<   2006年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧

腐乱死体に追いかけられる位のストレス・処方箋は美

e0016517_0222876.jpg

ティエポロ・ヴェネツィアに富を捧げるネプトゥヌス↑ ヴェネツィア絵画展より




 世間は連休だった。
 りり山は、というと。陳述書を作成していた。ひどい生活だ。
 何しろ、向き合う文章が、(自分のも含めて)死ぬほどつまらなくて、それだけで生命が流失していく感じなのである。このストレスを癒すには、美しい物と美しい環境が必要だ。

 しかし、文章がつまらない以上に深刻な問題がある。被告の準備書面は、今回はたった5枚ほどであるにもかかわらず、全部目を通すのに一ヶ月以上かかった。一行読んでは二、三日休息し、といった具合だった。何が問題かというと、人間の醜さに直面し続ける苦痛、である。

 虚偽は、第三者を煙に巻くことは出来る。だが、当事者間では、何が真実かわかっており、嘘をつかれた方は、怒りが「許さ〜ん!」から「死ぬまで許さん!」に昇格する。

 例えば、崖から転落した事件があったとして。原告が「突き落とされた。事情を説明してもらいたい」と申し出たとする。で、突き落とした方が、第三者に「原告は自分から飛び降りたんです。止めなかったのは原告の為だと思ったからです」と言ったとする。突き落とされた方が「そんなわけ無いだろ〜!(怒)」と、顔色を変えるのを十分承知で、言うわけだ。第三者の方を向いているときはしおらしく、被害者の方を振り返って「ばーか」と舌を出して見せているようなものである。

常識的に考えれば、自分で崖から飛び降りる人はほとんど居ないから、誰も信じないだろうって?
いや〜、常識というか社会通念に照らした良識が通らないから、訴訟事件になってしまうわけです。
 露骨なくらいに原告に瑕疵のない揉め事だから勝てると思うけど、裁判ですから、喧嘩と同じで「絶対」は無い。   そのようなわけで、原告は休みを返上して、「原告には自主的に崖から飛び降りるメリットが皆無であり、デメリットならこれだけあるから、強制されたものである。なお、原告のメリットとデメリットを被告は熟知している立場である。なぜならこれこれで」という感じに、一つ一つ反論するわけです。

嘘が平気なタイプは、嘘を重ねることに苦痛どころか快感を感じるという説もあるし、そう言う意味では手強いです。
被告の準備書面見ているだけで、ワタクシは大変な苦痛を感じます。

 どんな苦痛かといいますと、ゴキブリと毛虫と蜘蛛と蛾とウジ虫が敷き詰められた部屋を裸足で通り抜け、蛇がおびただしくからまったドアを開け、奥の部屋から秘伝の巻物を取ってこなくてはならないのですが、奥の部屋には腐乱死体が山積みになっており、どれかの屍体の腹の傷口に巻物は埋め込まれている、それを探す、といった感じの苦痛。

矛盾点を探すことの比喩ではないのです。矛盾点は機械的作業で見つかります。
しかし矛盾した話をせっせと作りだしている元が有って、こんな矛盾を排出すれば原告の仕事が増えると知っていてやっている訳です。ま、自分の非を認めたくない、他の人のせいにしたいのは人の世の常かもしれない。しかし問題を収められるのは、問題の性質上、被告達しかいないんだから、大人の分別を働かせて欲しい。
原告は、ただ降りかかった火の粉を払っているだけだから、振り払うのをやめたら大火事になっちゃうのだ。
(死守しているのは、本音の所は原告の名誉より、書物や絵だったりする)
その辺の悪意と向き合うのが、腐乱死体の山と格闘するくらい吐き気がするのだ。もう、半分病気になってます。

 そして、準備書面読むだけでも苦痛だからと言って、この訴訟は、避けられない。逃げたら奥の部屋の腐乱死体たちが、「秘伝の巻物を放っておくのかぁ〜。お前だけの問題じゃないんだぞ〜。」と言いつつ、一生追いかけてくるのに似ている。その意味で、逃げたら負けなのだ。

何故私がこんな目に、と言いつつ、向き合わなければならないのだ。トホホである。

実際、事件の真相がわからないまま訴訟に突入しているから、文字通り「何故私がこんな目に」なのだ。
崖から突き落とされたけど、なぜそんなことをされたのかが不明だ。
もちろん訴訟前に被告に理由を聞いたが、当時の担当者は「原告の為だった。原告に依頼された」と回答している。
これでは私に「訴えてみやがれ、ばーか」と言ってるも同然ではないか。。。。

ワタクシが美しい物や美しい空気、美しい環境に激しく餓えているのは、そうしたわけです。
[PR]
by leea_blog | 2006-09-19 00:27 | Comments(0)

