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即興演奏と詩と色彩と歓談に、突然滑り込んだ事。

昨日は久しぶりに酔った。
そんなに飲んでいないはずだが。。。
夕食前だったし、のどが渇いていたから、回ったのだろう。
パーティーでの話が盛り上がって、ストレートで飲んでいたのも良くなかったに違いない。
車で送ってくれた武さんと、同乗者ののえさんに、深くお詫びとお礼を申し上げる。

昨日は不思議な時間だった。
昼ごろ、まだ眠りの中にいたワタクシに、知人の武さんから電話が。
「今日和完さんが画廊で演奏するから行かないか」、
と急なお誘い。誰の個展かグループ展かもわからないまま、「行く」、とお返事した。和完さんとは、エレクトリック三味線の演奏者で、共演してもらった事もある。

夜の銀座で道に迷いつつ、画廊に到着した。武さんの友人、女優ののえさんも、やはり道に迷いつつ同時に到着した。

銀座のゆう画廊は、五階と6階がギャラリーになっていた。青の美しい作品に囲まれた会場で、和完さんの即興演奏と詩人の朗読、4人の音楽家の即興演奏に佐渡原台介さんの即興朗読が重なって、大変心地よいイベントだった。

才能ある人たちが沢山いたし、あの後に、聴衆も踊ったり即興朗読したりすれば、あの時あの時間しか生まれない濃密な作品も多数出来ただろうな、と思う。
音楽による磁場が、作品が発生する生身の空間を、あっというまに形成していたのだ。

それで誰の絵画展だったのか、というと、詩人で画家の大島龍さんの個展、
【こだまする青・アイルランドの道】。
パーティー会場では、零下30度で放牧された牛の乳から作られたチーズも堪能した。予備知識無しにいきなりうかがったが、大変密度の濃い時間を過ごせた。

詩詩【飛天】の田上悦子さんや安川登紀子さんとも初めて遇った。
色々な方ともっと話がしたかったが、遅い夕食に出かけた。

このあたりから、急に酔いが回ってきたようで、おしゃれな店で武さん、のえさんとパスタを食べながら、頭の中でさまざまな作品が渦巻いていた。

酔っ払いでごめん&深く感謝。



大島龍さんの個展
こだまする青・アイルランドの道 3月24日まで
ゆう画廊
http://m-s-c.cc/ginzaYW/schedule.html#3
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by leea_blog | 2007-03-18 13:46 | Comments(0)

2月の関東霊峰

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霊峰

箱根には、細かいことは決めずに出かけ、その時の感覚で行く先を変えて行った。
山の天気は変わりやすい。九時頃までは雲一つなく晴れ渡っていたのに、十一時頃にはちらほらと雪が舞い散り始める。

「天気予報の嘘つき」
と呟きつつ、臨機応変にルートを変えた。

芦ノ湖湖畔に一泊した。
土曜日なのに直前まで空室が有った宿である。高くて狭い。
かなりの降りになった灰色の湖畔に傷心しつつたどり着き、狭い部屋にあらためて落胆しつつ、すぐさまベランダに出て煙草を吸った。その時、雪が斜めに降る暗い空に、突然女性のアナウンスが響き渡った。

「ほんじつの じゅうによる いのししの くじょは しゅうりょう しました。みなさまの ごきょうりょく ありがとう ございました」

おお。役場のスピーカーから、ゆっくりと、一言一言区切りつつこだまする声音が告げるその内容。心が一気に晴れ渡った。

銃による猪の駆除。
あるいは、「獣による猪の駆除」。
狼犬でもけしかけたのだろうか。いや、銃を担いで沢山の人が山中に分け入り、猪を狩ったのだろう。
凄い。猪がいるのか。銃を持った人たちが居るのか。

