薔薇闇、くちなしの香り



梅雨の晴れ間は海が恋しい。


近日中に、デジタルカメラ写真コーナー、

『薔薇闇回廊』 ばら やみ かいろう  開設予定です。
[PR]
# by leea_blog | 2003-06-29 03:29 | お知らせ | Comments(0)

梅雨時、連絡つかなさの雑談


昨日はすさまじい雨でした。
非常階段から空を見上げれば、空が白いのです、
雨の飛沫で。
目の前の小さな公園から、早い勢いの濁流が道路にあふれ出し、梅雨と言うより台風の様相。
しかし、一時間ほどで雨は通り過ぎ、外勤に出たりり山はにわかに照りつける夏の陽射しに行き倒れかけました(笑) 慌ただしくも荒々しい夏の気配。
梅雨は、しとしとじめじめ、ひたすら長く湿っぽく降り続くものだと思っていました。おお、書いているうちにこよいは雷がとどろきわたります。
雷が鳴るともうじき梅雨明けだ、って言われてたよね、昔は。


先日、さきたまの実家に宛てた郵便物が戻ってきてしまうとの情報提供がありました。きっと転送期間が切れているのでしょう。えーと、どこに転居通知出してどこに出してなかったっけ。
夜逃げ同然だったので転居通知なぞそもそも出さなかった気もするが。根気よく連絡付くのを待ってくれた方々、ごめんなさい。
新連絡先はさいたま市の身内の事務所ですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。宅配便等は転送されます。

と、こうして書いていますが、インターネットするくらいの人ならメールで問い合わせるだろうし、ネットしない人は、ここに書いても見ないので全く意味を為さないのであります。


私は残念ながらまめではないが、まめな人でも転居通知を出す相手は限られているはずで、ネットは、付き合いのない小学校時代の知り合いを検索してみることも可能なのである。その人が本名でネット界に出ていれば、の話ですけどネ。
ネットは緊急で重要なことだと苛々が溜まるものの、ややどうでも良い事柄にかけては威力を発揮するものだなあ、と感心しきりです。


ところで、携帯電話が壊れました。データがみんな飛んじゃったんです。
携帯をあまり使わない私でも、これはかなり困りました。データのバックアップを取っていなかったのですね。携帯にしか保存してなかった連絡先が大夫あったんです。消えるときは予告無しに消える。デジタルデータとはそういうものだ。アナログデータとは違った接し方が必要だ。。。。


がっかりしても始まらないので、気持ちを切り替えてムービー付き携帯を購入しました。カメラやムービーは使わないと思うけど、新しい機種は操作が簡単でそれに惹かれたんです。

AUショップの綺麗なお姉さんに「どのような機能を重要視するか」と聞かれ、「アラーム機能!」と即答するりり山。他の答えを期待していたであろうに、親身に対応してくれたお姉さんのお陰でAUへの好感度はUPしました。


そして。携帯が壊れている時に限って、連絡をくれる人がいる。
ちっとも連絡付かないので心配した、というある友人は無事確認のためだけに職場に電話をくれました。ありがたいけど、そうですね〜、非携帯の電話番号知っているのだからそっちの留守電にメッセージ入れて下さるという手があるのですが。。。。
メールや携帯電話は人をせっかちにする作用があるみたいです。
[PR]
# by leea_blog | 2003-06-26 03:26 | Comments(0)

  雨時のけはい、夜の言葉



        
いろいろトラブルに見舞われましたが、6月6日、無事誕生日を迎えました。



幻想文学の深淵に降りてゆくことは、発展途上の理論の援護は届かない、闇の領域を歩むことだ。以下、引用。



理性的な思考も理性に基づいた倫理道徳も、想像力の活動している心の奥底の不思議さを“説明”することはできません。おとぎ話を読むという、ただそれだけのことでさえ、わたしたちは昼の光に保証された信念を捨て、暗い影に包まれた者たちの導きに身を委ねて沈黙のなかをすすんで行かねばならないのです。そして帰ってきたとき、わたしたちがどんな所にいたかを描写するのはとても難しいかもしれません。

