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サンシャインシティ宇宙展2012



4月28日の土曜日は、サンシャインシティで行われている、「サンシャインシティ宇宙展2012」に出かけてきた。

JAXA協力による宇宙関連展示のほか、講演会や体験コーナーなど宇宙の魅力に触れる9日間。

初日は、「はやぶさ」プロジェクトマネージャーの川口淳一郎教授の特別講演が行われた。
ファンです、川口博士。


先着200名との事で、整理券配付に並んだ。

整理券は、瞬く間に配布が終了した。



講演会は、小さな子供連れも多く、日本の将来も明るいか?と期待されてくる。

川口博士登場。客席からは熱い拍手。

会場のみんなも、川口博士好きなんだなぁ。



ユーモアを多彩に交えた講演は、テレビやネットでは分からない興味深い内容で、
足を運んだ甲斐が有った。
一時間強では短い。あっというまに充実した時間が流れた。


何より、「生川口博士」を見られて、話を聞けたのだ。

もっと聞いていたかった。



現代詩の中でも幻想詩などを物しているわたくしとは、頭の構造が違う。

だって、宇宙開発ですよ?


かゆい所に手が届くような、新鮮な、それでいて、幻想文学ともしっかり底流がつながる講演。

ありがとう川口博士。

また都内で講演なさって下さい。
今回は無料でしたが、有料でも伺います。


講演が終わった後に、質疑応答の時間や、うまくいけばサイン会も有ったのかも知れない。


が、わたくしは講演が終了した途端に、熱心に余韻に浸って身じろぎもしない人たちを尻目に、ダッシュで会場をでなければならなかった。

走った。

なぜって?

それは、茅場町で、5月26日の【妖異の時代】で共演する海埜今日子さんが出演なさるイベントが行われるからだ。ああ。開演時間を過ぎてしまっている。


もう、ね、こちらも、川口博士のサインを断念してまで駆けつけた甲斐が有った、面白いイベントだったのですが、
それはまた後日。
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by leea_blog | 2012-04-29 22:39 | Comments(0)

朗読会のお知らせ




—妖霊の時間が 懐かしげに あなたの窓辺を濡らす刻—
【妖異の時代〜百物語2012〜】



 御身まれびととなりて、会場の扉を開けたまへ


物語はどこからやって来るのか
 言葉を解体し音と溶け合わせ魔物語をしよう

 神話・伝説が矮小化する現代に、ゆるゆると妖霊らの言霊を引き入れるべく、
 百物語の火を灯す。


 異界と此の世が重なるあわいに、命の水がある。
 呪術としての日常。砂漠を渡り来る楽の音色。
 神々の物語や伝説を取り混ぜて、
 言葉と音との合流地点に遡ります。


      朗読 【西野りーあ(詩人)】

非・同人制のまれびと冊子【揺蘭】編集人。詩と物語、視覚表現、ライブ感覚の詩の朗読を平行して行う。
呪術としての日常、再生の非日常が交錯するあわいに。詩集『うろくずやかた』物語詩『人魚迷宮譜』(土曜美術出版)。現代詩人会会員。



      即興音楽 【田中一夫(楽師)】

トルコの吟遊詩人の楽器であるサズを弾く。この楽器はセンシティブな面と魂の内面をかき乱す音を持つ。
詩の朗読とコラボレーションした時に歴史の重みから開放される。渇いた西アジアの土地で数々の物語とともにあったこの楽器は、現在の極東の地にあって西野りーあの朗読と交差し再び物語を語りはじめる。


      ゲスト 【海埜今日子(うみの・きょうこ)詩人】

東京生まれ。『共振』(Wネット/1999年)、『季碑』(思潮社/2002年)、『隣睦』(思潮社/2005年)、『セボネキコウ』(2010年/砂子屋書房)、アンソロジー『現代詩最前線』(北溟社/2007年)他。詩誌『hotel第2章』『すぴんくす』『ガニメデ』『現代詩図鑑』『ヒマラヤ』他。HP灰皿町大字豹(http://www.haizara.net/~kirita/umino/)で5の日に日記を更新。展覧会や風景、言葉にまつわる事を書いています。豹柄が大好き。豹が好き。



