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ネイルアート/デコ盛りの華麗

マクドナルドでカフェオレを飲みつつ、本を読みつつ、煙草を吸っていた。

土曜の昼下がりで、混みあった店内。隣に女性二人連れが座った。

本に落とした目が、斜め向かいから射すきらめきを捉えた。

隣の席の子と向かい合って座った子の指先に視線が吸い付いた。

かなりの長さの付け爪の一本一本に、水晶色の大きな模造宝石や、小パール等を盛り上げてあるのだった。

長方形の偽水晶は、無造作にこぼれ落ちた様を装って、どの爪でも縦線が平行にならないように盛り上げてある。

凄い。

これでは、家事はおろか、シャンプーするのも髪の毛が引っかかって大変だろう。
大変だろうというより、無理だろう。。。。。。。それどころか、ストッキングはく時や、服のボタン留める時、どうやってるの? トイレの時、大丈夫かな。

異国の王族が、身の回りの世話を自分でしなくとも良い身分であることを示す為につけた、長い付け爪を思い出した。

これはまさに、ストッキングをはくのも他人任せにするしかないほどの、指先がたわわで重たげな、実直な生活感覚をはらりと振り落とす、光の美だった。

「おぉぉぉぉぉ」と、心の中で感嘆した。

本を読みつづける振りをして、斜め向かいの子を照査した。
髪は繰り返されるカラーリングの結果として、化繊のようにぱさついたストレート。
まつげは、つけまつげを重ね付けしているのだろうか、一本一本のまつげの間がほとんど見えず、セルロイドの薄板を貼り付けたよう。

昔のセルロイド人形の、横にすると目を閉じ、立てにすると目を開けるタイプの人形の、庇のようなまつげを思い出した。総じて「やりすぎ」なファッションである。

付け爪だけは、色彩の統一感といい、デコレーションのセンスといい、非実用の美、癒しを放射して生きにくいこの世の塵を払おうとでもするかのように、「やりすぎ」が成功していた。

いいなぁ。
心中吐息を付いた。

爪は、鏡を見なくとも、自分の目に入る。
ネイルアートは、携帯用カラーセラピーのようなものだ。
他人の為ではなく、自分の為に、無言で光を照射する、十本の指。

ストレスの多い時代に、自分自身の為に必要とされる、爪の先の色彩。

普通のOLじゃなかったら、私も彼女同様の、オブジェのようなデコ盛りを、すくさまやっていただろう。

おもわず、じっと自分の手を眺めた。
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by leea_blog | 2010-02-28 01:02 | Comments(0)

「ふだん着物のたのしみ方」 きくちいま著/十二単は着られても

有職故実関係の書物は、沢山持っている。

時代衣装の着付け、仏像の衣装着付け、髪形の変遷、その他諸々、写真と図解入り。

古典を読むと、ささいな知識が有ると無いので、味わいが違ってくる。
(知識無しでも、気になったら古語辞典で調べて行けばいいのだ。)


そんなワタクシであるが、現代の着物の着方が分からない。

実家から救出してきた親の着物に風を当てたはいいけれど、畳み方がわからない。
時代衣装の着付け本や、着物のリメイクの本は沢山持っているのに。
何ということだ!

と、いうことで、蔵書の山から取り出してきたのは、「ふだん着物のたのしみ方」(きくちいま著)である。

タイトル通りの本である。

「まぁまぁ、姐さん。和服に対して親の敵を見るような目を向けるのはどうなんすかね。
敵視するのは、おのれの内なる浪費癖であって、和服に罪はございませんぜ。
へっへっへっ、まぁこれでも読んでお気を楽になされませ」
と、いう理由で買ったのではなく、単に作品資料の一つ、初心者向け、ということで買った本だった。

これが、着付けや畳み方が書いてあるばかりではなく、日常を着物で過ごしているという著者による、「着物にまつわる高い壁」をあっさり壊して見せる、「お手本」本なのだった。

現代の着物が、衣をたのしむ物ではなくなった点が、若い頃の私の着物離れの原因の一つだった。
「晴れ着」という「制服」に、胡散臭いものを感じずにはいられなかったのだ。
制服で、おまけに拘束衣だよね、あれ。
ガウンみたいに着たら、うるさいおばさん達に睨まれそうだし。
(着物離れは、実家が裕福ではなかった、親が洋物かぶれだった、というせいもあるが)

