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酷暑。 ヒートアイランドのほとりから。

暑い、、、、、。
暑すぎる。
先日、熊谷と多治見で40度を越えた、と盛んに報道されていた。
日なたの温度は50度位あるのではないだろうか。
印度か、ここは。

ワタクシの部屋は二階建て木造アパートの二階照りつける太陽熱で部屋はオーブン状態、しかも中部屋で風の通りが恐ろしく悪い。

帰宅して部屋の内壁に手を当てると、熱いのだ。もう夜だというのに。
壁が熱い位だから、窓のサッシ部分はもっと熱くなっている。
ひどすぎる。こんな環境、何か間違っている。

昼間は昼間で、ヒートアイランド新宿の陽に焼かれたアスファルトの上を歩くわけだが、裸足だと間違いなく火傷をするような熱さである。
犬や猫が歩いたら、肉球が火傷を負うだろう。

暑い時には暑い土地の音楽と踊りを。
クリシュナをたたえる歌、シヴァをたたえる歌、砂漠地方の老吟遊詩人の弾き語り、シリアで買った女性歌手のテープ、バリ島のガムランでしのぐ。

ううむ、思い出した、始めての海外放浪は印度だった。
大理石の寺院で、夜通し音楽会が開かれていたりした。
文字通り、夜通しである。
私も現地で出会った旅人と連れ立って聞きに行った。が、昼間は猛暑の土地、体力は奪われまくっている。シタールの演奏を聴くどころではなくなって、寺院の片隅でサリーにくるまって横になった。骨に達する疲労で、吐き気をこらえながら。明け方、現地の聴衆は疲れた様子もなく家路につく。歩む姿の、筋肉の動きに張りがあるのだ。うつむいてよろめいている人は居ない。
 基礎体力の違いを思い知らされたのだった。
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by leea_blog | 2007-08-22 23:59 | Comments(0)

お盆のぼんは 煩悩のぼん

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↑ 上、知人宅の猫の手。下、通勤路に待ち伏せている猫

ケモノと暮らしたい、と子供のころから思っていた。
身近に人間以外の生き物がいるのは自然な事だ。ケモノが居ない、という欠乏感が強い。

通勤路に、猫がいる。
首輪をしているのでどこかの飼い猫だが、通りかかる人に遊んでもらうために、待ち伏せ状態で待機しているのだ。目が合うと、みゃ〜ん、と鳴きながらてけてけとこちらに向かってくる。目が合わないと、鳴いて知らせる。


猫の待ち伏せ場から5メートルほど離れた所に、老犬がいる。
玄関の柵の内側で、大抵は退屈そうに寝ている。
最近、この犬とも仲よくなった。犬は、尻尾をぱたぱたと振り、ビー玉のような目をくりくりさせながら寄ってくる。こちらが撫でたいのをわかっていて、撫でやすいように柵にぴたりと身体を寄せる。

ある夜、玄関の柵から手を入れて犬と遊んでいると、犬の視線が私の後方に当てられた。振り返れば、女子高校生が
立っている。犬と遊ぶ順番を待っていたのかと思い、私は一礼して柵を離れた。
高校生は柵を開けて入っていった。この家の人だったのだ!!!!!

よその家の玄関先で座り込み、柵越しに犬と遊ぶ派手系おねーさんと、家に入りたくても入れず後ろに立っているおじょーさん。変な図だった。

このように、犬や猫は通行人に構ってもらおうとアプローチし、自宅で動物を飼えない通行人は、他の通行人が居ないのを素早く確認してよその家の犬猫と遊ぶのだ。
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by leea_blog | 2007-08-12 18:35 | Comments(0)

アルフォンス・イノウエさんの銅版画

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携帯で撮影。
上から、サーディーの薔薇、女友達、クリスタベル、スフィンクス。

ああ、私は幸せだ。
スパンアートギャラリーにて購入。

いくらしたかって? 聞かないでおくれ。

神に誓って、美しいものを買うのは一番罪のないストレス解消法です。
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by leea_blog | 2007-08-12 00:48 | Comments(0)

