エルベレス  ギルソニエル   さわり編

エルフとは。


一口で言うなら、北欧神話に出てくる、神々と人間の中間的な生き物である。アルフハイムに住んでいる。エッダ『巫女の予言』には以下のように言及される。


アース神はいかに。妖精たちはいかに。全ヨーツンヘイムはどよもし、アース神は寄り集まって協議を重ね、岩壁の案内人、小人らは、石の扉の前で吐息をつく。おわかりか。   

  (エッダ—古代北欧歌謡集・谷口幸男訳)


北欧神話の構造としては、
     神々 — 巨人たち
     (対等)、
その下に、エルフ — トロール
        (対等)、
人間族はさらにその下に位置している、といったところか。

“妖精”という言葉が
ひたすら陳腐なイメージしか持たない我が国では、
妖精と言い換えると、ひどくそぐわない感じになる。
羽虫みたいなアレ、はかなくて燐光と共にひらひら跳んでいるやつとは別物である。

美しい、戦さも強い、
不死の種族で、手の技にも優れている。
不死の種族ゆえに、大抵、賢者である。

これらは、一般的なエルフの話である。


-----------------------------------



『指輪物語』や『シルマリルの物語』で
J・R・Rトールキン描くところのエルフは
別の神話世界に属している。
「エルフってなに?」「妖精の一種」。
そういう説明が無謀だと知るため、
ちょっと長いが以下をご覧下さい。


まず唯一神と推測されるイルーヴァタアルがおり、その下に偉大な精霊で「神々」であるヴァラアルがいる。エルフはイルーヴァタアルが作った最初の子である。人間の兄貴分(長上族)で、人間に高度な文化を教える。


イルーヴァタアルは下記の如く言った。

「見よ、われは地球を愛す。地球をクウェンディとアタニの住まうべき舘となさん! クウェンディを地上の全生類のうち、最も美しき者となさしめ、すべてのわが子らのうち、最も高き美を所有し、案出し、産み出す者となさん。かれらには、この世にて大いなる幸いを得さしめん。アタニには、異なる新たな贈り物を授けん。」

クウェンディとはエルフのことで、
アタニは人間のことである。。。。
一言で語れないのは私のせいではない。
トールキン氏の設定のせいである。

物語にはおびただしい固有名詞、地図や年表やエルフ語が出てくるが、それらはトールキン氏の創造物である。最初からこの世界の設定が違うのだ。エルフは精霊でも妖精でもなく、被造物なのである。


それで。
トールキン作品に出てくるエルフは、筆舌に尽くしがたい魅力的な生き物なのだ。その魅力は意識下最深部に作用する。普段は忘れて過ごしても、とある夕暮れ時にうっかり彼らの歌声を耳にしたが最後、ふらふらと付いていき二度と戻って来られない事は、必定である。

人間の分際を越えた美への渇望と、
知への欲望をそそって余りある。
お下品な言い回しを敢えてすれば、
“そそられまくる”と言えよう。


『指輪物語』でホビット族のビルボ・バギンズが、家督を甥に譲った後、エルフの舘で暮らす。ビルボは言う。

「ここは暖炉がとても気持ちがいいし、
食べ物も非常に上等だ。
それにエルフに会いたきゃエルフはいるし。
これ以上何が望めるだろう?」

まったくだ!
エルフに会いたきゃエルフはいるし?
限りある命の人の身やホビットに生まれて、これ以上の老後生活があるだろうか。

   続く
[PR]
# by leea_blog | 2003-04-13 03:04 | Comments(0)

エルベレス ギルソニエル 再会編。

夏の嵐に近い風雨であった。。。。
気圧の変化に弱い私は昨日から貧血状態、今日初めての食事をようやく終えた。
「そんなあなたは、昆明に引っ越すのもいいですよ。一年中春なんです」
とお薦めをいただいた。中国の昆明のことである。
一年中、春か。
常春(とこはる)の国ですね?
ティル・ナン・オグ、ケルト神話の至福郷をすぐさま連想し、心は歓喜した。

