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大晦日

寒波の大晦日。

道行く人の足も、せわしない。

蜜柑と、餅と、あんことワインを、正月用に買った。

昔と異なり、今は2日からデパートもスーパーもやっている。
買いだめの必要も無い。

昔は、7日まで商店も休み、等、そんな時代だった。

酵素の入浴剤を入れた風呂に入り、今年の汚れは今年中に落とした。

おお、今年は大掃除をしなかった。
気力が無かったのだ。

掃除は、大掃除をしなくて済むように、小掃除を何度もやればいい。

本年はお世話になりました。
皆様の大晦日が、良き日となりますように。
佳き新年をお迎え下さい。
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by leea_blog | 2010-12-31 16:28 | Comments(0)

リア充爆発しろ/詩人の彼岸此岸

最近、面白い歌を教わった。

「リア充爆発しろ」というシロモノだ。

まぁ、理屈は後にして、取りあえず聞いてみてほしい。
リア充爆発しろ(コピー&ペーストして飛んでね)
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=OTXEF-WVzQQ

リア充とは、リアルが充実している人たちの意味だ。
反対は、非リア充。リアルが充実していない人。
例えば、ヴァーチャルしか充実していない人である。

リア充死ね、リア充死ね、爆発し〜ろ、と口ずさんでみる。

朝からいちゃつくカップルに、死ね、と心で叫ぶ、非リア充の歌である。

そんな他人のことは良いじゃない(笑)
死のうが生きようが、どうでもいいじゃん。

詩人は、リア充と非リア充の境が無い。
リアルに対する非リアル、つまり言語世界が充実していれば、
リアル世界もおのずと充実して来るのだ。

一番惨めなのは、ろくな作品も書けない事だが、詩は潜伏期間が長い事でも知られている。
今は書けなくても、書けそうだという予感だけで充実する。
下手な作品しか書けなくても、ちやほやしてくれる人が一人でもいれば、充実できる。
おめでたい業界である。

私が感心したのは、リア充という造語の語感だ。
ネットの一部のコミュニティでしか通用しないが、
一度意味が分かると、その言葉でしか言い表せない物が詰まっている。

そんな一部の人にしか分からないキーワードで、歌が成立している点だ。
リア充が分からない人は、タイトルの検索もできないではないか。ネット世界は、未知のキーワードも恐るるに足らず。口コミの威力を知っているのだ。

私は、表現に造語が付きもののタイプだ。
言い表しがたい物は、造語で補う。

リア充その他のおびただしいネット言葉は、詩的言語とは別の次元、コミュニケーションの表現の為に自然発生的に生まれ、使われている。いわゆる若者言葉より、広い世代で使われている。

にもかかわらず、「うまいなぁ、この表現」と唸る部分が有る。

リア充死ね、リア充死ね、というシンプルな表現に、妙に詩と繋がるインパクトを感じるのだ。
爆発しろ、と続くのは、「芸術は爆発だ」を引用するまでも無く、リア充の死に際までの優位を予感させる。
ひっそりと枯れるのではなく、爆発なのだから。
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by leea_blog | 2010-12-29 18:41 | Comments(0)

聖夜/キリスト教徒ではないし

基督教徒ではないので、毎年、聖誕祭はただ静かに過ごすだけだが。。。。

今年は、知人のお家に、聖誕祭にお呼ばれした。

池袋の西武デパートで、持参用のチーズを買った。
薄いチーズの切れ端の盛り合わせが、千幾ら。
クリスマス価格なのか、元々高級なチーズなのか。
盛り合わせだけでは寂しい内容なので、塊も買った。

商業戦略に冷淡な方のワタクシとは異なり、
知人は商戦をも楽しむ口で、
ケンタッキーとマクドナルドの、クリスマス用セットを購入。

お相伴に与った。

ケンタッキーのクリスマスセットは、おしゃれなケーキ付き。
美味しかった。
久しぶりにケンタッキーのチキンを食べた。

知人の手製のローストビーフが美味だった。

親しい人たちと静かに楽しく過ごすクリスマスだった。
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by leea_blog | 2010-12-26 18:35 | Comments(0)

すっぽん料理/池袋 豊月/会社務めの理不尽

昼間は、仕事どころではなかった。
東京労●局との金銭トラブルのせいだった。

夜間に、楽士の田中一夫氏と、すっぽん料理を食べに行った。

昨年の朗読会の反省会も兼ねて。
実に一年ぶりだ。

お互い、昼間の仕事では、組織の理不尽に泣いていた。

田中氏は、「相手の思うつぼかも知れないけれど」と転職を薦めた。

このブログでも書いているように、私は生計に関して、金子光晴よりも疎い。
学生時代には、貧乏のどん底で、本や絵の具を買うのに昼飯を抜いていたというトラウマもある。
貧乏に耐性が無いのに、生計の道に疎いのだ。

転職なんか出来ない。
毎日ハローワークに通う事になる。
無理じゃん。駄目じゃん。出来ないじゃん。
どんな理不尽に逢っても、今の仕事は辞めないつもりだ。

すっぽんは、癖がなく美味だった。

生き血のワイン割を飲んだあたりで、効いてきて、身体がほわほわした。
肝刺しは、心臓がまだ鼓動を打っていた。
肝刺しをすり下ろしたショウガとにんにくで食べる。

唐揚げの後に、メインのすっぽん鍋が来る。
コラーゲンタップリで、ぷるぷるしていた。
身体が温まる。

最後の雑炊は、量がやや物足りなかった。

フルコースで身体が温まった後は、マクドナルドでコーヒーを飲みながら昨年のライブの合評会をした。

昔は、真面目に務め上げて、楽しい安楽な老後を過ごすのが、人生のモデルコースだった。
我々の世代は、年金がもらえるのか否かも定かではない。

私の年齢は、父が急に肺癌で手遅れと診断された年齢に近づいている。

今を耐え忍んで、「将来良い事があるだろう」とおもうのは、浅はかだ。

表現活動をしている身は、「今やれる事をやっておかなければ」と痛切に感じる。

揺蘭発行を年二回にするなり、ライブをやったりしたいものだ。

先ずは、作品。
話はそれからだ。
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by leea_blog | 2010-12-23 17:35 | Comments(0)

