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谷崎潤一郎「厠のいろいろ」・蛾の翅の厠


前回、谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を紹介した。

中公文庫で、「陰翳礼賛」とともに、いくつかのエッセイが収められている。

「懶惰の説」では、ここで引用したら引用者も責任を責められかねない、
近隣の国への暴言?も語られており、
昔の書物は、
当時のものの考え方も知れて、面白い。

とはいえ、谷崎の口調には、
だらしなさやなまけもの、汚さにも、
好意を寄せる気配が濃厚なのである。

「恋愛及び色情」では、
現代女性が読んだら「トホホ」な気分になること請け合いの、
独特な視点が多数盛り込まれている。


それらは、谷崎という大文豪が、
潤いのある語り口で語るから、
いいのであって、
大文豪ではない人は、
まねをしない方がいいであろう。

昔、特撮ヒーロー番組等で、
「良い子はマネしないでね!」とか、
字幕で出たよね。
あんな感じである。

「厠のいろいろ」は、
これも、今はほとんど見られなくなった、
当時の厠事情をかいまみさせられる。

以下は、人づての話を、
大変美しく語る、
蛾の翅の厠である。

「志賀君が芥川龍之介から聞いたと云って話された話に、倪雲林の厠の故事がある。倪雲林と云う人は支那人には珍しい潔癖家であったと見えて、蛾の翅を沢山集めて壺の中へ入れ、それを厠の床下へ置いて、その上に糞をたれた。つまり砂の代わりに翅を敷いたフンシのようなものだと思えば間違いはないが、蛾の翅と云えば非常に軽いフワフワした物質であるから、落ちて来た牡丹餅をたちまち中へ埋めてしまって見えないようにする仕掛けなのである。けだし、厠の設備として古来このくらい贅沢なものはあるまい。糞溜と云うものはどんなに綺麗らしく作り、どんなに衛生的な工夫をしたところで、想像すると汚い感じが湧いて来るものだが、この蛾の翅のフンシばかりは、考えても美しい。上から糞がポタリと落ちる。パッと煙のように無数の翅が舞い上がる、それがおのおのパサパサに乾燥した、金茶色の底光りを含んだ、非常に薄い雲母のような断片の集合なのである、そうして何が落ちて来たのだか分からないうちにその固形物はその断片の堆積の中へ呑まれてしまう、という次第で、先の先まで想像を逞しゅうしてみても、少しも汚い感じがしない。」


蛾が大の苦手の私などは、
「ぎゃ〜」と叫びそうな厠である。

蛾が嫌いである、という個人的な事情を抜きにすれば、
たいそう美しい厠には違いない。

そして、翅を集める執念にも感嘆する。

が、蛾が嫌いな人が、
用を足そうと穴をのぞいてみると、
下には蛾の翅がぎっしり。

用を足すとそれが舞い上がって来る、というのは、
恐怖以外の何でも無い。

「何の拷問????」と叫びそうな。

「フンシ」という言葉がわからなかったのだが、
ネットで検索しても、出て来ない。


トイレという、
無防備であり生理的な要求に基づき赴く個室をめぐる、
なまなましさ溢れるエッセイである。



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by leea_blog | 2016-11-25 18:42 | Comments(2)

谷崎潤一郎「陰翳礼賛」


近頃、再読にはまっている。

書物は、朽ちない。
いや、紙は朽ちるが、
人間の寿命よりは、長らえる。

書物を買う事は、
金銭ではない財産が殖えるのと同じである。

と、いうことで、
谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」を再読した。

大文豪の、潤いのある文章に、
のどの渇きが癒されるここちである。

日本独特の、
闇と光の美意識。

日常から消えてゆく、
闇の美。

昭和8年に書かれたエッセイである。

平成27年の現在は、
古来の日本家屋は、
谷崎の時代に比べて、
ますます残り少なくなっている。

夜も、
谷崎の時代より、
更に明るくなっている。

だが、
一方では、
動物として不自然な人工的な環境の中で、
ストレスを癒そうと、

アロマキャンドルを灯して風呂に入る人々も、
増えている昨今である。

蝋燭の明かりの、
何という美しさ、
揺れ具合の、
なんという心地よさ。



有名な、
「羊羹」の闇を述べたくだりを以下に引用しよう。

「かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を賛美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉(ぎょく)のように半透明に曇ったはだが、奥の方まで日の光りを吸い取って夢見る如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に観られない。クリームなどはあれに比べると何という浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑らかなものを口に含む時、あたかも室内の暗黒が一個の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くもない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う」

蝋燭の光りの中で羊羹を食べてみたくなるではないか?

