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ネットオークション  落胆と安堵 について

ネットオークションで競り負けた。
マニアックな商品を狙っていた。その手の物には、金の有るマニアが集まってくる。世の中どんなに不景気でも、有る所にはあるのだ。ワタクシは太刀打ち出来ない。悲しい。

「他人の作品をお宝にするより自分の作品をお宝にせよ」と当館のエンジニア氏にも言われている。その通りだ。人の作品に大金を払っている場合ではない! 自分の製作費が足りない時に、論外である。

その通りだけれど、オークション終了一日前に、偶然見つけた代物なのだ。落札したい、と意気込むのも当然の心理である。

競り負けたのは残念だが、私もかなりの金額で入札したので、負けた事にちょっとほっとしている。

オークションやっていると、たまにありませんか?
勢いで入札した物に、他人がもっと高値をつけてくれてほっとする時。不相応な買い物をする崖っぷちで、誰かが後ろから走ってきて追い越して、先に崖からダイビング。こちらは崖に飛び込まずに済んだ、という心地の時。

飛び込んで落ちてゆく見知らぬ人の背中にパラシュートが開くのを見つつ、「私はあのような装備が無かった。飛び降りていたら大けがをする所だった」と、複雑な気持ちになる時。

え? そんな事未経験? うむ。その方がいい。
落胆と安堵の複雑に絡み合った気分で、私は制作に向かう為に部屋の扉を閉じるのだった。
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by leea_blog | 2009-01-25 23:02 | Comments(0)

横浜西洋館散策   快適へのまなざし


AngelAidのミチルさんと、横浜の西洋館を見に行ってきた。

久しぶりに、【人が普通に暮らす快適】さのある家を見た。
住みたい!、と痛切に思った。西洋館だから住みたい訳ではない。中東館でもアジア館でも南欧館でも書院造りでも何でも、人が住む為の快適を重視した家は素晴らしい。歳を経て味わいが出る。

建築家のこだわりが心地よく凝っているのもいい。

採光、通風、除湿、堅牢。

横浜の西洋館は、無料で中を見学できる。自分の家に帰ったような心地よさが不思議だった。いや、不思議がってはいけない。これが無い住宅を見過ぎており、これが無い住宅に住んでいる現状の方が問題なのだ。

家賃を払えるのは働いている間だけなので、家を購入しようとモデルルームを経巡った時期があった。値段は馬鹿高いのに、「どうしてもここに住みたい!」という家に巡り合えなかった。

「どんな家が好みか」と聞かれれば。「アルハンブラ宮殿様式。あるいは、ジムトンプソンの家みたいなの。桂離宮や金閣寺みたいなのでもいいし。城塞造りでもいいです。アンコールトムみたいなのでもいいかな。贅沢言ってもしょうがないし、箱根の富士屋ホテルみたいなマンションなら、まぁ可です」と答えたい。

横浜の西洋館は、当時は贅沢だったのだろうが、現代人が見れば想像したほど贅沢・華麗というわけでもなく、実に暮らしやすそうだった。ともかく、採光と通風が、当たり前のように確保されている。堅牢でたっぷり空間が取ってある。使い勝手がいい。暮らす人の視線を満足させる、自然で飽きない空間造りであった。ああ。

日本の古民家も、保存の動きがあるらしい。
頼もしい事だ。

普通の快適さを、日常生活に取り戻す時代になるといい。
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by leea_blog | 2009-01-25 00:41 | Comments(2)

祈りの美 クマリ

クマリ写真へのリンクが、どうしてリンクコーナーの【美術】のジャンルなのか?

