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黄金週間突入/思い出の美化と幻滅

黄金週間だ!
カレンダー通りの休みのワタクシですら、5連休である。

やることは満載だ。
まず、風呂に入る。
放置しっぱなしの髪を何とかする為、美容院に行く。
眠る。
まともな物を食べる。

揺蘭の原稿を書く。
揺蘭の原稿の推敲をする。
揺蘭の編集準備をする。
揺蘭の発行スケジュールを明確にする。
揺蘭表紙を作る。
揺蘭発行の立て替え金を確保する。

運動を兼ねて、実家の片付けに行く。
(電車の中で原稿を推敲する)

そして、今年こそは申請するぞ、
「医療費控除」。

どうしようか迷っているのが、
「母親の見舞い」。

母親に逢いに行って、
実家から発掘した、母の赤ちゃんの頃の写真を見せたい。
今は亡き父との、新婚の頃の写真とか。

とはいえ。
話すことはきっと、
「お母さん。人生は苦痛しか無いのよ。
生きていても良い事は、もはや一切ないの。
後の事は弟達に任せて、
一緒に派手にあの世に旅立たない?
最後だからぱーっと(笑)
世の為人の為になるし」。


こんなことを割と明るく、熱心に老母に説くであろう。
真理を発見したかのように。
福音を伝えるかのように。

実際、福音と私には見えているのだ。

これは、世間的にまずいだろう。

母は、間違いなく、言うだろう。
「そうなの? 大変ね。
お金は残して、一人で逝ってね」

「こんな人を懐かしく思うんじゃなかった」と
腹立たしく思いながら、心の中でまた、「親子の縁を切る」だろう。

そうだ、「また」である。
懲りずに、である。

「本当は良いところも有るのかも知れない」
人間の性は善である、という、おめでたい脳の造りのお陰で、
今までどんな眼に逢ってきたか、思い返すだろう。

自分しか愛さない、自分が宇宙の中心の人と、
コミュニケーションが出来るかも知れない、と、
懲りずに思った自分のバカさ加減に腹を立てるだろう。

これほど身近に、
「大人は基本的に自分しか愛していない」モデルケースが存在したのに、
私はちっとも学べなかった。

やめとこう、母の見舞い。
思い出を美化する為に。
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by leea_blog | 2010-04-30 23:29 | Comments(0)

【呪術としての日常】—針と糸—鉄器として、武具としての針。

森茉莉ではないが。
繕い物が苦手だ。

ボタンが取れても、スカートの裾がほつれても、基本は「放置」である。
スカートのほつれは意外と目だつらしく、
「裾がほつれていますよ」と他人に指摘される為、
しかたなく、東急ハンズで「衣類用接着剤」を買ってきた。

生活習慣の中に「縫い物」という発想が極度に少ない。

これは、繕い物をするより買った方が安い、使い捨て時代のせいもある。
が、昨今は「エコ」の思想が広まってきた。
使い捨ては、地球に優しくない、というのだ。

使い捨ては「もったいない」と考えられた時代の森茉莉だって、
衣類の繕い物をするのが苦手で、夜間、河に沈めに行ったというではないか。
これは、時代の考え方以前に、「その人のライフスタイル・生活思想」がある。

時代といえば。
昔は、ボタンがかんたんに取れたり、裾がかんたんにほつれたりしなかった!
今では、デザイナーズブランドの衣類でさえ、
「縫製」が緩すぎる!
「あのなぁ。これだけの金取って、なに、このいい加減な縫製!
糸は終わりの部分は抜けないように処理しておいてよ!」と叫びたくなる。
デザイナーズブランドだって、縫製は国内じゃないもんなぁ。

そんなこんなで、針や糸とは縁が薄かったが、そうも言っていられなくなった。
着る物が無くなってくるのだ。
いちいちリフォームに出す暇も、無い。

それに加えて。
和服生活を始めた訳だが。

これが衝撃的なのだ。
まず、半襟。
長襦袢の襟など、そのままの地色だとバリエーションに限界があるため、
襟だけ布地を変えて楽しむものだ。
長襦袢なんて外からは襟しか見えない訳だし、襟だけ取り換えて、色彩の妙を楽しもう、というのだ。

合理的で、なおかつ些細な色彩の違い、布目の違いを重要視する、生活の美学である。

それはいいとして。
半襟は。
いちいち「自分で縫い付けなくてはならない」代物なのだった!!!!!!!!

