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『犬の人生 』   マーク・ストランド /村上春樹訳 



村上春樹と聞いて逃げようとしたそこの人、ちょっとお待ちなされ。

これは、本当に良い一冊なのだ。
定価の十倍は楽しめる、優れた短編集。村上春樹を敬遠する人にも、強力におすすめである。
作者はマーク・ストランドで、村上春樹は訳だけだしね。

犬の人生、というタイトルと、山本祐二による、シンプルで哀愁漂う犬の絵に魅かれ、手に取った。詩人による小説集らしいので、買った。

びっくりするほど大当たりだった!

絢爛たる詩的イメージが、痛みを伴うような登場人物達のエピソードにちりばめられている。言葉がまさに、書かざるを得ず流れ出しし、それを掬って短篇の形に均したかのよう。

冒頭の「更なる人生を」に登場するのは、小説家志望の駄目父と感受性豊かなその息子。駄目父がパワフルであるだけに、始末に困る。「母は教師の仕事についてくれるように強く頼んだのだが、父は耳を貸さなかった。安定なんてごめんだね、と彼は言った。作家が求めるべきは不滅なるものであって、永久就職なんかじゃあないんだ。でもそれから十年間にわたってメインに住みつづけたにもかかわらず、父はとうとう一冊の本も書き上げることができなかった。」

言う事のでかさと比例して駄目な、パワフルな作家志願者。十年で一冊も書けないどころか、その後も書けないのだった。大槻ケンヂ作の歌詞に出て来そうである。息子は父を尊敬しつつも、壊れてしまう。一見健全な生活を、ごく普通に送る青年の日常に亀裂が入ってゆく様子は、怖い。

不滅なるものを求める事は、生活の糧を得る事とは次元が違う。働かない言い訳にするのは無理である。働けば、作品を書く物理的な時間は減るが、時間があればよい作品が書けるかというと、そうではない。田舎に引っ越せば作品が書けると思い、田舎に住めば書けないのを田舎のせいにする父。思索の軸がずれているから、不滅性を云々するのに、とてつもなく卑俗である。我々の回りにも幾らでも居そうではないか。

優れた才能は、生活者としての能力を犠牲に成り立っている事は多い。作品に向かう類いの人は、生活者としては駄目でも、仕方がないと私は思っている。天はニ物も三物も与えないのだ。生活者としての脳の造りとは、両立し難い。だが、自分の価値基準も確立せずに現世の評価ばかり気になったり、他人から敬意を払われたいと切望したりと、順序が永遠に逆のままの人が沢山居るのがこの世だ。この短篇の、痛々しさはそこに有る。

冒頭の作は、どちらかというとどうでも良い。
この短篇集に登場するのは、想像上の話し相手を次々と取り換える人であったり、世間に全く評価されるはずの無い事を押し通して辞任せざるを得なくなった(だが美しいイマジネーションに溢れた)政治指導者であったり、人生における真実の恋が世間から見ると思い込みレベルの人であったり、パラサイト・引きこもり生活の揚げ句両親と飼い犬を殺して死罪になる詩人であったりと、「ずれた人」である。表現活動に携わっている人たちからすれば、感受性、という優れた賜物をネガティヴに発現させる「痛い人」にみえるだろう。

美しいイメージを流れるごとくちりばめつつ、時には滑稽に、時には愛情をたたえて、肩に力を入れない構成で提示してゆく。

読み進める内、「小さな赤ん坊」「大統領の辞任」「将軍」、と素晴らしい作品が次々と展開され、ラストの「殺人詩人」でノックアウトされてしまうのだ。

紹介したい部分が多数だが、長くなった。後日に譲る。
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by leea_blog | 2009-02-26 23:20 | Comments(0)

滋味溢れるインド料理の事

医食同源。
食欲が無いので、少量でも体に良さそうな物を選んで食べている。


下赤塚にあるインド料理屋カルカッタでランチを食べた。新宿や池袋の下手なカレー屋よりずっと美味しい。スパイスがしっかり入っており、薬膳の味わいである。レディースランチには、二種類のカレーとナンに、ココナッツとマンゴーとナッツのみじん切り入りのフローズンヨーグルトと、味のよく染みたタンドリーチキンが付いてくる。