猪くらいで感動するなよ、とバカにされそうだが。動物園以外で見たのは、ただ一度。吉野山中、十津川で、夕食用に檻に入れられた猪だけである。

野生の猛々しい獣が近くにいる、というだけで、冷えきった血の温度が上昇した。野山を駆け回る獣の力が、衰えた体力に太古の力を吹き込む心地。

翌朝、凍えつつ芦の湖畔に出て見れば。雪の衣をすっぽりかぶった富士が見えた。
親しげな吉野熊野の山々ではない事を悲しみつつ、やはり関東の霊峰は美しい、と思う。



観光絵はがきのような構図で申し訳ないが、貼っておく。
小学生のお絵書きのお手本のようでもある。Photoshopで絵のように加工した。


 
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by leea_blog | 2007-03-11 19:11 | Comments(0)

箱根山中の

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上 旧街道の霜柱 中 旧街道の石畳 下 霜と氷にくるまれた路傍の石


2月に、箱根に出かけた。


ぞくぞくするような地霊の気配は無いが、新宿からロマンスカーが出ており、気軽に行ける。吉野熊野ばかりに出かけていた私は、箱根に詳しくない。

箱根リピーターの知人が、おすすめのルートを幾つも探してくれた。

今年は暖かい冬だ。雪が積もっていない。

バスで甘酒茶屋まで行って、甘酒を飲み、石畳の旧街道を歩いて、芦ノ湖まで下った。

霜柱が、柔らかい土を押し上げて、エノキダケのように伸びていた。午前中の澄んだ陽光に、繊細なガラス細工のようにきらめいていた。
昨夜降ったあられと雪が、細かい結晶のまま積もっていた。
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by leea_blog | 2007-03-11 18:24 | Comments(0)

夢とうつつのはざま・眠りの領域

朝方、雨が降っていた。

羽根布団と羊毛の敷き物の間に挟まったまま、窓を開け、降りしきる雨を見ていた。風が強い。春嵐、とつぶやく。布団から腕を伸ばし、百合園で買った百合の鉢を雨の中に押しやって、水を吸えるようにした。

少し眠り、また目覚めると、気持ちよく晴れていた。雨は夢か、と思う。

夜には自分の寝言で目が覚めた。
三つ夢を見たが、一つは絢爛の催しの夢、オペラ会場のような場所で格闘技が行われ、客層も高価な和服や夜会服の婦人たちで、海外の選手たちが試合前というのに気楽なふうに行き交い、日本の観客と親睦をはかろうと声を掛けている。私は会場でチョコレートを買った。何かを探していたが見つからない。

もう一つは、外国人の女性が三人、賃金未払いの相談に来た夢。半年、観光地の空き家に住む仕事をしたが、給料が払われない、というのだ。私は「契約書はあるか」、と訪ねた。無いだろうなぁ、と思いつつ。三人は、口約束だったという。「雇い主は誰か、そもそもどんな約束だったか」と聞いてみたが、要領を得ない。問題点をまとめなくてはならない。彼女らに理解できるように言葉を選びながら話すが、もたもたした口調になっている気がする。変だなと、おもったら、寝ながら話していたのだ。しゃべりながら目が覚めた。

ワタクシの寝言は、起きているのかと思うほどはっきりしているので有名だ。何かまずいことを言っていない事を願うばかりだ。

まずいこととは。実在しない恋人の名前を言って浮気と思われたり、麻薬取引で蓄財した架空の過去の断片を語ったり、殺人フィルム撮影がばれかけた夢想の事件を語ったり。

うん、それは、ぜったいまずいぞ。頼むからそんな寝言は言わないで、と自分に頼みたい。

眠りと覚醒のはざまの時間は、奇妙だ。時間も空間も溶解したあたりから、何かが現れる。その時間が充実していると、日々の疲労も溶けて、仙郷から戻った人のような目つきで、この世の日常に滑り込めるのだ。
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by leea_blog | 2007-03-11 14:43 | Comments(0)