若い人の間で衣を自由に楽しむ気配が復活している「浴衣」。
そのお陰で、着物の「こうあるべき」論もだいぶ和らいでいる。

著者の姿勢に共感できるのは、著者が着物にまつわる「こうあるべき」論に困惑しつつ、自分の生活スタイルを通しているからだろう。

着物で生活して困ることなんて、選び方次第では、ほとんど無いのである。
仕事に着て行けないのは困るが、私の普段着で仕事に着て行ける物など、ほとんど無いから同じことであろう。

著者が奨めるのは、「着倒し用」の着物を持つこと。

うむ。確かに。

親の着物で練習するのは気が引けるので、ネットオークションでジーパン程度の値段でUSEDの大島を入手した。

ちょっと練習してみます。
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by leea_blog | 2010-02-24 22:16 | Comments(0)

大組織での仕事のストレス。。。。。。。。


揺蘭の締め切りをそろそろ決めますぞ〜。

正月明けからこれまで、ストレス過多で、薬の量が増えている。
自宅に帰っても苛々が収まらない。

自分の不始末を部下のせいにしまくり、上部には捏造話を奏上する管理職が複数いるのだが、
そうした人たちは息をすうように嘘をつく。

近所に射撃場でも有れば、射撃の訓練に行って気分をさっぱりさせることも出来るのだが、射撃場等この辺では聞いた事がない。

タイのバンコク辺りで射撃ツアーを拾い、撃ちまくった後、マンダラスパでマッサージしてもらえば、
軽度の鬱なら改善しそうだ。
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by leea_blog | 2010-02-24 00:46 | Comments(0)

箱根宮の下温泉・富士屋ホテル/  豪奢の混交

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箱根の富士屋ホテルに出かけた。

知る人ぞ知る、豪奢な建築物だ。

人によっては、「ただの古いホテル」にしか見えないだろうが、美術館に泊まるようなもので、あちこちに贅を尽くした職人技が残っている。

神社・仏閣、異人館を混交したような、ほとんど「異様」に近い建物群である。

無理、無駄、ムラを省くのが現代の合理的な精神なのだろうが、言い換えれば贅や豪奢は、まさに「無理・無駄・ムラ」。どうでも良さそうな所にしっかり凝るのは、金と時間が、単純に数値に置き換えられなかった時代の、余裕の残映でもある。

そういう場所は、ワタクシをほっとさせてくれるのだ。

写真は、宿泊したフォレスト・ロッジ五階の部屋から見える景色。
左下、西洋館。右下、花御殿。左手奥の塔のある棟、ホテルのメインダイニング。
(撮影BY同行の人妻)
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by leea_blog | 2010-02-21 21:42 | Comments(0)

美の毒杯  耽美の罠


昨日書いたように、気に入らなかった蔵本が売れた事は、
本当にありがたい。

が。ワタクシは本を買うのも元々吟味に吟味を重ねるタイプだから、
ほとんどの蔵書は「手放し難い」のである。

それでも、出品相場等を見ている内、自分の持っている本に高値が付いていたりすれば。
ああ、また生活の為に価値あるお前を売るのか、と悲嘆に暮れ、身を切られる苦痛を覚悟するのだが。

ホーリー・ワーバートンの眩暈がするような美しい写真集も売りに出している。
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by leea_blog | 2010-02-18 00:17 | Comments(0)

無くて七癖  浪費を戒める為に浪費すること

昔のひとは上手いことをいうものだ。

過日、旅先でも呉服屋を見ると入って、買ってしまう人の話に触れた。

他人様の事をとやかく言えない。

ワタクシは、旅先でも古書店が有ると入ってしまう。
他人様から見れば、まさに「東京でも買えるのに何やってるの」と見えましょう。

いやいや。絶版本はね、人との出会いの如く、「出会い」なのです。
ここでお目にかからなかったら、今生では二度とお会いできないしろものが、沢山有るのでございます。
猟銃を担いだ狩人の如く、一見代わり映えしない森の様子を、詳細にかぎ回っていたりするのは当然のことなのでございます。

何週間も獲物の影さえみえずとも、粘り強く機会を待つのでございます。

と、現代では、インターネットの検索機能も充実して、金さえ有れば高確率で絶版本も手に入るようにはなりました。金が有るとはとても言えない身分ですが、絶版の蔵書を古書店に売るより高値で売る事も出来、ありがたい世の中です。

過日、期待度が高かった割にとてつもなく「普通」だった「遠い女」が売れました。
いつもは「わずかな金の為に、価値あるお前を手放すワタクシを許しておくれ」と、
悲嘆に暮れながら発送するのですが、愛着の無い蔵書が売れると、本当に嬉しい物でございます。