ARTジャンルとしか言いたくない写真が色々混ざっている為だ。

撮影者の情念が伝わってくる。

文学美術も発生の源は祈りである。
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by leea_blog | 2009-01-23 01:19 | Comments(0)

ネパールの少女生き神、クマリの事

ネパールの少女生き神、クマリをご存知だろうか。
試しにkumariで画像検索をしてみてほしい。言葉を失うような神々しい少女神らのブロマイドにお目にかかれる。

クマリを知らない人は、早速検索。
『検索してね』ばかりでは不親切、フリー百科事典のウィキペディアからコピー&ペーストした。
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クマリ(Kumari、Kumari Devi)はネパールに住む女神クマリの化身である。密教女神ヴァジラ・デーヴィー、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、ネパール王国の守護神である女神タレジュの生まれ変わりとされており、国内から選ばれた少女が初潮を迎えるまでクマリとして役割を果たす。中には初潮が来ず、50歳を過ぎてもクマリを務めているケースもある。

カトマンドゥのクマリの館に住むロイヤル・クマリが最も有名であり、国の運命を占う予言者でもある。 クマリという場合、概ねロイヤル・クマリを表す。(ネパール国内の村や町にも多数存在するクマリはローカル・クマリと呼ばれている。)

2001年7月10日に当時4歳で選ばれたPreeti Shakyaに替わり、2008年10月7日に当時3歳で選ばれたMatina Shakyaが現在のロイヤル・クマリである。

9月に行われるインドラ・ジャトラの大祭ではクマリが主役となり、ネパール国王がクマリの元を訪ね跪き祝福のティカを受ける。

顔は額から鼻筋にかけて赤い化粧が施されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%AA
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(引用させてもらっておいて申し訳ないが、ウィキペディアで関心を持った事は、必ず自分で裏付けを取る事をお薦めする。ワタクシの詳しいジャンルの記事にいいかげんな部分が多数発見された為である。ネットは便利だが、検証能力は自分自身が育てる物だ)

女人の神性について様々な事を考えるが、クマリの写真を見れば、理屈は置いておいて、御利益ありそうな素晴らしい気配が濃く立ち上っている。

人々に加護を与える為にこの世に転生したクマリ達が民の中から見いだされる。少女神として暮らす日常と人々の信仰の力によって、生き神にふさわしい気配を身につけたものなので、その辺の新興宗教の生き神さんとはスケールが違う。童女、いや、幼女の頃に伝統的な神の道に入った、その無心さ、非・俗悪さのパワーも大きい。

とはいえ、判断力のない幼児に特殊な境遇を強要するのは、人権的にいかがなものか? 近所の子供と馬鹿な遊びに興じたり、馬鹿なテレビを見たり、ゲームを親に隠れてやったり、馬鹿チャットしたり、草原で一人物思いに耽る事も出来ない。そんな幼児期を過ごして、成人後は普通の生活を送れとは、むごいではないか?

いやはや。取りあえずは年金により生活は困らないのだ。他の人生は、クマリ退任後も、本人さえその気ならやり直せる。どの国でも、生まれながらに自分で選択できる幼少期など、ほとんど無い。親が異常だったり、厳格過ぎたり、子供に暴行したり、監禁したり、捨てたり、自分の理想通りにしようとしたり。はたから恵まれた環境と映っても、本人には地獄、あるいは成人後地獄とわかる、ということはままある。クマリに選ばれなかったらどうだったのか、なんて、クマリの恩恵も受けていない外国人がどうこう言うのは傲慢である。

郷に入れば郷に従え。他郷の神には敬意を払え。

ワタクシが男だったら、「血を吐いて死ぬ」と言われても元クマリを妻にしたい。ああ、これは、ワタクシが男だったら相当な俗物に育っていたかも知れない、という前提の話である。

リンクコーナーに、賢そうな美少女クマリの写真のサイトを追加した。無許可で渡米しクマリ失格になった少女である。

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by leea_blog | 2009-01-20 21:28 | Comments(0)

立体 スフィンクス 製作中

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製作中の立体、スフィンクス。
ケーキのクリームまたは荒海の水泡のような質感が気に入ったので、色はつけない。

ハーティクレイという軽量粘土を使っている。
立体は初めてなので、ともかく扱いやすい粘土を優先的に選んだ。

難点は、乾いた後やすりなどでなめらかさが出しにくい事。削ると、発泡スチロールを削るようにでこぼこになってしまうのだ。土の粘土のような、微細な表現がしにくいのも難点か。