世間はきこ様男児ご出産で持ちきりだが、りり山家は泥棒騒ぎで睡眠不足、の巻

e0016517_22422966.jpg


↑ 高尾山の鴉天狗、髪と翼の具合が色っぽい。撮影・加工 りーあ


 虫の音の麗しい秋になった。
 
 気持ちの良い季節は、本当に短い。
 夏の疲れをこの時にいやして、冬に備えたい、と思う間もなく。
 昨夜深夜、弟からの電話が。

 実家が泥棒に入られたのである。

 物騒な世の中だ。
 実家に入ったって取る物無いよ。とは、強がりで、ワタクシは真っ青になって立ち上がった。

 金銀珊瑚は置いていないが、金銀珊瑚、玉瑪瑙より貴重な物が沢山あるのだ!
 都内仮住まいは人にも物にも過酷すぎる環境のため、こっそり実家に置いてあるのだ。
 絵とか、高価な絶版書物を!!!!

 そんなもん盗っていく酔狂者は居ないって???
 だから〜、金目の物が無いのに腹を立てた泥棒が、絵や本に八つ当たりするかも知れないでしょう。

 で、壁際に並べて立てかけてある絵の人物達の眼差しに、うっかりよろめいて持ち去る可能性だって無いとは言いきれないでしょう。ああ、かわい子ちゃん達、置いてきた私が間違っていた。許しておくれ。
 稼げるようになったら必ず引き取るから良い子で待っていてね、と言いつつ、りり山ねーさんは可愛い作中人物達を廃墟に置き去りにした。

 絵なんか作者ならまた描けるだろ、と思った人は居るかな?
 絵とか文は、一期一会。何者かが交錯する瞬間に生まれるのだ。そして、それは作者にとっても二度と無い瞬間である。

 ああー!と髪をかきむしり、明日はサラ金に駆け込んで住宅確保の資金を調達してやる!、と叫んで部屋を歩き回った。金は後でどうにでもなるが、金を積んでも二度と手に入らない物は救出しなくてはならない。

と、無謀をしかけたものの、丑三つ時に至る弟との激論が、私の身分では「金は後でもどうにもならない」事を思い出させてくれた。大体私の体力では、隣の県の実家と都内仮住まいを往復することも困難なのだ。

結局被害届は出しても無駄らしくて出さないことになった。
そして、一刻も早く実家を解体しなくてはならないような話になってきた。

作業は、絵や本を救出するだけではない。実家のどこかに、武藤氏作の麗しいカスタムナイフ、サンクチュアリこと「なぎ」もいるかも知れないのだ。
父が若い頃、母をオードリー・ヘップバーンっぽく美化して描いたスケッチも、どこかに有るはず。亡き父が若い頃書いた、娘がひいき目に見ても面白く無さそうな文筆作品も、押入のどこかで見た記憶がある。それらも取り敢えず救出せねば。

ところで、解体前の荷物救出の援助を頼むため、弟たちと母に、父の絵や文筆物の話をしたところ。母は「そんなもの無い」、との反応。これこれこうで、押入にあるのを昔見た、と説明すると、「あんなの絵じゃない」とあっさり言われた。モデルにした妻すら省みずにゴミとして処分される亡き父の作品に、父とそれ程上手くいっていなかったワタクシすら、心中涙を禁じ得なかった。

弟たちの反応は、もっとドライである。危険を冒して廃墟に入り込み、ゴミの山をかき分けて探し出す必要性を全く感じないらしい。いや、私がなぜそんな物も救出したがっているか分からないらしい。

何十年も捨てずにしまわれていたのだから、父は何らかの思い入れがあったはず。と、いいますか、遺骨はただの物体だけど、直筆はその人の心身魂の働きが凝縮されたシロモノである。 墓を買うことには意欲的な母、弟達が、遺物に見せる驚くべき冷淡さを目の当たりにして、おねーさんは外国人と話している気分になった。いや、きっと、多数決で私の方が外国人なのだろう。

かく言う私は、自分の死後、草稿や下絵類は遺族が検分することなく、一緒に火葬の薪に乗せて欲しいと思っている。
[PR]
by leea_blog | 2006-09-07 23:43 | Comments(7)

ポーの大鴉 挿し絵

急に涼しくなった。
急過ぎないか?

本日、家族会議をさいたま市で開催し、実家取り壊しを少々延期してもらうことになりました。
ワタクシの次回裁判が、10月5日に控えているためです。
「裁判」というと、みんな「離婚裁判」だと思うんだよねぇ〜〜。
もし負けた被告が逆切れして控訴したら、ワタクシも詳細を報告していきます。

早くフツーの生活に戻りたいよ。。。。


リンク集に、ギュスターヴ・ドレの挿し絵集(エドガー・アラン・ポーの詩、「大鴉」のための)を二つ加えました。
ドレの「大鴉」絵へのコメントは、以下参照。

http://leea.exblog.jp/m2005-12-01/#2075007


[PR]
by leea_blog | 2006-09-03 00:23 | Comments(0)

