<   2010年 01月 ( 17 )   > この月の画像一覧

リメイク   和の工芸  着物と帯の魔境

帯をコルセットに仕立て直したサイトを見た。

美しさにくらくらした。
「ほ、欲しい。貯金しなくては」と激しく思った。

が、よく考えて見ると、私にとって、それがコルセットである必要は皆無なのだった。
「普通に帯でいいじゃない?」という意味だ。

リメイク用の帯、つまり難があるので解いて再利用するようなUSED帯を、ネットオークションで探した。

とてつもない美の世界が広がっていた!

まばたきも、息を吸うのも忘れた。

この魔境は、過去、経験がある。

着物屋の前を通りかかって、うっかり眺めてしまったのが運の尽き、店員に言葉巧みに着物の展示即売会に誘われたのだ。当時、辻が花染めの事を調べていたワタクシは、見るだけならタダだと出かけて行った。

百万単位の、凄まじく美しい作家物の着物を散々見た後は、10万単位の着物がただ同然の安値に錯覚されて、カードで支払い、、、、、、、、、。

後で我に返り、「この、人格破産者の狂人め、そんなに美しい着物が好きなら遊廓にでも身売りしろ」、と自分を叱りつけた。着物屋に出向いて一部をキャンセルした。

私は着物を着る生活をしていない。自分では着られない。それどころか、畳み方もわからない。そんな人間が大枚を払って着物を買うのは、身分不相応にも程がある。

それでも、伝統の技が紡ぎだす美しい布の世界は、魔窟のようにワタクシを誘惑した。いやぁ、もう、道楽にしても値段のケタが違う。畳み方も覚える気が無いなら、最低限のメンテナンスすら出来ないと言うことだし、近寄ってはいけない世界だ、と、渾身の力でずりずりと身を引き離した。

すっかり忘れていたが、一度は魔境に落ちかけたのだった。

パソコンの画面を通して見るだけでも、身体に掛かる絹の重みが想像されて、ぞくぞくする。
図案職人や染め職人、織り職人が吟味に吟味を重ね技を注ぎ込んだ代物には、人の心の原始的な部分をわしづかみにして引き寄せる力がある。

魂を削って注ぎ込んだ、作品なのだった。
[PR]
by leea_blog | 2010-01-30 14:25 | Comments(0)

金閣   家が売れない時代に欲しい家とは


e0016517_20363980.jpg

マンションが売れないそうである。
不景気だからね、というだけではないと感じる。

大したデザインでも何でもないのに、高すぎるのだ。
自分の暮らし、自分の時間に気を回すようになった現代では、当然かとも思われる。

良いものをより安く、沢山のデザインや色彩の中から自分に合ったものを。
食や衣がそういう流れなら、住にもそうした流れが来ているはずだ。

以前、海際のマンションを買い損なった。
抽選に外れたのだが、当たっていなくて良かったと今なら思える。
ローンがべらぼうなのだった。払える訳ないじゃん、という金額。
いやぁ。定年後は家賃を払えなくなる、という事だけは疑いようも無い事実である。収入の有る内に、何とかしなくちゃいけないのは、分かっている。が。高すぎでしょう。

それはおいておいて。
暮らしたい家なら、多少頑張っても、人は払うのではないか。

たとえば、金閣の舎利殿。
一階は寝殿造り、二回は書院造り、三階は寺院の造り。
金箔を貼る必要は無い。そういう家が売りに出されれば、ダッシュで駆けつけるだろう。
「冬は寒そうですね」とかいいつつ。
不動産屋の営業は「日本の家屋は、夏を快適に過ごせてなんぼですからねぇ」等と応えるのであろう。想像するだに「まっとうな」会話である。

それが、普通のマンションだと、そういう真っ当な会話にはならない。
風の通り道や日当たりなんて考えて建てている訳ではないし、日本の湿度の高い風土がどうたらなんて考えて造っていないのである。