良い点は、軽い、扱いやすい、手に付かない、という点。
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by leea_blog | 2009-01-20 00:18 | Comments(0)

立体 人魚製作中

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樹脂粘土で。
粘土自体の重さで、乾くまでに形が変形してしまう。

練りゴムで支えを作って乾燥させてみた。乾燥中の光景は、ダリの絵のようである。

陶器ではし置きや皿も作りたい。
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by leea_blog | 2009-01-17 16:46 | Comments(0)

福島泰樹 短歌絶叫コンサートの事 その2

=続き=

私にとって、自分の朗読観の中での様々な疑問に解決の光が射した時間でもあった。

吉祥寺のライブハウス曼陀羅にて、休憩をはさみ約二時間。私がやや遅刻して到着した時には、黒い眼鏡をかけた福島泰樹氏が「絶叫朗読」をしていた。

絶叫系が苦手、という人は多い。絶叫すれば何かが伝わる、と思い込んでいる人々の咎である。しかし、福島さんのはそうした意味での絶叫では無かった。心地よい系絶叫?  内面の絶叫を、露骨な叫びになる前に押さえて音声化する為、耳に心地よい。 むしろ、音の感覚としては「語り」に近い。「なめらかさ」と「非・無理強い」が濃厚。

絶叫朗読が苦手な理由に、他人のストレス発散を拝聴するクレーム担当者の気分になる為もある。皆で叫ぼうぜ、は音楽では有りだが、文学となると現在では叫びのもとが細分化されて、他者の叫びに波長を合わせて聞くには、聞く方のチューニング能力に頼る所が多い。大抵の朗読で解放感が少ないのは、その為でもある。

現在の日本で、酒を飲みつつ詩歌の朗読を聞くのが娯楽になりうるか、というのが私の長年の疑念(希求でもあった)だったが、ううむ、これはまさにその類い!

次に、ゲストの高坂明氏が痛みに満ちた短歌朗読をストーリー仕立てに構成して行い、飽きさせなかった。辰巳泰子氏が絵草紙に出てくるかの襦袢姿で登場、音楽無しの声だけで聞かせる朗読は、朗読というより「語り」の境地であり、音そのものが心地よかった。氏の地母神系、巫女系の気配は、とっさにサトウケヤキ氏を思い出した。(スタイル自体は全く違うのであるが)。

後半は福島泰樹氏と大変素晴らしいピアニストの競演で、ボクサーがステージに上がってシャドウボクシングを披露したり、亡くなったミュージシャンに捧げる短歌や村山槐多の詩の朗読等、語りの魔力と素晴らしいピアノであっという間に過ぎた。俳句もそうだったが、今回も、定型の強みを目のあたりにした。聞く方も、基本の約束事がわかっている、という強みである。

朗読系で、出演者は達成感があるものの、客として「来て良かった」と満足できるのは、そう滅多にあるものではない。

チケット3000円+ドリンクオーダーというのは、詩人の朗読に慣れている身には敷き居が高いのは事実だ。良い物を寄り手ごろな価格で、という長期不況時代の要請にも反してはいる。表現者は活動費に金が消える生き物ゆえ、個人のキャパシティというものもある。
とはいえ、一回行ってご覧なされ。ワタクシはもう一回行きたい気分だ。

そういうわけで、そのかみの世のごとく、または異国のごとく、詩歌朗読を娯楽として聞ける方法論もぱーっと光が差し込む心地でアレなわけですが、「じゃ、あんたも酒を飲みながら聞くとも無しに聞ける朗読を、やっていこうという訳ですね?」と言われれば。否である。

百物語を再開したい、と考えた。取りあえず、今のワタクシの早急の課題は、やはり地神に酒と歌と火と詩を捧げる朗読会であった。
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by leea_blog | 2009-01-17 00:39 | Comments(0)