ナンも、もちもちで美味しい。

ここは、まるでインドの街角の食堂の如し。ウェイターが、「お待たせいたしました」も言わずに、料理の皿を目の前に置くのである。日によっては、全く日本語が出来ない人がウェイターをやっている。日本語出来なくてどうやってオーダーを取るのか。私は気になり、食べながらさりげなく見ていた。ランチタイムで決まったメニューしかない為、何とかなっている。す、すごい。どうしてもわからなければ、狭い店内故、片言の日本語ができるシェフが厨房から直接お客に確認する。

シェフがウェイターを兼任している日もある。シェフは料理の皿をワタクシの前に置く時、「お願いします」と言う。please、という意味だろうが、料理屋に入って料理の皿を「お願いします」と出されると、食べるのをお願いされているようでむずむずする。いつか日本的な表現を教えてあげよう、と思いつつ食べていた。今日はシェフが「おまたせしました」とつっかえつつも日本的表現で言いながら皿を持ってきてくれた。誰かが見かねて教えてあげたのだろう。

さて、本日は土曜日なのに、十二時を回ってもお客はワタクシ一人だった。手持ちぶさたになったシェフが片言の日本語で話しかけてきて、インドのお香をくれた。ありがとう。

「今日休み?」「休み」「明日仕事?」「明日も休み。土曜と日曜休み」。「仕事どこ、下赤塚?」「新宿。新宿にインド料理の店沢山あるけど、ここの方が美味しいよ」「ありがと」

ワタクシは猿程度のトラベル英会話ならできる。が、日本で仕事をする外国人は辞書引きながらでも日本語を話すべきだ、さもなきゃいつまでたっても覚えられません、との親切心から、ワタクシは日本では日本語で押し通す事にしている。すぐ英語に切り替えてしまう日本人の皆さん、相手の向上心を摘んでいませんか?

「子供いる?」「いない」「旦那さん?」「今いない」。「ノーマリッ?」「そう。仕事忙しくてね」。

をいをい。「お願いします」以外にしゃべるのは初めてだというのに、不躾な質問である。外国の人は、立ち入った事を天気の話題並に、会話の潤滑剤として使う事がある。不躾のつもりは無いのだろう。防犯上ノーコメントにしたい。が、よく行く店で適当な事を言うと「子供にこれあげて」とか後が面倒なので、現実に近い事を言う事にした。

 以前は土日は二十人、四十人とお客さんが沢山来たが、十二月以降土日でもお客さんが少ない、不景気でお客さんもお金が無いからだろう、という話になった。確かにランチタイムにお客がワタクシ一人というのは初めてだ。

美味しいカレー屋が閉店しては困る。もっと宣伝するように薦めた。日本風の商売の工夫が足りないのは、傍から見てもわかる。不景気でも、この辺では珍しい本格的なインド料理でしかも美味しい。ランチはナンのおかわり自由だしね。まずはお店の存在を知ってもらわなくちゃ始まらない、取りあえず入ってみよう、という気にさせる工夫をしません事には。具体例や日本人の行動パターン等説明しようとしたが、互いの会話能力が複雑な話の邪魔をした。

そうこうする内に、他のお客さんが来てシェフは忙しくなった。
料理の質が落ちたり、お客が来なくて閉店になったりすればワタクシは困ってしまう。取りあえずもう少し頻繁に行く事にした。マクドナルドのクォーターパウンダーセットと同じ値段で、滋味溢れるランチ(サラダはごく普通)が食べられるのだ。

そんなわけで、近隣の皆さん、長引く不況のさなかではございますが、良い料理を良心的に出す店には、出かけてあげて下されませ。そして、お店には、「地元民も存在を知らない店」、という現状の改善を期待したい。
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by leea_blog | 2009-02-21 20:14 | Comments(0)

黄金の時刻の滴り —辻邦生—


おすすめである。老若男女、誰にでも薦められる。誰にでも薦められる本なんて、ほとんど屑ではないか? が、これは誰にでも薦められてなおかつ優れている物の要件を満たしている本である。

短篇の形式をとって、辻邦生が敬愛する作家たちの内面を描いた、まさに「黄金の刻の滴り」のような本。人生に効く本でもある。



実は完読していない。
完読していない本を薦めてどうする。が、優れた本は完読するまえにわかる。

なぜ読み進めるのが億劫なのか。考えてみた。「知っている内容の授業」だからだ。あるいは、「気心知れた友人と何百回も話した内容」。そうだね、知ってる、そうだね、前も話したね、うん、確かに、と、相づちだけで終わってしまうのだ。

