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年の瀬と新年の過ごし方

新年が近づいて来る。

都市の人口配置図が激変し、交通量も激減する。
商店街にはお正月飾りや、鏡餅が並ぶ。

私の生活に特別な変化がある訳でも無いのに、
空気が澄み、しんとして、特別な日を迎える気分になってくる。

年があらたまる、という、大きな感覚、土着の神聖。
自身の穢れ、一年の穢れを洗い流し、まれびとを迎え入れるように正月様を迎え入れる儀式の数々。

静かで凛とした気配が、好きだ。

ホワイトセージを炊いて、立ち上る煙で部屋を清める為、部屋の四隅を巡った。狭い部屋では懊悩の時間を過ごした。懊悩が澱となって部屋をいごこ地悪い物にしていた為だ。

大晦日の儀式として、死海の塩を入れた風呂に入る。
新年の為に、新鮮な花を買う。和菓子屋につきたての餅を買いに行く。
シーツや布団カバーを新年用の物に換える。静かに瞑想する。

新しい年、というなにか見知らぬ人が部屋に入ってくる時間。
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by leea_blog | 2008-12-31 01:38 | Comments(0)

独演!俳句ライブ 15の事後報告の事

朝夕は、気が遠くなるほど冷え込む。
体温の高い動物と、巣穴に籠もって冬眠したい。

宮崎二健氏のブログに「俳ラ15」の記事がアップされた。見て暖かくなりましょう。

ブログ「俳ラ」  
http://haila.seesaa.net/

煉獄サアカスの団長、神山てんがい氏による感想記事は、言霊が蕩々とたゆたうようで心地よい。なるほど、かくも言霊空間を愛するお人だったのか。ビデオ観賞会で見返したおり、氏の口上の、流れ出る言葉のセンスに感銘を受けたのだが、感想記事で納得がいった。

文字表現、音声化前提で構築される文章、空間の捉え方について、色々考えさせられた催しだった。

ギネマ氏やてんがい氏のような、朗読に物語をクロスオーバーさせた独演型は、意外な面白さをはらんでいた。

私は呪術としての朗読を旨としているが、物語に織り込まれた詩歌作品(または詩歌が織り込まれた物語の形)も、元々大好きなのだ。

他ジャンルの人が自在に出入りし、俳句朗読で競う俳ラは、同業界同士の競い合いには無い緊張と発見、発展が溢れている。詩の朗読会もかくあるべし、と思うのであった。
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by leea_blog | 2008-12-27 00:31 | Comments(6)

聖夜

クリスマスイブだった。
携帯の待ち受け画面が「メリークリスマス」になっていた。見るまで気がつかなかった。

昨日は「夜の会展」を見に銀座に出かけた。小原ミチル氏へのお土産に、ベーグルを買おうとした。ベーグル売り場が突如クリスマスグッズ売り場に変わっていた! がっかりしつつ、「そろそろクリスマスの時期か」、と今年の残り少なさを感じた。

が! クリスマス売り場になっていて当然なのだった!
「そろそろクリスマス」ではない、イブの前日だったのだ。

キリスト教徒ではないワタクシも、この時期のお祭りは喜ばしい。
冬が凝縮するように深まってゆく、その力に、昔の人は精霊に祈りを捧げて抗したのだろう。

さて、夜の会展は、自由が丘のもみの木画廊時代から続いているグループ展だ。参加者に詩人が多い。規制がほとんど無いので、過去私も何度か参加した。

今年は直前キャンセル(!)も有ったそうだが、開場は面白い作品が多数有った。ANGEL AIDの小原ミチル氏が、短期間の内に新しい世界を築き上げており、驚いた。「荒涼にして豊饒な精霊界がどうのこうの」と偏った好みを持つワタクシも、小原氏の新作に「わぁ、きれい!」とにこにこしてしまった。

他の領域にひたひたと浸水するような、のびやかな展開を見るのは楽しかった。

他の人の作品を見るのは、自分への刺戟になる。
「やりたい事」を山積みにしたままで、「やらなければならない事」も山積みの自分を反省した。よく「作品が無い」、と言い訳をするが、描いていない訳ではない。実家にいた頃のような、制作も保管も場所を取る作品が無いという意味なのだった。作品ならキッチンで立ったまま描いているから、沢山有る。

場所が無いなら、苦手な細密画にでも挑戦したらいいかもしれない。
金属面に貼る、マグネット式の小さな絵。制作も保管も、場所を取らない事この上ない!
物理的に無理な事は置いておいて、出来る事から始めよう。
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by leea_blog | 2008-12-25 00:32 | Comments(2)

