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何しろ姿がとても美しいので、じっとみていると、、、、、

「旦那、龍を売っていますが、いかがですか。龍は不死身でして、それに何しろ姿がとても美しいので、じっと見ていると、どんなに大きい苦しみだろうが、心臓がきりきり痛む悩みだろうが、消えてしまいます。晴雨計の代わりもします。背中の突起がぴんと立っていればまもなく雨です。いざという時には,いい考えも授けてくれます。それから、これは私が原産国で仕入れたものです......それに、こちらの肴も売り物です。これは哀れな魚で、こいつらの楽しみときたら、自分の眼を代わる代わる灯すことしかない始末で、時刻によって赤く輝かしたり、白く輝かしたりするのです。人魚のお話はこうした魚の習性から生まれたものです。何しろ、この肴は財宝を積んだままの難破船にしか住まないのですから。海が彩る真珠、海がその緑の輝きをあたりに伝える忘れられた貨幣、巨大な甲殻類の動きにつれて音もなくもつれ合う宝石、それらの上を、この魚は泳ぎ、埋もれる財宝の王という称号を見せびらかすことなく、人の魂を糧としながら......」
 
【アンドレ・マルロー「狂風王国」より・堀田郷弘訳】



 夏の疲れを癒しに、暖かくて空気の良い所に眠りに行きます。七日ほど留守になります。
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by leea_blog | 2005-09-25 22:16 | Comments(0)

あの終局的な地方から吹いてくる風を

「《虚空を通って》きた一冊の本。
僕はポンプで吸いあげ、上澄みを集めて、それを別にする。
あり得たかもしれないもの、省略されたものの、神秘な美しい重みを君は知っているか?
 余白と行間、アルジェモーヌ、そこには犠牲の蜜が流れている。」


「この本全体—実際これは一冊の本と言えるだろうか?—、その湯打つな駄弁、その矛盾の数々、その奥処からあらわれてくるもの、病人のようなその視線、僕は、これらの秘密を君に解き明かすことができる。
 ペルシケール、死に先立って、君は何度も死ぬのだ。そのたびに君は、君が最後の死とともに沈んでゆくあの終局的な地方から吹いてくる風を、身に受けるのだ。」
【上記、ジャン・コクトー『ポトマック』澁澤龍彦訳 より】



 蔵書の中。一度読めば、読んだことを忘れない本が大半だが、読んだこと自体を忘れている本もある。

 学生時代は貧しかった。本を買う資金が足り無すぎた。読みたい本の内、一部の本しか手元に置けなかった。本たちはあまりに早く絶版になり、大図書館でしかお目にかかれなくなった。
 そんな苦すぎる経験があって、小金を得る身になってからは、後悔するよりは迷ったら取り敢えず確保することにした。読む時間が無くても、手にはいるときに手に入れた。そのおかげで、いわゆる“積ん読”状態の本もあるのだ。

 蔵書を再読中、読んだことをすっかり忘れていて、初めて読んでいると思いこんでページをめくる内「あ、読んだことある」、と思い出して驚くことがある。
 内容を忘れることはあっても、読んだこと自体を忘れるなんて。ま、得をした気分にはなるが、歳を取ったものだ。

 

 
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by leea_blog | 2005-09-24 12:57 | Comments(0)

バリ島のお祭り

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バリ島は、寺院が多い。毎日、島のどこかで祭があると聞く。

バリの女性は、毎日供物作りに追われて忙しい、と聞く。
神々や精霊への捧げ物は、一日一回のみではない故に。


夕暮れ時に、色美しい供え物を頭に載せて寺院に急ぐ人影を見る。
三々五々、美しい姿が合流してゆく。ふらりと付いてゆくと、寺院がある。
お祭りがあるのだ。頭に載せた供え物は、供えた後はまた持ち帰り、神の祝福を受けたそれを家族で食すという。



それはそうと。
タイの北方の薔薇こと、チェンマイで休暇を過ごすつもりだが。
日が迫っているのに準備をしていない。準備はいらないかも知れない。ひたすら眠るのだ。眠って、古都を散歩して、古都の美人にタイマッサージをしてもらう。そして本を読む、書く。観光もしたくないし食べ歩きもしたくない。空気が良くて暖かい土地で、ひたすら休みたいだけである。

持っていく本を見つくろった。びっくりした。ゆっくり読みたい本が溜まりすぎている。普段の時間が、あまりに足り無すぎる。。。。。本を読む事なんて、娯楽でも贅沢でも無い。食事をしたり風呂に入るのと同じくらい日常に必要な事だ。それも満足に出来てなかったなんて。ストレスが溜まるはずだ。
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by leea_blog | 2005-09-19 00:16 | Comments(0)

ミヒャエル・ゾーヴァの絵はがき

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【キリンと暮らすクジラと眠る】 イラスト・MICHAEL SOWA

リブロ(本屋の名)をついうろついてしまった。
用もないのにうろつくのは危険である。本屋を後にする時ようやく、手が勝手に本を購入してしまっているのに気付く。とはいえ、本は安上がりな買い物だとは思う。食べ物や酒は一時の満足だが、本は何十年も保つのである。買おうか迷っている内に絶版になって悔やむなら、直感を信じて買う方が良い。