ロード・ダンセイニの短編集

木曜夜から熱で寝込んでいる。
単純にストレスが原因だ。幸い、家には新鮮な野菜、ドライフルーツ、有精卵、はちみつ、無添加のナッツ、酵母パン、その他があった。食べ物の心配をせずに寝込めている。
水もほとんど飲まずに眠り続け、ようやく今日、北極ガチョウの羽根布団とオーストラリアの羊の敷き皮の間で、はちみつ入りホットミルクや温野菜、ナッツを食べながら、ロード・ダンセイニを読み返している。

熱で頭がもうろうとしている時も、短篇集だからすらすら読める。

最近は河出文庫でロード・ダンセイニ幻想短篇集成、全四巻が出ており、今まで読んだことの無い短篇もまとめて読むことが出来る。ありがたいことだ。ワタクシの子供の頃は、マニアしか知らなかった作家だ。

しかし。若い頃は、ダンセイニの魅力が今一つ胸に迫らなかった。創土社で出ていた「ペガーナの神々」を、新宿紀伊国屋で親に買ってもらったんだった。他にも、「エルフランドの王女」や幾つかを読んだ。

素晴らしい作家だとは思ったが、熱愛したり、人に勧めてまわったりはしなかったのだ。当時は血気にはやる年ごろだったため、繊細で縹渺とした感の有るダンセイニの幻想世界が、それほど魅力に思えなかったのだ。繊細で縹渺として、なおかつ作り物めいて感じた。

今読んでみると、本当に素晴らしい。誰の亜流でもない、という点でも偉大な作家だ。(誰の亜流でも無いなんて、当たり前なのだが。最近、そういうことをいちいち挙げないとならない状況が多くなっている)

詩的な描写、構成は、幻想文学になじみが薄い人も味わい深く読めるはずだ。

初めての人には、河出文庫のロード・ダンセイニ幻想短篇集成の【夢見る人の物語】、【時と神々の物語】がおすすめだ。

『乾いた地で』は、青白い夜明けの光の中での、悲しげな「愛」との別れ、その美しい弟の「死」の荘厳な登場で、読むほうも自分の人生の終わりが待ち遠しくなる。『サクノスを除いては破るあたわざる堅砦』も、文句なしにすごい。
『不幸な肉体』は、休息が欲しいのに与えられず、冷酷な主人である魂に酷使される肉体の話だが、我が身を振り返って笑ってしまう読者は多いだろう。

『黄昏の光のなかで』は、溺死しかけた男にさまざまなものが別れを告げに来る。
丘も別れを告げに来る。すごいのは通っていた学校の運動場にアガメムノンをはじめトロイア攻めのギリシア軍が、校舎にはトロイアの王子ヘクトルやその他の王子たちがいて、離れたところで一万人のギリシャ人傭兵が運動場をゆっくり、ペルシャの中心へと、キュロスをその兄の王座へ即ける為に進んでいた、というくだりだ。幼少期の学校と当時習った世界史(あるいは古代ギリシャ文学)の登場人物が混ざって現れ、イリアスの登場人物も、アナバシスのギリシャ軍も、みな「さらば」と別れを言って去っていくのだ。

 こんな人生の終わりなら、迎えてみたくないだろうか。自分の愛した者たちが、順々に別れを告げにきてくれるのである。知っている誰彼、というレベルではない。子供の頃愛した丘や、文学の登場人物までが。「さらば」といわれても、幽冥界の向こうで、またすぐ会えそうな気配でもある。

 アントニオ・タブッキの『フェルナンド・ペソア最後の三日間』も凄かった。機会があったらちゃんとコメントしたいが、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの、死ぬまでの三日の間に、彼の異名たちが次々と訪うのだ。異名というのは、彼の作品上の別人格で、複数のペンネーム、違う人物設定で書いていたのだ。

死に瀕して、訪れるのは死者でも生者でもない。真に親しい者たちであり、どちらの世界にも属している存在だ。知人や縁者がみとってくれるのは、それはそれで望ましいが、こちらの話は桁違いに望ましく、神話的である。
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by leea_blog | 2007-03-04 00:29 | Comments(0)