四季の国、破壊と再生の台風も夏にはやってくるこの国は捨てがたい。
が、季節の循環の荒々しさが身体に与える悪影響は、
我が儘な恋人と暮らすのに似ている。

++++++++++++++++++++

エルフ語について。再会編。

2003年4月1日。
職場のパソコンで各種情報を検索しながら、私の心は憂いに沈んでいた。
指は、憂いのあまり、我知らず、中学生時代の記憶、エルフ語を打っていた。

Elbereth Gilthoniel

エルベレス ギルソニエル。エルフ語である。
ノートパソコンの画面にはずらりと検索結果が表示された。

おおっ! ! !

Ancalima
アンカリマ。これも試してみる。

ををっ!

感涙の瞬間であった。

英語サイトだが、エルフ語より難解ということはない。
こうして私は何十年来記憶していた言葉の意味を知ったのだった。

神様、インターネットが面倒で嫌だなんて二度と申しません!

“二度と”とはネット苦手の私としては激情のあまり口走っただけで、
これでネット中毒になることは無いと思うが、素直にインターネットのある時代を有り難く思ったのは間違いない。

エルフ語って一体なに? なんでりり野は何日にも渡ってエルフの事ばかり書いてるんだ? と不審を抱かれる方も多いであろう。

以下続く。
[PR]
# by leea_blog | 2003-04-08 01:52 | Comments(0)

峰峰の氷の焔。梅花悩乱、桜花擾乱。

先週の金曜日にはちらちらと申し訳程度であった桜の花が。

今日は氷の如くに満開。
地には細かな花びらが散り敷いている。
人々は明日の雨を気遣い、今週の末には残らぬだろうと囁きかわす。


私は、吉野の桜を今年も見られぬであろう。
花の季節は花見休みを与えるべきだ。



  リンク集、遊行小径に
  エルフ語サイト様を二つ追加しました。


エルフ語へのコメントはまた後に。
  感動の勢いが余って
 『闇シルマリリオン・謀略編』を
  書き上げ例によって没にしました。
  
[PR]
# by leea_blog | 2003-04-01 01:51 | Comments(0)

Nightfall in Middre-Earth でしばし息抜き。歌合わせの可能性。

シルマリリオン再読でこれほど消耗するとは思わなかった。
昔、これをどう読んだのか思い出せない。


二、三ページ読んで本をパタンと閉じ、額に指をあてて考え込み、気を取り直してまた本を開く、そして何ページか戻り、さらにかなり先のページをたぐる(再読だからね)という状態で、進まないこと、進まないこと。とてつもない悲嘆と壮麗な美への賛嘆に心ならずも呪縛され続ける心地で、これは私にとっては危険な書物である。


記述が消耗するのは常だが。読むのは快楽でありたい。


そこでしばし頭をからっぽにするべく、amazon.comで見つけたCD、『NIGHTFALL IN MIDDLE EARTH』を、繰り返し聴きまくったのである。
amazon.comの商売の上手さ加減とネット本屋の限界に言及したいが、それはまた後として。


   ++++++++++++++++++++


以下、シルマリリオンが元になっていなければ二回は聞かなかった、という保留付きでコメントします。


ジャンルはロック。残念ながら私は評する耳を持ちません。
何これ、と思いつつ一回聴き、続けて二、三度聞くうちに、馴れて次第に歓喜がこみ上げ、さらに聴くうち美しいと思うところを拾えるようになりました。


歌詞は、エルフたちの心情面に迫って、シルマリリオンでは淡々と記述されているにもかかわらず読者的に激しく動揺する場面をうまく拾っています。なかなかよいかも知れません。作詞者はシルマリリオンを繰り返し読んでいると推測され、思い入れも深いようです。


しかし。
英語力が猿に等しい私が言うのも何ながら、日本語訳歌詞は、訳する際に調べたり問い合わせたりをしていないようで、これでいいのか?と目を剥きました。
CDの歌詞の訳はそんなものだと人は言う。文学の翻訳では、考えられないことです。。。。


