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例の訴訟はどうしたか。波打ち際で眠りたい。

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↑(内容が弱音なのでせめて画像で気分フレッシュ。五月の高尾山にて)

私は多忙になると逐電する癖がある。

場所を変えて頭を整理し、気分を変えて問題に向き合うためだ。

で、ここの所逐電しすぎである。

都内のホテルから出勤したりしてるし。

ラブホではない。
普通の、ベルボーイが部屋まで荷物を運んでくれるタイプのホテルである。
経費的には、二泊すると海外で一週間遊び暮らせる(場所にも依るが)。
経費の心配以上に重要な用がある為、カードを使いまくっている。
優雅に週末を楽しんでいるのかというと、そうではない。

弁護士への報告書類を作成しているのである。。。。。
休日も何も無関係なのだ。
平成12年度から未解決なんですよ、この問題。
大人になると色々大変です。。。。。
拉致事件で有名な某国とか、カルトな宗教団体と話し合いしてる気分です。
話し合いが成立しない相手と話し合おうとするのって、、、、
どれだけ大変かというと、もう、、、、
「通訳さん呼んで!」と叫びたいくらい。

通訳が必要なだけじゃなく。頭が変になりそうだから、精神安定剤と濃いコーヒー、腕の良いマッサージ師もお願いね。
何より私は自分の時間を大切にする。自分の時間が欲しい。陳述書を作る膨大な時間は、本来の自分の時間とは無関係だ。こんな事が続いている。泣きたい。

そうはいっても、時間を掛けてようやくここまで来た。
先日、東京地方裁判所の法廷に立った。世俗の事が大の苦手の自分なのに、逃げずによく頑張った。しかしこれからがまた長いんだよね。。。。。。



ちょっと弱音を吐かせていただこうか。
弱音、スタート!

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「ほほほ。災難なんか誰にだって降りかかるものよ。訴訟の一つや二つ、良い経験だわ。」
と平気なフリして仕事に向かうのも、もう限界!  私が人間の醜い部分にも余裕で対応できるのは、仕事だからなのだ。プライベートのワタクシは、自己中で恥知らずなやつらがとても嫌いなの。自分が悪いのにとっさに他人のせいにして凌ぐ癖のある奴とかね。

 大体こんな揉め事、本来は7日で片づく内容じゃん? 何で私の発言まで捏造されて報告されてるの???? 揉めなくて済む事を、いちいち揉める方向に持っていった意図ってなに? っていうか、そんなコトして誰が得してるの? そもそも一体、何が何なの????? 被告証人〜、陳述書、一見普通っぽいけど辻褄が合ってないよ????

 「もっと言わせておきなさい。被告証人の陳述に矛盾が出れば出るほど原告は有利」、って? それはそうです。ううう、でもね、そんなしょうもない嘘に直面し続けるのは、私には重労働すぎるのだ。もう駄目です。頭痛と胃痛と吐き気に絶え間なく襲われています。裁判になる前に、「表沙汰に出来ない事なら、表向きは別の理由にしても良いから、本当のことを教えて」と頼んだじゃん。

 神様、ワタクシをお守り下さい。法廷で「殺すぞ、てめー」と叫んでしまわないよう、平安をお与え下さい。「被害者でいるよりさっさと加害者に転じてすっきりしようぜ」、と心の底で荒れ続けているワタクシの好戦性を、どうぞ眠らせてください。

 ううむ、まずい。ワタクシの神は好戦的なのだ。泣き寝入りをしなかった点は愛でてくださるが、ワタクシに常に『本音』を問いかけて来る。自分に嘘をつく事を憎む神なのだ。表現者の神は、みなそうでしょう。
神というのは表現者を表現行為に駆り立てる超越的な存在という意味ですが。


例えば神が答えるとしたらこんな具合。 
 『お前の本心はどうなのか。みずからに問いかけよ。
 過去未来に照らして検証し、現世の表面に左右されぬよう、お前を導いてきたはずだ。お前の現世はたかだか何十年。何が重要かを判断出来ぬなら、我にはお前などに用は無い。お前は既に要らぬ事で自分を浪費しすぎた。気が済むようにして、自分に戻るがいい』

 あー、頼む神が違った。
 ウチの神は、現世の社会性を重要視していない。
 太古から存在する神であり今後も死ぬ予定のない神である。21世紀の日本のしかも個人の事情で嘆いているワタクシが愚か者に見えるのは当然だ。大体、此の世の善悪などは人間の都合であって、その基準は国や時代が変わればすぐ変わる。そんな事にひっぱりだされて「お守り下さい」と言われれば神もうんざりするだろう。