それを知って、私の頭は一瞬、空白になった。
ネットで「半襟」で検索すると、
つまりは「ただの端切れ」だったりもするのだ。
端の処理もせず、単に切れ端〜。半襟と言うより「布の切れ端」。

針や糸を家庭科の時間限定の物と思っている現代人向けに、
ワンタッチ半襟も、存在する。

だが、基本、ディープに日常を楽しむ人は、自分で縫い付けるのが当たり前なのだった!!!!!

一瞬真っ白になった頭に、古代人の姿が浮かんだ。

「良いかい、聞きなせぃ。
針は、基本、日本刀と同じだ。
熟練の職人が、いちいちしっかり焼きを入れ、鍛え上げた道具だ。
石器から青銅器、そして、鉄の発見。
それは、一民族の存亡に関わる重大事だったんだ。
鉄器が行き渡ると、今度は鉄の強度と柔軟性、精度が戦を決める。
日本刀に活かされた技術が、日本の針にはあったんだ。
そうした呪物を、姐さん、おろそかにしていいのかぃ?」

うわっ。
オーダーメイドのナイフにはこだわる私が、うかつであった。

今の針は、百円ショップで買うような、安物の使い捨て、量産品が主流である。
熟練の職人が鍛えた針など、和裁職人しか使って居るまい。

が、「鉄器かぁ」と思うと、確かにおろそかにしがたい。

昔は、針山の中には、人毛が詰まっていた。
針のサビを防ぐ為である。
小学生のころ、それが本当か、家庭科の授業の為に買わされた裁縫セットの針山を破って見た。
当時は、本当に人毛が詰まっていた!!!!

今の時代、人毛は無意味だ。
カラーリング、毎日のシャンプーで、人毛は化繊以下と化している。

人毛の針山に、職人が鍛えた鉄器としての針。
失われ掛けたこみちを整備する気分で、半襟を縫い付けるとしようか。
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by leea_blog | 2010-04-28 20:18 | Comments(0)

疾病保険や人間ドッグ/保険のセールスレディーなど

【揺蘭】締め切りが迫っているのに、世俗の暗い話ばかりで、
申し訳無い。

疾病保険に諸氏は入っておられるだろうか。
高確率で入っていますよね?

ワタクシも友人から
「疾病保険に入っていないなんて!
人間なんか必ず病気になるんだから」
と、もっともな助言を受けて、掛け捨ての安目のヤツに入ったのさ。

給料から天引きされると給料が減った気がして腹が立つから、
年に一度、一括払いにしてましたのさ。
私の業界は、年収が決まっているから、
分割で払おうと一括で払おうと、年内に別の出費を抑えなくちゃならないのは同じ。

既往症には保険は勿論出ませんのさ。

で、先日保険のセールスレディが、
もっと有利な保険への掛け替えを奨めに、
職場に来ました。
良い話だったので、その場で契約、と思ったら。
彼女が持参した契約書は、給与天引き用の用紙で、
一括払い用の用紙を自宅に郵送してもらうことになりました。

セールスレディ様。
詰めが甘いよ。
私は「万一のことなんか考えてられないよ」という家庭で育っている。
元々将来への不安に対して金を出すタイプでは無い。
ノッた時に即座に契約取らないと。