日本の伝統技能の美、帯にくらくらとしかかった自分を戒める為、
蔵書を何冊か売ったお金で、腕時計を買いました。

腕時計が今まで一つしかなかったので、不便で仕方なかったのです。
実用に向く物を買って、頭を現実に戻し、次号の【揺蘭】発行の準備に入りたいと思ったのでした。

届いた時計は、想像したより美しく、腕の上下の加減で黒い文字盤にきらりと光を放つ黄金の点が、
まるで夜の闇の空にわずかに輝く星の如し。三時と六時と九時を現す位置に三つだけ、金色の微細な四角錐が置かれているだけで、文字盤に数字は並んでおらず、まことに深い夜の空を覗くような、爽快な気分になるものでした。

見る内に脳が甘くしびれて、この世の憂さも少しは晴れる心地です。
そんな気分も、何日持つのやら分かりませんが、明日は明日の風が吹く、と、にっこり酒を傾けているのでございます。
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by leea_blog | 2010-02-16 22:52 | Comments(0)

人肌のぬくもり/平知章の日記  「さざなみ軍記」井伏鱒二

読み終えるのがもったいなくて読み進め難い本もあれば、今一つ面白くなくて進まない本もある。
井伏鱒二の「さざなみ軍記」は、大いにオススメ本であるが、別の理由で読み終えるのが大変だった。

平家物語の内容を知っているか否かで、読中読後感はまったく違うだろう。
以下は、いわゆる「ネタバレ」を含む。

日記の体裁を取るこの作品は、平家の運命が傾いた頃、平知盛(たいらのとももり)の息子、平知章(たいらのともあきら)によって書かれたという設定だ。

実家から救出してきた本であり、大昔、一度読んだはずだが、すっかり忘れてしまっているので初めて読む心地で読んだ。

電車の中で何ページかづつ読んでゆくと、まともな料理を口にしたときのように、ほっとする。
文章の味わいが、大変良いのだ。

気持ちをくつろげて読む内に、書き手の知章や、生き生きと描かれるその配下達の善良さに心よろめき、
「知章、死なないで!」と痛切に思ってしまう。

平家物語の内容を知らないひとは、
「うーむ、この人たちも壇ノ浦で死ぬのかなぁ」という辺りで終わっている。

平家物語の内容を知っている人は、高名な一の谷の合戦時、知章は父の知盛を逃がす為に討ち死にするのを知っている。

これが書かれた時代は、これを読むほとんどのひとが平家物語を読んでいたと推測する。
というのも、現在より娯楽が少なく、手に入る書物も少ない時代にあって、平家物語はどこでも手に入る一般的な読み物だったと思うからだ。

そんなわけで、「知章〜! 死んじゃ嫌〜」と涙しつつ、読む進むのを苦痛に感じた人は、多かったのではないか。

まだ16歳の知章討ち死には、同じ年ごろの有名な美少年・平敦盛討ち死により悲しい。
敦盛は勝てる訳が無い敵に呼び戻されて引き返し、討たれた。
が、知章は。

貴族時代を過ごした平家一門には、勝てる戦いが出来る将は、知盛と能登守教経くらいしかいない。親の知盛には、息子が目の前で殺されようとも、逃げ延びてもらわなくては困るのだ。親の立場の重さを知って犠牲になった知章は天晴れ花の若武者である。

だがしかし、それは、平家物語でのことで、「さざなみ軍記」を読み進める内、知章の襟首をつかんで引き戻し、逃亡させたくてたまらなくなるのだ。
「君みたいな人は死んではいかん。華々しい戦死には向いていない! 逃げて逃げて逃げまくれ。それが男の生きる花道!」と。

だが、一の谷の合戦は刻々迫っている。ああああ。読むのが嫌だ。
作者が変な気を起こして、「知章は実は死にませんでした。逃げちゃいました」という話にしてくれないものだろうか。天を仰いで懇願した。

作中の知章は、時折「脱走したい」と思うからだ。

平家の使用人の女性達が逃亡し、遊女になった話も出てくる。遊女か! 「そこまでやらないと生きて行けないのなら、生きるも死ぬも地獄でござんすな」、と私は思うが、作中の知章は「そこまでしなければならないとは悲惨だ」とは思わないのだ。

遊女が悲惨でないなら、お前は生きて行けるぞ、知章。身分を隠して男娼でもすればよろしい。いいから、討ち死にはやめなさい。

そうはいっても、歴史物の悲しさ、架空の登場人物ならともかく、知盛を逃がすために討ち死にした知章、という設定はどうしようもない。ああ、井伏鱒二は戦争の愚かさ悲しさをこんな形で読者に伝えようというのか?