(アーシュラ・K・ル=グウィン『夜の言葉』山田和子訳)

 

上記本収録の「アメリカ人はなぜ竜がこわいか」も引用。以下

「ファンタジーってどう思う。なにかファンタジーのこと、話して」。すると友人のひとりが言いました。「いいわよ、信じがたい話、教えてあげる。十年前なんだけどね、わたし、ある市の図書館の児童室へ行って、『ホビットの冒険』ありませんかってきいたの。そしたら司書の人に言われちゃった、「まあ、うちではそれは大人用の書架にしかおいてませんのよ。逃避的なものはお子さんたちによろしくありませんでしょ」ですって」
これには友人もわたしも大笑いすると同時にぞっとして、この十年で物事もずいぶん変わったものだと言いあったものです。

(アーシュラ・K・ル=グウィン『夜の言葉』山田和子訳)


それは笑うよ。「それは大人用の書架にしかおいてませんのよ」とは、別の意味で有害図書なのがばれてるからというなら、すごく分かるのだが。


『ホビットの冒険』を借りに来た子供に司書さんが「ほほほ、もっといい本もあるのよ」と謎の微笑を浮かべつつ、カウンターの陰からこっそりと渡す本は、『指輪物語』。それも読み終えると、司書さんはさらにこっそりと最大級有害図書『シルマリルリオン』を渡すのだった。子供部屋でそれを見つけた親が図書館に怒鳴り込む頃には、くだんの司書は行方をくらましていた。というように。


『ホビットの冒険』だけでやめるなら有害とはいわないが、関心を持った児童が禁断の地に足を踏み入れるのは時間の問題である。
知人の知人と『シルマリルリオン』の話をすると、決まって沼正三の『家畜人ヤプー』が引き合いに出される。


有害と有益は源が同じである。読む側にとってだけではない、作者にとっても、毒の杯は同時に霊酒なのである。
[PR]
# by leea_blog | 2003-06-17 03:23 | Comments(0)

呪術としての日常  音の復権 カラオケ余談


(前回のあらすじ)


      しかし、問題がある。
   私の知っている歌は、かなりの確率でカラオケに無い
             のである。。。。


 先日機種が豊富なカラオケボックスに出かけた折り、
      BLIND GUARDIANが無いか探してみた。
          この前買った「シルマリCD」の
                ロックグループである。




    以上、前回。今回は続き。


そのようなわけで、取り敢えずこのグループの歌があるのかどうかをチェックしたのです。
『NIGHT FALL IN  MIDDLE-EARTH』に入っている歌があれば嬉しいな、と思いつつ。


「フェアノールの呪い」あるだろうか、マンドス神のノルドール族への呪いの歌は無いだろうなぁ。

   slain you might be
   slain you will be
   slain you will be・・・・・


などと心で口ずさみつつ探したが、
やはり! 無かった。
それほど期待してなかったとはいえ、すこぶる落胆。
カラオケでマイナーな歌も幅広くカバーされる時代となっても、私の好みはまだマイナーらしい。

昔は「モスラの歌しか知りませんので」と言って、付き合いカラオケを逃れたものだが、今は「モスラの歌」はしっかりあるのだ。
ついでにモスラの歌のB面もカラオケにして欲しい。「インファントの娘」。数少ない、私の得意な歌なんです。


そのほか、歌える物と言ったら、とっさに挙げるだけでも、トルコで買ってきた音楽テープの地元流行歌、インドで入手の神への献愛歌、クリスティーナとウーゴの歌っていたフォルクローレ、中学時代友人にダビングしてもらったリック・ウェイクマンの「アーサー王と円卓の騎士」に入っている歌幾つか、友人が作詞作曲した歌幾つか。。。


ひと様が聞いたら
「そんなもん、カラオケにあるわけ無いだろ!」
と叫びたくなる顔ぶれである。そんなりり山が
BLIND GUARDIANならあるかも知れない、とこっそり期待するのも無理はなかったのだが。。。。。