 ただし。表現者の神は人間の弱さや愚かさを否定しない。
 理解不能の事態でワタクシが長年苦痛を忍び続け、裁判で被告証人が矛盾に満ちた証言をしても、報復してくれる神ではないのだ。同様に、ワタクシが「この佞人が!」と過剰防衛をして流血沙汰になっても、その事では懺悔を求めない神だ。
 表現者を作品に向かわせる力は、のぞき込んでも底が見えない深淵からやってくる。それは飼い慣らせない。飼い慣らせる力は社会性とも折り合いが付くが、それはこの神とは無関係のものだ。

 『売られた喧嘩を買いたければ買え。「殺すぞ、てめー」と言いたければ言え。ストレスが溜まったらごちゃごちゃ言わずに解消せよ。耐えたければ耐えよ。善人ぶりたいなら善人ぶれ。事なかれを貫きたければそうしろ。金が無ければ妻子を質に入れろ。
 何をやっても手に入らない物が数多くある。それに出来るだけ近づくのだ。それは金でも物でも無く、地位でも名誉でも無い。人間の一生では不可能かも知れぬ。可能か不可能かは問題ではない。』

 と、まあ、こんな具合に、真・善・美や社会性とはほとんど関係ないのです。

中には以下のように言う人もいるでしょう。「いや、ウチの神は真・善・美だ。人間に歓びと感動を与えるために私を使役する」。
 時代や国、環境を越えても揺るがない真・善・美の事を言っているなら同意する。真・善・美の基準は変化するのだ。表面的な形態はあくまで「装置」だ。

 はぁ。本来の自分に戻る時間を社会性に使っているから、弱音自体も中途半端だ。ブログの公開制を考慮して、自己検閲しまくった結果である。
 

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by leea_blog | 2006-05-29 20:30 | Comments(0)

九州の日嘉まり子氏・のこの島能古博物館コンサートの予告

九州の日嘉まり子氏から、当ブログ用にコンサートのお知らせが届きました。
転載しますね。++++の下の文章です。

のこの島、そそられます。
日嘉まり子氏は、かなり昔に思えますが、詩人の一色真理さんに誘われてパリのビジョン展に参加したとき、
初めてお会いしたんでした。
画廊で作品飾り付けをしていると、地下からオカリナの音が立ちのぼってきたのです。
不審に思って螺旋階段を下りていくと、日嘉さんが一人で無心にオカリナを吹いていたのでした。

詩や音や踊りは、土地の神にまず捧げよ、というのが
私の考えなので、話をする前に何か通じた気がして、大変嬉しかったですねぇ。

恵比寿の朗読会でも、特にお願いして、天井に近い場所から彼女の演奏が降ってくる感じの演出にしたのでした。

太宰府天満宮や吉野ヶ里遺跡、水族館の巨大水槽前などの霊域で積極的にコンサートしておられるもよう。
いつか、吉野熊野でまた共演・供宴やりたいものです。



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日嘉まり子 光と風のオカリーナコンサート
〜地から湧き出し天に鳴り響く浄化の音色〜

公演日時 2006年6月25日(日)14:00〜
       2006年11月5日(日)14:00〜
場所    能古博物館(福岡市のこの島)
チケット   2880円(当日券)
定員    50人・プラス立ち見15人
問い合わせ 能古博物館 092−883−2881

プロフイール
火山久氏に師事。独自の音を追求して40年
既成の曲から徐々に羽ばたきながら別物に変容していく即興も得意としている
弥生土笛、石笛も魂よせ魂ふり魂鎮めとして使用している

★まさにオカリナを吹くことは私にとって命の灯(火)を吹かすことであり、
 これからも聖の部分を担うでありましょう
 灯(火)には影が生じるとユング博士も申されましたが、私にとっての
 影の部分は詩作です
 不合理で理不尽な影を追求する詩作に、裏打ちされ、吟味され、ろ過された
 聖なる音色は、天空のオカリナの音色となって降り注ぎます

★東京近辺でコンサート会場を探しています
 情報をお寄せください

↓ 日嘉まり子氏から送られた自己紹介画像を私が加工。

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by leea_blog | 2006-05-15 22:11 | Comments(0)