福島泰樹 短歌絶叫コンサートの事 その1

15日、辰巳泰子氏の平家物語を聞きに行く予定だったが、お仕事であった。続きがあるようなので、土・日・祭日開催を期待したい。


それに先立つ十日、『福島泰樹 短歌絶叫コンサート』に出かけた。期待した以上に面白かった。

昔、一緒に聞きに行かないかと誘われた事があった。『絶叫系朗読』へのネガティブな先入観から、乗り気がしなかった。
今回は、翌日湯治だというのに急きょ出かけた。俳ラの宮崎二健氏のお知らせのお陰だった。あまりの寒さに引きこもってしまいそうになるのを、毛皮の襟巻きで寒風を防ぎつつ、吉祥寺に向かったのだった。

朗読会というよりも、まさに短歌コンサートであった。

詩歌俳句の朗読は、頭で文字を追う作業が無意識に行われる。その為、聞く側の解放感は多くない。音を味わうのみではなく、作品としての善し悪しを味わうからだ。作品が今一つなら、朗読がどれほど良くても心を打たない。

福島泰樹絶叫コンサートは、頭で文字を追う作業の煩わしさが無かった。これまでに聞いた朗読イベントの中では、初めてと言ってもいい。後半は、頭はもう作品としてのあれこれを追うのをやめて、音とピアノを心地よく味わっていた位である。

様々なドラマが巧みなトークとともに自然に繰り出される構成力もあり、飽きない。

十年以上も前、「くさい。が、癖になってまた聞きたくなる」、という評を聞いた。アングラと新劇の混じったような、弾き語りで絶叫するタイプの朗読を想像した。予想と異なり、全くくさくなかった。

特筆すべきは、短歌に関心が薄い人でも楽しめる(と思われる)点だ。絶叫系と聞いて引いてしまう人にも、「まあ、ちょっと聴きに行ってご覧」と薦められる。

=続く=
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by leea_blog | 2009-01-16 22:17 | Comments(0)

歌人の辰巳泰子氏の朗読会 /軍記物、叙事詩偏愛癖の館主は興味津々の事

歌人の辰巳泰子氏の朗読会、「私本 安達ヶ原伝説」 「平家歌灯」。
昨年、俳ラのビデオ観賞会でお会いした縁で、チラシを送ってくれたのだが、ものすごく面白そうである。

「平家物語」、「太平記」ファンのワタクシとしては、興味津々だ。小学生の頃、周囲に平家物語を暗唱して見せつつ、将来は琵琶尼さんになる(琵琶法師ではなく)、と話して奇異な目で見られた。琵琶尼さんでなければ、太平記を読んで聞かせる“太平記読み”でもいいな、と思った。
その後、人間に限界を感じて、神話伝説の世界探究に向かった為、琵琶尼さんにはならなかった。

ワタクシはトロイア戦争を扱った叙事詩、「イリアス」の大ファンでもある。

読みや語り、口承文学の世界は、印刷された書物とは異なる生の力を持つ。それらに強い魅力を感じるのも、軍記物・叙事詩が、原点だった。

神話と軍記物、歴史物が複雑に絡み合った「シルマリルリオン」、シルマリルの物語の、熱狂的なファンでもある。エッダやサガは言うまでも無い。

それらについて語り始めると夜が明けてしまうので、辰巳泰子氏の朗読会に話を移そう。
以下は会場のSTAR POETSのHPからコピー&ペーストしてきた。

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第291回 日時:1月15日(木) 18:30受付 19:00開演 辰巳泰子
辰巳泰子 短歌朗読ライブ 「おおさか弁訳 平家歌灯」 作・出演 辰巳泰子
【演目】
「私本 安達ヶ原伝説」 「平家歌灯」 祇園精舎 祇王ほか (平家物語 巻一)
辰巳泰子 
……お隣の国の遠い昔を思い出してみ、秦の趙高、漢の……これらの人は政のならいに従わず、快楽を極め、世の中が乱れるのも分からンと、うちらがしんどい思いしとっても、知りもせぇへんし気もあらへんよって、政権が長くは続かンかった。
自分らのおる国のこと言おか、戦好きの××、キャベツの値段も知らん××、何かて他人事の××、マンガ脳の××、これらの人の、おごらはった心も、競争に打ち勝ちたい意地も、皆、いろいろであったけれども、まぢかくは、六波羅入道前太政大臣平朝臣清盛公とちう人のありさまは、伝え聞かるる凄さは、ことばも心も追いつかへんほどです。(祇園精舎)

