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美術館状本棚

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書物に直射日光は禁物。大切な宝物である書物を収めておく本棚には、日よけがわりに美術展のちらし、古井画集の切り抜き等を貼っている。年に一度ほど張り替える。
本棚の内部は、山積み状態である。扉を開けると、崩れ落ちてくる事もある。

お気に入りの本は、保管用と読書用の二冊ある事が多い。活字中毒者であり、フェチでもある。

扉付きの本棚に入れてもらえる本は限られている。大半は、壁際に山積み、クローゼットの下部に山積み、段ボール箱に入れて山積み、である。

本棚に自分の詩集があるかというと。溢れる本棚に入れるスペースが無い。自作は適当な場所に置かれる運命である。無論、自作が入手困難本になったあかつきには、特等席入りするだろう。
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by leea_blog | 2009-03-31 22:58 | Comments(0)

勝沼ぶどう郷 葡萄の丘   ワイン試飲皿

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ワイン試飲皿

「家出のすすめ」という書物が寺山修司にあるが、私は「プチ家出」を大いに奨めよう。
心労は万病の元。場所を変えて免疫力と自然治癒力をアップ。まめにやるべきである。
道に迷う事も必要だ。

甲州は勝沼ぶどう郷、ぶどうの丘の地下ワイン蔵にて、ワインを飲んできた。
勝沼周辺にはあまたのワイナリーがあるが、ここは地元のレアワインが飲み比べられて、おすすめである。
薄暗い地下で、樽に置かれたワインのラベルを確かめながら、銀色の器で飲むのは雰囲気もいい。立ち飲みワインバーのようである。試飲という名目で、「色々なワインを少しずつ飲みたい」人にも適している。

入り口にて、上記写真のような試飲器を買う。1100円。
金属のかわいらしい皿、青紫のリボン付きは、とても試飲に向いている。葡萄酒の色、香りも確かめやすく、手になじむ。お土産にも良いだろう。

同じように見える葡萄酒も、これだけ味が違うのかと嬉しい驚きがあなたを待っている。値段が高ければ美味しく感じる訳ではないのも実感できる。味わいと香り、色の美しさは、生き物の相性のように値段では決まらない。私の大好きな長野県塩尻の「井筒ワイン/コンコード甘口」も、お値段は安過ぎないが高いというわけでもない。

私は知人に教えてもらったアジロン種のぶどうを使ったワインを集中的に試飲した。「井筒ワインのコンコード甘口」の虜になった人なら、きっとアジロン種の虜にもなるだろう。

アジロン種ワインを飲み比べ、これだ!と思ったものを見つけた。五味葡萄酒株式会社製造の、「あじろん」である。肩の痛みに関わらず、試飲で上機嫌になった私は持ち帰る事にした。

電車の中でアジロンを教えてくれた知人とメールのやり取りをした。大学生の息子さんが「鳥の唐揚げ」を初めて作るという。帰り道に立ち寄って、初唐揚げ(縁起物)のお相伴となった。素晴らしく美味な男の手料理であった! 乾杯用に、ワタクシが吟味を重ねたアジロンを提供できて良かった。
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by leea_blog | 2009-03-29 21:14 | Comments(0)

 マグダレーナ Magdlenaのこと 【Leanhaun-shee】 ラナン・シー


揺蘭原稿ととともに、マグダレーナというロックグループのCDが送られて来た。
横山克衛氏からだ。英語版で、歌詞カードが付いてない、歌詞を知りたいけどりーあさん持ってたらコピーしてくれ、という依頼があったのだ。

歌詞カード以前に、知らない。そのグループ。
横山氏はどこで見つけて来たのだろう。揺蘭執筆者はそれぞれ謎が多い。

Leanhaun-sheeという曲のタイトルを見て、心躍った。ラナン・シー、ケルトの強大な妖精族、シーだ! 

パソコンの音楽ソフトが仮死状態だったため、聴けなかった。OSを再インストールした。私にとっては大手術だった。メンテに手のかかるパソコンという機器が無ければ、日常が回らなくなっている。困った事だ。私のパソコン能力は猿以下だからだ。何か有ったら修復できず、日常に差し支えたまま何日もたってしまう事になる。

ようやく聴いた。
どうコメントした物だろうか。音楽のボキャブラリーが足りなすぎてうまく表現ができない。

「妖精族は人間以上、神々未満」「恐ろしくも懐かしい故郷異界」、といった基本認識がワタクシと一致しており、聴きやすい。聴いてると癖になる。癖になるのにカラオケに無い(例によって、だ。ワタクシの知る歌の大半はカラオケに無い)