日本座敷の美の秘密の、解の一つが、以下。


「事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生まれているので、それ以外に何もない。西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、ただ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないという風に感じるのは、彼等としてはいかさま尤もであるけれども、それは陰翳の謎を解しないからである。われわれは、それでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。われわれは、この力のない、わびしい、果敢ない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の淡い色の砂壁を塗る。」

以下も、有名な、昔の女性を文楽の人形と比した一節。

「知っての通り文楽の芝居では、女の人形は顔と手の先だけしかない。胴や足の先は裾の長い衣装の裡に包まれているので、人形使いが自分たちの手を内部に入れて動きを示せば足りるのであるが、私はこれが最も実際に近いのであって、昔の女と云うものは襟から上と袖口から先だけの存在であり、他は悉く闇に隠れていたものだと思う。当時にあっては、中流階級以上の女はめったに外出することもなく、しても乗り物の奥深く潜んで街頭に姿を曝さないようにしていたとすれば、大概はあの暗い家屋敷の一間に垂れ籠めて、昼も夜も、ただ闇の中に五体を埋めつつその顔だけで存在を示していたと云える。」


これは、昭和36年生まれの私から見ても、
その通りであろうとは思えなかったが、

それでいいのである。

谷崎が、自分の視点で、闇と光のあわいに住む、闇に垂れ籠めた女人という存在を提示してみせたのだ。

上記の視点からすれば、
中流階級以上の女性なら、女性というだけで、
謎めいた、神々しくもある、また、怪異にも見える存在になるであろう。


以下の文章で、この短くも味わいに富んだエッセイは結ばれる。
だから谷崎潤一郎、大好きである。


「私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂ののきを深くし、壁を暗くし、見えすぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う具合になるか、試しに電灯を消してみることだ」





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by leea_blog | 2016-11-23 18:36 | Comments(3)

太陽を沢山箱に詰めたような

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まれびと冊子【揺蘭】で、
骨太の幻想詩を書き続けている、

九州の日嘉まり子さんから、
柿を頂いた。

太陽を沢山箱に詰めたかのようである。

大切に育てられた、
柿の、
柔らかすぎず硬すぎない、
絶妙な、果肉。

心よりありがとうございます。




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by leea_blog | 2016-11-21 19:09 | Comments(2)

林本源園邸「林家花園」・台北周辺のプチトリップの勧め



ややもすると、
転地療養の滞在は、ホテルに引き籠もりがちになります。

きっとホテルのスタッフは、ほぼ一日中ホテルに居る謎の日本人に、
「何しに来ている人だろう?」と、
思うかもしれない。

とはいえ、ホテルのスタッフは、
謎の旅人には慣れっこであろう。

謎の滞在者の私から観ても、
更に謎の滞在者は、実際多いのだ。

ちなみに、転地療養は、
ホテルに引き籠もっているのでも、
実際は、OK。

場所を変えて脳を休めるのが目的なので、
引き籠もっていても、大丈夫。

私は、筋力を付けないとならないので、
つとめて出歩くようにしています。



鬱々とした話は、置いておいて。
そうしたわけで、
気楽に行ける、穴場スポットをご紹介。


台北駅から地下鉄、板南線で、比較的近い所に、
穴場的古跡が有ります。

林家花園、「林本源園邸」です。

國定古跡 林本源園邸 ホームページ
 ↓
http://www.linfamily.ntpc.gov.tw/xceventsnews/cont?xsmsid=0G249617555861789607&sid=0G250363589014133216

板橋駅は、
台湾人形劇の、PILIのショップが百貨店に入っているので、
何度も行っています。

今回は、
その板橋から歩いて行ける、

地元パワー的な
「南雅夜市」にでかけ、
(板橋の一つ先の、府中で降りた方が近いです。
いやいや、東京の話ではなく、台湾の)

南雅夜市の通りの真ん中に鎮座する、
茶芸館「逸聲園」にもでかけ、

なぜ今まで見落としていたのか、
清朝時代の富豪の邸宅があると聞きつけて、

出かけて来ました、林家花園。

住宅の方は、工事中のようですが、

庭園は自由に観られます。

街の一角に、突如として現れる、
森閑とした空間。

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工夫を凝らした、中国風庭園が広がります。



しばし、時間を忘れてしまいました。

入り口に日本語パンフレット有り。


林家花園まで行く途中に、
慈恵宮という寺院が有ります。

ここの周辺も、
文鳥占いの人がテーブルを出していたり、
なかなかいい感じのにぎわいです。

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↑逸聲園の、お一人様用お茶、お菓子。後方に見えている茶碗とクラッカーのような物は、
頼まなくても出てくる、日本で言えば「お通し」のようなもの。

個室でお茶を飲んでいると、
「旨い」と独り言が出て来ます。

もちろん一人でも、工夫茶を頼めますが、
猫空の「邀月」と違って、禁煙なので、(邀月は、屋外)、
長居は出来ず、
一人用のお茶にしました。

それでも、ヤカンを火にかけてくれて、
何杯もお茶のお代わりができます。

しかし、台北駅からちょっと行っただけで、
このような落ち着いた空間が広がる、
そして、生活の熱気も伝わる、

いいスポットが有るとは。

お勧めかと聞かれれば、

大いにお勧めです!










