呪術としての日常・護身の刃

三月なのにこの寒さ。しかし、木々には花が。
こぼれている、白に桃色、淡いい紅、濃い紅。


冬のやつれに春先の疲労が加わっておまけに『揺蘭』原稿が進まない、更に、残業続きで食欲もない、というのに。
カスタムフォールディングナイフショーに出かけてきました。カスタムナイフの展示即売市ですね。


一点物の刃物は魔物だ。
遠くからこちらに合図を送ってくる。
刃物の視線は遠方に煌めく海原の呼び声に似ている。
海原と違って、ポケットに入る。


“なぎ”と名付けた女性用ナイフを失った私は、
日常の守りとなる別の子を探していた。
誰でも良いわけではない。無心なだけでは守りとならぬし、実用一辺倒では邪は払えぬ。作家に聖と魔が同時に作用していなければ、ただの素敵なナイフになるだろう。


魔界に引き込まれたと自認する刃物作家さんと話す内、
入魂の刃を手にとって眺める内、気持ちが晴れてくる。
神々の一族であり深淵の魔物である物語の魔、
とは、形は違えど、根底は同じであろう。


昨年からしきりに迷ったが、日常用を購入した。
幾つか注文を追加して、仕上がりを待っている。
嬉しい。いい子に出逢うのを待った甲斐があった。
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# by leea_blog | 2004-03-07 04:16 | Comments(0)

走り書き的かんそー・「王の帰還」映画版


寒い〜。おまけに過労気味。
予報で雪が降るかも知れないと言っていたと言うのは本当か?
まったく雪でも降りそうに寒かった。


ばてばての水曜日、「ザ ロード オブ ザ リングス」映画版三作目を見てきました。


三作目になると馴れてきて、ストレスあまり無かったです。一作目、二作目は、「なんじゃこれは〜〜」と心中叫んで集中しにくかったが。普段、文章をうだうだひねり回している人は、音楽とか映像とかは頭の違う部分を使うので、ほんと、リフレッシュになります。しかし、この映画は原作読んだ人と前二作見た人以外はさっぱり分からないんじゃないのかな、ストーリーが。


近くにシネマコンプレックスがあります。落ち着いてゆっくり鑑賞できるいい環境。今回、インターネットで座席を予約しましたがこれはお薦め。並ぶのは嫌、早めに行ってチケット買うのも時間が取れない、という我儘さん向け。 50〜100円の追加料金で席が予約出来て、チケット受け取りも並ばずに済むのは嬉しいです。

で、面白かったか、と言うと。料金分は楽しめるのではないか。


【原作ファンの為の、苛々解消鑑賞ポイント】
☆特撮アクション系娯楽作品だと割り切る!
☆原作を思い出すのはやめる(特にエルフの設定)。別物だと考えよう。
☆見ていて不満が頭をもたげたら、建築物や衣装、風景に気を向ける。
☆エルフがアップになったら「五体消滅 六根清浄」と心で唱えまくる


エルフの登場率が低かったのも、今回素直に見られた理由でした。「見に行っても損と言うことも無いですよ」と、かなり消極的ではあるが、評価できるのではないか。で、まあ良かった方に入る点を思いつくまま挙げてみました。(原作読んだ人か、前二作見た人限定)

【見ても損は無い、と思ったところ】
☆フロドが美形
☆ゴンドールの都、ミナスティリスが複雑にして壮麗
☆ゴンドールからローハンに救援を求める烽火が次々と上がってゆく景色
☆戦闘シーンがうざくない。むしろ良かった
☆破城槌のグロンドがいかにも邪悪な感じで、呪力ありげで、しかもシルマリルリオンを思い出させた。見とれた。
☆ムマキルが凄い
☆(番外)フロドに「帰れ」と言われて泣きながらキリス・ウンゴルの階段を降りてゆくサムに笑った。旦那に帰れと言われたからって、こんな危険な所でホントに帰るつもりだったのか??? 