一頁めくる毎に珈琲を入れたり煙草を吸ったりして、読み終わるのを先に延ばした。

が!
天は我を見離したまわず!

知章は死なないまま話は進んだ。日記だから、一の谷の戦の当日辺りで打ち切られていると思いきや。
並み居る平家の公達が討ち死にしても、知章は乱戦の外にいた。

持ち場を死守する覚悟でいたが、敵は彼の持ち場には現れなかったのだ。

都でさらし首にされた一門の首の中には、知章の名もあったが、「どうした間違いか」と書かれていたりする。

知章は死なないまま、戦線を離脱し側付きの知将の進言で城塞造りに取りかかる。

ラストの、さりげない描写も、読み終えて腕の産毛がそわそわと逆立つような感慨をもたらした。

さすが文豪! 書く物が違いますなぁ!

これほど淡々とした描写でぐらぐらと来るのは久しぶりだ。

昔、子供のころ読んだのでは、この感慨が無かったのは当然である。こうした奥の深い味わいは、子供にゃわからん。
今が大人で良かった。。。。。。。。
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by leea_blog | 2010-02-14 22:03 | Comments(0)

美の魔窟 怪しの技

さて。

呉服の世界が太刀打ちしがたいのは、風土に培われた技芸であるだけではなく、多数の職人の手になっている部分もある。多勢に無勢。

暗がりからぬっとあらわれる異様な風体の男達。
「金が無い? へっへっへっ。聞こえねぇなぁ」
「生命保険に入れて、受け取り人はわっしらにしとけばええ」
「カード何枚か作って、限度額までキャッシングさせれば訳ねぇよ」

彼らは図案職人、染め職人、織り職人らである。
「師匠に頭の形が変わるまで殴られつづけてようやく会得したこの技、簡単には破れめぇ」
「遠く異邦の僻地まで流浪して開眼したわっしの美意識、天下に敵無し!」
「あまたの落後者を尻目に見つつ、地獄の修業を積んで数十年。美の魔道に堕ちたこの命、たっぷり注ぎ込んだ技を見せてくれん!」

これに、呉服商人が加わったら勝ち目は無い。
「手前どもは磨き抜かれた駆け引きの技にて、お得意様の骨の髄まで舐め尽くす過酷な修業を、氷河の時代から積んでおりますのでございますよ。幻想詩人と来た日にゃぁ、赤子の手をひねるよりもたやすいもんでございますな」

武芸者なら自分の力量がしっかりしていれば、
「その技、見切ったぁ!」と返り討ちもできよう。

が、こうしたものは。
見る目が養われてしまうと、相手の思うつぼにはまるしかなくなる。

「へっへっへっ。姐さんもお目が高い。わっしが桓武天皇の後胤、織り部のなにがしであるとお見破りなすった。ばれちゃぁしょうがねぇ。この反物のためにどれだけの時間と金と技が注ぎ込まれたか、さぁさぁ、お気の済むまで、隅から隅まで、ずずずずいっと、ご覧じられぃ〜!」

目を射ぬく綾錦の光輝!
「おのれ! 卑怯なり」
「笑止、笑止。恨むなら、おのれを恨みなせい」

うむ。全くだ。
「え〜。そんなものにお金を使うなんて、ばっかみた〜い」
と、鼻で笑える人も居るのだ。

滝にでも打たれて出直すとするか。
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by leea_blog | 2010-02-11 20:42 | Comments(0)

忍び寄る麻薬。美の毒杯の事

渾身の力でずりずりと後ずさり、相手の勢力範囲から出た、と思われた、和装の美の世界。

実は、「リメイク用の帯ならお値段も手ごろ」、と、その後もちょくちょく検索して見てしまっている。

しかし。
伝統工芸品の、風土に長年培われた魔境の美は、基督教伝播以降も滅びなかったアイルランドの神々の力のごとし。合理的、実用的な生活基準の圏内にほうほうのていで落ち延びたワタクシを簡単には離さなかった。

お値段手ごろな物を見ている内に、どうしても精緻で恐るべき美がうずくまる代物に目が行ってしまい、だんだん金銭感覚がペケになってゆくのである。

麻薬の売人が、最初はただ同然でブツを提供し、相手がやめられなくなった段階でとんでもない末端価格につり上げるのを思い出す。

インターネットで見ている分には、「これ以上は危険だ」と理性を総動員してブラウザを閉じ、息を整えられる。呉服屋で実物を目にしていたら、懲りずにカード支払いのサインをしていることだろう。