さて、歌の得意不得意は関係なく、カラオケは人々のストレス解消に一役買っている。
カラオケに何を求めるかは実に人それぞれなので、一緒に行く相手を間違えると悲惨な時間となる。私が一緒に行きたいタイプは以下である。


◎謹聴モードを求めない
◎エクサスサイズと考える
◎サビだけ唄うのも互いに可
◎画面に出る映像も面白がって可
◎お馬鹿な歌や無気味な歌も可
◎踊り出す人が居ても驚かない
◎室内で異性に対して「自分のことが好きだからカラオケに  誘ってくれたんだ」と勘違いしない
  (  厳禁。多くの場合、問題が多い)


特別な注文ではなく、楽しく酒を飲むのとほぼ同じ条件である。
多くても四人まで。それ以上だと御拝聴モード漂いがち。
人が歌っている間に勝手な会話も出来ないので、メンバーによっては忍耐の時間となる。勿論、楽しむ心構えがあるメンバーならその限りではない。


ちなみに、一人カラオケも市民権を得つつあるらしい。
私はやった事が無い。ひとえに「照れ」が邪魔をしている。
誰にどう思われるかではなくて、習慣に対して、どうも照れてしまうのだ。


気心知れた知り合いの空き時間と、自分にふっと出来た空き時間が上手く合うことは稀だ。ほんの一時間、とてつもなく歌いたくなったからといって知人を呼び出すのも迷惑だ。
一人カラオケの普及は、野中の一軒家にあらぬ集合住宅が増え、家の中でろくに歌えない、という住宅事情も手伝っている。


嵐の夜の午前三時半、痛みで思わず目を覚まし、なんとなく雨の降る音を聞いていた。
雨の音に混じって階下の女性が歌を口ずさむのが聞こえた。
この辺りは、いわゆる生活音も少なくて、テレビをイヤホン無しで付けると隣近所に見ているチャンネルまで分かるくらいの静かさである。
さきたまの一戸建てでは大声で怪しい歌を歌っていたりり山も、小声で口ずさむのすら自粛モードである。


起きている人も居ない時刻に長く続く細い女性の歌声。私的には好きで、良いなあ、こういうのと思ったが、場合によってはストーカーな人が引きつけられる絶好のきっかけでもある。近所迷惑以外に、別の問題も起こりうる世相なのが悲しい。


「音」関係は、日常にたやすく割り込み混じり合う物であって欲しい。
自然にわき上がる「音」的欲求は、生命の欲求だからだ。
思わず声を合わせたり、踊ったりも、水の流れるように自然界の一部の現象だ。


     ++++++++++++++++++++++++


ところで、カラオケに無いなら、作詞作曲りり山で、即興シルマリ歌をやるという手もある。
(自作の話に曲付けるのも有りだが、それでは真剣モードになってちっともストレス解消できない。却下)


音楽の才能が無くても即興でやれる機械が開発されないものか。或いは、持ち込みCDやMDを即座にカラオケ化する機械。


  呪術としての日常の、そのひとつ。
  「音声の復権」
  「即興歌の復権」


即興詩の復権は????
あって欲しいが、他の人に任せる。
上記の理由で、私はストレス解消にならないのだ。
聴く側であっても、聴くに値する即興詩は真剣モードで聴いてしまうので、ストレス解消にならない。


「音」の力ではあるが、「言葉の力」が加わると「音楽」の持つ力とは、別物になる。朗読関係はまた後日、続く。。。
[PR]
# by leea_blog | 2003-06-03 03:19 | Comments(0)

呪術としての日常 音への変換

           呪術としての日常 音への変換


カラオケは私にとって、軽い運動である。プールやスポーツクラブで鍛えようとすると体に負担がかかる(医者談)。
ストレッチも毎日やるとなると飽きてしまい、大変苦痛なのである。そこで、カラオケ。歌はまったく不得手だが、カラオケの需要は歌が上手いとか上手くないとかは関係ないと考える。のど自慢とは違うのだ。


