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オルフェウス教の為の 呪術的装身具

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リルケの『オルフェウスに捧げるソネット』、に捧げる装身具。

エウリピデスの『バッコスの信女たち』に捧げる、ディオニュソス教徒の為の装身具も作らねば。

本命、アポロンの巫女装身具も。
ホメロスヴァージョンと、アガメムノンヴァージョン、デルフォイヴァージョン、あり。
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by leea_blog | 2008-08-31 04:02 | Comments(2)

人形フィギュアやビスクドールのレプリカ、手のひらサイズの市松人形など

「恋月姫の作った人形」のフィギュアの服のこと。

まずはウィッグを作りながら、乾かす間に服のデザインをスケッチしていた。
待ち針や縁に付けるリボン、チャコなども買ってきた。
が!

恋月姫の人形グッズ公式サイトで、ウィッグが手に入った。
抽選に当たらないと買えなかった服も、一種類だけ再入荷しているようだ。
熟練の職人が作った物の方が、良い。

気に入らない場合や、手に入らない場合は
「仕方ない、自分で作るか」となるのだが。

唸るほど繊細で丁寧な細工のウィッグだった。
細工のお手本にしようと取り寄せた、つまり自分で作るためのお手本にしよう、と思っていたのだが、その気が消えた。
満足。

そこで、人間用アクセサリーに向かっている。
人形衣装を作ろうと、池袋の手芸店キンカ堂に出かけた時に、アクセサリー素材も充実している事を知ったのだ。げに、好奇心は創造の糧。

以前アップした「月の出ネックレス」は、お陰様で金具を付けて完成し、活躍している。水晶の、ぎらりと光を集める感じが、活かされている。

そんなこんなの騒動の合間に、恋月姫フィギュアより前に、住民が居る事も思い出した。

ロングフェイス・ジュモー(ジュモーの人形の中でも、悲しみのジュモーと呼ばれるらしい人形である)のレプリカ。名前はエセル。

手のひらサイズの市松人形、たま子。字が表示されない。玉偏に文章の章。大学の近くの市松人形専門店で買った「なよたけのかぐや姫」というシリーズだ。注文製作品。

あとは、ケルト王女の衣装のバービー。バービーが欲しかったのではなく、アイルランドのタラの丘で発掘されたケルトの装身具を再現して身にまとっており、それが欲しかったのだ。

それと、アンコールワット状態の実家から発掘した、ヨシキ人形。
「退廃的なお姫さま人形、しかもかなり特異なセンス、世紀末だなぁ」、と思って予約注文したのだ。高校時代の同級生、弘前くずみに、「モデルはヴィジュアル系ロッカーのヨシキという男だ」、と指摘された、いわく付きのしろものだ。男か。。。。

新しい物を買う前に、いまある物の世話をしよう。

エセルの服を洗ってやり、ピアスも自作して、化粧をした。化粧とピアスで、もう、キスしたい程美人になった。人形の化粧は、人物画と同様、際限なく自分の好みを追求できる。恐ろしい事である。

美術として極めるのではなく、趣味として極める人が増えているのも頷ける。
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by leea_blog | 2008-08-31 01:43 | Comments(0)

雷雨の季節、象牙を混ぜた山吹色の、明け方

南国の雨期のような日々が続く。
ここはTOKYOではなく、バンコクなのだ、きっと。

一天、にわかにかき曇り、、、、、
ピシッとほとんど垂直に、太いいなずまが平野を直撃する。
すさまじい雷鳴が、低い天を転がり回る。
集中豪雨は突然やってきてはいきなり去り、また急襲する。

先日の明け方五時頃、不眠に悩むワタクシは、まだ眠れていなかった。
眠れないとどうなるかといえば、体温がどんどん下がって行き、氷原を延々と歩いているような疲弊感に息絶え絶えになり、吐き気や頭痛やおなかを下すなどの、内蔵部分が壊れてくる。

そんな明け方。
窓の外が、急に、一面の山吹色になった。光の濃淡が無い、陰影無しの山吹色(やや象牙色を混ぜてある)である。色セロファンを貼ったような異様な色具合である。頭痛にさいなまれながら窓を開けた。黄色の大気の中、嵐の気配の雨が降り始めていた。