隅田川散策とシュヴァンクマイエル

 隅田川の川岸に、『アンダーカバー・ミーツ・シュヴァンクマイエル』を見に行った。揺蘭の謎の参加人、カスカ嬢に誘われて。

5月3日、最大9連休の黄金週間のさなかだった。休日がカレンダー通りのワタクシにとって、4月29日、30日はただの土日である。9連休は別の世界の話だ。

 しかも、4月の終わりは訴訟事の雑事に年休を使い、3日からの5連休も遠出が出来ない。いい加減そろそろ作品に向かいたい、あるいは遠出して暖かいところでゴロゴロしたい。。。
 こら、被告証人、連休直前に陳述書を上げて来るな! しかも、まだ辻褄の合わない創作を並べているし。。。先方の陳述書読んで「ううむ、一つ一つ矛盾点を指摘した方が良いのかな、これ。でも元が破綻してるからいくら表面をつくろっても無理があるよ」と、考え込んでしまいました。嘘は、押し通そうとすると嘘なだけに、すぐ辻褄があわなくなる。話にほころびが出来るたびに無理な上塗りを重ねなければならなくなり、信用はどんどん落ちるのだ。引き際が肝心、ぱーっと謝って、男らしく認めちゃえばいいのだ。やり直しがきくかどうかは、非を認めて引き受ける潔さに掛かっている。

 と、そんな理屈が通るなら、ワタクシが原告になる事はないのだ。ワタクシはそれどころじゃないのだから、余程の事がなければ、原告なんかやらないよ。まったく、トホホな気分である。

 そんな馬鹿馬鹿しい事で精神的にも疲れ果てたワタクシには、カスカさんの誘いは渡りに船だった。
 ヤン・シュヴァンクマイエルJan Svankmajerはチェコの巨匠シュールレアリストで、人形アニメ映画で名高い。会場は、アサヒ・アートスクエア。黒い立方体に金色のオブジェが乗っている、変なビルの4階である。展示と映画とスーパードライ付きで、800円。その日の上映作品は「悦楽共犯者」。

 内容は、真似をする人が続出しそうな変態ぶりである。
 うんと俗な説明をすると。普通の快楽では満足できない普通の人々が登場し、それぞれ休日の密かな快楽の為、ウィークデーに入念かつこっそり、時に仕事中に、下準備に余念がない。セリフ無しに影像のみで、微妙にずれていく日常を追って行き、いよいよ問題の日曜日となる。まだ見ていない人の為に詳細は書かないが、どこかの上映会かDVDででも見て絶対損はない。

 「シュールレアリスムとは基本的に実用的でしかも強度に悦楽なんですよね」、と言わんばかりに、主人公の男がこうもり傘を隣人宅(こっそり忍び込んだ)のミシンで縫い合わせるシーンや、スーツにニワトリの頭の作り物を被りこうもり傘の翼で羽ばたきながら廃墟で隣人に似せた人形を脅しまくり虐殺に至るシーンは感嘆しつつ笑った。

 この登場人物達の変態ぶりは絶対人に知られたくない類の変さである。普通の変態とは、世間の認知を受けているジャンルの変態である。昔は「変態」でも、今は好みの一つになっているものとして例えば、SMやフェチがある。ただのSMやフェチなら現代では、まぁ、多かれ少なかれ誰でも持っている嗜好の一つだ、、、、。
 「悦楽共犯者」では女王様な年輩女性が出てきて鞭や蝋燭やアイマスクという小物はSMで世間が連想する類で普通なのだが、ムチで打つのが藁を詰めた人形で、その人形は普段クローゼットの中に隠してあるとなると、絶対人に知られたくはあるまい。これを見たS女性は「普通に人間を相手にしていてよかった。クローゼットに隠してあるのも普通のSM道具だしね」とこっそり安心する事だろう。他に狐の襟巻きの女性の後を付け、こっそり尻尾を切り取って持ち帰り、恍惚と頬ずりする男も出てくる。ここまでは普通の変質者だが、毛皮や羽毛を使って自分好みの道具をせっせと作るに及んでは、創意工夫が個人的な妄想を具体化しすぎており、もう変質者を越えている。

 ニュースキャスターの影像にキスする男やパンの柔らかい中身をつい丸めたくなる女性も出てくるが、そこまでなら誰でも一度くらいはやったこと無いか? ただし、それがより個人的妄想を具体化するシーンになると、本人以外の人から見れば「変態」である。

 「普通の変態」でも、妄想の細部を限りなく具体化すれば、間単に世間の認知の枠を越える。
 日常のことでも同様だろう。とっさに思いつくことを挙げると。
 例えば、苺を食べるときにミルクを掛けて必ず潰すだけなら食べ方の好みの一つだが、潰すときのスプーンにこだわるあまりに手作りして(スプーンに顔が描いてあるとか、呪文がびっしり彫ってあるとか)、潰す時一つ一つの苺が「あぁ〜ん」とか声を立てる所をたっぷり想像しながら食べれば、日常の範囲を超えてしまう。しかも、売られている苺を見るたび胸を高鳴らせて苺を潰す圧力や角度を考えはじめるとか、潰すときの感触をより好みにするための皿を考えはじめ、そわそわして落ち着きが無くなる、等となると、「悦楽共犯者」の世界になってくる。