夏の終わり さやの湯、ポール・デルヴォー日本の日常風

今年の夏は、ひどかった。
梅雨明けが遅れた上に、いきなり凄い熱気で、体が保たない。

冷房が苦手なワタクシも、さすがに除湿モードを掛け通した。夜間も、空調を切ると暑さで目が覚め、除湿モードにしてまた眠るが、今度は骨を痛めるような不自然な寒さに目を覚まし、除湿を切る。拷問だ。

そんな天候のせいか、夏の終わり頃になると、夏風邪で寝込む人が周囲に続出した。疲労で頭が朦朧としたままなんとか頑張っていたワタクシも、寝込んだ。

 それでも、良く乗り切ったと言える。
 ストレッチやヨーガをするわずかなスペースすら無い状態の現住居で、幾つもの重たい課題をこなして行かねばならなかったのだ。しかも、文学上の課題ではなく、生活上のトラブルの課題である。のほほんと暮らしても体力的に大変な夏なのに、ブンガクを脇に押しのけて北朝鮮かカルト教団と交渉するに等しい問題をこなさねばならなかったのだ。まだ続いているけどね。。。。

 遊びに行く暇も無かった。
 弁護士は有り難いことに「私に任せて置きなさい」と言ってくれており、真実感謝している。
が、平成12年から続いている問題なので、いいかげんにそれとは別に、闇のハローワークで、非合法に解決してくれる人を探したくなる。だが、カルト教団みたいな被告一同からすれば、うざい正論を手にあきらめず解決を求めてくるワタクシを、さっさと非合法な手段で消したい気分であろう。ブンガクしか取り柄無さそうだから絶対泣き寝入りしそうだと踏んでいたのであろうか。
 素人の作り話の、辻褄の合わない部分を指摘するのは、文字表現者なだけに、目を閉じても出来る位たやすい。ただ、「素人」でも変だろ、と思うような話を「これが事実だ」と作って持ってこられて、しかも重要登場人物の一人がワタクシで、ワタクシの発言や行動も「性格設定が支離滅裂」だと、一つ一つ訂正するのは徒労感が強すぎる。しかも、下手な嘘を一字一字訂正していく間、こんな子供っぽい作り話をしてまで原告のせいにしたがる被告らの悪意に向き合わなければならないのだ。

 まあ、ブンガクだの表現だのに身を沈めている種族は、根気強く、我が強い。さもなければ作品なんて仕上げられないのだ。おまけにりり山は砂漠の旅で、トラブルに耐性がある。
嫌がらせの相手を間違えた事を理解して、事実を認めて事態の収拾に力を向けて欲しい。

 今年の秘訣は、都内の天然温泉と、黒酢と、有機栽培ニンニク・唐辛子をたっぷり入れて煮込んだ野菜スープに鶏の有精卵を落としたもの等だ。
 都内のお薦め天然温泉、ラクーアのヒーリングバーデと庭の湯バーデゾーンの他に、ちょっと不便だが板橋区のさやの湯もお薦めに加わった。

 移築した日本家屋が良い感じで、ラクーアや庭の湯にはない「源泉かけ流し」が有る。湧き立ての濃厚な源泉は、疲れた体を癒す。

さやの湯ホームページは以下。
http://www.sayanoyudokoro.co.jp/


さやの湯は、庭を裸体の女性達が行き来したりじっと座ったままでいたり、屋根の下に沢山横たわっていたりする光景が、幻想的でもある。温泉の女湯なので、裸体の女性が沢山いるのはどこでも同じなのだが、ラクーアも庭の湯も、スーパー銭湯も、自分がぼーっと入浴する空間であって、他人の姿はほとんど意識にかからない空間設計になっている。

が、さやの湯は違う。内湯は庭を向いているのだが、庭に面した壁がガラスで、夏はそれが大きく開け放たれている。内湯に漬かっているとおのずと庭が見え、庭には湯船を移動する裸体の女性がいる。不思議な絵のようである。

庭の湯船も、どれも、湯に入りながらこうした光景が目に入る位置にある。観光地ではないだけに、声高にお喋りしたりはしゃいだりする人はほとんど無く、柔らかな沈黙に満たされながら思い思いの姿勢で静止した人物の間を、湯船を移動する人物がしずかに横切る。
大和時代のような髪型の女性や、水晶の長い飾りを首に掛けた女性、24金の耳飾りが曇天に映えている女性など、それぞれが絵の中の人物のようだ。
うーん、この感じは、ポール・デルヴォーの絵の日本版。。。しかも、参加型。

え? 温泉でさりげなく裸婦を観察する不届き者って???
大丈夫、オブジェにしか見えていないから。
皿に盛った果物や花瓶と同じです。

店先に、秋のくだものが美しい色彩をたわわに並べている。
この時期しか食べられない葡萄やいちじく、梨で、残暑を乗り切りたい。



[PR]
by leea_blog | 2006-09-01 00:31 | Comments(0)