……女のはかないこと、心に身の添うてゆかへんうらはら、私だけ取り残されても、心の晴れる日のあるはずもおへん。
いつであったか、お召しをお受けになられた折、今様一つを歌ぅたはりましたね、あンときには、もう、思い知らされてたんどっせ。
私もいつかは、おンなじ目ェに遭わされるんやろな、って。(祇王)

萌え出づるも枯るるもおなじ野辺の秋いづれか秋にあはで果つべき 祇王

天上天下ざざんくわ咲いて目瞑ればいつもわたしに想ふひとある 泰子

「平家歌灯」は、2月12日の第二回へと続く新作シリーズです。
長年のひそかな願いであった、自作短歌を交えての軍記物語朗読を、このたび、書き下ろし脚本にて上演します。
「私本安達ヶ原伝説」は、『辰巳泰子集』(邑書林)所収の戯曲、05年に初演。
こちらは演出をあらため、再演となります。皆様のご来場をお待ちしております。
辰巳泰子

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引用、以上。

浜江順子氏も17日に朗読をする。これら詳細&地図等は、以下でご確認を。

star poets HP

http://www.star-poets.com/gallery/history/poetry02/index.html#date
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by leea_blog | 2009-01-07 22:52 | Comments(0)

初売り  フェティッシュで暖かく、身も守る手袋について。

手袋を買いに行った。
今年は手袋と、グローブホルダーを買う、と決めていた。

池袋はデパートの初売りで、かなりの人出だ。
とは言っても、去年ほど混んでいないようだ。去年は人口密度がもっと高かった。景気のせいで買い物自粛か?

レザーの手袋や毛皮の襟巻きは、私にとってファッションではない。生活必需品だ。日常生活を守る防弾チョッキのようなもの。夏は夏で、絹やレースの手袋が、強すぎる日差しや骨を凍らせる冷房から身を守ってくれる。

動きやすくて暖かく、丈夫で服に合う物を。
西武デパート、三越、東武デパート、丸井の順で経巡った。
これだけ数があるのに、気に入った物が無い! 無くちゃいられない物だから、それほど気に入らないが黒に近い紺(カシミア裏)とワインレッド(リボン付き)を買った。手袋ホルダーは、バーゲンの手袋とほぼ同じ値段である。チェーン付きのクリップのような形で、脱いだ手袋を挟み込んでバッグにぶら下げておく。電車の中で暑くなりポケットに入れると、高確率で片方を落とすのだ! 片方だけ! 去年愛用の品を幾つも落としたので、今年こそ買うぞ。

 お安くない割に、背中を押してくれる手袋ホルダーが見つからない。丸井に足を向けた。若向きの品が多いから、少しは種類もあるかも知れない、と。

可愛い手袋ホルダーがいくつもあった。値段も手ごろ。手袋売り場に目をやると、気に入った指無し手袋と、肘まであるロング手袋が。消耗品だし、それらも買った。

手袋とホルダーしか買わなかったが、心まで暖かい。
軽くて暖かく、機能的で手触りのいい物は、幸福感をもたらす。

ああ、これで今年も冬を越せる。一月二月がいかに寒くとも、日は既に長くなっているではないか。

フェティッシュで官能的な形態と手触りでもある。動物の皮で寒さを凌ぐとともに、その動物からエネルギーを貰う時代の血がよみがえるここち。
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by leea_blog | 2009-01-02 23:35 | Comments(0)