案の定、次の日になるとワタクシは年七万程の保険料が、
馬鹿げた出費に思えてしまい、セールスレディからの督促の電話も無視状態である。

人間ドッグへの出費も同様。
補助が出たところで、自己負担額が馬鹿高い。
一度も受けたことが無い。

ウチの父は、毎年人間ドックを受けていたが、肺癌で逝った。
重要さは理解しているが、あまり信用していない。

癌が見つかったら、たとえ初期でも、仕事を辞めて旅に出るだろう。
近い内に必ず死ぬ病気なら、生活の心配から解放される。
放浪しながら思いきり書きまくるぞ〜、という感じ。

疾病保険だが。
死なない程度の病気になった時が一番困るので、
入っておくと安心ではある。

でもさ。
安心料に年間七万。
高いと感じるか安いと感じるかは、その人の価値観で違ってくる。

「パワハラ上司に当たった時用・ストレス保険」になら、
月額一万円でも入ると思う。
人生がどれだけ悲惨になるかは、「疾病」の比ではない。

ワタクシは金が無くて保険に入るのを渋っているのではない。
傍から見れば無意味なものに、かなりの金額をつぎ込んでいる。

傍から見て無意味でも、ワタクシには保険や人間ドックより重要なのだ。
メシを抜いても、書物と画材は買う。

年収が決まっている為、出費には優先順位を付ける必要がある。
疾病保険に払うより、壊れかけたプリンタをどうにかしないと。
そっちの方が先。
揺蘭締め切りが迫っているのに、このプリンタ、今にも逝去しそうなのだ。

収入や時間には限りがある。
有益に使いたい。

他人には、人間ドックや疾病保険を、
「安心料だと思えば?」と推奨しているけれどね。
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by leea_blog | 2010-04-23 00:41 | Comments(0)

プロレタリアと娼婦と信仰と武士道

先日も書いたが、ワタクシが闘病中との事情は、意外と知られていない。

ウチはやんごとない家系でも何でもないが、
「尊厳にかかわる根本的な侮辱を受けた場合、
習慣にのっとって、相手を殺すか、抗議の死を選べ」と、
遺伝子レベルで刷り込まれている何かが猛烈に叫んでいる。

「殺害もせず自害もしないなら、お前は見下げはてた卑怯者だ」、と。

ところで、ウチの家系だが。
小学生の頃、親に
「ウチは平家?源氏?藤原氏か橘氏?」とたずねた。
日本人は遡れば源平藤橘のどれかが先祖だとものの本で読んだためだ。

大体、家系図が正真正銘か否かと言うと、昔の人は家系に箔を付けたがった為、
学者に依頼してそれらしい物をつくっちゃったのである。
「桓武天皇◎◎代の後胤で」などは
差し障りも有る為、
源平藤橘あたりに遡れば良しとしたようだ。

聞いておくれな、
親は何と答えたとお思いかぇ?
「ウチは平家なのよ」と言ってくれたか?

「ウチはプロテスタントだから家系は関係ないの!」
と、叩きつけるように言われてしまったのさ。
いや、プロテスタントは宗教だから、それじゃなくて、
プロスティチュート。
「ウチはプロスティチュートだから家系は関係ないの!」
世界最古の商売で有名な、アレですか。

違う違う。
プロ、プロ、プロがつくアレ、なんだっけ。
「立てバンコクの労働者」ってやつ。
タイの騒乱の話じゃなくて。
「万国の労働者」。

プロレタリアートだった。
歴史好き小学生のワタクシは、大変なカルチュアーショックを受けた。
ウチの両親は、
「労働者階級がカッコいい」という思想が流行った時代に青春を送った。
本当にプロレタリアとは何か、を理解していた訳ではなく、
完全に 【なんちゃってプロレタリアート】だった。

家事が嫌いな専業主婦の母が、
「働かざる者食うべからず」と子供に言っても、
小学生のワタクシですら
「じゃ、お母さんは食べちゃ駄目なのね」
と即座に突っ込みを入れられるではないか。