ブックレットには歌詞の他に散文が掲載されていて、こちらは別の人が翻訳しており、かなり良い。いえ、凄く良い。この原文はもしや散文詩か?、と見れば、こちらの原文はドイツ語でした。私は全く読めず、辞書も手元に無く、引き下がりました。
散文はシルマリルの造り手フェアノールの七人の息子の一人、伶人マグロオルの一人称で語られるのですが、秀逸。
シルマリルの物語の深淵に降りて行き、巫術的にノルドオル王族の眼差しを獲得して浮上を試みる作者は誰?、とブックレットを確認、歌詞も散文もHansi kurschというお人。私の、このアルバムへの醒めた視線がにわかに敬意を帯びたのでありました。


歌の方に戻って。
エルフたちも悲しみが深すぎて歌にしないという、エルフ王フィンゴルフィンと冥王モルゴスの一騎打ちがしっかり歌なっているのも良し。
歌にしちゃうのか? こういうのも有りなのか?
しかも「これがエルフのノリだ!」といわれれば「確かに」と頷ける説得力あり。
変化に満ちた一曲は宴の席で歌っても可で、フィンゴルフィンの気高い献身と絶望は、聴く人々を苦難に立ち向かわせて余りある。


音楽はありがたいもので、勇壮にして悲壮なイントロでフィンゴルフィンを讃えるモードに入れます。気がつけば

“The Fate of us all
 Lies deep in the dark
 When time stands still at the iron hill”
“Praise our king Praise our king
 Praise our king Praise o〜u〜r ki〜ng”

と、一緒に歌って近隣の訝しげな視線を浴びること必至。聴いてもらえばわかるんですが、この部分はコーラスで繰り返され、沈黙して聴けというほうが困難なのです。



シルマリリオンのどこを歌や曲にするか。
どこをピックアップしたいか。それを作って比べる遊びができそうだ、と、はからずも思いついたのでありました。
[PR]
# by leea_blog | 2003-03-21 01:50 | Comments(0)

走り書き的かんそー・「王の帰還」映画版、ちょっとなぁ編

映画版「王の帰還」。
見るに値するとは言わないまでも、まあまあ良かったんじゃないか、に続いて、【ちょっとなぁ】編です。


☆原作を思い出すと苛々がつのるので別物と考えましょう、と提案したが、まるで思い出さないのは無理というもの。私は原作が好きだから映画を見たという程度なので、「ちょっとなぁ〜」を書き出してみれば、どれも原作と比べた不満でした。


期待しなかったはずなのにそれでも「これはあまりに安っぽいだろ!」と、愚痴に似たフレーズが繰り返される悲しいファン心理の走り書きになった。映像は安っぽいとは言えないが、話の内容が、そのう、、、、。
分かっていても、「もしかしたら凄く良い場面もあるかも知れない」と見てしまうファンの業と言いましょうか。



---------------------------------------

【ちょとなぁ、のところ】

☆灰色港から出航するエルフの船がちゃち。 船にはお偉方(エルフの三つの指輪の所持者)ばかりではなく他のエルフも沢山乗るであろうに。去って行く者が壮麗だとラストシーンが損なわれるという考えか?  

☆ゴラムの、「わしら」というのは「本人」と「いとしいしと」の事じゃないか? 「善い自分」と「悪い自分」をわしらと言っている映画版は、一つの指輪の力を描くことを捨てて、分かりやすい「ゴラムの苦悩」になっている。説明的で安手。

☆指輪の幽鬼がただの怪物。
彼らの真価は人間の理解を超えた恐怖と絶望を運ぶ所なのだが、映画ではその恐怖が「戦闘能力の高い化け物と闘う恐怖」に堕ちていて興が醒める。