歌詞にもうるさいワタクシ的には、歌詞がちょっと残念だ。文学とは違うのだから、文句は言うまい。

頭の中で自作の歌詞に変換しながら聴いている。

自作歌詞の歌を、田中一夫氏と作るプランが有る。目標は「モスラの歌」か、そのB面の「インファントの娘」だ。一、二年の間には公開したいと考えている。私は歌唱能力が無い為、誰かに歌ってもらおうと思う。
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by leea_blog | 2009-03-24 20:32 | Comments(0)

揺蘭 オーラロードが



アナログ界まれびと冊子、揺蘭の次号が始動している。

横山克衛氏と天野清二氏からの原稿が届いている。
編集人の西野りーあも、「オーラロードが 開かれた  開いた翼天に飛ぶ」など聖戦士ダンバインのテーマを口ずさみながら、編集基地に戻ってきた。

煩悩即菩提!
仏界入りやすく魔界入り難し!
雑念をどれだけ排除して専念できるかが勝負の時期だ。
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by leea_blog | 2009-03-20 13:02 | Comments(0)

眠るスフィンクス  言葉が生まれる以前の領域にて

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紅のしとねで眠る、灼髪のスフィンクス。
パステル。途中。

アルフォンス井上さんのスフィンクス銅版画が高価の為、自分で描いてみた。
『言葉が生まれる以前の領域にて』シリーズの一つ。
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by leea_blog | 2009-03-17 21:07 | Comments(0)

冬のいとしさ  春の嵐風

レザーの手袋、獣毛の襟巻き、ラメ入りレッグウォーマー。北極鵞鳥の羽毛の布団、絹の毛布、オーストラリアの羊の敷き毛布。これらのお陰で、今年も冬を越せた。けもののエネルギーを分けてもらった心地がする。

毛皮の、暖かげな焦茶色が、重過ぎて見える季節になった。
手袋たちと寝具はまだしばらくお供を願うが。

晴れた日に、丁寧に手入れをして、ハーブの防虫剤とともに屋根裏の休息所に送り届けよう。来年また逢いましょう、いとしい手触りたちよ。
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by leea_blog | 2009-03-16 23:41 | Comments(0)

夢か  

光満ちる梅花
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梅花も椿も、大気も、微光に満ちる。
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by leea_blog | 2009-03-14 00:43 | Comments(0)

月の道ひらく2   パステル

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月の道ひらくシリーズの天霊・人鳥。
パステル。途中。
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by leea_blog | 2009-03-09 00:31 | Comments(0)

【犬の人生】から 「殺人詩人」/マーク・ストランド/ 村上春樹訳

繊細な感受性や美意識・想像力をネガティヴに発現させる、ちょっと痛い人々が入れ代わり立ち代わり登場する、きらめく詩的イメージが秀逸なおすすめ短編集。村上春樹の訳のせいか、現代アメリカの好みなのか、ライトに洗練されている。


収録作品はどれも良いが、個人的には「小さな赤ん坊」と「殺人詩人」が圧巻だった。他の作品では“強度な思い込み”で世界が回るような人々が中心だが、この二つは、強度な思い込みが堅牢の現実と流動し合って美しい。

肩ひじを張らず、現代人が飲みやすいようにポタージュにした、神話伝説の血脈。

「小さな赤ん坊」は、ほんの四頁。優しい妄想が傷つきやすく美しい現実となって独り立ちしてゆく。

「殺人詩人」は、引きこもりの詩人が両親と飼い犬を殺して、死罪になる話だ。だが、社会問題を扱った物ではない。現世と深淵のイマジネーションの問題を扱っていると言えよう。

以下、「」カッコ内は、殺人詩人からの引用である。

詩人スタンリー(主人公の友人)、は、殺人を犯す事で「詩人達の国の一部」となり、さらに死罪になる事で「詩の殉教者となり、紛うことなき聖人となり、彼の不滅性は揺らぎなきものになる」のである。

現代では違法であり原始時代には宗教儀式の一つでもあった“殺人“を、無職引きこもりという一見ネガティヴな詩人に行わせる流れに、詩とは何か、神話的詩人の領域とは何か、といった考察を紛れ込ませて胸を打つ。

 主人公とスタンリーは、青春時代、政府が設立した国家文芸評議会を嘲笑した。「我々のごとき革命的詩人が国家によって正式に認証されるなどということがあってたまるものかと」。

 その後、主人公は評論家として国家文芸評議会のメンバーとなり、スタンリーはますます人目を避けて、詩を書いているのかいないのかもわからない状況になった。

「当時の詩人たちは、いくら苦労して詩作をしたところで物質的に得られる物は皆無だったから、かわりに人々の称賛を強く求めた。そしてもし称賛が手に入らなければ、理解される事で我慢した。(中略)詩人たちの中には漁色に溺れる者もいた。女たちを手に入れることで、自分たちが詩神の琴線に触れることができなかったという事実からしばし逃れられたからだ。でもスタンリーは、どんどん奥に引きこもっていった。彼は救われることも、励まされることも求めなかった。」