惨たんたる原稿の校正—見なかった事にしたい

現代詩人会60周年記念の一つとして、アンソロジーを作るようだ。
原稿の督促葉書が来て慌てたエピソードは、ゆりうた九月三十日分を参照されたい。

気が滅入っている。校正原稿が来た。ワタクシがドトールコーヒーに籠もって、ああでもないこうでもないと苦心惨憺した余白が、無残に無視されていた!  うぁぁぁぁぁ、と叫んで、見なかった事にしたい状況である。一字上げ、三字下げ、と配置した作品の文頭が、全部同じ行に揃っていたのだ。おまけに、括弧の部分が謎の黒■になっている。 ?????、である。

これが、参加費一万円とか、無料だが十冊買い上げ強制、であるなら立場は対等だ。「人の作品を何だと思っておられますのですかぁ」と言う所だ。

が、参加費は年会費内、編集委員様方は、ボランティアである。経費の苦労も労力も他人に全面依存の状態である。見なかった事にするとは、職場から強制執行するぞと脅されている現状を差し引いても「それでも表現者か、おのれは」と自分の頬を張り飛ばさねばならない。

表現の底上げの為に、自分の利益にならない事を黙々と行う類いの労働に、敬意を抱いている。

文頭の揃った詩じゃないと印刷物に出来ない理由か、ルールが有るのだろうか。自動読み取り機械のミスか。編集委員様と知り合いでは無い上、上記の私的事情で会に貢献もしていないワタクシは、聞くに聞けない。

とにかく、決められた行数と文字数の中で表現しようと、改定に改定を重ねた作品である。文頭揃いしか載せられないなら、文頭揃い用の作品に差し替えたい。が、今更そんな図々しい事は言いにくい。一ヶ月以上も締めきりをオーバーした上に、「すぐに送ります」と葉書を出してから更に一週間も遅れた過去もある。

私自身は、他人のルーズに甘い。締め切り直前になっても「自分でまだ作品に納得できない」と七転八倒する人種は、一定数居る。いや、知る限りでは多数派だ。自分が編集を受け持つ場合は、その辺も計算に入れて締め切りを設定する。執筆者に電話を入れて督促したり、「今夜は寝ないで仕上げてね」「明日は年休とって仕上げて、◎◎時の集配に間に合うように速達で出してね」「集配に間に合わないなら××駅まで持ってきてくれれば取りに行きます」と具体的な指示も出す。

自分も「直前になっても七転八倒する」人種である。締め切り厳守は「お仕事」の時だけだ。人生の仕事に締め切りは無い。と、締め切り観念が結構適当なのである。

そんなこんなで、裏方作業がどれほど大変かよくわかるので、たかだか自分の分の校正原稿の出来にぼう然として投げ出すのは、良心がちくちくする。

あああぁぁぁ、編集委員方の労力をよくよく考えて、ちゃんと校正済み原稿送らなくちゃ。と、自分を励まし、また校正原稿を見た。が、あまりに変わり果てた自分の労作に、またショックを受けて折り畳んでしまうのであった。

「お前の作品など、文頭揃えでも三字下げでも、大して変わりはしないんだよ」という意味なのか?  余白改行の重要性を、きっちり議論した方がいいのか?

 おっと、一瞬でもそんな風に考えた自分が恥ずかしい。大量の詩作品を正確に活字にするのは、恐るべき作業だ。「詩は文頭が揃っている筈」と考えて直してしまったと考える方が妥当だろう。

がんばれ、ワタクシ。
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by leea_blog | 2008-12-16 23:42 | Comments(0)

冬の太平洋・伊東

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波が引いたすぐ後は、砂が水にひたされて、鏡面のよう。空が切り取られる。

寄せては返す波のアップ。
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by leea_blog | 2008-12-11 22:42 | Comments(0)

混雑のフェルメール展

60分待ちとの事で一度は諦めたフェルメール展。諦めきれずに再挑戦した。

東京都立美術館では、プラカードを持った案内のお姉さん達が、ただ今の待ち時間は60分です、閉館時間は五時ですのでご了承下さい、と繰り返し叫んでいる。

人々は待ち時間にめげる様子も無く、続々とやってきては並んでゆく。

並びながら本を読んだ。咽喉が渇いた時のために、ミニペットボトルも持参した。チョコレートも。ハイヒールは足が痛くなると困る為、ウォーキングシューズにした。美術館というよりトレッキング行くのか、と突っ込みを入れたくなる。

大変な混雑だが、並べば、とにかく見られはする。

デルフトの他の作家のいい絵もあったが、体力的に余裕無し。足早に通り過ぎた。目標をフェルメールの絵、しかも七点のうち二点、手紙を書く婦人とリュートを調整する婦人だけに絞る事にした。