夕暮れ時の嵐は、たまに、一面の葡萄色や紅を呼ぶ。
その明け方版、象牙を混ぜた山吹色ヴァージョンなのだった。
凄い眺めだった。

まもなく、体当たりの勢いの、豪雨となった。
地形を変えようとしているようだ。
窓を開けて眺めた。大気の力があたりに充満している。それを浴びていると、心地が戻ってきた。回復を求めて、脳の深部が眠りを呼び寄せた。
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by leea_blog | 2008-08-31 01:02 | Comments(0)

平面と立体、音楽と色彩、文字と音声

体調を崩している。

それは置いといて。

ここしばらく、立体の創作意欲に襲われている。

本棚に、全裸で売られてきた人形が二体いるが。
「恋月姫の人形」のフィギュアで、
公式の服やウィッグは、量産が難しい為、抽選!でしか手に入らない。


必要は創作の母。
やむなく自作する事にした。
人形用の装身具も作りたい。

家庭科が大の苦手だった。作れるのか?
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by leea_blog | 2008-08-29 01:25 | Comments(0)

雷雨の季節 首都圏の災害時


最近はスコールのような激しい雨が多い。

昨夜。帰宅したら突然、ネットも電話も繋がらなくなっていた。
うわぁぁ。

天気予報チェックもニュースチェックも、日用品や食品調達も、ネットに頼っている。繋がらないのは厳しい。銀行の残高照会や、カードの使用明細がチェックできないのも死活問題だ。カードを止められたら、即刻日常生活に支障が出るのだ。

テレビ・新聞は無くても困らないが、パソコンは、冷蔵庫並みの生活必需品になっていたのだった。

10年位前は、アメリカ人じゃあるまいし、ネットやカードに頼り切りの生活は、考えられなかった。

砂漠の民よろしく、資産を装身具に変えて、銀行とのお付き合いも無かった(ワタクシ程度の生活レベルの話だが)。

生活環境は目まぐるしく変化してゆく。
ワタクシの価値観がアナログ崇拝でも、生活はアナログに固執できない。
給与は銀行振り込みになったし、犯罪発生率もすばらしく高まった。駅から自宅までの毎日の往復が、これほど物騒になるとは。損害保険の申請時も、「自宅に現金を置いておいた理由」を書く欄があった! 現金は銀行にあるものなのだった。

同時に、日常生活の「非現金化」も加速度を付けて進んだ。
コーヒーを一杯飲むのさえ、カードや携帯をかざすだけで小銭がいらない。ミネラルウォーターも洗剤も、ネットで取り寄せて支払いはパスワードとクリックだけで済む。
現金が必要になったら、コンビニのATMで24時間引き出せる。
しかし。キャッシュレスな生活は、口座の残高管理やカードの請求金額をマメにチェックしないと、困った事態になってしまう。




ネットが突然繋がらなくなったお陰で、細々とした生活変化を痛感した。


それほど日常に入り込んでいるにもかかわらず。
プロバイダの対応がお粗末だった。

繋がらない原因は、これも最近増えている集中豪雨・派手な落雷の為だった。
それを知ったのは翌朝、なかなか電話に出ないサポートセンターにようやく繋がってからである。
何が起こったか知るよしも無く、無駄な悪戦苦闘を何時間もしていたのだ。

落雷じゃ、どうしようもないよね。ただの暴風雨なら天に文句を言うところでも、雷雨は、猛々しく美しい、いなずま付き。低い雲を転げ回るあの轟きを聞くと、すさまじい音とともに天と地を貫く光を見ると、血が騒ぐ。
それはどもかく。

固定電話が使えないので携帯から問い合わせをした。「通話料は20秒につき十円です」とのアナウンスに苛立ちつつ。繋がるのを待つ時間が長くて、携帯が発熱してしまい、何度も掛けなおした末だ。

ネットと固定電話が同時に繋がらなくなるシステムを鋭意販売しているんだから、携帯からもフリーダイヤルにしてほしい。通話料をとやかく言うのではなく、プロバイダの不具合情報は、無料であろう。
売る時は強引なまでに熱心なのだ。想定できるトラブル対策にも、熱意と金を注いで欲しい。

昨夜遅く、携帯からプロバイダのサイトにアクセスし、トラブル速報をチェックしたのだが、載っていなかった。載っていれば、パソコンの設定を何度も確認したり、モデムの説明書と格闘したりしないで済んだのに、と落胆した。