父にも聞いたが、
「プロレタリアだから」、と。
「平家の直系でね」とか
「由緒正しきイングランド王家の出」とか、
「先祖はアポロン神だ」とでも言うように、
実に誇らしげに言うのだった。

ワタクシにとって、
身近な「謎の思想」だった。
先祖が、中世の頃何をやっていたとか、
奈良時代には何をやっていたとか、
想像するとちょっと時間旅行をした気分にならないか?
親からみると、ワタクシの好奇心は、
過去の時代の啓蒙されていない時代遅れの考えに見えるらしかった。

「尊厳にかかわる根本的な侮辱を受けた場合、
習慣にのっとって、相手を殺すか、抗議の死を選べ」

これは、ほんの100年ほど昔なら、すべての日本人がそうだった訳ではないにしろ、
正しい行いと見なされていた。

現代だと、「心の病気」と見なされてしまう。

しかし、やはり納得がいかない。
桜の季節に花見に行きたくなるのと同程度の、
普段使わない脳の深部からの声なのだった。
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by leea_blog | 2010-04-22 01:51 | Comments(0)

インターネット不要論?/有用論【脱・痛い人】

周囲に、「パソコンを使わない」、「携帯でもネットにはアクセスしない」、という人が多い。

理由は「別に必要無いから」。

ううむ。
私にはパソコンは生活必需品である。

天気予報も、電車の乗り換えも、銀行の預金残高も、カード使用歴も、苦も無くチェックできる。
とりわけ、銀行口座管理は、昼間のフルタイム勤務者には必須である。

インターネットに関心が無いという人には、
「自己投資と思って一度ははまれ」と言う事にしている。

テレビや新聞などのマスメディア系情報が、
どれだけ情報操作、印象操作されているのかを実感できるからだ。

これは、かなり重要な事だ。
「テレビや新聞の情報操作なんか当たり前だろ」とは言っても、
具体的にそれを指摘できる人は、
テレビや新聞に登場する人か、事実関係の当事者に限られる。

政府要人や経済界のお人、キャリア官僚、犯罪犯した人(または被害者)などなど。

テレビや新聞のニュースは、実に一方的で、
「事実と違うじゃん」と当事者が怒りまくっても、
世間の人にはその声は届かない。

一般的な会社員生活を送っていると、大抵の人は報道の、
何が事実か嘘っぱちかを判断する材料が無いわけである。

インターネットは、世界のどこで何が起こっているか、
海外の情報にも自分で当たれる。
翻訳ソフトを使えばよろしい。

翻訳のそのまた翻訳の結果、すさまじく笑える変な日本語になったとしても、
おおまかな事情は把握できる。

一つのネタも、多角度から「自分で」考えることができるわけだ。

気になる事件の判決やその後の情報も、
本人が発信していたりもする。

もちろん、ネットの情報は、鵜呑みにしてはいけない。
事件の当事者のレポートでも、本当のことを書いているとは限らない。
自分に都合よく事実関係を捏造しているかもしれないからね。

ワタクシなどは、
法廷で真実を言うと宣誓しても、
演技付きで嘘を並べる役人を見たことだし、
(なぜ嘘とわかるかって?ワタクシは当事者の一人で、問題となっている現場に居たからだ。
ちなみに、組織の人間なら、上役に嘘の証言をしろと言われれば、ほとんどの人はそれも仕事の内と受け止めるであろう。)
そして、日常的にも息をするように嘘をつく人種が相当数居るのも理解している。
ネット上なら、対面以上に嘘や推測を事実であるかのように書くやからはさらに多い。
(それを鵜呑みにしちゃう人も多数居るのは理解している)


しかし、それでも。
インターネットで自分で探してみる経験を重ねる内に、
まぁ、理論回路の付いている大人なら、
マスメディアの情報がどれだけ一方的で偏っているかは、
痛切に実感できるだろう。

これは、一般人にとって必要な実感である!