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by leea_blog | 2016-11-18 19:36 | Comments(14)

「ふたりの老女」・極寒、餓え、遺棄。


「ふたりの老女」(ヴェルマ・ウォーリス著)を読んだ。

帯文を以下に引用しよう。

ーーーーーーーーーーーーー
それはある寒さの厳しい冬
人々は老女ふたりをおき去りにした
そしてふたりの必死の旅が始まった

古老の知恵と教えを語り継ぐ、
アラスカインディアンの伝説。

ーーーーーーーーーーーーー

著者に、その母が語ったお話を、
現代的に著者が再話した形である。


南国だと、
路上で寝ていても、
何となく死なない気がするが、

寒さが厳しい土地では、
路上にそのまま寝ているだけで、
死んでしまう、という、
うっかりぼんやりしてはいられない、
現実が有る。

私は冷え性で、低血圧のためもあり、

冬が苦手である。

寒くなってくると、
「今年もこの冬を越せるのだろうか。
人間にも冬眠が有ればいいのに」と、

若い頃からつぶやいていた。

どのくらい冷え性かというと、
熱い風呂に入っても、
皮膚が赤くなるだけで、
その赤い部分も、
触ると冷たい、という位である。


木のウロに木の実を溜め込み、
冬の間は食べ物に囲まれて眠るリスは、
理想の越冬方法で、
様々なイマジネーションを生んだ。

冷え性低血圧、体温低めの私は、

上記帯文の過酷さに、
思わず手に取ったのだった。

老人、厳冬、グループからの遺棄。

日本にも姨捨伝説が多数有るが、
日本的には、

集落から捨てられた老人は、
もうどうしようもないのだから、
心を静かに最後の時をなるべく光輝に満ちた物にするため、
瞑想でもしそうである。

が。

アラスカでは、そうではなかった。

捨てられた老女二人は、
生き抜くために必死に行動するのだ。

ここには、
「自分たちが居たら、
集落の食べ物がその分少なくなる」
という、ネガティヴな発想は無い。

この老女二人も、
遺棄される前は、

老人らしい愚痴不満にまみれていた。

が、

遺棄され、
生き延びるために必死に行動するうちに、

愚痴っぽい、世話の焼ける年寄りは、
知恵を蓄え、
人々に希望を与える、
無くてはならない存在に姿を変えて行くのだ。

暖かい国なら、路上に寝ても死なないし、
野生の食べ物も溢れているであろうが、

北極圏近い、厳冬のアラスカである。

息も凍るのである。

「何のために生きているのか」的な、

現代人にありがちな葛藤は、
無い。

そんな事で葛藤しようものなら、
寒さと餓えですぐ亡くなってしまうであろう。

生きる事は、
そのまま、死との戦いなのであった。

「この物語は西洋文明がやってくるはるか昔に生まれて、世代から世代へ、人から人へと語り継がれ、やがてわたしの母に、そしてわたしに伝えられたものである。わたしはこの物語によって、人間がこの世で果たすべきことをする能力には限界などないことー年をとったからもう何もできない、などということはないことを、教えられた。この大きくて複雑な世界に生きるひとりひとりの人間のなかには、驚くべき可能性が息づいている。」(「はじめに」より)


昔と違って現代は、
インターネットの普及や急速な変化により、
古老の知恵は過去の遺物となっている、という意見も有るかもしれない。


老いる、ということは、
すべての人間がたどる道だ。

私はいい歳であるが、
まだ古老の年齢ではない。

若い頃は、
若いなりに感性も素晴らしく、
活気があったが、

この歳になると、
「若いだけで愚かだった」と思う。

若い頃に戻りたいか、と聞かれれば、
戻りたいのは、身体能力の点だけである。

「老い」は、果たして悲しいものであろうか?

人は、死ぬまで生きている。

それを考えれば、

現代日本でも、
老いてゆく者は、
他者にわけるべき哲学や知恵が有る。

ただし。

老いている方も、
この本にあるように、

愚かで老いに甘んじていては、
いけない。

年齢に関わらず、
人は、
愚かになろうとすれば、
際限がない。

他人に世話してもらって当たり前、とか、
若い者が気を使ってくれて当たり前、とか、
そういう老人が、
他者に果たして、
光輝をもたらすであろうか?