突然の不通でサポートセンターには、問い合わせが殺到したらしい。不通の原因特定も、大変だったようだ。それは想像がたやすい。


災害時を想像して、これはまずいな、と思った。
東京を大きな地震や津波や爆撃並みの雷雨や、武力攻撃が襲ったら。何かが起こった時には、我々は何が起こったのかすら、把握できないだろう。その点は、祖父母の世代と同じなのだ。ネットがなければ、情報操作は簡単であろうし。

災害で都民が徒歩で避難の行軍を始めても、ワタクシは仕事柄、線路伝いに歩いて出勤するのだろう。が、「放射能が漏れているからそこは危険、迂回せよ」、「貴下の所属所は消滅した。代わりにどこどこに向かえ」等の情報が無かったら、どうするのであろうか。

旅人のワタクシは方位磁石とカスタムナイフをポーチに入れ、服にも寝具にも兼用できる、軽くて速乾性のある布を巻き付けて、逃げるか出勤するかを考えるだろう。災害だったら出勤。戦争だったら、逃亡。テロだったら出勤。クーデターなら、うーん、取りあえず逃亡して情報収集。水の確保はどうしよう。火は、ライターとキャンドルが沢山ある。それもポーチにいれて、慌てても仕方ないので取りあえず、煙草を吸う。

だが、その時、何が起こっているのか、どうしてわかるだろう。
今回の落雷の不通のごとく。
自分が何をするかも、予測通りには行かないはずだ。

暴漢に襲われて「板垣死すとも自由は死せず」と叫ぶつもりがとっさに「話せばわかる」と言っちゃっちゃう先例もある。

災害時は出勤する事に疑問は無いが、とっさに作品と紙と筆記用具を抱えて逃亡しちゃったり。近くの自衛隊駐屯地に駆けつけて遺体から武器を略奪し、「やった! ワタクシの天下だ」と叫ぶかも知れない。

美術館付近で災害に遭ったら、間違いなく、失われてはいけない代物を救出するだろう。人の命は短いが、作品は、命短い人間族が何世代にも渡って苦闘した末、芽を出したものだからだ。
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by leea_blog | 2008-08-23 02:10 | Comments(0)

リルケの書簡集 「若き詩人への手紙、若き女性への手紙」 —リルケ教徒の悲憤—



家を出る前に、その辺の本をバッグに放り込む。軽くて内容が濃い本は、外出時には特にありがたい。そのようなわけで、「若き詩人への手紙、若き女性への手紙」(リルケ著/高安国世訳・新潮文庫)を再読した。

今回は、訳者後書きに考えさせられた。
引用してみよう。
「—前略—ただ、残念なことに、この若き詩人フランツ・クサーファ・カプスは後年、リルケのこれほどの助言にもかかわらず、いわゆるジャーナリズムに頼って、ベルリンの絵入り週刊新聞に、みじめな大衆小説を書いているのを僕はこの眼で見た。これは悲しむべき事実である。たとえどのような生活の苦労があったにせよ、これほどのリルケの信頼に応えるのに、この有り様はなんということであろうか。僕はしばし悲憤の涙にくれ、人間のあわれさに慟哭したのであった。それだけにリルケの高潔な生涯は、ますます僕たちに力をもって迫ってくるのである。孤独などを今どき持ち出すのは、時勢にかなわないことであるかもしれぬ。だが、孤独を知らぬ文学者とは、そもそも何者であろうか。それ自身実りない孤独を、あのように豊饒な孤独にまで持ち上げたリルケを、僕たちはいつまでも忘れる事はできない。—後略—(高安国世)」

リルケが神に見えているのに違いない。信仰告白の如き熱意が伝わって、その一途さに心を打たれる。最近の後書きや書評類には、こうした一途さが無い。なぜ最近の文章にこの手の色が無いかというと、「大人げない」からでもある。21世紀初頭の現在、一途さは「困った人」と紙一重なのだ。

訳者の言い分は全く同感だし、「大人げなさ」も爽快で良い。

だが、しかし。酒の席なら、全面的に同意する所だが、活字だと。その場の雰囲気で流されない引っ掛かりが明確になる。その引っ掛かりとは、「偏狭」、「狭量」。リルケに傾倒して孤高や豊饒を理解しているのに、了見が狭い。

そうは言っても気持ちはわかる。
後書きにある悲憤や慟哭は大げさに見えるが、リルケが若き詩人、「カプス君」のファンレターに返書した書簡群、「若き詩人への手紙」を通して読めば、おおかたの人は似た感想を抱くだろう。読む内にリルケかカプス君に感情移入していた読者にとっては、残酷な結末である。