上記は一例だが、評議会員や詩人達の俗物性をさらりと描いて、対極にあるスタンリーを際立たせる。マーク・ストランドが、自分の昔からの知り合いのように錯覚しました。いや、ワタクシは俗を嫌いまくっているわけではない。しかし、一般にはびこるトホホな俗物性を、現実として認識することは重要なのだ。そしてそれが、本来詩が発生する場所から隔たった次元だという事も、押さえておかなければならない。

マーク・ストランドの、遥か彼方を射ぬこうとし、人の身の駄目さも暖かく見守る視線には、頭を垂れる。

さて、ある年の評議会は、スタンリーの処女詩集に賞を与えたいが、犯罪を認めるのはいかがか、と紛糾した。素晴らしい作品ではあるが、犯罪を容認する形は取れない。万人が納得する妥協点を必死に考えた主人公は、スタンリーには賞を与えるべきではなく、死罪に処すべき、と主張。評議会の賛意を得る。

詩的探求の一環として両親と飼い犬を殺害するスタンリーもスタンリーだが、賞も命もやらないとは、それが友情か? 賞は欲しいし称賛は欲しいし命は惜しいのが世間というもの。

筋をかいつまんで話すだけでは、読者の皆さんはスタンリーにも主人公にも腹が立つことであろう。

まぁまぁ、読んでご覧なされ。短篇だし。以下を読めば、現世の掟によって殺される事で、スタンリーは神の一人となるかの如し。主人公はユダの如く、それを手助けしたのである。

「それから先は伝説になっている。誰もが知っている。スタンリーが最後の言葉を書いているあいだ、そこに居合わせた私たちがみんな祈りを捧げていたことを。彼が死に向かって歩いて行くあいだ、私たちの何人かは、彼と行動を共にできればと思っていたことを。」


スタンリーが死の直前に書いた手記から、殺害シーンを引用する。
「彼(父)が抵抗したかどうか、記憶にない。私が憶えているのは一種の高揚感だけだ。いまだに正体のわからない光輝に啓発されて、私は恍惚とした解放感をかんじた。そして終わりのない、歌に満ちたいくつものイメージが出し抜けに私の心に溢れた。水盤の水の中に父の頭を突っ込んでいるあいだ、私はよその世界にいた。それから父の水浸しの身体をコンクリートの鉢からぶらさげたままにして、後ろにさがりこう思った。これで私は保留無しの詩人になったのだと。私は伝記的な刹那を超えたものだった。事物の計算式のぼやけを超えたものだった。私は詩人たちの国の一部となった。詩人たちは、彼らの詩を永遠に詠い上げながら広大な平原を横切っていくのだ。」

くらくらと来るではないか。

え?そんなの詩人じゃない? ただの犯罪者だろ、って?
かいつまむだけだとそう見えてしまう。


殺人とは、目を背けるような方法ではある。おまけにスタンリーの手記では、両親が殺される時に苦しんだり恨んだりしていない様子だ。マーク・ストランドの短篇の登場人物の常として、スタンリーも思い込みが激しい訳だが、親子は他人の始まり。息子の手で殺された事について、彼らは猛烈に恨んでいたり、激怒していたり、育てた事を呪っていたり、屑野郎と罵っていたり、スタンリーが霊界に来たら絞め殺してやる、と手ぐすね引いている可能性は大だ。
なぜなら、彼の両親が彼の思想を理解するような精神を持っていた事を匂わせる描写は無いのだから。

表面の形態ではなく、深淵の法則からみれば、スタンリーは臆せずこの世での役割を見事なまでに達成したのだ。われら人間は、広大なもののほんの一部である。

「私は伝記的な刹那を超えたものだった。事物の計算式のぼやけを超えたものだった。私は詩人たちの国の一部となった。詩人たちは、彼らの詩を永遠に詠い上げながら広大な平原を横切っていくのだ。」

何と美しく的確な表現だろう、と、読み返してしまうのだった。
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by leea_blog | 2009-03-05 20:15 | Comments(0)

ブログで木を育てる

 右欄外の苗にご注目。
ブログの記事を書いて行くと成長するそうだ。
大きな木になれば実際に植林されるとの事。
AngelAidの小原氏から教えてもらった。
さっそく当館にも一本、貰ってきた。
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by leea_blog | 2009-03-04 20:22 | Comments(0)