 主人公の男は、ニワトリを隣人女性に殺してもらい、肉は調理して首を壁に打ち付けそれをモデルにオブジェ創作に取りかかる。むしった羽毛を丹念に貼り付けていく。完成度を高めるため、翼に使うこうもり傘を何本も入手し、せっせとミシンで縫い、人形に着せる服や靴を盗む。ほとんどアーティストの日常だよなぁ。。。。

 結局、表現者も度の過ぎた「変な奴」でしかないのではないか。最終目的がおのれ一人の快楽だと「悦楽共犯者」の主人公の男になるが、突き詰めて具現化する過程自体はほぼ同じで(素材になりそうな物をいつも無意識に探したり、イメージを具体化するきっかけを求めたり、作りかけの作品の事ばかり考えていたりと、ほぼ同じではないか?)、ただ目的が個人的な快楽とはかけ離れている、それだけのことかもしれない。

 もう少し正確に言えば、表現行為は一般の平穏を放棄しなければ進めない「行(ぎょう)」のようなものだ。修験者が寒い日は滝に打たれるのは嫌だといっていたらそれは本当の修験者ではないのと同じに。ただそこには悦楽が無いかというと、「隠された真理に近づく」とか、「衆生を済度する」とかの個人の枠を越えちゃっている何かがあって、ほとんど本能の力に近い。理屈抜きなのだ。理屈抜きの衝動に従うからには、何らかの快楽があるわけだ。

 いやはや、別にごちゃごちゃ言いながら見る必要は無い。ビールを飲みながらぼーっと見て、楽しくも変な、妙に可愛い映画なのである。

氏の作品は、以下を参照

http://www.illumin.co.uk/svank/ 
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by leea_blog | 2006-05-07 11:48 | Comments(0)

幕張のホテルとマンハッタン自殺未遂常習犯

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↑(ホテルの浴室からの夜景と滞在中の自画像)

 所用でマクハリに出かけた。マタ・ハリではなく、マクハリ。
 そう、幕張メッセのある、千葉県の、幕張。

 ほとんど思いつきで、マクハリにあるホテル  ザ マンハッタンを予約した。
 ホテルのホームページを見ると、レディースプランが幾つか有り、その内のシンプルなスイートレディースプランを予約しようとした。が。販売限定室数は売り切れだった。

 土曜日のホテル宿泊は代金が跳ね上がる。しかも、ワタクシは一人だ。一人宿泊は思いつきで行動ができて便利だが、出費がかさむ。海外に行った方が安上がりだ。
 いやはや。それ以前にワタクシには重大な問題がある。体が弱いのだ。隣の県である千葉県に出かけるのさえ、ホテルで一泊しなければならない。フツーの人なら軽く日帰りの距離である。

 ホテル ザ マンハッタンは、なぜマンハッタンなのかは不明だ。
 千葉県だし、マンハッタンという名前は唐突だ。
 
 余談だが、アーティストの草間やよい姐さんの著書に『マンハッタン自殺未遂常習犯』がある。名著だ。草間姐さんの著書は、ワタクシがうら若い頃『クリストファー男娼窟』等の名著も出ていて、アーティストがぶっ飛んだフリをした本を知名度に任せて話題狙いで出したのか、と勘ぐりたくなる出版社(あああ、ごめんなさい、中高生だったワタクシにはエンターテイメント系で儲けていた所はそういう印象があった。他意は無い)から出ていて、手にするのが遅れた。
 ドラッグ中毒の男娼の破滅の話を現代美術家が書いた、というだけで、損な設定だ。つまり、期待が出来なさそうな印象が先行するのだ。

 実際は、文学理論が虚しくなるような凄い才覚で、現代美術家の手すさびや話題性を狙った作品では全くなかった。
 最初の1ページを読んだだけで、代金以上の価値がある、と判った。
 そして、手垢の付いた理屈をこねくり回しているたぐいの当時の文学議論相手を論破するのには草間を薦めるだけで事足りた。
 いえいえ、論破は目的じゃないんです。地動説を夜を徹して突き詰めようと議論する人たちに、「え〜、時間の無駄でしょ? だって、現実は違うんだもん。天動説が前提の話に移行しませんか?」と、流れを変えたいだけなのだ。
「何言ってるの、地球中心は常識だろ」というのが大抵の反応だから、お話の取っ掛かりを作るために、薦める本が幾つか有るのだ。