これを実感できないと、一方的な情報を真に受ける「痛い人」になる。

そんなわけで、ネットで馬鹿書き込みやエロ動画ばかり見ていたとしても、
ネットをやっていない人よりは、嘘か真か、あるいは判断保留すべき案件かを「自分で」考える習慣ができてくる。

エロ動画を探すにしても、検索サイトにアクセスするし、
検索サイトは、大抵時事ネタを扱っている。
自然に時事ネタが目に入り、気になったらそれを検索して行く訳だ。

エロ動画検索がきっかけでも、エロ関係は海外の方が過激だから、
海外事情を検索する癖は付く。

そうした内に、「日本国内のテレビや新聞のニュース」に??????と思うようになる。
(そのはずだ、と思いたい)。

そうした訳で、ネットが無くても不自由しない人も多いだろうが、
便利か否かの話ではなく、「人生の内検索しまくる一時期を過ごせ」と、
声を大にして言っている次第である。
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by leea_blog | 2010-04-21 21:51 | Comments(0)

四月半ばのみぞれ/異なる個性との会話

帰りがけに裏口の外で煙草を吸っていると、ドアが開いた。
メールしたいと思っていた同僚が出てきた。
残業を切り上げ、教会コンサートに行こうとしていたのだ。

帰宅ラッシュから外れた時間帯。
いくつもの偶然が重ならないと出くわさない。

これも神のお導き、と二人で飲みに出かけた。

似た感性の持ち主と話すのは楽しい。
全く異なる感性の持ち主と話すのも、それに劣らず楽しい。

信頼関係が有るか無いかで、
似た感性だろうと異なる感性だろうと、
対話そのものが地獄になったり、極楽になったりする。

人と話をする楽しさは、その人の感性で見た世界と、
自分の感性で見た世界が交錯し、
深淵が見えてくることにある。

あっという間に終電間際となり、
夜の新宿を駅に向かうと。
ハイヒールの底に当たる舗装道が、
しゃりしゃりしている。雨はみぞれに変わっていたのだった。

四月も半ばで、二月の陽気か。

地元に着く頃には、
みぞれはシャーベット状に積もっていた。

異常な気候に慣れてしまうのは困る。

それはそうと。
最後の締めに珈琲を飲みながら、
死体愛好者の話や、サディズムの話になった。
私が「職場の人にこんな話していいのかなぁ」と笑うと、
同僚は「昔六本木で散々話したじゃない」と返してきた。

六本木。
クラブがディスコと呼ばれていた時代に、
踊り明かしたけれど。
この人と六本木のどこに行き、何を話したのか、私の記憶から抜け落ちている。

女性オンリーイベに行ったのかな?まさか。
フェティッシュバー? まさか。
六本木で彼女と私に何が有ったんだっけ???????
酔った勢いで一夜を共にした?
それは絶対無い。

後日、聞いてみよう。
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by leea_blog | 2010-04-17 03:08 | Comments(0)

死ね死ね団のテーマ/ストレス多き日常に笑いを


「貴様、それでも日本人かぁぁぁ!」
と、日本刀を振りかざして時代錯誤なセリフを叫びたくなるワタクシを案じて?、
知人が笑えるフラッシュを教えてくれた。

腹の底から笑った!
フラッシュのセンスに。
そして、文学への強度な欲望が戻ってくるのであった。

以下。


http://www.youtube.com/watch?v=ZJ6ezmSfH3c&feature=player_embedded

「レインボーマン」という特撮ヒーロー物に出てくる悪役、死ね死ね団のテーマソングである。

過日、癲狂院に出かける前に、ガス抜きをする必要が有った。
倫理的に問題があるとされる用語を、医者の前で使ってしまいそうだったのだ。
たとえば、吉外。
たとえば、頃素。