      【ROSSA(音楽グループ)】

2001年からライブハウスやイベントで活動、3枚のCDをリリース。いままでにないアコースティックミュージック、メロディを重視した楽曲、エスニックミュージックにジャズ風味・和のテイストを加えた音風景の構築を目指す。




5月26日(土)16時〜17時30分 

    開場15時30分 

入場料二千円(一ドリンク付)

【会場】ジャズバー・サムライ
 新宿区新宿3-35-5 守ビル5F 
Tel 03-3341-0383

JR新宿駅東南口より徒歩2分。
東南口改札出て階段を下りて、東南口広場、
左手にフラッグス・ビル、東向きに直進し、
甲州街道のガード沿いの路地の3件目の
オレンジ色の守ビル5F。1Fは信州蕎麦屋。

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by leea_blog | 2012-04-26 21:47 | Comments(0)

妖異時の時代2012のチラシ

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コラージュ/西野りーあ
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by leea_blog | 2012-04-23 23:04 | Comments(0)

発表の時期と「空が落ちてくる」



5月26日の朗読会で朗読する作品を選定中です。

わかりやすい詩も入れよう、と、過去作品を読み返していて、
候補に上がったが却下したした詩。

「空が割れて落ちてくる」という詩だ。

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空が割れて 落ちてくる



空が割れて 落ちてくる
破片は玻璃の たまごになる

遠い森に 拾いに行こう
あけぼのの 碧玉の
夕暮れ時の 七彩のたまご

籠に盛ろう、籠に盛ろう
玻璃のたまご
あの人の傷 癒すだろう

並べよう、並べよう、
空のたまご
丸くなって眠る、私のために

海の底に 帰ろう
空のたまご抱いて
私は 私に 帰るのだ。

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それなりに愛着の有る詩だが、
却下の理由は、「空が割れて落ちてくる」というフレーズだ。

間違いなく、はじめて聴くひとは
「Youは  Shock! 」と合いの手を入れたくなるだろう。


そうだ。

アニメ版北斗の拳の、有名な主題歌に、
「愛を取り戻せ」という歌が有るのだが、
それの始まりが、
「Youは  Shock!
愛で空が落ちてくる   俺の胸に落ちてくる」というのだ!!!!!!


勿論、私の作品は愛を取り戻せの発表よりはるかに古い。

しかも、「空が落ちてくる」という発想は、
古代ケルト人がローマ人に
「自分たちは空が落ちてくる事以外に恐れるものはない」と言ったように、
相当な昔に遡れる。


が。


人口に膾炙している表現としては、
「愛を取り戻せ」だろう。


わたくしが「古代ケルト人の昔に遡れる」と言っても、
悔し紛れにしか聞こえないはずだ。


運が悪い、と、諦めて、朗読リストから外した。
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by leea_blog | 2012-04-20 22:56 | Comments(4)

ターハル・ベン=ジェルーン  「あやまちの夜」より

「ぼくたちの場所はどこにもなく、ぼくたちの領地は自分自身だからです。」

深く共感する。


が、一部の人にとっては当たり前の事で、詩人としては、わざわざ口にする事も無いのかも知れない。

小説は、自分自身にとって当たり前の事も、敢えて口にする。


現代の日本は、書いた物が原因で殺される事はない。
だが、命を賭して書く状況の重さを忘れてはならない。

そして、殺す殺されるの渚で、何が生まれるのか、何が残されるのか。




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ぼくは愛の物語に打ちのめされたが、実際に経験したのかさえわからない。情熱に捉えられ、密かな目的に囚われ、ぼくたちを脅かす闇の厚みを、もう考えたくないのです。ぼくは、不安の内側へ旅しました。苦しみのまわりを巡り、こうしてほとんど明かりもないこの部屋にいるのです。スペインの海岸を前にして、あなたに手紙を書いているところです。ぼくは、あなたに一度も会ったことはないが、虚構の作者として連帯感を持っています。そしてあなたにこう言いたいのです。「ぼくは、すべてに関してあなたに同意しているわけではない。だが書き、創作する自由を勝ち取ろうとするあなたの闘いを支持する」。考えの違う人を擁護することは、同じ部族の誰かを助けるために扉を破るよりも、さらに美しいことなのです。もっとも、ぼくたちは同じ部族に属し、同じ共同体に参加しているのかもしれない。それは、イスラム教徒として皆を包括する共同体ではなく、存在し、他者とともに生きるために、言葉しか持たない者たちの共同体です。つまり言葉の代価を知り、死にゆく者の耳元で、一つ一つの文章がどんな響きを持つかを知っている者たちです。
 ぼくたちの祖国は一冊の本です。物語の海の青い夢、数カ国語で展開するフィクションです。祖国は孤独です。毎朝、ぼくたちは、それを大きな屋敷の入り口に置く。だが、そこに住むことはない。ぼくたちの場所はどこにもなく、ぼくたちの領地は自分自身だからです。