しかし、問題がある。
私の知っている歌は、かなりの確率でカラオケに無いのである。。。。


先日機種が豊富なカラオケボックスに出かけた折り、BLIND GUARDIANが無いか探してみた。この前買った「シルマリ音楽」のロックグループである。


3月21日のゆりうたではアーティスト名も書かず失礼しました、BLIND GUARDIANさん。


『NIGHTFALL IN MIDDLE EARTH』、
密林書店の紹介ページを貼っておきます。


輸入盤。視聴できます。
   ↓↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000HYXB/qid=1054558544/sr=1-6/ref=sr_1_2_6/249-2931885-4592350

日本版。視聴無し。
  ↓↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000006ED1/qid=1054558965/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-2931885-4592350


視聴と言っても、構成上、ちゃんと音楽になってるのは2と4だけであり、3なぞは叫び一声のみである。
3 はLammothというタイトルなので、シルマリル略奪後の、ウンゴリアントに殺されかけた冥王モルゴスの叫びであろう。音楽CD買う時の参考になるのか怪しい。2と4を聴いて嫌いなタイプの音楽じゃなければ、シルマリルリオンで動揺しまくった読者なら買って損無し。歌詞もディープなシルマリファンをぞくぞくさせてくれるし。


曲目リストが付いてるのは有り難いですね。好きなアーティストのアルバム欲しいと思っても、欲しい曲が入っているかどうかは重要な決め手です。
今回のりり山にとっては全く知らないアーティストだったわけですが、曲目リストで「怒りの戦いが最初に来てる」とか「にわかに焔流れる戦いが入ってる」とか「フェアノールの呪い聴きたい」とか、原作愛好者的にそそられてしまったわけです。



余談・・・亜米利加密林書店ではコレのカスタマーレビューが133もあり、みな気合いが入っている。音楽は「好きだぁーーーーっ!」という感覚が感想の言葉選びに直結するので、他人の「これが好きだぁーーー!」は、読んでいて気持ちがいい。


カラオケの話題が脇にそれた。。。。。
以下、続く。。。。。
[PR]
# by leea_blog | 2003-06-03 03:18 | Comments(0)

五月の末日、台風の湯船

五月の終わり。


        台風4号の激しいあめ、かぜ。


        夕刻、お風呂に出かける。


雨で遊びに行けない人々で混雑しているかと思いきや、かなりすいていた。
うれしや。サウナに入った後、屋外へ出る。
雨は小降りになったものの、台風特有の、なま暖かい不穏な風、雲の流れが激しい。


露天風呂は荒天時に限る。
雨が高みから落ちてきて、周りに波紋を描くが、浴場ゆえに、髪や服が濡れる心配もいらない。心おきなくあおのいて雨の落下を眺められる。浴場ゆえに、濡れて体温を下げる心配も無用。寒ければ潜っていればいいのだ、広い湯船に。空を凄い勢いで流れる雲が、周りを見慣れない景色に変えて、どこか遠方へ来たかのようだ。


雨の日をわざわざ狙って来たらしい人たちが周りにいた。
露天の湯にうつぶせに身を沈め、女達が人魚のように肩から上を湯からもたげて台風を楽しんでいる。不穏な風を「ああ、気持ちいい」、と歓ぶ。肉付きの良い婦人たちが雨を避けるでもなく白い椅子に居並び、静かに歓談する。


これが温泉のお湯であったなら申し分ないのだが。
温泉ではなくたって、広い湯船、何種類ものお風呂が近くにあるのは感涙物だ。(物件を選ぶに当たって、健康ランドやスーパー銭湯に近いというのもポイントであった)
二度の湯治で一定の効果を上げた私は思う、温泉文化のある国に生まれて本当に良かった。
しかし、この国は勤勉すぎて、休む時間、遊ぶ時間をまとめて取る習慣が無い!
失業したり、ひどい病にかからなければまとまった時間など無いのである。。。。


ひたすら働けば報われる時代では無くなった。習慣を変えるきっかけにならないだろうか。貧すれば鈍するというが、時間に貧してもやはり鈍すると思うのだ。
[PR]
# by leea_blog | 2003-06-01 03:17 | Comments(0)