原作は。ローハンのエオウィン姫はアラゴルンに愛を受け入れて貰えなかった。その絶望のままに、死地を求めて男装し、ナズグルの首領の前に立ちはだかる。絶望ゆえの怖れ知らずのみがなし得る行為であり、凄惨で美しくもある。
映画では姫を駆り立てる絶望がカットされて、「大切な人たちの為に恐怖に立ち向かう女戦士」に堕ちている。映画の、「勇敢だけど非力な姫が怯えつつ闘う構図」は、申し訳ないが安っぽい。
しかも美人じゃないし、、、、。

ナズグルの首領が男装のエオウィンに邪魔だてすると殺さぬぞと脅しを掛ける場面も省略されていた。死は戦さに付き物だが、中つ国では殺されずにモルドールに(シルマリルリオンの時代ではアングバンドに)引いて行かれる方が死よりも恐ろしいのである。その脅しのセリフがあるのと無いのでは全然違う話になる。

原作的には冥王や指輪の幽鬼は、怪物的な外見は必須ではない。映画では単純に『怪物対人間(良い妖精族がちょっと人間を援助)』のようにシンプルにしたかったのだろう。

☆シュロブとその洞窟もただの怪物映画。。。。
原作のこの辺りは結構好きな部分で、真の闇と深淵の絶望の中でこそガラドリエルの玻璃瓶の光(エアレンディルの星の光、シルマリルの遠い輝き)が意味を持つ。が、ただの大蜘蛛との闘いに堕ちている。期待しなかったが、、、、。面倒くさい心理描写より大蜘蛛の動きの見事さの方が、お客に受け入れられるという考えなのだろう。

原作では、玻璃瓶の光に、“アイヤ エアレンディル エレニオン アンカリマ”、と、知らないエルフ語がフロドの口を突く、あたかも別の声が彼を通して叫んだように。読んでいて震えるような場面である。フロドは伯父のビルボからエルフの歴史やエルフ語を習っている。エルフ語の知識はあっても、どうして今そんな言葉が出たのかわからないという意味で未知の言葉である。おそらくは上古のエルフ達が口にしていた、呪術的な詩の一節。

自分ではない何かが深淵から叫ばせる言葉。それは意識の遙か底の部分が、生きた神話伝説の時間と通底する瞬間で、ガラドリエルの玻璃瓶の光がその水路を開いたのである。呪言としてのエルフ語。呪術としての星の光。

続くサムとシュロブの死闘でも、サムの喉を突いて迸る、エルフの言葉がある。サムはフロドと違い、エルフ語は知らない。(知識のあるフロドに作用した深淵の力より、さらに強い力となっているのを読者は知る)

ホビット達のあずかり知らない、人間誕生以前に遡るエルフ達の歴史、神話の一部。その帯の端が生き物のように暗黒の場キリス・ウンゴルに届いている。
(なぜなら玻璃瓶の光に閉じこめられた星の光は、天空を船で渡るエアレンディルが額に結びつけた宝石、シルマリルの光。シルマリルとは中つ国から遙かに隔たった神々の土地アマンにて、フェアノールが作成した三つの宝石。フェアノールはノルドール族の始めの王フィンウェの長子であり、シルマリルはアマンを照らした二本の木の光から作られ、その木は、、、と、人間が此の世に生まれる以前、月と太陽が現れる以前までたやすくしかも一気に遡る)

そのように知らず喉を突いて出たエルフの言葉はサムを自分自身に立ち返らせ、立ち向かい難いものに立ち向かわせるのである。
映画では、そういう話は完全に無視。期待しなかったが。。。

☆サムが主人のフロドが死んだと思い違い、自分が指輪廃棄の旅を続けると決断するにいたる葛藤も、大人になってから読み返すと心を揺さぶられる場面である。
原作では「サムワイズ殿の決断」と題して一章を割いている。フロドの世話をするため&エルフ見たさで付いてきた庭師のサムが、“サムワイズ殿”と呼ばれるに値する存在に変化してゆく重大な場面である。真の闇(物理的な闇でもあり、フロドを失って一人きりになったサムの心の闇でもあり、中つ国の深部に澱む力を持つ闇でもある)の中、おのれの卑小さを一枚、一枚脱ぎ捨ててゆく。