(ターハル・ベン=ジェルーン  「あやまちの夜」より 菊池有子訳)

 *登場人物の一人サリームが、『悪魔の詩』の作者・サルマン・ラシュディに宛てて書き、投函も公表もしなかった手紙の一部。
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by leea_blog | 2012-04-10 21:35 | Comments(0)

チューリップはじめました




電車の吊り広告。

埼玉県の東武動物公園の、広告。

何となく見ていると、
「チューリップはじめました」。
とあるではないか!!!!

チューリップはじめる!


まるで、「冷やし中華始めました」のノリで、
花々を扱う!

言葉感覚の魔力に、眼が釘付けになった。

猛烈に、見に行きたくさせる。


先程東武動物公園のHPをチェックした所、
「チューリップが咲き始めました」になっていた。


がっかりである。


チューリップが咲き始めるなら、当然で当たり前である。


「チューリップ」を「始める」のではなくてはつまらないのである。

思うに、限られた紙面で色々と宣伝しなくてはならないから、
言葉を省略した結果が、私のような言葉をあれこれする者をぐっと来させたのであろう。

コピーライターが詩人であった訳ではないのだろう。


必要に迫られた省略が、時には期せずして詩的空間をもたらす。
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by leea_blog | 2012-04-07 23:37 | Comments(2)

大宮/氷川神社の桜

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武蔵一宮、大宮の氷川神社に出かけた。

大宮駅前の雑踏を抜けると、多くの人たちが同じ方向に向かって歩いている。

ああ、あれだ、皆、大宮公園の桜を見に行くのだ、と思いながら、私も群衆に交じってその方角に歩いた。

谷崎潤一郎の、「魔術師」の光景のようだ。


両脇に大ケヤキの並ぶ参道を歩き、大鳥居をくぐると、氷川神社だ。

木々の緑に朱塗りの大門が美しい。

氷川神社の裏手に、大宮公園が広がる。


上野の桜と違って、大宮公園の桜は背が高い。

解放感が一杯だ。


池のほとりのベンチが、運良く空いていた。

水際は寒すぎる所為だろうか。


しっかと陣取り、コンビニで仕入れた缶酎ハイを空けた。


桜は、しんしんと重なり合って咲いている。


シートを敷いて花見する人々の、地面近くのざわめきなど関心が無いかのように、
桜は音も吸い込みそうな静かさで咲いている。

桜は静寂の花だ。


一方。


桜の木が密集する辺りでは、小道沿いに屋台が立ち並んでいた。



ベビーカステラ、焼きそば、チキンステーキ、トルコの伸びるアイス、金魚すくい、たこ焼き、お好み焼き、綿菓子、チョコバナナ、、、、、、、、。


お祭り。


そういえば、私は大宮の高校に通ったが、氷川神社のお祭りの時は、

生徒が放課後お祭りで買い食いしないように、教師が見回りに出た。

本当に見回っていたのかは不明だが、
「お祭りで買い食いしないように」「先生が巡回して違反者を見はっている」と言い渡された。


当時も今も、高校生がお祭りの雑踏を歩いたり、お小遣いで買い食いする事の、
何が問題なのか理解出来ない。
教師が残業してまで阻止するような、邪悪なものなのだろうか。


当然の如く、高校生の私はお祭りに出かけた。
先生に見つかったら、どの辺が問題なのか問いただすつもりだった。


地元の大きな神社のお祭りを盛り上げるのは、むしろ地元の公立高校の義務ではないのか。


ところで、大宮公園は広い。

お花見の時期は、何処も同じような景色になる。

帰り道、道に迷った。


何処の通りを歩いても、違う方向に出てしまうのだ。


何人もの人に道を聞いて、氷川神社まで出た時はほっとした。



桜の元で迷子。

これもまた楽しいものだ。
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by leea_blog | 2012-04-07 23:19 | Comments(0)