プチ京都御所風やプチ桂離宮モデルでも売り出せば、消費者の反応も違うのではないだろうか。

写真は京都府のHPから拝借した。
[PR]
by leea_blog | 2010-01-27 20:32 | Comments(0)

硝子玉遊戯    ささやかな悪徳 

悪徳の館にようこそ。

いや、悪徳なんぞと大げさにいう程のものではないんですがね。
奥さん、みんなやってることでさぁ。
ほんの少し、本能を解放して人生に活力を与えるだけ。
嵩は少なくとも、人生の疲れも吹っ飛びまっせ。

効果の程は、人によってまちまちですがね、
おっと、「神よ悪より我を守りたまえ」って、
信じてもいない宗教にすがってどうするつもりですかい。

顔を背けても無駄でござんすよ。
ほらほら、これをごらんなせい。

と、まさに悪魔の如き商人の硝子の箱から、
買ってしまいました、硝子の玉。


金やプラチナなら売り払えるが、硝子玉にこんな値段を払わせるなんて、
悪魔以外の何であろうか。

バカラのチョーカー。
まことに美しくはあるものの、天然石ですらない、正真正銘の硝子である。
掛け値無しに、硝子。

タンタシオン。
まさに誘惑の果実。
昼間は薄青に、電灯の明かりの下では紫に、色を変える。
そんな物欲しければ、アレキサンドライトでも買っとけ!と自分に言いつつ、夜店の玩具のジュエリーの大人版として、うっとり見ほれてしまうのでした。

まったく、業なものでございます。
[PR]
by leea_blog | 2010-01-25 20:45 | Comments(0)

吸血鬼 —手あかと月並みからの解放—2

さて、先程の記述に欧州吸血鬼連盟から密かなお叱りを頂いた。

領主階級を働かずに遊んでいるかのイメージで語って欲しくない、とのことである。
領主階級は領地の経営者。結構な労働であり、豪奢な暮らしも「体裁を整える」為に必要だからであって贅沢心からではない。土地が富めば戦を仕掛けられるリスクも増え、血縁者からは地位を窺われ、暗殺の危惧に曝され続ける。恋愛などはもってのほか。領地と金銭の為に愛とはほど遠い結婚を強いられる。
たまに生き血でも飲まなければやってられない、とのことであった。

うむ。まったくその通りである。
「お疲れさまです」と、すっぽんの生き血でも注いでお渡ししたい。

現代的には、むしろニート階級の方が吸血鬼に適している。
引きこもっていても「うちの子はニートでねぇ」と親が吐息交じりに語れば、世間からの突っ込みもそれ以上入らない。ひ弱で内弁慶なタイプゆえ、他人を襲って生き血をすするとは誰も思わないから、捜索の手も入りにくい。昼は寝て夜に行動する、という、手あかの付いた吸血鬼生活をしても不審に思われない。


意表を突くと言う意味での追加。
相撲取りの吸血鬼。
厳しい稽古と陰湿ないびりに耐えながらのし上がるのは、吸血鬼のイメージから遠い。
身体的な特徴も、吸血鬼のスレンダーなイメージとは裏腹。
吸血鬼ハンターを「どすこーい!」と返り討ちにし、獲物の首に「ごっつあんです!」とかぶりつく。
[PR]
by leea_blog | 2010-01-25 00:15 | Comments(0)

吸血鬼 —手あかと月並みからの解放—

知人が某SNSで、吸血鬼らしからぬ吸血鬼小説を読んだと書いた。

手あかのつきまくった、月並みなイメージが無く、新鮮だったらしい。

確かに、吸血鬼にまつわるイメージは、作者がどれほど創意工夫をしようとも、どうにもワンパターンな部分を踏襲せざるを得ない。

私が子供の頃、妖怪になるのなら吸血鬼か化け猫が良いと思ったのも、吸血鬼=城に住んでいる=非生産的な生活=豪奢のイメージが有ったからだ。

額に汗して働くイメージや、貧困のイメージがあまりない。
貧困層の吸血鬼なら、すぐ村人に見つかって退治されてしまいそうである。

他人の血をすする行為には、他人を搾取して生きる富裕層の生き様も二重写しになっているのだ。
吸血鬼が生き抜く為には、それなりの頭の良さも必須である。

思いきり意表を突いて、
チャキチャキの江戸っ子、長屋住まい、その日暮らし、昼間は車夫として肉体労働している吸血鬼、というのはどうだろう。博打で負けて金が払えなくなると吸血行為をして踏み倒すセコさ。鉄火なおかみさんと餓えた乳飲み子付き。