目が覚める短篇集はマーク・ストランドの「犬の人生」。目が覚めた上、ノックアウトされた。「犬の人生」については後に。

これでは「黄金の時刻の滴り」という、魅惑的な題の本を読まない人が続出するだろうから、少し引用しよう。


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「美は、はっきりいいって、日常生活にぴったり嵌まった、健全な、常識的な人からは生み出されないのです。なぜなら美は健全さからの逸脱であり、官能への没落であり、先駆的な死の恍惚であるからです。美を生み出す人は、この世では死んでいる人、外に出ている人、病んでいる人なのです。でも、実際にそうなら美は生み出されません。美を生み出す前に世間がその人を滅ぼしてしまうからです。だから美を生み出す人は、死にながら、生きたふりをしなければならないのです。」
中略
「それなしでは美は生まれないのですか」
「おそらく第一級の美は生まれないでしょうね」
中略
「人間はこうした美に耐えられないからです。これは歓喜の中での解体欲求だからです。それに呑み込まれたら性的エクスタシーの誘惑どころではありません。この全世界をすらその炎の中へ投じたいと思うような壮大な悦楽です。」後略
    (「黄金の時刻の滴り」収録、/聖なる放蕩者の家で/より)
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 いかがであろうか。
 このゆりうたをよんでくれている人には分かり切っている事かもしれない。が、世間にわかるように的確に書く技には、唸ってしまうではないか?
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by leea_blog | 2009-02-16 21:46 | Comments(0)

静謐な死闘  辻邦生        非評論・気をつけながらはずす事に重点を置いたメモ



 優れた人を褒めても仕方ないが。安心して読める作家の一人である。私のように退廃に浸かってたまに陸に上がる程度の者からすると、辻邦生の、永遠なる美に冷静沈着に向き合おうとした姿勢は、異星人にすら見える。

 高校時代、文化部を掛け持ちして、文学部にも入っていたのだが、部員はヤニと麦茶で夏を過ごすような人ばかりだった。不良とは違う、無頼とも違う、まぁ、文学に浸った連中であった。それがポーズだけか本物か何て、他人の事はどうでも良い。全力で自分の作品と格闘するしかなかった。

 そんな部員の一人、私と弘前くずみのやり取りである。
りーあ「健全な作家なんて無理じゃん。文字と取り組んでいるんだから、病気にならない方が変」
くずみ「辻邦生は、朝の光の中で作品書くんだってぇ。すごい健康そう。信じられる?」
りーあ「うそ〜。そんな人いるんだね」
(高校生の会話である。馬鹿なのは大目に見て欲しい)

朝、気持ちよく目覚め、午前中は頭が冴えているなぁなどとうそぶきつつ、整頓された机で事務員が仕事をするごとくに原稿用紙を埋めてゆく文学者のイメージ。当時は全く想像が出来なかった。事務処理と同等であるはずも無いが、髪をかきむしって転げ回ったり、ヤケ酒とヤケ煙草を重ねたり自殺未遂したり心中未遂したり、世間と喧嘩したり親戚に厄介者扱いされたりしつつ文字表現という妖怪と死闘を繰り広げるわけではないのだ。

 当時は、まさに「うっそ〜」だった。
 商売で書くなら、そうでなくては狂ってしまうだろうな、と思ったものだ。文学とは、私にとって異形の愛人であった。

 一方、辻邦生は。
 不健康でなければ文学者ではない、といった風潮に辟易して、不健康な集まりからは逃げていたらしい。大人になってから氏のエッセイを読んでその下りをみつけ、笑った。

 生き生きとした表現で語るその下りは面白いので引用したいが、我が部屋の樹海に埋もれてすぐに出てこない。いずれ引用しよう。

 笑ったのは、文学者は好きで不健康になるのでもなんでもないからだ。不健康でなければ文学者ではないと思っているのは、一握りの俗物だけだよ、と辻氏に言いたくて可笑しかったのである。