フェルメールの絵は奥に配置されていた。根気強く待っていれば、観賞を終えた人が立ち去り、絵の前に立てる。絵の前に立つと、一瞬、周囲の凄い混雑を忘れた。騒音は背後に遠のく。



年配の男性が奥さんらしき人に、フェルメールの作品が数少ない事、各地に散ってまとめて見るのは困難な事等をレクチャー、今回の展覧会がどれほど貴重かを力説していた。「金の力でこれだけ借りてきた日本は凄い」。

ちなみに東京は五輪誘致に力を入れている。あちこちで誘致の旗を目にする。五輪は金と利権まみれのイメージしかない。東京都が誘致に熱心なのも、それの為にほかならない。混雑が嫌いなワタクシは、五輪は他所でやって欲しい。もっと金銭面でも五輪開催が必要な国がありそうなのに、東京都が力を入れなくてもいいではないか。

五輪は置いといて。
混雑する美術展に遭遇する度に、思う。配給を待つ焼け野原の民のごとし、だ。文化的とは言いがたい。上記お客の言葉、「金の力で」で思い出すキーワードは、「成り金趣味」である。

既に評価が成立している作家ばかり集めて、自国の若手を伸ばす事には金を注がない。そうした余裕の無さも、成り金的である。日本は、金は有るが文化的にはまだ焼け跡なんだなぁ、と感じる。

目先の採算や動員数に目を奪われるのは、日本に真の余裕が無い為である。喰うに困らなくても、一般国民には時間が無い。過労死は増えるばかり。急ぎ足で海外旅行をする。既に有名な物をありがたがる。

21世紀なのだし、世界的不況だし、価値観の転換を余儀なくされている時期である。
東京都は五輪よりアーティスト限定助成金でも創設して、将来の誉れある都市を目指して欲しい。

フェルメールの絵を見に行ったものの、一番印象に残ったのは、餓えた民(文化面で)の群れであった。
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by leea_blog | 2008-12-11 20:35 | Comments(0)

フェルメール展 混雑がワタクシを追い払う

頭痛と吐き気にさいなまれたワタクシは、気分転換にフェルメール展に出かけた。寝ていて治る症状ではない為だ。

東京都美術館にて、開催中。
http://www.tobikan.jp/museum/vermeer.html

【手紙を書く婦人と召使い】を是非見たかったのだ。普段はやや苦手な「平穏な美」を堪能したい。正確にいうと、一件幸福感溢れる平穏な美でも、「美」であるからには人を破滅させる力を持っている。が、今回はそれはどうでもいい。

ようやく上野にたどり着いた。JRの公園口でチケットを買おうと窓口を見た所。「フェルメール展/ただ今60分待ち」と札が掛かっているではないか!!!!!

平日なのに60分待ちですか。既に閉館二時間前の時刻である。1時間も並んだら、ゆっくり見られないではないか。中に入っても、絵より人の頭を見に行くような物だろう。

1時間も並べるか。どんな絵でも、混雑した開場では心置きなく見られない。がっくりしつつ諦めて引き返した。

フェルメールの作品は、わずかしか現存していない。それらは各地に散っている為、まとめて見る機会は、これを逃したらもう無いだろう。と、誰もが思って遠隔地からも駆けつけてくるのだ。巡回展は無いようだし、何時間並んでも見たいひとは見たいだろう。

無性に腹が立った。駅構内に、フェルメールの絵はがき等のミュージアムグッズを売っているブースがあった。絵はがきとコースターセットと、マグネットを買った。マグネットは、冷蔵庫の扉に張って目の保養にするのだ。

印刷はどれほど美しくても印刷だ、と思うと、買っても余計がっかりした。「餓えたまま開場に行くと、ミュージアムグッズを買い込んで破産するよ」、と自分に言い聞かせる。さらに「その餓えを創作に転化しなさい」、と自分に言ってみる。

フェルメールみたいな絵なんか描きたくないもん。あれは他人が描いたのを見るから癒されるのだ。ああいうのを目標にしなさいといわれたら、断る。修業中に退屈で死んでしまう。価値観がまるで違うのだ。自分には無い価値観を追求した作品は、自分に欠落している分だけ輝いて見える。

ああ。自分の中では決して目標にはしたくは無いが、他者の追い求めた静謐の美は心地よい。光の中の柔らかな体温よ。

そうしたものは、混雑した開場で人の頭越しに見る物ではない。がらんとした場所で、椅子にくつろぎながら堪能るものである。
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by leea_blog | 2008-12-03 21:59 | Comments(0)