あるいは。
痩せた土地で小作農をしている農夫の吸血鬼は。
昼間はみのりの少ない土地を耕し、作った米は年貢に持って行かれ、野草の根っこが普段の食事。ただし、飢饉の時にはなぜか彼の一家だけはいつも生き延びる。

後者はいかにも有りそうだが、わざわざ吸血鬼に設定しなくても、食人鬼あたりで充分だろう。
吸血鬼に設定する必然性が無い。

吸血鬼物が好んで書かれるのは、血にまつわる暗黒の陶酔、人外の快楽も魅力の一つだからだが、そうした快楽の予感が無いと、普通に食屍鬼、食人鬼になるのである。
[PR]
by leea_blog | 2010-01-24 16:28 | Comments(0)

発熱対策&プチお籠もり

今日は、桜の咲く季節並みの暖かさだったという。

風邪で悪寒のする私には寒いのか暑いのかわからない。

仕事から帰ると、温泉たまごを作り、安物のブランデーをストレートで飲んで、湯たんぽを抱えて北極鵞鳥の羽毛布団に潜り込む。

乾燥している冬のこと、風呂に入れないのは気にならないが、髪を洗えないのは気にかかる。髪は、不衛生な感じにべたつきが出てくるのだ。

咽喉を焼く感触とともに降ってゆく安ブランデーは、消毒と気付けを兼ねた感じで心地よい。高級ブランデーでもいいのだろうが、風邪引き中は味などわからないので安酒で充分である。

ムートンの敷き毛布に腕をすり付けながら本を読む。
【ラテンアメリカ短編集  遠い女】(国書刊行会刊)。

「奇想の王国、物語の楽園」と帯に有るが、期待した私の負けだった。

他社から出ているラテンアメリカ短編集で「グァテマラ伝説集」という凄まじいまでに美しい文章を目にしたことのあるワタクシは、それと同様の物を期待してしまっていたのだ。

表紙の、ポール・デルヴォーの絵も、期待度を煽った。

あまりの「普通じゃん」度に、気分は轟沈した。
[PR]
by leea_blog | 2010-01-20 22:22 | Comments(0)

日本が誇る温泉文化!  木造御殿の顛末など

プチ・ピンチである。
旅先で発熱して寝込んだのだ!

身体の弱いワタクシは、旅先で寝込むこともままある。
記憶に新しいのは、諏訪の寺で猫にじゃれつかれた傷が元での発熱だ。
抗生物質があれば一発で治るのに、と歯がみしつつ、健康保険証を持ってきてない我が身を呪った。
まぁ、砂漠で寝込んだ経験も数あるワタクシ、日本語が通じてキャッシングも可能な場所での発熱などトラブルに入らない。

今回も、インフルエンザならアウトだが、熱はまぁまぁのまま推移、温泉から仕事に直行した。

さて。地震騒ぎで大変だった伊東温泉だが。
昨年は頻発した地震の影響で、伊東線も止まった。電車が止まるのは困るが、私が子供の頃から大規模な東海地震は懸念されていた訳だし、来るのは間違いないがワタクシ等が生きている内に来るかどうかは定かではない。地球の活動からすれば、人間の人生などまばたきをする間以下である。