 不健康は、デスクワーク職の肩凝りや、美容師の手荒れみたいなものだ。単に副産物だ。病弱な人が少し得なのは、人生への疑念や体調悪い時の肉体的な苦痛を、粘り強い表現活動に転化できやすい所か。

 死は生の果てに必ず有る。死の投げ掛ける光で生がくっきりと燃えるように見える事もある。メメントモリ、死を思え、と言われるまでも無く、死に近づいてまた生の水面に浮上する病人は、文字表現の才覚を与えられてなおかつ我慢強ければ、死を思い出す事の無い人よりは、書かざるを得ない力に突き動かされる環境には、いるだろう。

 健康と生活の安定が有れば、有るに越した事はない。いや、欲しい。朝気持ちよく目覚めて、鳥の声を聴きながら作品に向かい、午後は散歩して血行を良くし、夜にまた書く。ううむ、羨ましい。

 そんな羨ましい辻邦生が朝の机で繰り広げた静謐な死闘。実に正当な美との死闘である。老若男女、安心して読める文章力と内容! 
 私は、作家と言うものは、世間から後ろ指を指されるような物、つまりその時代には早過ぎて受け入れられない物、公序良俗とは相反するが作家には正義であるところの物を、少なからず抱えているものだと思っていた。昔は。

 簡単に言うと、はみ出たいと思わなくてもはみ出る部分は普通に有るのだと思っていた。または、欠如を埋める為に書く。力んで反社会になるのではなく、気がついたら社会性の線を越えてしまっていた、という感じに。

 そうした、「非・公序良俗」の影が見えない作風。老若男女、誰にでも奨めて無難な、しかも美の正体を正々堂々とつかみ取ろうと格闘する。勢い余って反則、などは無い作風! そうなりたいとは思わないが、自分と違い過ぎて、素直に尊敬できるのである。
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by leea_blog | 2009-02-13 22:39 | Comments(0)

俳句ライブの写真


撮影/宮崎二健氏 ・加工&登場/西野りーあ

独演!俳句ライブにての写真を加工してみた
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by leea_blog | 2009-02-09 22:48 | Comments(0)

初心者にも安心のすっぽん料理屋と、駄目音楽の話など

音楽の田中一夫氏と久々に表現論を交わした。

インフルエンザも流行っている事だし、食欲も無く疲労困憊していたワタクシは、打ち合わせ場所にすっぽん料理店を選んだ。氏はこわごわ来てくれた。【田一】は、初めての人にも「こわくない」すっぽん料理である。コース料理は、すっぽんの原形がほとんどない。爪が全部しっかり揃っている、ということも無い。ワタクシ的には原形を留めていても構わないのだが、初めての人が後ずさってしまうのも理解できる。

え?すっぽんはお値段が張る? 病気になったら病院にもっと沢山払う事になりますよ。大体病気は、時間と労力と金銭を費やして元に戻すだけである。予防が肝心。密かに闘病中のワタクシは、万札をどぶに次々と投げ込んでいる心地である。

生前の姿が不端麗ながら疲労に効くすっぽん料理を、熱烈におすすめしている過去文をご参照下されたい。女性に特におすすめである。
http://leea.exblog.jp/2739238


私がネットオークションで買って、その駄目さ加減に激怒したCDの演奏家が氏の知り合いだったのは笑った。差し障りがあるだろうから詳細は書かないが、音楽に詳しくないワタクシは、当然ながら大して厳しい批判眼は持たない。そんなワタクシを激怒させるほど駄目な音楽というのも、そうそうある事ではない。

音楽への執念やパッションが欠落している。「それっぽく」すれば聴衆がごまかされると思っているのだろうか。思っているな????
おまけにトホホなことは、外見がそれっぽい音楽と間違えて買わせるような仕様だった。購入者が期待した物との落差で落胆するのは目に見えているではないか。

批評眼が無く甘いとは言っても、音への執着やパッションの有る無しは、理屈抜きに伝わってしまうのだろう。長距離深夜バスで半ば眠りながら聞いた火のような音楽。何なのか聞けば、兵役に就く為長距離バスに乗る人を、村の友人達が音楽付きで送りだしているのだという。小さな村の事なので高名な演奏家ではなさそうだが、ぐらぐらと揺さぶられた。地方都市の安宿で、金属の皿を前に演奏していた老人の音楽。他人が聴いているかいないか問題にしない境地の演奏は、やはり揺さぶられた。鑑賞眼は無いながら、どんなジャンルでも自分が欲する質を見極める能力が、少しずつ付くのだろう。可愛い子には旅をさせよ。自分にも旅をさせよ。歪んだ宇宙が元に戻る心地がするはずだ。