その書物と出会う確率(再録)





書かざるを得ない種族。


ターハル・ベン=ジェルーン氏の作品の一節を重ねてご紹介しました。日常の何気ない仕事の合間に、ふと、〈「物語を語れ、さもなくばおまえを殺す」、それが文学だ〉、が記憶の下から浮上して、気になって乱雑な書物の山から氏の本を探し出したのでした。


なぜ書かざるを得ないのか。ある程度書き続けている人なら、自問もし、他の人たちと議論もするでしょう。続いてサリームの手紙の一部を引いたのは、本来、書く行為がはらむ危険性(毒にも薬にもなる)を比較的解りやすく提示していると思ったからです。現代の日本では、余程のことがないかぎり書いた物で命の危機にはさらされません。それでも、砂漠で行き倒れかけた人にとって「水」になるほどのものなら、別の状況では毒物にもなるはずです。さらに、違う状況では、全く無害・無益かもしれない。

 何故書かざるを得ないのか。とりわけ、生活の為でもなく、社会的地位の為でもない場合、議論が白熱します。「楽しいから書きたい、せっかく書いたから発表したい」と思う人は、それはそれで大変良いことではないか。

「物語を語れ、さもなくばおまえを殺す」。これは、書いたために(あるいは語った為に)殺される場合もあると承知の、切迫した内面の声ともいえるでしょう。個人の命が大切なことは言うまでもないですが、それを越えた何かに書かされる、書かなければ、個人が命を失うというより何かもっと重要なものが死ぬ。


氏の作品は複雑にして起伏に富み、すぐれた地下水脈を多く持ちます。一部を引いてあれこれいうのは、作品の本質を損なうようで気が引けます。書物との出会いは「縁」でもありますので、たまたま目にした方が興味を持たれるかもしれない、との消極的な趣旨でつづっています。
 

(2001年8月の再録です)
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by leea_blog | 2012-04-04 21:45 | Comments(0)

現代詩人会国際交流2012




激しい風で交通機関が麻痺した3月31日。

「現代詩人会国際交流2012
バイリンガル詩人田原氏を迎えて」に出かけてきた。

田さんと会うのは物凄く久しぶりだったが、
相変わらずご多忙そうで、昔お会いした時と変わっておられなかった。

詩人にとって大切な事の話に、
「普通の生活をする事」が挙げられていた。

私はパワハラに遭いながらも、正社員の仕事を辞めていない。
田氏いわく、辞めない事は普通の生活をして良い詩を書くうえで大切な事。

いや、私自身は、もっと破綻した生活を送りたいんですがねぇ。
もう、これ、ぱーっと、仕事を辞めて放浪するとか、したいんですよ。
そういう気持ちが、傷のように疼くんです。


中原中也批判は面白かった。

日本で日本人、外国人を問わず、
中原中也の作品を評価しないというのは難しい。

私も特に中也は良い詩人とは思っていなかったが、
言われてみれば確かに、それを口にするのは大変な事だ。

私如きが中也を評価しないとなれば、
お叱りや嫌がらせが押し寄せてくるだろう。

しかし、中也が良い詩人だと、本当にみんな、先入観無しで思っている?
擦り込まれてそう思っているだけじゃない?

そうした普段気付かない事も気付かせてくれた講演であった。


懇親会では、
懐かしい人々とお会いし、久しぶりにお話が出来て、嬉しかった。


飲み足りなくて、無理やり二次会にお誘いした山田隆昭氏。

私は日ごろのストレスも有って、目の前がぐるぐる回るほど飲んでいた。

そんな私を、地下鉄の階段で、姿が見えなくなるまで見送ってくださった。

振り返って手を振れば、雨の夜景を背景に立つ山田さんは、
腕を上げて応えて下さった。

私の我が儘に付き合って下さる根気の良さと柔和な人がらに、
心から頭が下がった。

お会いした皆さん、
ありがとうございました&、またよろしくお願いいたします。

ひどい風雨なのに、心が温まった日であった。
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by leea_blog | 2012-04-04 21:12 | Comments(0)