 幻想文学は、実はリアリズムよりも現実的なんです。表面を遠くから見て議論したり思いこみで決定したりが、ちょっと我慢ならないんです。神話伝説は煮詰められた真実だ、という、あの理論です。


 で、ホテルザマンハッタンの名がどういう由来かは不明だが、少なくとも草間の『マンハッタン自殺未遂常習犯』にあやかったということは無さそうだ。
 アットホームで快適さと開放感、ホスピタリティーに満ちていたからである。

 宿泊はマクハリでなくとも良かったが、ここを選んだ。
 海際に餓えていた。そして、ここは部屋の設計に工夫があった。
 決め手は、ビューバスと女性心を刺激するロクシタンの限定アメニティ(五千円相当)。

 話は戻る。
 インターネットで該当レディースプランは売り切れ、と表示されていたが、土曜というのに部屋には空きがあるようだった。諦めずに当日の朝、電話をした。をを! 電話の向こうの若い女性が物慣れない口調で告げるには、これこれの部屋ならご用意できるとの事だ。思いつきの宿泊だから、私にも高価な部屋の予算はない。ビューバスとロクシタンの限定アメニティが有ればいいのだ! 運はわらわに味方した。

 感じの良いホテルだった。
 部屋の設計と内装に圧迫感が無く、海を見ながら風呂に入れるのは、極楽である。値段も、ロクシタンのアメニティが付くなら、安いと言える。

 安いか高いかは、実際の価格に比べての満足度で決まる。一泊朝食付き一万九千円は場所柄を考えれば特に安くない。が、部屋は心地よく落ち着くし、ビューバスだし、ロクシタンのアメニティ限定バージョン付きで、部屋の設計に工夫があって、従業員も感じが良いとなれば、値段以上の満足度がある。

部屋の広さは私の泊まったスタンダードタイプで30平米ほど。
都内ホテルは、30平米位の部屋だとスタンダードではなく「広め」の内に入る。広さが必要な方は、すこし離れた地域で泊まることをお薦めしたい。

ザ・マンハッタンの近辺には幕張メッセやアウトレットモールのガーデンウォーク幕張もある。駅を降りてホテルに向かうまで、行き交う人々はほとんどが歩きやすい靴を履いていた。しまった、この近辺は歩きを楽しむ場所が沢山有るらしい、と気づいた。
 アウトレットモールは充実しており、思いつきで宿泊に来ても買い物が出来て便利だ。ワタクシは歩きやすいサンダルと、雨が降ってきたので傘と上着、入浴のための塩とアロマキャンドルを入手した。

 ホテルでゆっくり読もうと思って、本はフランシス・ジャムの本を中心に沢山持参した。旅行用ミニカーとの中身は本とノート、、、、、。しかし今回は、死海の塩の半身浴とロクシタンのボディクリームマッサージで終わってしまった。時間が足りない。。。。。


このホテルは満足度が高い! 女性の、一人でふらり、に向いている!
ビジネスプランとして、17時以降チェックインのお手頃プランもあります!
ホテルHPは、以下

http://www.the-manhattan.co.jp/
 


 海を恋する。
 膨大な水に浸食され形を変える海岸線、淡水地域と決定的に異なる動物相植物相、空気に混じる苦甘い潮の気配、そして、陸地部分と決定的に異なる視界。
 体力が落ち、弱った心身を引きずり回復を求めてたどり着くのは、地の底から湧き出る温泉か、膨大な塩水である海のほとりだ。

 マクハリに出来る予定のマンションの見学も予定していた。
 これは敢え無く却下だった。職場から遠すぎて、電車の本数も少ない。地下鉄有楽町線で新木場まで行き、京葉線快速に乗り換えるのだが、快速なのに、マクハリまで延々とたどり着かなかったのだ。これじゃ通勤は難しいでしょう。

 豊洲のマンションはどうしたかって? 検討中だが却下の方向である。海に近すぎると、洗濯物が潮臭くなるそうだ。家電品も潮気でやられるという。何より、場所柄、冬は寒かった。寒さと海風で外に出られそうにない。マンションから駅までの7分程度の距離でも、飛ばされそうな程風が強かった。地下鉄で豊島区辺りまで帰ってきたときは、別の国に来たかと思うほど春の近い、風もない、雨がけぶるように降る程度の温暖な気候だった(空気はよくないけどね)
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by leea_blog | 2006-05-01 00:31 | Comments(0)