いくらストレスで死にそうでも、上記のような言い回しは避けなければならない。
言葉狩りに異議を唱えたい人は別、である。
あぁ、言葉狩りには、ワタクシも異議はあるんですがね。
ワタクシの昔の作品には、問題あるとされる単語沢山入っているし、
その言葉を選択する必然性があるわけです。
深淵からたち昇ってくるのが詩なのですから。

話を元に戻すと。

カラオケ屋に入り、
ぶち殺せとか殺しまくれとか撃破せよとか殲滅だ、とか、
単刀直入な攻撃文句の入った歌をガス抜きに唄おうとしたのだ。

そこで見つけた「死ね死ね団のテーマ」。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね」と、
二行に渡って延々と「死ね」しか表示されない字幕を、
軽い驚きをもって眺めた。


その話をしたところ、知人がフラッシュを見つけて教えてくれたのだ。

しんどい現実を笑い飛ばそうと創意工夫する人たちには頭が下がる。

この歌が作られた時代と現代は、だいぶ違う。
そうしたささいな部分は置いておいて、
シンプルで直接的な、ひねりも無いかに見えてぐっと来るものが、
文字への熱愛を思い出させてくれたのだ。

ありがとう、死ね死ね団。
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by leea_blog | 2010-04-16 00:51 | Comments(0)

オフィス街物狂いの段/癲狂院に行ってきましたわいなぅ

意外と知られていないが、ワタクシは闘病中である。

闘病の成果がはかばかしくない為、先日、部長にお叱りを喰らった。

しかし、だね。はかばかしくない理由の一つに、部長も参加しているではないか。
一年前の今ごろ、捏造事件の当事者の一人、Mとしておこうか、Mに私は会談を申し入れた。

だがしかし。所長と部長と庶務課長にワタクシが呼び出され、
「Mにその話をしに行くな」と命じられた。

Mに、
「いいかげん西野にちゃんと説明して、名誉を回復してやれよ」
と命じるのが筋、というか、ものごとの理、というか、事態収拾に必要というシーンで、である。
別に、日本刀を持って乗り込み
「天誅!」と切り下げようというわけではない。
ともかく当時の事情、幹部達は知っているが私は知らされていない事情を、当事者から聴いて解決の糸口を探りたかったわけだ。


Mとの会談が正常に機能していれば、今ごろワタクシは癲狂院通いから解放されていただろうに。

その場に居た当時の部長は今の部長と同一人物である。
そのお人から「闘病成果がはかばかしくない」とお叱りを受ちゃったわけだ。
怒りたいのはこっちですわ。
個人の事情で寝込んでいる訳ではありませんぇ。
「力になれなくて申し訳ない」位、言ってくれるのかと思いましたのさ。

「一年前にも言ったし、六ヶ月前にも三ヶ月前にも言ったし、もっと頻繁に説明しておりますのさ。
Mの件では、あなたさんも一枚噛んだじゃあござんせんか。阿漕なまねも大概にしておくれな」
と、言いたいのをぐっとこらえて、
人の話を聞かないのは男脳のせいだろう、と必死で善意で解釈し、
原因の書面を再度提示した。

直属の課長に相談しても、
「当時のことは分からないし」と気弱そうに答えるのみ。

事件の当事者は都内の支社にいるんだから、分からなければ支社に電話すれば一発解決。
少なくとも、「事情分かりません」と間の抜けた事は言わずに済むでせうよ。
それを指摘しても、「悪いけどそれは出来ない」。
あのさ、一体どうしたい訳?と叫びそうになりましたのさ。
部下が寝込んでいては困る訳でしょ?
あんたより困ってるのはこっちですのさ。
その辺り利害が一致しているように見えるんだけどね、話が堂々巡りじゃござんせんか。