そういう訳で、結構人出も有った。
ただし、もともとそれほど賑わっている場所でも無いので、商店街にシャッターの降りた店が並んでいたりする。

今回は、山喜館という古い木造建築旅館に泊まった。
近くにある東海館(写真)は、現役を退いて観光名所と化しているので、木造三階建ての古い旅館に泊まれたのは嬉しい。三階に上がると、絨毯も敷いていないまっすぐな廊下が彼方まで延び、窓からは伊東の海が見晴らせる。

各部屋の入り口の上に、小さな模造屋根がついており、部屋ではなく、家屋が並んでいるかのように見える。
床の間は奥行きもたっぷり有り、床の間の隣りには、雲を模した違い棚が。
ピンと張った障子は、夜ともなれば暖かい光を外に洩らす。

六畳の部屋だったが、窓際のスペースと入り口の控えの間、床の間などで空間を上手く使って有り、手狭さを感じない。

竜宮、竜宮、と呟きながら障子を閉める。
障子に手を掛ける部分は、かなり下にあって、前屈みにならないと開け閉めできない。
前屈みになって開け閉めすると、やって見ればわかるが、静かで品のある動作となる。

それにしても、畳敷きの二畳ほどの控えの間だが。
これは何に使うものなのか。
貴人のお供が、寝ずの番をするためのスペース?
いつも控えの間を見る度に、横にならずに槍や刀を持ったお供が番をする場所にしか見えないのだが。

いや、平安時代じゃ有るまいし、旅客は一般の人たちだ。
部屋に出す料理などを置いて、運び込むのをスマートかつスムースにしたものか?

ラフカディオ・ハーンの「日本の面影」にあるように、すべてがやや小振りの造りである。
小振りなのに圧迫を感じさせない、小宇宙のようだ。
無論、現代人と往時の日本人との平均身長の差もあるかも知れないが、それを差し引いても、茶室に見られるような美意識を感じる。

おっと。
人によっては「ただの古い旅館」にしかみえないので、要注意。
木造の廊下を歩くと、踏み抜きそうな部分もある。

昨年末の地震では、ホテルの壁が崩れたとの報があった。
びくともしない木造三階建てに、失われた日本人の知恵を見る。

ところで!
伊東では柑橘類が安かった。
一袋二百円で新鮮な柑橘類が並んでいるのを見て、今回は蜜柑狩りは見送った。

e0016517_2144730.jpg

[PR]
by leea_blog | 2010-01-18 21:11 | Comments(0)

冬の海そして温泉

日本が誇る温泉文化!
昨年末の地震騒ぎで大変だった伊東に出かけます。
地元産業の活性化の為&、木造三階建て旅館保存に寄与する為。

というのは勿論嘘では有りませんが、第一には、OL活動を維持する為のプログラムの一環であります。
「また温泉かぁ。いいなぁ」
と思ったあなた。
仕事の為の体力維持&精神衛生の為のプチ旅行なんて、正直面白い訳でも無いのです。事務的もいいところです。。。。。。。生活費を稼ぐ為の、心身のメンテなんて、そんなものです。。。。。本当に行きたくて行くと言うより、来週頑張って出勤する為ですから。。。。。。

本心は「その金で新しい炊飯器買いたい。その金で新しい複合機買いたい。揺蘭の豪華版を出したい」なのでございます。

とはいえ。ぶつくさ言っては精神衛生によろしくない。
空気の良いところで次号【揺蘭】の原稿書くぞ!と、ポジティヴシンキングを開始します。
海際の風を吸い込んで、歩き回りながら構想を練るぞ〜。

電車の中で読むべく、書物をセレクト中。
[PR]
by leea_blog | 2010-01-16 00:23 | Comments(0)

話のすり替えそして要点をつかむ能力の事

政治家の金の流れがマスコミを賑わしている。

小沢氏だけではなく、いつも感心するのだが、話のすり替えをとっさに出来る能力というのは、見ていて感心する。

「え? そういう話をしているんじゃないだろ?」というズレた回答を、普通の会話の如くにこなすのは、才能と鍛練の賜物だろうか。

一般に、相手の話の要点を自動的にまとめながら相手の話を聞いているものだ。要点をつかむ→誤魔化す為のズレた話にするネタを何パターンか抽出する→選出、と、結構複雑な頭の働きを要する。普通のひとは、とっさにズレた回答ができず、沈黙で誤魔化すわけだ。