金子光晴/「ねむれ巴里」のこと

詩人の金子光晴の「ねむれ巴里」を再読している。

どくろ杯、ねむれ巴里、西ひがし、の三部作だ。


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それに、最初の旅とは大分事情がちがっていて、身から出た錆で、十年経っても生計が立たず、男女出入りで家庭もこわれたうえ、八方に不義理が重なって逃げ出しておきながら、生意気にも、日本の衆愚にあいそがつきたなどとおもいこんでいた。
「ありがちなことだ、そうおもいでもしなければ君も立つ瀬がなかったろう」
と、気慰めを言ったあとで
「しかし、おどろいたのは、詩というものだね。どんな職でも、十年年季をかければ、それほどのおもいをしないでも糊口の道は立ってゆくものだがね。詩をつくるより田を作れと、昔の衆はよくぞ言ったものだ」
と、一友人が慨嘆した。
(金子光晴「ねむれ巴里」より)
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何十年年季をかけても、詩では糊口の道は立ちません。

なぜなら、詩は「職」では無いからです。

職は、コピーライターや作詞家。

傍から見ると、詩人は道楽者か生活が破綻した人に見えるのかも知れない。

本当に自分にとって重大な物は、生活の糧にしてはいけない。
なぜなら、夕飯のおかずを買うために、クライアントの注文通りの事を書かねばならないとしたら、自分の大切な物に嘘を重ねる事になるからだ。

詩は、そういう物とは別の次元に有る。

それを守るために、私は昼間の仕事を持っているのだ。
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by leea_blog | 2010-12-19 19:44 | Comments(0)

あかつきの陰で /宇宙ヨットイカロス

明るい話題を。
金星探査機あかつきの失敗の陰で、着々と成功し続ける、宇宙ヨットイカロスの話題を。

イカロスは、あかつきと一緒に打ち上げられた。

    以下、コピー&ペーストして飛んでね。
   ↓
http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010121001000362.html

IKAROSイカロス専門チャンネル。自分撮り画像あり。
 ↓
http://www.jspec.jaxa.jp/ikaros_channel/bn006.html
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by leea_blog | 2010-12-14 19:32 | Comments(0)

金子光晴/西ひがしのこと

金子光晴の「西ひがし」を再読している。

句点のみで長く続く文章の一例を見よう。


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僕が、心の弱さからか、強さからかわからないが、華僑に引き取られて、これからの半生を、それまでの一切のかかわりを、家も、国も、妻子も、むろん、我々にすれば例えば文学や詩のことなども、すべてひっくるめてなにかの間違いで、もともとなかったとおなじに、それになんの心の哀惜も、未練もおぼえず、ちがった風土のなかで、ぬくぬくと当然のことのように生きてゆき、元の人間社会の人々からはふしぎと言うより他はなく、いつまでも納得のゆかないままで年月が経ってしまうということで、案外それは屡々あったことで、むかしは、それを神かくし(たいていは子供などに多く、うつけたようになってかえってくるできごとを指す)と言って、ふしぎを信ずる人たちから、人間以上のものの意思の強制と考えて、合理的に解釈されてきてものだった。

---------------------(金子光晴/西ひがし---------)

金子光晴が、白娘々と出会い、蒸発しかけた時の事だ。

蒸発する。

妻を異国に残し、幼い子供を日本に残し、文学も詩も捨てて、蒸発。。。。。。。

神隠しのような、誘惑の瞬間だ。

あなたは蒸発しそうになった事はあるか?
あるいは、夜逃げをしそうになった事は?

完全失跡マニュアル、という本が昔有った。
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by leea_blog | 2010-12-08 20:07 | Comments(2)

生きるのが下手 金子光晴のどくろ杯

詩人の金子光晴のどくろ杯を再読している。

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私みたいな生きる才覚に乏しい人間が、女連れで、この地球上でこちさら稀薄な、こんな悪気流からぬきさしならないでいるありさまを、彼のほうでもきっとかあいそうがっていることがよくわかった。
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天はニ物を与えず。
実際はニ物も三物も与えられる人はいるのだが。

生きる才覚。

私も、生きる才覚がうんと乏しい。
生き下手なのだ。

え? 定職についているのに何を言うのかって?

生活力や、生きる手段のセンスとも言うべき物が乏しすぎるのが自覚されているので、安定した仕事に付いているのだ。

「何とかなるだろう」、とは思わない。
「どうにもならないだろう」と分かるから、定職について、パワハラ捏造上司に当たってストレスで寝込んでも、退職もしないでしがみついているのだ。

金子光晴は当座のしのぎの金作りに、裏本をがり版で刷って人を介して売りさばいたりする。
金の無心をしに行く。

私から見ると、生活力があるように見える。
妻と二人、栄養失調にもならずに、何とか生きていっているのだ。

金の無心もどうやったらいいのか分からないレベルが、この私だ。
定職に付いているのは、生きる才覚がからっきし無いからだ。
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by leea_blog | 2010-12-04 21:25 | Comments(0)