そして、また数日後我に返って解約に行く、仕立てが済んだので今更解約は、と言われる、などなど、同じあやまちを繰り返すにちがいない。

先日、熱海に出かけた折り、旅行客同士の会話が耳に入った。
「××さんは、出かけると必ず買っちゃうんだよね。東京でも売ってるでしょ、っていっても、見ると入っちゃうんだよね」
どうやら、いつも行動を共にしているが今日は参加していないメンバーの話らしい。
「えぇ。また買っちゃったの?」
と、もう一人。
旅先で、呉服屋を見ると入って買ってしまう人の話らしかった。その口ぶりから、その人の習癖は友人達からも「いいかげんにすればいいのに」と思われているようだ。
一つには、旅行に出たのなら東京でも売っているような物に時間を掛けなくてもいいのに、というもっともな点。そして、さして活用しないものが増えているらしい事への、げんなり感。

私は吐息をついた。
居るんだなぁ。麻薬のような力に取りこめられた人。とはいえ、私がその魔力に取り篭められたら、マッチ箱を踏みつぶす(マッチ箱自体死語状態だが)よりたやすく破滅の道まっしぐらである。

経済力の問題だ。

その昔。
日本女性にとって着物は財産だった。
食えなくなったら、着物を質屋に持って行ったり、戦時中は農家に着物を持って行って食料と交換してもらった。

いまでも、久保田一竹の辻が花、等の美品なら、そこばくの金と交換してもらえるのかも知れない。

が、レア物や作家物でもない普通のUSEDの着物は、二、三千円。
ひと月の家賃すら払えない金額にしかならない。

そんなんより、普段着を何とかしなくちゃ、な時代になっても、裕福層から金銭が流入し続ける魔の世界。
それが呉服だ。
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by leea_blog | 2010-02-11 19:54 | Comments(0)

イリアスとうっかり見てしまった映画「トロイ」のことなど

有名なトロイア戦争を扱った娯楽映画「トロイ」。

昔からの「イリアス」ファンのワタクシは、かつて、映画館に出向こうかどうか迷った。
迷って、やめた。ギリシアの勇士、アキレウス役がブラッド・ピットという役者で、ヴィジュアル的に受け付けにくいためだ。猿人にしか見えないのだ。

私はトロイアのファンなので、ギリシア方はどうでもいい。
そうはいっても、アキレウス役にブラッド・ピットを持ってくるセンスが映画全体を貫いていると思うと、金と時間の無駄に思えたのだ。

地上波テレビでやっていたので、うっかり見てしまった。
映画館に出向かなくて正解だった。
原作への愛が無い。。。。。。。

では、ホメロスの素晴らし過ぎる長編叙事詩「イリアス」や、トロイア戦争絡みのあまたの伝説のことは脇に置いといて、映画として楽しめるかというと。映画としてもつまらないのだ。

アキレウスが迫り来る自分の死を知ってなお絶望に駆られつつ戦う、際立った男ではなく、普通の天才的戦闘の達人でしかない。普通の天才。凡庸な天才。強いだけのただの兄ちゃんである。

トロイアの王子ヘクトルも、まぁ、可もなく不可もなしな描かれ方である。

えーと、英雄的な描き方は古い、と、普通の人が感情移入できるように英雄も普通の人に設定したのかな?
普通の人があれだけの事件に巻き込まれるなら、それなりに波乱万丈な描き方も出来るのに。

トロイア方の乙女ブリュセイスがポリュセクネとカッサンドラを兼ねた、思いきり省略した設定だが、ブリュセイスとアキレウスの惹かれあう様も、必然性皆無ではないか。。。。。

文句ばかり言ってもしょうがない。良いところを探そう。
衣装や髪形は懲りまくって、それは楽しめた。
特に髪形は、かなり良かった。
トロイア王プリアモスが、気品のある老王で楽しめた。トロイア王子パリスと駆け落ちするスパルタ王妃ヘレネーも(ちなみに世界三大美人の一人だ)絵的に良かった。アキレウスの念友パトロクロスも、こんなかんじだったんだろうなぁ、と思える美青年振りだった。

うーむ。この映画を作る為の金が私のものだったら、どう作ったか。
そんなことばかり考えてしまうのであった。
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by leea_blog | 2010-02-07 23:59 | Comments(2)