今日は、ミヒャエル・ゾーヴァの絵はがきを買った。
ちょっと見ると「かわいい系」に見えるが、昔話にあるような重厚さ(隠し味として異様さ、怖さ)、和む変さがあって、なかなかいい。

この絵で、「カンガルーと暮らす」バージョンをまなうらに思い描いてみた。

実は、絵本の方はまだ立ち読みすらしていない。
絵はがきだけ「ううーむ」と言いつつ見ているのだが、色々勝手な物語がとりとめなく浮かんできて、良い感じである。

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by leea_blog | 2005-09-17 22:21 | Comments(0)

期日前投票は、盛況だった

ねむい。。。
父の十三回忌で多磨霊園に出かけた。
緑が沢山あった。。。
墓地だが、散歩コースのようだった。
陰気さが無く、自然な枝振りを生かした植え込みが良い感じ。
死者が眠るのにふさわしい木々や草草。


ところで、今日が法事なので選挙は昨日出かけた。
期日前投票というのに、選挙日のような盛況振り。
投票する人が次々とやって来るのだった。

今回の選挙の注目度の高さを感じた。

自分の一票で何かが変わるとは思わないが、
だからといって棄権するのはどうかと思う。
入れたい人や党が無ければ、白紙で意思表示するのも有りだし。
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by leea_blog | 2005-09-11 23:41 | Comments(0)

檸檬・壇ノ浦


大河ドラマの「義経」を見た。
たまにしか見ていないが、今日は壇ノ浦の合戦だった。
平家物語のファンとしては、一応、見ておかないと。



思い切り庶民感情にサービスする作りだった。
とはいえ、知盛ちゃんが碇を担いで海に身を投げるシーン、
やりすぎでしょう。
それにね、中納言だし、実質的な総大将なんだから、
義経を自分で追い回す立場じゃないでしょう。
それは能登殿にやらせなくちゃでしょう〜。

そういえば、能登殿こと能登守教経が出てこないじゃないか。
別に教経のファンでも何でもないが、これは省略しすぎであるぞ、NHK。
やっぱ、庶民感情的には剛勇・平の教経に追い回されて義経が逃げまくるから、
義経も八艘飛びの武勇伝になるんでしょう〜。


子供心に、「義経の武勇伝って、逃げたり卑怯だったりな話ばかりで、どの辺が武勇なの?」と思ったものだ。ま、大人になればわかる。
「それはね、戦なんて、勝てばいいんだよ。正々堂々と闘っても、負けたら意味がないのだ。勝てば、後から上手いこと武勇伝にしてもらえる。で、負けると判っている勝負はとことん逃げる。これは現代人でもなかなか出来ない事だ。
敦盛みたいに、負けると判っても、勝負しようと言われれば逃げないで引き返しちゃうよね。
戦闘の美意識があって名誉を重んじた平家は、やっぱりやまたのおろちの眷属だったのさ。
大昔、やまたのおろちも、はかりごとで退治されちゃっただろう? 退治されて剣を奪われたおろちは、八十代の後の八歳の天皇に姿を変え、水底に沈んで剣を取り戻したのだ。安徳帝は平家の一門と共に、水底の都で栄華を誇るんだけど、もっとずるければ地上で栄華を誇れたんだよ」
「やまたのおろちなら、別に地上の栄華はどうでもいいんじゃない?」
「そうだね。価値観が違うんだね。ま、そういうわけで義経は、美しく巨大で呪力に満ちた古い妖怪を海に追い込んだのさ。後でその報いは受けるけどね。」

と、話はずれたが。。。次回に続く。
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by leea_blog | 2005-09-05 02:11 | Comments(0)

防災の日

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う〜、寝込んでしまった。

寝込みついでに、テレビを付けていた。
防災の日という事で、朝から大災害を想定したシーンが流れまくった。

私の居住地は住宅密集地域だから、災害が起こったときは、運を天に任せます。
勤務地は都心部なので、昼間に大地震が起こったらもう、しょうがないでしょう。

一番の心配は、いま、転居地を探している最中で、
新居を買った後に大地震が起こったらどうしよう、ということでしょうか。
衣食住の中で一番どうでも良いのが「住」なんですよ。
どうでも良い割には、人生で一番高価な買い物、と言われてるし。
どうでも良いといっても、賃貸では必要な広さを確保しようとすると高すぎて払えないし。
どうでも良いなりに、最低限の基準はあるし。
どうでも良いと言って適当に契約結んだら、後で大変なことになるし。
部屋を確保して、廃屋に隠してある書物や絵を、引き取ってやらなくてはならないし。
「家」に関しては、堂々巡りで、“馬鹿の考え休むに似たり”状態です。



私の部屋には、蝋燭が沢山ある。
色も様々な、花の形の蝋燭たちが、この夏の暑さに溶けそうになりつつも、
ひとりひとり、召し出されて灯をともされるのを待っている。
非常用の備品ではない。
日常の中で、火の揺らぐ気配を楽しむための蝋燭だ。

電気の供給が止まったら、しばらくはこの花たちでしのげるだろう。
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by leea_blog | 2005-09-01 21:19 | Comments(0)