自戒を含めて、
熟考できる。











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by leea_blog | 2016-11-14 15:45 | Comments(0)

心の病に効く、転地療養の事 続報


職場のパワハラや悩みで、
死にそうになったり、
寝込んでいる方も、

世間にはかず知れず。

経験者は語る、の見地から、
体験を綴って、

通りすがりの誰かの療養のヒントになる事を願いつつ、続報です。


転地療養先から帰って、四日目。

旅の疲れも取れ、
体調の再確認をしてみました。

転地療養効果と、
腕の良いマッサージの先生と、
とても良く効くラジウム泉と、
バランスの取れた食事のおかげで、

関節の可動範囲が広がっています。

冰のように冷たかった身体も、
暖かくなり、
血行があきらかに良くなっています。


体の凝りも、
血行の悪さも、
すべてはパワハラに依る強度のストレスのためでした。

「この世は悪にまみれている。
もう耐えられない。
人生から逃げたい。」

そんな切羽詰まった精神状態が、
ポチッと押させた、
航空券の予約ボタン。

行く前は、毎度、以下のような事を考えています


「金銭的に厳しい。
そもそも、旅は楽しくてなんぼ。
パワハラで受けているストレスの解消を、
自腹で行うなんて、
もう嫌だ」

毎度の事なので、

行く前はそう考えていても、

帰って来たら、
なんだかんだ言って効果が出るのは、
予想出来ました。


心の病にかかっていると、
「転地療養なんて、
無理。。。」と

思う方も沢山居るはず。

家に居ても寝込んでいるのに、
旅先で旅費の元を取るなんて、
確かに無理ですよね〜。

元を取ろうとしない事が重要です。

入院したと思えば、
いいのです。

人によっては、
入院より効果有ります。

私の場合のように。

心の病というと、
見えない病のようだけれど、

悩んでいる脳は、
体の一部です。


脳を強制的に休めるのが、
転地療養です。


心の病も、
脳は体の一部なのだから、
何かの数値で
測定出来るようになるといいのに、と思います。


個人的な経験から言うと、

ハードルを低く設定するのが、
コツです。

私も、いつも、
「出先でホテルに引き籠もっていても、
別にいいじゃない。

とりあえず、
向こう着いたら、
タピオカミルクティーでも飲めば?」と

自分に言い聞かせています。


脳を休めた結果、

「巨額の金銭を請求されて、

説明無し、というか、

総務課長からのメールでは、

もしかしたら説明した事にされている可能性が?

私の発言も捏造してはんこ押しちゃう位の凄さだから、

説明もした事にされている?

指摘しても、返事は無し。

上部機関の総務課長と、

現場の部長と、庶務課長から、

メールを無視されて何ヶ月。

そんな状況では、

普通の人は寝込むでしょ〜?

ごく普通の反応が出ているだけだよ」

と、現実を把握出来るようになりました。


転地療養前は、

「朝、起きられない」、とか焦っていたけれど、

「これだけストレスが掛かっていては、

それ、まっとうな反応では?」

と状況を把握。


この状況をどうしたらいいのかなんて、

私はただのOL、

分かる訳ないのも、

ごく普通の事。



今すぐ死にたい、でも、迷いが有る、という方に、

読んでいただきたいのが、過去日記です。
  ↓


私の自殺願望消滅はどうして起こったか? 自殺したい人へ
http://userconf.exblog.jp/entry/?srl=22036184

拙サイトは、セキュリティーの観点から、直接リンクが貼れません。
URLをコピペして、飛んで下され。




私の場合は、運がよかったのだと思います。

とはいえ、

想像もできない事が、
何かきっかけになり、

死への願望が溶けて行く、

不思議な体験をしました。


「生きていればその内いい事も有るさ」

とは言いません。

生きていて良かったと思う人も居れば、

あの時死んでいれば良かった、と思い続ける人も居ます。


しかし、迷いが有るとしたら、

死ぬ時期では無いのかもしれない、とは言えます。


迷うのは、
まだ選択肢が有るのかもしれない。


脳を休める重要さ。

単に体の疲れなら、
寝てちゃんとした食事をとれば回復するかもしれません。

脳の疲れがやっかいなのは、

休息をしているつもりでも、

ちっとも休まずに悩みが続く所です。

転地療養で、
脳を休息させるのも方法の一つです。




















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by leea_blog | 2016-11-12 19:11 | Comments(0)