二作目では、原作には無い部分の、戦で犠牲になる戦士や女子供の悲惨、老王の苦悩等、人間族が思わずほろりとしそうな部分の描き方が通俗きわまりなかった。今回はそういった部分が押しつけがましく無く、結構悲しかった。隣の席の女の子がこっそり涙拭ってたりした。
(暗いところでもそういう動作は結構目立つ物だと知った。映画って、心底感動したわけでもないのに泣ける事が多くないか? 本当に感動して泣くなら良いのだが、自分で「ちょっと嘘っぽい」と感じる涙は、沽券に関わるとまでは思わないが、気恥ずかしいのでちょっと困る)

そういう場面では、以下の辺りが印象に残る。
☆ローハンからガンダルフと出立するピピンを送り出すメリー。ピピンに冷たくするが、急いで塔に駆け上がり、遠ざかる二人を見送る無言の心中が泣けた。
☆戻る望みの無い出撃を父に命じられて出立するゴンドールのファラミアと部下達。ミナスティリスの白い石畳を騎馬で降りてゆく彼らの足元に、ぽつりぽつりと花を投げる、都の人々。


【ちょとなぁ、のところ】は、後日に続く。
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# by leea_blog | 2004-03-03 04:14 | Comments(0)

世の中には電話魔や手紙魔や待ち伏せ魔や妄想君もいるんだし、、、、

桃の季節が。知らぬ内に
桃と白酒、ひいなのかんむりの麗しい季節。


寒暖の差の激しさに、体調崩し気味です。。。。
今年は梅林にも出かけてないわ。梅の香にまみれないと冬の邪気が抜けないわ。



え〜と。【個人情報を大切にしましょう】、の、話。
知人の嘆きが耳に入った。ちょっと困った事です。


イベントなどの案内葉書を出しますよね?
宣伝してくださるのはとても有り難いながら、そのままスキャンしてホームページ等に掲載なさる方も多いようです。見る方としても、案内葉書やチラシのセンスで、関心惹かれる度合いが違いますからそのまま載せてくれるのは有り難いし。
で、葉書の連絡先に【個人の住所】が載ってると、それもそのままネット上で見られるようになってるのがあるそうで(笑)
それはマズイだろ !(汗)


個人の住所も公開(!)する場合は、当人に一言、確認取りましょう〜。パソコン持って無い相手には、インターネットがどういうモノであるか、ちゃんとメリットとリスクも説明しましょう〜。


ま、一般的には個人の住所は載せないよね、ホームページに。ちなみに「迂路くず」に載ってる個人情報は、本人に「ホントに良いんですか〜?????」と確認取ってます。


今回は、その知人が嘆いているのがちょっと嬉しかった。危機意識が薄いかな、と思われていたお人で、つい半年前までは、「個人情報に関するりり山の考えは前に説明しましたよね(怒) 」という一幕もあった。


現代詩の関係の方は、こういう事におおらかな傾向があります。


そういうのが平気な人に、なぜそれをされると嫌な人がいるのかを説明するのはわりと大変です。「気むずかしい人」で片付けられがち。


インターネットは論外として、「誰々さんの連絡先が知りたいんですけど」と言われれば、本人に「教えて良い?」と確認取らずに教えちゃう。「詩人は年末になればどーせ本屋で売ってる雑誌に個人情報掲載されるんだから、今自分が教えても差し支え無いだろう」と判断しての事だと思うのですが。そして、「詩が好きな人に悪人はいない」とお考えでの事だと思うのですが。さらに、「もっと読みたいと言ってくれる人は作者にとっても嬉しいはずで、問題はあるまい」とお考えと思うのです。よーするに悪意じゃない事は理解できるんです。


元々「誰々さん」の住所を知っていて、アドレス帳を無くしたので知りたい、とかなら教えて良いんです。ようするに世間的な良識で判断すれば良いことで。



イベントのビデオを断り無くネットに流されてしまった知人の話も聞きました。それは凄すぎる。面倒かも知れないけど、「流していいですか〜」と一声掛ける習慣を。
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# by leea_blog | 2004-02-29 04:05 | Comments(0)

   外は風と雨、春近し



遊行小径に
J.R.R.トールキン 出典・フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)
を追加しました。

ウィキペディアは、利用者により書き加えられてゆくフリーの百科事典、のようです。インターネットらしい試みで、そういうのもあるのかぁ、と感心。

なんとなく関心持った人向け。トールキンの著作も未邦訳分含めてリストアップされてるし、外部リンクも良いです。





だがしかーし。

文学の扱いにいささか真面目な人が読むと、突っ込みが入りまくりそうである。試み自体が面白いし、善意の人たちが無償でやってる事だ。細かい事をあげつらうつもりは無いが、短い文章の中で、これはどうか! ! !と思う記述が目立つのだ。。。