が、映画では。
「フロドを指輪ごとオーク達に奪われてすべてがお終いと思われたが、実は指輪はサムが持っていた」(!)という話になっている。期待しなかったけどあまりに安手ではないか。。。。

それにしても、大人になってから読み返すと、昔は気に留めなかったサムの描写にひどく心を揺さぶられる。愚かしいまでの無償の献身がエルフの宝石の如く貴重なものだとは、大人になって理屈抜きにわかるものだ。酒みたいなものです。

------------------------------

そういう訳で。
原作があると考えなければいいのかも知れない、この映画の三部作は。冒険アクションファンタジーとしてなら、別にとりわけひどい内容でもないのかも。風景綺麗だしね。しかし、私だったら、この映画を見てから原作を読もうとは思わないだろうな。。。。

いや、映画見て原作を読みたくなった人も多いと聞くし、文句言う事ないんだけどね。。。
[PR]
# by leea_blog | 2003-03-13 04:17 | Comments(0)

シルマリリオン再読で痛手を受ける事。飲めや踊れの時間が人間には必要、ということで。


はあ、、、。

シルマリリオンを読み返していたら、映像イメージが広がって何も手に着かなくなった。膨大な登場人物(登場するのは人はわずかでほとんどエルフだが)の一人、フェアノオルの夢を見て、目覚めがやや良くなかった。疲れていた。


「他人の創ったイメージを見ることによってあく抜きしよう」と思い立ち、ロード・オブ・ザ・リングの第二部を見に行った。
シルマリルの物語は、指輪物語より前の神話や歴史のお話なのである。


映画は他者の作品であり、他者のイメージしたものだ。文字は、映像、音、質感、匂い、時間の感覚、悲嘆も歓びも、果てなく想像させる。そこが素晴らしいわけだが、まあ、今はシルマリリオンでトリップしている時間の余裕と心身の余裕がない。そこで、他者の作品で自分の内部にひたすら生まれるあくを抜こうとしたのだった。しかも早急に。出かけるのに時間調整が必要な私としては異例の早さで見てきた。


エルフが人間より俗っぽい映画をもって、エルフが此の世の何よりも美しい物語から受ける痛手を癒そうとしたのだった。物語によって「此の世のものとは思われない!」、と激しく揺さぶられたあとには、むしろ安心して見ていられる。実際、安全であった。


優れた物語は、毒であり薬である。深部に作用するものは毒だけか薬だけかということが無いゆえに。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++


蛇足メモ

3/10  フェアノオルの譲渡の夢

森の中の庭。狭いが立体的、薄緑のもやに包まれている。知人が来る。知人の領する大気の一角をケーキを切るように切り分け、持ってきてくれたのだ。「これがフェアノオルだ。あなたが好きなのではないかと思って持ってきた」と、譲ってくれる。
何と貴重な物を譲ってくれるのだろうと嬉しかったが、夢では私は淡々と受け取る。だが、譲られた火種は私の庭にはとどまれない。火が消えてしまったのを見て、知人は今度は土を銀のシャベルで掘り崩し、火のように燃えている一角を根こそぎすくって譲ってくれる。土は、溶鉱炉で溶かされてゆく鉄のように黄金に燃えている。そこから半透明の姿が立ち上って、三十センチくらいの像となる。白い衣をまとった男のエルフで、何かしきりと叫んでいる。こちらのことは見えていないようだ。
知人は心配そうに言う。「火の性質が外見と一致している。火が強すぎてどこでも持て余している。処分するわけにもいかない。あなたはどうだろうか」
あちこちたらい回しにされたらしい。見ただけで騒動の種だとわかる。いくつか世界が壊れかけたようだ。私の領国は知人たちのところと少し性質が違うので、やっかいとは思わない。「貴重なものは大抵はそういうものです」と言って受け取る。
[PR]
# by leea_blog | 2003-03-12 01:49 | Comments(0)