつら書くと終わりを見せないので、手短に切り上げるとしよう。。。。
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by leea_blog | 2004-01-22 03:59 | Comments(0)

我が国を誇るために世界史に残るような斬新な平和貢献を考えて欲しいが。軍隊じゃなくて!

うううぅ〜、寒すぎる。。。
暖かくなるまで冬眠したい。。。。
人間が冬眠するのに適した場所とはどういう所か、想像を巡らせている毎日であります。


などぼやいている内、
自衛隊先遣隊サマーワ到着、、、。

こういう形でしか貢献できないのか? 日本よ。
自衛隊は派遣出来ませんがこういう形で国際貢献できます、という策が無いわけないだろうに。
日本が世界に誇れる事と言ったら、「勤勉」「真面目」「賢い」「平和憲法」位のものだ。こういう場面でも賢さを発揮できないと、大人の国とは言えないんじゃないのか。


サマーワ市長の話では失業問題の解決も期待されているらしいが、自衛隊に?
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by leea_blog | 2004-01-21 03:58 | Comments(0)

  我は全ての希望の墓—


児童向けファンタジー本、スーザン・クーパーの闇の闘いシリーズを読み返した。以下、第四巻『樹上の銀』より引用。




水晶の剣に到るには壁が五つある。それらは剣の上に黄金の火文字で刻まれた五つの文に記されている。聞きたいか?
(中略)


我は全ての杜屋(もりや)の胎(たい)、

我は全ての丘の火、

我は全ての巣(す)の女王、

我は全ての頭(こうべ)の盾、

我は全ての希望の墓—

我はエイリアスなり!


グィズノー王は砂を洗う波のような長い長いためいきをついた。突然、大きな音と共に壁際の木彫りの衝立が二つに割れ、床に倒れた。縞模様の壁の上にくっきりと、ブァランが唱えた文句が黄金の文字で記され、輝いているのが見え、その下に、スレートの大石の上に、光る氷柱のように水晶の剣が横たわっていた。
 王はゆっくりと、硬張った体を動かしてなめらかな藺草の敷物を横切った。白い衣の上にまとった濃緑の長上着の背に、薔薇と跳ねる魚からなる王家の紋章が金で縫い取られているのが見えた。グィズノー王は剣を手に取り、ものうげな力無い体を三人の方に向けた。模様の刻まれた剣の平に、これほど美しいものを造れたのが不思議だというように指を走らせた。

(闇の闘い 『樹上の銀』より スーザン・クーパー 浅羽莢子訳)



著者注によれば、
“第四部に登場する剣エイリアスに付せられました五行詩は、かつてロバート・グレイヴスにより、古代アイルランドの「アマギンの歌」の結句として提案されたものです。”
とのこと。
この詩だけ文章の格が違うのはそのせいであったか。

ちなみにエイリアスとは、水晶の剣の名前で、ウェールズ語で大きな火、燃えさかる火、という意。

 
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by leea_blog | 2004-01-05 03:58 | Comments(0)

謹賀新年

新年おめでとうございます。
静かで穏やかな元旦の空気。



薔薇闇回廊に、大晦日に作成した新年挨拶画像をアップしました。

元旦というのに昨夜の続きの大掃除と年賀状作製に追われ、2004年初めての食事を取ったのが15時30分過ぎでした。

と、いうのも。病弱詩人の事務をゲリラ的に手伝う『必殺・賀状作製お手伝い人』様が、黒潮の流れを眺める内に潮に混じったりり山の苦難を見いだして、元旦の食事を持ってはるばる舞い降りてくださるとのこと。

有り難いことだ。赤葡萄酒とマオタイ酒、頂き物の薔薇を漬け込んだ日本酒と、お飲みにはならないかも知れぬが蛇を漬け込んだ酒を心を込めて用意し、食べ頃の渡来のチーズを盛り合わせ、美味な乾し果物を厳選し、腰痛にむち打って掃除を続けながらお待ちしたのであった。

“先に軽く食べておいて”と言っては下さったが、13時半にはお着きになるらしいので時間を惜しんで散らかった辺りを片付けした。

しかし、待てどくらせどお着きにならない。なんと、『必殺・お手伝い人』様は馴れぬ陸旅、違う電車に乗って違う方面にいらしてしまった模様。電車から見える景色に不審を抱かれ、確認の電話を下さって間違いが分かった。
携帯電話で道順をナビしつつ、憔悴した私は手近なドトールコーヒーに入り熱い紅茶を飲み下した。生き返って見回せば、元旦というのにドトールコーヒー店内は人が一杯なのであった。人通りもけっこうあるなぁ。晴れ着を着た人は見あたらず、みんな、“新春ご近所何となくウオーキング”といった感じである。

ようやく到着なさった『お手伝い人』様と、餓えきったりり山は、古代米のご飯や馬鈴薯サラダ、焼きたての麺麭と葡萄酒で腹ごしらえにかかったのだが、それが15時30分を回っていたのであった。

日頃人生に悩んでおられた『お手伝い人』様は、酒の合間に新春の悩みをお話になるのだった。色々あったが2003年の苦悩を大きく糧になさったご様子。不肖、海域神殿地霊教精霊支社をあずかる私も、昨年ご助言申し上げた甲斐があるというもの。お話を聞きつつ私も酒が進み、実際に作業を始めたのは19時近くなってからでった。

当然終わらないが、一人でやるより身体的に楽であった。『お手伝い人』様は明日も困っている人の為、密かな手助けに飛び回るべく、お帰りになったのであった。
ありがとう、表現者の味方、『お手伝い人』様!
良い一年になりますように!

今、作業ですっかり冷え切った指をオイルでマッサージしつつ考える。りり山の年賀状を切に待ち望み、郵便配達が来るのを今か今かと待っているお人がいるかというと、いないのである。
例えば“りり山さんの年賀状が来ないと早く見たくてとても落ち着かないんです〜。お願いです、一刻も早く投函して下さ〜い”という声でもあれば寝ずに書くだろうが。クリスマスプレゼントみたいに待ちこがれるものでもないのだから松の内に着けば十分ではないか?


 と、徹夜で書くのは止めにするが、少し心が痛むのは、もらって嬉しいものは自分も出そう、というシンプルな習慣からそっと後ずさる感じがするからなのだ。

皆様、よき新年をお過ごし下さい。
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by leea_blog | 2004-01-01 03:56 | Comments(0)