お盆。 都内は人が少なくて。 浴衣の男女が花火を待つ。 祖霊の事など。


世間は今日辺りからお盆の連休に入っているのだろうか。繁華街の人通りが少ない。

 人口密度の減った街に、浴衣を着た若い男女が行き交う。最近は可愛い浴衣、美しい浴衣が増えている。幅広のオーガンジーを帯のかわりに使ったり、襟元にレースをあしらったりと、アレンジの幅も素晴らしく、目で追ってしまう。
 男の子達も、生成り色の浴衣をゆるく着て淡い色の帯を締めていると、だらしない動作でも良い男に見える。

 うーん、今日は何の日? と思ったら、東京湾花火大会なのだった。天に咲く火の粉の花を待ち焦がれて、昼間からひらひらと美しい者たちが涌き出していたのだ。

 東京の盆は、七月だ。先月は路地裏で胡瓜の馬や茄子の牛を焼く人が見られた。そういえば、私の部屋に実家から引き上げた父の位牌がある。あ、お盆に何もしなかった。何かするべきだったか?

 祖霊を迎える習慣としての儀式は美しいが、実の所ワタクシはお盆に祖霊が帰ってくるとは思っていない。父の霊がいつまでも残された家族を覚えているのは、仏教的には「迷っている」状態そのものでよろしくない。

 さらに、輪廻転生があるなら。父が西野家に生まれる前にも色々な場所で色々な生死を繰り返して居ただろうから、お盆に霊が帰るなら、実に色々な所に帰らなくてはならず、霊が一体では間に合わない。

 太古に恐竜として子孫繁栄に尽力するも種は滅亡し、魚に生まれ変わって短い生を終え、アラスカからアジアと繋がっていた陸端を伝って東洋に来、ガリアの原野で死を恐れず戦い、エルサレムで踊り子として生き、ローマの男娼兼詩人として享楽の人生を貫き、メッカで預言者を名乗る男の話を聞きに行き、ヨーロッパの貧乏貴族の末息子に生まれて十字軍に参加し、大航海時代には偽冒険家になり、印度で美姫に生まれて父王に愛され、と、適当に世界各地で輪廻転生していれば問題はないが、運悪く仏教地域でばかり生まれ変わっていたら、お盆は大忙しのはずだ。

 だいたい、どの辺までさかのぼった辺りから祖霊なのだろうか。人類の祖は南アフリカあたりで発生して、各地に散っていったんだっけ?

 お盆理論でいえばかくいうワタクシも西野家とは無関係のどこかの誰かの生まれ変わりで、「お盆」は見知らぬ祖霊が訊ねてきそうだ。

父でも祖父祖母でも無い霊に「ええと、失礼ですがどちら様でしょうか」と訊ねれば。
「そなたの前世の父であるぞ、忘れたか」とか、
「そなたの前前世の祖母である。供養してたもれ」とか、
「前前前の世にては夫婦なり」とかの霊も来そうですね。

 際限が無いから、配偶者霊は
「遠い黄泉路を良く来てくれた。だが、夫婦の契りは二世までが約束じゃ。前の前の前の世の縁までは責任取りかねるぞ」
とお引き取り願おうと思っても、せっかく来たものを「縁は期限切れ」と追い返すのも人情的にいかがなものか。

 前世に日本人だった保証も無いわけだ。
 いきなり異国語、しかも古語の赤毛緑眼の美姫の霊が訊ねてきて、言語学者に霊の言うことを翻訳してもらうと、前世の婚約者で、死後退屈して輪廻転生の有る宗教に入り直し、お盆に前世の縁者である私が生まれ変わった日本に会いに来た、というのも有りである。

 さらに、私が前世で人間だった保証も無い。さあ、祖霊をお迎えしよう、としたら、竜に乱入されて「肉体の縁より霊的縁を優先するなら、我こそはそちの前世の祖霊。罪を犯して人間界に生まれ変わった子孫のそちを、哀れに思って守護しておるぞ」と威張られるかも知れない。

 そういう穏やか系じゃないかもしれない。
 前世で私は親兄弟を毒殺して権力を手にしたかも知れず、彼らは私が七回生まれ変わるまでお盆になるたびにやってきては不平不満を並べ立て、供養を強要するとかね。
 しかし前々世では善行を積んだので、前々世の祖霊と前世の祖霊が顔を合わせるといつも斬り合いが始まる、とか。
 うーん、そう考えると楽しいなぁ、お盆。
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by leea_blog | 2007-08-11 23:55 | Comments(0)