個人のホームページなら主観満載でいいし、独断と偏見がカラーになる。しかし、百科事典を名乗るなら、不特定多数の利用者に対し親切であるべきで、知らない人が読んだ場合の誤解は、最小限に押さえるべきではないだろうか。

“あなたが精通している事があれば、ぜひ執筆して下さい。”という趣旨からしても、通りすがりが簡単に直せない本文部分は冷静であった方が良いと思った。と言うのも、あまりに趣旨が違う文章に対しては、自分の知識と時間を費やして付け加えの作業をしたい人は少ないと思われるからだ。



***************


幻想文学がいかに色物に見られているかに驚いて、以下、疑問点に突っ込みをいれてみた。トールキンに限った問題ではなさそう、と思ったからだ。

例えば。《 》内は引用。


生涯の欄では

《トールキン研究家は、この戦争は彼の作品に強い影響を及ぼしたと説明している。つまり、20世紀における工場、機械の乱立・製造、銃、兵器の発達というおぞましい現実からの逃避の方法として、ファンタジーを見いだしたのだと。》

戦争体験が作品に影響を及ぼすのは特に否定しないが、《つまり》以下に繋げるのは短絡的すぎる。せめて誰の記述か明記すべし。その研究家の意見が適正だと誤解されるような引用方法はいかがか。トールキン未読の人がこれを読めば、ろくでもない作品を連想するに違いない。逃避という言葉を作者が使ったにしても、一般の人が使う意味かどうか検証してからにしよう。


著作の欄では

《1960年代 、『指輪物語』は多くの学生たちの間で好評を博し、それ以降高い人気を保っている。その一方で、何人もの(特に北欧神話を専門とする)学者たちは、トールキンが使用した資料に感づき、この作品は古典から素材を得たものだと考えている。》

わざとやっているんではなく、言葉の選び方に無頓着なだけかもしれないが。《その一方で》とか《感づき》という表現は、どういう意図があるのだろう? 学者じゃなくても、北欧神話を読んだことある人は子供でも分かる事だと思う。執筆に際して古典から素材を得るのが、ぱっとしない事だと言いたいのであろうか。。。。


《トールキンの小説の読者を魅了した特徴の一つは、その単純さである。中つ国には統治機関はあっても官僚制度はない。農業や手工業はあっても、現代的な経済観念はない。生活風景はあっても、セックス描写はない。神々はいても、宗教はないに等しい。魔法はあっても科学はない。さらに、きわめて非現実的である。たとえば、森に覆われ農作地を持たないロスローリエンの王国が、敵地のただ中にあっていかにして食料を得ていたのか、ということにトールキンは何ら説明をしようとしない。》

ううーん、困った。いちいち突っ込むのは申し訳ないのだけど。

《トールキンの小説の読者を魅了した特徴の一つは、その単純さである。》 「単純さ」に魅了された人って多いのか。根拠がわからない。面倒で読むのを投げ出す人なら多いが。トールキンの文章自体はくどくどしく無いが、文体の事を言っているのでは無いようだし。


統治機関はあっても官僚制度は無い、、、。人間の王国にはあったのではないか? 

現代的な経済観念は無い、、、。現代の話じゃ無いんだから

セックス描写はない、、、、、。生活風景を入れたらセックス描写も入らなくちゃいけないのか??? 

宗教はないに等しい、、、、。宗教が無いとなぜ納得できない??? 作品に出てくる神々は我々の世界の神々と同一じゃないのだ。同じような宗教が生まれないのは無理は無い。

魔法はあっても科学がない、、、、。人間の王国には時代設定に即した科学はあったでしょう。現代と同じ科学は当然無いでしょう。魔法は予想されるほどは出てこない。
エルフやイスタリの、魔法に見えるものは人間やホビットから見たら魔法にみえるが、エルフ達には科学知識ではないか? 飛行機を知らないにとっては鉄が空を飛ぶなんて魔法だ、という具合に。
人間やホビットの思いこみ(ひいては我々読者の思いこみ)を、思いこみであると知らせる場面は繰り返し出てくる。


つまり、現代と同じ設定か、現代とどう違うか細かく説明してある作品じゃないと駄目で、文脈を読むことが出来ない人なのだろうか。推測や連想で読み進める作業が出来ないタイプは、文学読むのは厳しいだろう。。。。特に幻想文学。。。神話や伝説を読んで、「こんなの嘘じゃねーか」と言うだろうか。