うむ。
まぁ、そんなこんなで、「頭悪いのもたいがいにせいよ」と言ってしまいそうになるのを我慢している内、
酷い吐き気と腹痛で休んでしまったのですわ。
「貴様、頭おかしいのか!」と言うのを我慢すると、脳がバランスを取ろうとして
「頭おかしいのはワタクシかも。うん、私が頭おかしいから相手が狂人に見えるんだ」
と、無理やりこじつけを始めるんですね。

このところプチ和服生活をしているワタクシは、和服のまま癲狂院に出かけた。
古典的に、笹の葉を引きずって物狂いの状態を表現したいところだが、
その必要も無いくらい、浮いていた。

癲狂院と言いましても、ワタクシ程度の人が掛かる場所でござんすから、
想像を絶するお客さん、いえ、患者さんはおりません。

二週間に一回行けば済んでいたものが、一週間に一回の通院になってしまいました。

お代の心配をするワタクシに、先生いわく。
良くなってから訴訟をすれば慰謝料で医療費くらい返ってきますよ。
おお。これは稀に聞く心強いお言葉。
実に理性的で筋の通った発想。
理性的な思考を持つ人間に餓えていたワタクシは、週一通院を約束し、明日は頑張って出勤するぞ、と天を仰いで誓ったのでありました。
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by leea_blog | 2010-04-13 23:24 | Comments(0)

人の生活/死後の整理など

ただでさえ時間が無い時期だが、
借り手が見つかりそうなので、実家の片付けにさきたま県まで出かけた。

私が一人暮らしを始めたあと、母が一人で住んでいて、
その母もある冬突然倒れて施設暮らし。
長期間誰も住んでいない。
荒れ放題。

いきなり生活者が去った実家は、さながらポンペイの遺跡の如し。
直前までの生活の跡が、くっきり残っている。

私が居た頃から開かずの間となっていた部屋の片付けに着手した。
片付けと言うより、発掘作業だ。
写真や父の原稿などを探しながらの作業である。

開かずの間は、スーパー等のビニール袋が大量に積み上げられていた。
「蜘蛛の卵嚢」状態。
袋の一つ一つに何かが入っているのである。
ゴミとして積み上げられたのではなく、保管の為にやっていた事らしい。

不透明な袋を何枚も重ねてしまい込んで有るので、一つ一つ開けて中身を確認する。
腰が痛い。
それはそうと、生活していた母は、どの袋に何が入っているのか把握していたのだろうか。
多分、「否」である。

買ったは良いけどほかのものと同じような袋に入れて積み上げた為、必要とする時に見つからず、また同じものを買う。そしてそれをまたしまったは良いけど、前回の教訓を全く活かさず、同じような袋に入れ、また。。。。。
そんな事をやっていたらしい。

大量のゴム手袋、大量の未使用スリッパ、大量の未開封爪切り。

実の親だから「ゴム手袋フェチ」でも「爪切りフェチ」でも、「スリッパ収集家」では無くて、上記の理由だろうとわかるが。これが、他人の家の片付けだったら?

掃除人1「ここの奥さん、ゴム手袋フェチだっかのかなぁ」
掃除人2「爪切りと毛抜きも、一人しか住んでないのに多すぎるぞ」
掃除人3「未使用のスリッパが呆れるほど多いな。大勢の来客が来る予定だったのかな」

ワタクシが突然倒れて帰らぬ人となった場合。
ウチの兄弟は業者に頼んでまとめて捨てるだろうが、
業者が見ても、「見苦しい」ものは普段から気を付けて捨てておかないとな、としみじみ思った。
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by leea_blog | 2010-04-12 01:25 | Comments(0)

原因と結果/まともな大人とは/王様は裸だ

怒濤の新年度で、心身共にぼろぼろですぜ。

ともかく、ウチの職場、色々あってね。
まぁどこの職場も色々あるだろう。
本来「ウチの業界でそれはマズイでしょう」という事が多過ぎ。

大所帯のウチの職場を観察するに、
トラブルの原因と結果の因果関係を把握できない男性が多い。
主に中高年。

トラブルがあったら、原因を把握して対処しないと、よけい大事になる。
それをですね、昨日今日、上の方からワタクシが言われたのは、
「原因は原因として脇へ置いておいて云々」なのだった。