心の病に効く、転地療養の事



転地療養から戻って来ました。

職場からメールを無視し続けられて、何ヶ月間。。。。

転地療養から戻っても、
メールは来ておらず。。。

真剣に辛いな。
ここまで無視されると、

自分が虫けらのように見えて来ます。


それはそうと、このブログでは、
「体験者は語る」の見地で、
過去、
心の病の人向けに、
転地療養効果を提案して来ました。

例えば、以下
30日無断欠勤、西日本放浪した学級担任、免職/自殺したい人へ

http://leea.exblog.jp/22061130/

拙サイトはセキュリティーの観点から、
直接リンクが貼れません。
URLをコピペして飛んで下され。

上記の教諭は、
よくよく追いつめられて、
行方不明と言う形で、
転地療養したと言えましょう。


私も、死ぬまで消えないと思っていた、
パワハラが原因の自殺願望も、

転地療養先でまさかの解消をみました。


入院して効果がある人もいると思いますが、
心の病に関しては、
すべての人に効果があるとは思えません。

お金掛かるしね。

それなら、
より達成感があり、
生命力を回復させる、
転地療養はいかがでしょうか。

クレジットカードが有れば、
(海外の場合はパスポートも)
決行可能です。

グループツアーは、
出来るだけ避けた方がいいです。

なぜなら、
「社会の縮図」だから。

心が追いつめられている人への効果は、
例えば、以下のごとし。


「死ぬまでにアンコールワットが観たい」
でかける。見える景色が変わると、
悩みも一時的に止まる。
観る。心を打たれる。
別に今死ななくても良いのではないか、と思える。


海を観に出かけてもいいし、
山でも良いし、
歴史ある街並でもいいでしょう。

ぼーっとする事が肝心です。

心を患っていると、
家でぼーっとするなんて、
出来ないですよね。

考えが堂々巡りになりませんか?

転地療養は、
場所を変える事で、
脳に、ぼーっとする時間を、
強制的に与える時間、とも言えます。

私の場合は、
遠出しないと、
家に帰りたくなっちゃうので、
遠出します。

遠出すると、
ある意味、
「すぐ悩みが解決する訳でもないし、
すぐ帰れないのだから、仕方が無い」と、
頭が切り替わるのです。

入院と同等と考えて、
長めの日数を掛けます。

ただし、財布と相談。。。。

とはいっても、
心が追いつめられている人は、
あの世までお金は持って行けないし、
深く考えるより、
出来る事をした方がいいでしょう。

真剣に悩みすぎると、
「生きていても仕方が無い」としか
思えなっくなりがちです。


今回の私の転地療養は、
二週間でしたが、

ラジウム泉に通う、
マッサージに通う、
毎日出歩いて筋肉を付ける、

という、
目標をつくりました。


しんどい人は、
家じゃなく違う場所のホテルで引き籠もっているのでも、
効果はあります。


温泉とマッサージは、
心の病というと、
心だけの問題のようで、

実際は、
筋肉が凝ったり、
血行が悪くなったり、
体中が痛んだり、

体にも症状が表れます。

泉質のいい源泉と
腕の確かなマッサージは、
体の不調を整えて、
血行を良くします。

脳に沢山血が回れば、
転地療養の効果も倍増です。


重要なのは、
「何とかしなくてはならない」と、
自分を追いつめない事です。

一二回で効果が出ると言う物でもないし。


私も、
正直、出歩くのがしんどかったです。

お金をかけて出かけているのに、
思うような効果が出ないと、

「帰国まであと何日しかないから、
それまでの間に何とかしないと」と、

つい考えたりしました。
これは良くないです。

それはそうと、
心の病は、

うっかりすると死んでしまいます。

外見が変わらないので、
本人も周りもそれほど重大に受け止めない場合が多いですが、

他のメジャーな病気で、
死ぬ可能性のある病気にかかった場合、

お金がないとか、
家から出たくないとかの理由で、
治療の手間とお金を惜しむでしょうか。

大抵の人は惜しみません。

私も、
転地療養から帰って、

カードの請求金額を怖くてみられませんが、

「職場復帰しないとお金が無い、
とか騒いでいたけれど、

複数の管理職にメールすら無視される状況で、
そんなハードルの高い目標を掲げて焦るのは、

ちょっと愚かだった」

と、考えられるようになりました。

以下の画像は、
台湾の茶芸館。

逸聲園です。

板橋夜市のまんなかに有ります。

ストレス社会、
いいお茶で時間を忘れる重要さを痛感しました。

独り用お茶、200元、水代追加無し。
お菓子、60元。
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by leea_blog | 2016-11-09 13:30 | Comments(6)