《さらに、きわめて非現実的である》 海に潜って、陸の生き物がいないと文句言うに等しいです。
だってね、ロスローリエンはエルフの領土。人間は住んでいないんです。エルフは人間みたいにひっきりなしに食べて寝てセックスして病気になったり年老いたり死んだり、という種族じゃないんですよーーー。エルフがいかに人間と違うかは本文中に幾らでも出て来るじゃないですか〜。


不死の種族を人間と同じ条件で測って《非現実的》と指摘する、その方法自体が《きわめて非現実的》ではないだろうか。大体作品にはこの世にはない植物等が沢山出てくる。ローリエンのエルフが居住しているマローン樹もそうだ。自然の恵みは沢山あるし、家庭菜園程度の耕地があれば彼らには十分と思われる。

人間ではないエルフやドワーフが出てくる事自体に目をつぶって、エルフの領土の農耕地や食糧事情を非現実的というのは理解不能。


《トールキンは何ら説明をしようとしない。》 エルフがいかなる種族か、本を読んで頭に入っていればもう少し違った疑問になるはず。作者は困った読者の勘違いな疑問に説明する労力を、他のことに向けて欲しいし、向けるべき。作品理解に必要な質問には作者は答えるであろう。。。。トールキンはもう此の世にいないけどね。



《『指輪物語』の成功に続いて出来上がったファンタジー文学というジャンルに、多大な影響を残している。》

ファンタジー文学は、『指輪物語』の成功前には無かったのか????
『指輪物語』以降のファンタジー文学に多大な影響を残している、というのが正しいのでは。


余談だが、ポール・アンダースンが『折れた魔剣』という作品を書いている。北欧神話等に準拠した作品で、エルフやドワーフ、トロルなど、トールキン作品で有名になった種族が主な登場人物である。そのため、作者及び関係者はこれが『指輪物語』以前に書かれたものだとさりげなくも一生懸命アピールしなければならなくなった。


作品に地図や年表を付けたがる作家は、『指輪物語』以降の作家であれば、仮に読んだこと無くても“影響を受けた”とされて悔し涙を呑む事になる。長い作品書く時はトールキンじゃなくてもやるんだけどね。なぜって、書いていて分からなくなるじゃないですか。

あれやこれやで罪作りですなぁ〜〜。
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# by leea_blog | 2004-02-22 04:03 | Comments(0)

梅花悩乱の季節

ようやく、少し暖かい日が、ちらほらと、まだらな感じで、
出てくるようになりました。

寒さの余り、キーボード打つのもしんどかったです。
ああ、もうじき冬も終わるのだ。。。

部屋には早咲きの桜の枝が、無造作に硝子瓶に投げ活けてある。
今冬最後の牡蛎を、先の土曜に部屋で食べた。
小ぶりの女性の靴底ほどもある牡蛎の殻を、皿に盛って、
ナイフ二本を用意してこじ開けた。手は殻で傷だらけになった。皿に盛られた牡蛎は、少し開いたり閉じたりしつつ、海の中とは違う様子を気に留める風も無かった。
刃物を差し込んで殻を開いても、「痛い」とも「止めて」とも言わないのでこちらも「ごめん」という必要もなく、
殻をびっしり装飾する赤や藤色の海の生物や、内側の、牡蛎の滑らかな肉を賛美したのだった。

バレンタインデーは、例によって関心無かったものの、
洋酒漬け桜桃入りチョコレートを貰いました。

リンク集『遊行小径』にリンク一件追加しました。
近日中にコメントします。
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# by leea_blog | 2004-02-20 04:02 | Comments(0)

健康オタクでも何でもないが

一週間に多くて一度、自炊をする。
凝ったものは作らないが、外食中心の生活だと手料理は本当に贅沢に感じる。


食べたい食材を食べたい味付けで。うう〜ん、贅沢。


実家が「食」にこだわらない家風だったお陰で。いや、祖母の代から家事は不得手という伝統のお陰で? 長い間、自宅での食事内容に関心が薄かった。これはいけない、と感じたのは、体を壊して寝込んでからだ。