人前に出てなんぼのお仕事の人たちは、その辺は大変処理が上手い。
あるいは、元々嘘つきな性格。

ワタクシのように末端のお仕事をしていると、色々な事態に対応する為に、話の要点を把握する力は必須だ。
幻想文学もしかり。要点を押さえないと外して行くポイントが無茶苦茶になるからだ。

話のすり替えが下手な人、慣れていない人がすり替えをやろうとすると、相手を煙に巻くどころか相手を怒らせて鋭い突っ込みを浴びせまくられる。

ワタクシがもめ事の火の粉を被っているくだんの話も、同様の状態で泥沼化している。
「オレの不正は部下の不正、部下の手柄はオレの手柄だよ〜ん」とでも書いて有ればまだ「随分はっきりした人だな」という位に受け取ってこちらもスムーズに話が進められるのだが。

お互いに「嘘」とわかっていることを「真実」みたいに書いてこられると、「猿は猿山へ帰れ。」「日本語の勉強を頑張りましょう」「現実認識能力を身に付けるとお仕事もはかどるでしょう」等、返事を書きそうになるのである。

しかも、出身県を問われて年齢を応えるかの如き頓珍漢ぶりなのである。
頓珍漢という言葉も、ルビ振らないとわからないんだろうなぁ、きっと。
挑発してるのか本当に猿なのかも、ちょっとわかりかねる。

そういうわけで、政治家の詭弁や嘘は、「プロだなぁ」と感心することしきりである。
[PR]
by leea_blog | 2010-01-14 22:50 | Comments(0)

月ノ石    トンマーゾ・ランドルフィの幻想物語

読み終わるのが惜しくて、わざとゆっくり読む本もあれば、今一つ面白くなくてなかなか読み進めない本もある。

最近では、再読も含めるとラフカディオ・ハーンの「日本の面影」が前者。
後者は。トンマーゾ・ランドルフィの「月ノ石」だ。。。。。。

面白いと聞いていたので、ともかく読み終えようと思ったが、なかなか進まない。
文体が今一つだったのだ。推理小説やエンターテイメント小説は、文体より筋、設定が重要だろうが、ワタクシにとって面白い作品=文章が良い、である。

主人公のジョヴァンカルロが詩人でもある、という設定と、時々現れる美しい表現のお陰で読み終わった。
帯を引用すると、以下になる。

【月と山羊と死者たちが、あなたの恋の邪魔をする。怪異と神秘が田園を包む妖しく美しい異色の名作。イタリア文学の奇才ランドルフィの代表作。 】

最後の方は、面白かった。
様々な伏線が、実は伏線でも何でもなく、読者が読みながら期待していた「謎の解明」をあっさり裏切る。
「結局、何だったの? ねぇねぇ」という感じだ。
グルーと呼ばれる村娘の正体は?月ノ石って何? 母たちの正体は?月が五つ昇ったって、比喩?等々。

が、推理小説ではないのだから、謎の解明を期待されても、幻想文学者は困るかも知れない。

稲垣足穂の作品に「結局それって何?」というのと同じだ、と気付いた。

主人公と山羊足の村娘が夜明けに山から戻ってくる時の、村娘の歌が、歌と言っても詩の形で紙面には表現されているのだが、良かった。そしてそれが良いと思えるのも、頑張って最後まで読んだお陰である。

(原文ではきっといいのかも知れない、と推測できるような詩で、日本語で書かれたものとして見たらば、勿論あまりよろしくは無い。。。。。。)

言いえぬ物を、ともかく提示し、解決を求める頭の狭さに気付かせる作品。
[PR]
by leea_blog | 2010-01-13 23:12 | Comments(0)