駄目音楽に激怒した話や、「労働は家来にやらせておけ」の山本六三氏のエピソードを話してくれた臥遊堂主人の話等、良い話や痛い話を通じて、発表するからには批判も当然ある、自分に甘ければ作品はそこまでで終わる、人生は短いが目標は一生かけても届かない可能性が高い、等々、あらためて痛感したのだった。
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by leea_blog | 2009-02-07 01:42 | Comments(0)

誤送信と誤削除    メールの困惑


 実は、誤送信が得意である。書きかけのメールを、保存して閉じるつもりが、送信ボタンを押してしまったりする。慌てて「誤送信のお詫び」を書くわけだ。

 誤削除も稀に行う。誤削除は、大抵「間違って削除した」意識が無い為、厄介である。「こんにちは」「お元気?」「その後いかがですか」等の件名で、差し出し人が女性名だとほぼ確実に開封せずに削除される。当家は一日100通前後の迷惑メールが来るのだ。

 昨今は出す方も賢くなって、迷惑メールと間違えられそうな件名は避けるようになった。が、迷惑メールは迷惑メールで、受信者がうっかり開けてしまうような件名を工夫している。まことに迷惑である。

 最近、誤削除が判明した件が二件有った。

待ち合わせの用件だったから、返事が無いのではなく返事を誤削除したのだろう、と見当がついた。その後、注意して見ると、その人からのメールが自動的に「削除済みフォルダ」に入っているのがわかった。「迷惑メールフォルダ」ではなく、手動で削除した物が入る「削除済みフォルダ」の方である。何かに反応してそちらに振り分けられたのだろうが、コンピューターの考えている事は、わからない。

私「ちょっと。なぜ勝手に削除するの」
Mac「寂しかったんです」
私「怒るよ?」
Mac「毎日同じ事ばかりで疲れたのです」
私「ごめん」

それはともかく、そんなささいな行き違いが、重大な人間関係を壊す事もあるのだろうな、と思う。それで壊れる関係なら元々無かったも同然。人間関係なんて本来、アナログにどっぷり頼る性質のものである。訪問→手紙→電話→メール、と情報量が軽くなるにつれて、関係性も軽くなる。

何日もチャットをした揚げ句連絡が取れなくなって、相手の連絡先も本名もわからない、という話を聞くと、思わず二、三歩後ずさってしまう。親しくも何ともない人を親しいと思ってるだけではないか?   親しいどころか、知人ですらないのだ。

 パソコンに向かってしみじみ思うのは、人間の脳がいかに広大な宇宙を抱えており、思い込みに満ちているか、という事だ。人間は「アナログの関係」という、手間がかかって時間を食ってとかく大変なものを通じて、本物の兎と偽の兎、海と湖と蜃気楼の違い、餌と水の場所を知るしかないのだ。
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by leea_blog | 2009-02-03 21:42 | Comments(2)

活き牡蛎 

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蝦夷バフンウニと殻付き牡蛎。牡蛎は活きている。室温で暖まると、時々口を薄く開けて様子を見、またぱくっと閉じる。活きた牡蛎を山盛りにして眺めるたび、不思議の国のアリスの、セイウチに食べられてしまう牡蛎達を思い出す。

牡蛎ナイフを差し込んで、貝柱を切り、殻をこじ開けて食べる。
殻の内側には、海水の塩味が程よく混じった牡蛎の汁が、羊水のように溜まっている。半透明の牡蛎の身がぷるんとうずくまっている。

味付けにレモンや勝沼の葡萄酢を用意したが、無用だった。レモンはレモネードにして飲んだ。

蝦夷バフンウニは、ぷりっと身が引き締まり、濃厚な味わいだった。美味だった。

いずれもインターネットで取り寄せ、ひどい雨の中を到着した物で、友人宅で食した。蟹味噌の甲羅盛りも一人一つ頼んだ。久々に栄養価の高い物をまとめて食べた心地がする。
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by leea_blog | 2009-02-01 00:50 | Comments(0)