原因は、脇に置こうと土に埋めようと、結果を生み出し続ける。
原因は脇において結果を出せといわれても。
ワタクシの理論回路はショートした。
「設問に矛盾が有ります」とエラーメッセージを出しまくるのだ。

ワタクシは脳のエラーメッセージを直属の長に伝えた。
「因果関係から言って、現代科学では無理と思うんですけど。
誰にも出来ない事を求められている私はどう解釈すべきでしょうか」
直属の長は黙ったままだった。
「複数回言われておりますので、スルーする訳にもいかないのです。
対応させていただきたいと思うのですが、意味が把握できませんので困っています」
重ねて助言を求めると、
「わからない。。。。。。。。」

てか、原因と結果の因果関係を直視して対応すればいいだけじゃん?
それをするなと言われたら困っちゃうんです。。。。。。。。。。

しかし。
こうした、「設問自体に矛盾がある」問題は、
古い昔からごろごろ転がっていた。
理論的にショートしてエラーが出まくるシーンは、人間が生きて行く上で沢山ある。

傍から見て「んな訳ないじゃん!」と突っ込みたいようなカルト宗教が
ショートした人に手を差し伸べる。
教祖が「定理です」と言い、それを受け入れただけで、
不可能なことが可能になるのだ。
その人の頭の中だけで、という限定つきだが。

しかし。組織としての仕事の場では、脳内解決は無意味だ。
自分が社長で社員もいなければ、
存在しない売り上げを帳簿上で存在させ、
「凄い! 連日業績が倍加しているぞ」と脳内完結させることもできる。

「設問自体に矛盾」の現実的な対応方法として。
組織ぐるみで架空の辻褄合わせをする方法がある。
まぁ、正直、この方法は結構採用されているだろう。

会社員とは、一種の宗教のようでもある。


ワタクシの理論回路は、対役所向けに出来ていないのかも知れない。
時代国境関係なしに応用可能なシステムなので、
山間の村落だけに通用する理論に対応しようとすると、エラーが出るのだ。

エラー出しまくっていても仕方ないので、
対応策を検索する。検索結果。

「上司は何らかの事情で文字が読めない。が、目は見えるようだ。
では、絵をカードに描いて、それを並べて意志の疎通を試みてはどうか。
または、身振りと手振り」
「上司の理論回路が故障している。あるいは、上司のソフトが旧式でインターネットにアクセスできない」
「上司の理論回路をとやかく言う前に、上司のコンセントが抜けている」
「理論回路が元々無い」
「ジャンク品」

この職場と上司は実在の人物・団体とは関係ありません。

まぁそういうわけではないにしろ。

ワタクシは、人間はほとんどがジャンクであるとも思っている。
完成度が高過ぎても、すぐ壊れる。
正常な理論回路ではエラーが出まくる現実が、人生のほとんどとも思っている。

その、エラーでしかないものを丹念に掬い上げて、
自分の世代が死に絶えた後でも機能するメッセージを残すのが、
文学だとも思っている。

私は子供ではないので、王様の実在しない服を、見えているかのように振る舞うのは
ばかげているとしか思えない。
子供は世の仕組みに不慣れだから「王様は裸だ」という。
豪華な服が見えている事にしたい人の気持ちを否定する気は無いが、
程々に大人だから、見えている振りに加わるのも徒労だと知っている。

徒労と知りつつ、見えている振りに加わるのも給料の内かも知れないし、
実は見えていないことへの対応策を提言するのも給料の内かも知れないし、
いつもの如く下っ端のせいにされるのを防衛するのは、給料の内ではなく持ち出しだが、
会社員には必要だ。
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by leea_blog | 2010-04-10 03:59 | Comments(0)