リルケを読んだ事が無い人も多いと思うので、わかりやすい例えを考えた。
高僧に教えを乞いに行ったのに、結局いんちき占い師になるようなものだ。あるいは。プリマドンナに師事したが練習に耐え切れず、温泉場のストリップ小屋で下手な踊りを見せているようなもの? 高名な人と手紙のやり取りをした過去も、営業の為に開示中。 傍から見れば似た業界だからこそ、見てはいけない物を見てしまった心地になるのだ。
高僧やプリマドンナ、つまり師匠の支持者から見れば、地を叩いて嘆き悲しみたくなるだろう。

良い作品を残せなかったのが問題なのでは無い。価値観や人生への視線の問題である。

リルケと書簡を交わし、作品と同格の優れた内容の手紙をもらったからといって、その青年がリルケを理想とした人生を送る確率は低い。金にならず、ちやほやもされない孤高の詩人になるより、金がもらえて文学のわからない人からはちやほやされる方が、まぁ、一般的には魅力だろう。

21世紀初頭は、チープや俗っぽさに寛容である。いや、それらは大分価値を持っている。
孤独は、「引きこもり」という新興勢力を連想させるようになった。戦争は無くなる気配を見せないし、自殺者は増えている。人間の愚かさや悲しさ、どうしようもなく駄目な部分を、ひとまず肯定して方向を修正する時期なのだ。

リルケは、数万の人が苦しみながら死んでいく世界の有りようも、同時に視野に入りながら苦悩の長い時間を過ごすもっと別の物を提示しようと試みたのだし、人間は大抵が駄目な生き物である実態は、前提として承知だったはずだ。

心密かに「見返り」を期待する親切は、卑しい。リルケの手紙は、無償の、つまり相手に結果を求めない純度があるから、時代や価値観を越えて読まれるに値するものになっている。

よい書物とは、各人の必要な時に、その時に合った処方をしてくれる、魔法の箱のようなものだ。手紙が受け取り手に何の薬効も無かったとしても、千年の時間の前ではありがちな事の一つでしかないではないか。
本当にそれを必要とする未知の読者に、薬効をもたらすのだから。
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by leea_blog | 2008-08-13 23:45 | Comments(0)

観測史上最高 /ヒートアイランドの片隅で

暑い。昨日、今日は特にひどかった。

クーラーの有る室内にいても、水分がどんどん失われて行くのだ。ワタクシの部屋は二階屋の二階部分、熱せられたトタン屋根と風が通り抜けない構造のせいで、毎年オーブン状態になる。オーブンの中でクーラーと扇風機を稼働させて「暑い」と呟いているような、滑稽な状態である。

これが自分の家だったら、屋根に断熱シートを広げるのだが、賃貸ではなぁ。。。。。。。

シーツやタオルケットを洗濯して干しておくと、少しは熱が遮られる。早速洗って干そうと窓を開けた途端、熱せられた空気の塊が入ってきた。手が当たった窓サッシも熱くなっており、あわてて手を引っ込めた。この辺り一帯、アスファルトとコンクリートで空気が熱せられ、どの家でも冷房を強くするので室外機の熱も加わって、ひどい事になっていた。ううむ、これは。

うっかり外出したら、涼しいところに着く前に行き倒れてしまう。
露天風呂に行くのをやめて、部屋でおとなしくする事にした。

室内も、前述のような状態なので、本を読んでいても汗で頁がよれよれになってしまう。絵を描いても絵が汗で滲んでしまう。冷房で固くなった筋肉をほぐそうとヨガをすれば、少し動いただけで汗で服がびっしょりになる。寒いよりは暑い方が好きだから、暑い、とぼやくのは少なめにしたい。が、これは尋常ではない。

今日(八月三日)は、観測史上最高気温を更新したらしい。

毎年、【観測史上最高】という言葉を聞く。気温、豪雨、風速、その他。天気の他愛ない話題と一緒に、「いつ天変地異が来てもおかしくない状況だね」と付け加える状況が慢性化している。

南極の氷の激減状態を頻繁に映像で見るようになったが、ここまで来る前にもう少し報道するべきだったのではないか。氷河の後退の異常さは、旅人の間ではかなり前から話題になっていた。
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by leea_blog | 2008-08-04 00:11 | Comments(0)