入院先で、食事療法や養生的生活の知識を得た。食べ物にも「陰」と「陽」があるという考えに驚いた。正直、そんなことを気にしていられるのは寝込んで時間が有る内だけだ、と思った。実際そうなのだった。時間と体力は限られている。嫁さんでもいない限り健全な食事はキープできない。そしてね、無農薬有機栽培等の食材は、割高なんです。
高給取りでもなく書物や絵の具代その他わけの分からない物に出費率高い表現関係の人は、やむなく食材にかける費用を削るだろう。


だがしかし。食事と睡眠は身体の基本である。多忙を理由におろそかにすると、間違いなく創作に影響が出る。
例えば、冷え性低血圧からくる、「坐ってるだけで痛みが酷い」。私なんか酷いもので、一時は「本も重くて持ち上げられない」状態でしたよ。本どころか鉛筆が重かったもの(汗)


「養生とは病気になったときだけすればいいものではなく、一生しなくてはならないものなのである」という考え方に触れた時には正直、気が滅入った。ムチャをするための養生なら一時的にやるけど、ずーっと健康に気を付けるなんて、要するにムチャするななんて、何のための人生なのか。


養生しなくてはならないと考えると気が滅入って人生が無意味に感じられてしまうが、鉢植えの花に水をやり日の当たるところに置き、霜よけを作る要領で、マイペースでやればいいのである。世話がやけるぜ、人体というものは!


さて、お医者の指示で取り敢えず塩を天然塩に変えてみた。味が全く違うのだった。無農薬有機栽培系の野菜を入手すると、それが、普通にスーパーで売っている野菜とは別物なのである。単に美味しいか美味しくないかの違いと言うより、「植物の体裁を取ったもの」と「ホントの植物」くらいに違って感じられた。


職場からの帰り道に、「こだわり市場」という食材屋がある。
無農薬・減農薬の野菜果物から乾物、麺麭、乳製品まで各種揃えている。珍しい物も多くて、よく立ち寄る。


12月は、平飼い有精卵の「初卵」を買った。
ニワトリが初めて生んだ卵を初卵と言うそうで、それを食べると風邪を引かないとか。縁起が良さそうで、小ぶりの卵が可愛く盛り上げられたパックを買った。平飼い有精卵って今は探さなくては無いけど、昔は卵といえば普通平飼いで有精卵だったよなぁ。暖めるとひよこになる奴。


先日は丸パンを買った。パッケージ文を引用しよう。

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酵母パン これが本物のパン自然味の魅力
パン焼き用の元種からパンの焼き上げ迄、イースト及び科学合成物質は一切使用せず、抜群の味の良い大自然が作った酵母をそのままパン元種に使い、しかも雑菌がないので酵母の魅力ある味と香りが、そのままパンの味になっています。これが本物のパンです。 原材料小麦粉(岩手県産)ライ麦 全粒粉 黒砂糖 天然酵母 食塩(自然塩)
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ううむ、あか抜けない宣伝文が何とも言えない。
“これが本物のパン”と“自然味の魅力”の間を一字分開けるべきとか、“抜群の味の良い”は“抜群に”と書きたかったのではないかとか、“酵母”にかかる語句が力が入りすぎて煩わしいとか、“しかも雑菌がないので”と言われても一般人にはよく分からないから同じ事を説得力有る別の言い方に出来ないか、とか、一読するだけで無意識の内に突っ込みが入ってしまうが、味は、確かに美味しかった。
バターやチーズ、蜂蜜を添えて、コーヒーかワインでシンプルに食べるだけで満足感がある。
むしろ、手の込んだ食べ方はしたくなかった。手の込んだおかずも、欲しくなかった。素材の良さが、シンプルに堪能することを求めたのである。


つつましい食卓の時代は、今と違って、食材そのものに存在感があったはずだ。パンとミルク、一片のチーズ。単に名前を並べるだけではつましいが、以下のような注釈を付けるとがらりと様相が変わる。
パンは無農薬有機栽培麦の全粒粉・酵母使用もちろん遺伝子組み換え麦使用せず、ミルクは天然飼料の放牧牛の乳・成分無調整・低温殺菌、チーズは上記の乳を天然熟成うんたらかんたら、そして食卓には美味しい天然の空気付き、マイナスイオンがたっぷり。

ああ。贅沢の質は変わりつつある。。。。。
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# by leea_blog | 2004-01-26 04:01 | Comments(0)