ノア・ノア!

六十三日間の変化ある航海の後、私たちは六月八日の夜、海のかなたに稲妻形に移動する奇怪な灯を認めた—その六十三日間、私は憧憬の土地に対して、耐え難い待ち遠しさと、いらだたしい夢を見ていたのだが。暗い空には、のこぎり形の黒い円錐状の山影が浮き出ている。
 船はモレアを回り、タヒチが見えた。
 数時間の後、夜はほのぼのと明け始めた。


(ポール・ゴーガン著 「ノア・ノア タヒチ紀行」の出だし  前川堅市訳)


******  *****  *****


画家による、香り高い紀行文。訳者によれば、ノア・ノアは、マオリー語で、香気ある、芳しい、などの意味。
ゴーガンにとってはタヒチだったが、実のところ、必ずしもタヒチである必要はなかったのではないか。霊的な水を求める者は、いずれの土地においても感受する、と思われる。

岩波文庫版は、版画も多数収められており、愛すべき一冊。

無意識の現地蔑視が自分本位な憧憬と同居しているのが気になる。それを差し引いても芳しい描写。
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# by leea_blog | 2001-11-08 02:17 | Comments(0)

アンティーリャ



——コンフィアンさんは忘却を幾分戯画的にも描かれていますね。中心人物の一人であるアンティーリャは、まるで自分が死んだことを忘れているかのように、死後も手紙を書き続けます。

C:ええ。つまり彼女の死が肉体的な死ではないということです。なぜなら、アンティーリャは肉体を備えた存在であると同時に、魔術的な存在でもあるからです。それに「アンティーリャ」という名前そのものにかなり明白な意味があります。クリストフ・コロンブスがアメリカ大陸を「発見する」以前に.....

——人々は「アンティーリャ」という名の大陸を見いだすことを期待していた。

C:その通り! クリストフ・コロンブスが到着する以前に、地図にはある大陸が描かれ、その大陸は「アンティーリャ」と呼ばれていました。それは架空の何かだったのです。それで私は彼女が実在の人物ではないことを示すために、この名前を使ったのです。小説のでだしからそのことはわかります。彼女は死ぬが、同時に死なない。窓越しに飛んでいくからです。だから彼女は自分の死後も書き続けることができる(笑)。アンティーリャは自分の肉体的な死に抵抗し続けるのです。


(ラファエル・コンフィアン・インタビュー
   —『コーヒーの水』をめぐって より
聞き手・翻訳/塚本昌則)
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# by leea_blog | 2001-11-05 02:16 | Comments(0)

「コーヒーの水」

いわゆる「書店の売れ線ベスト10」に入るような本は、ほとんど読まない。好みの書物がベストセラーに入る事は滅多に無いのだ。古今東西のおびただしい書物の中で、気に入った本に出会うのは運と勘が頼りだ。信頼できる人からの口コミも有効である。

「コーヒーの水」は、目次だけで買うのを決めた。ここでは文字の大小、空間を再現できず残念だが、試みに掲載。

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一番目の輪
  そういうわけで、アンティーリャは来た時と同じよう
  に、実にあっさりと逝ってしまった。


1  アンティーリャの三つの死
  2 アンティーリャの三人の愛人
3  ・・・・・・・・・
  4・・・・・・・・・・・
5  ・・・・・・・

二番目の輪
  予言する二グロの女、人々がなによりもその閉ざされた
  口を恐れていたアンティーリャが、ある日、町の広場で
  誰も見たことのない猥雑な踊りをはじめた。


6  ・・・・・・・
  7 ・・・・・・・
8  グラン=タンスの夢魔
  9 ・・・・・・・
10  ・・・・・・・

三番目の輪
  コーヒーの水は私に泊まっていけとは言わなかった。

  11  ・・・・・・
12  ルネ=クーリの彷徨
  13 ・・・・・・・
14  聖母様、われらがもとにおわしませ
  15 ・・・・・・・

四番目の輪
 そういうわけで、コーヒーの水はこれまでの自分の
 人生を、噂で語られているように考えてはいなかった。

16  ・・・・・・・・・・・
  17 逃亡奴隷 ジュリアン・テミストークルの秘密
18  ・・・・・・・
  19・・・・・・・・・

五番目の輪
 そういうわけで、フェケスノワ先生の三人の娘は、
 決して遊びに出かけなかった。

20  ルネ=クーリの死
 21・・・・・・・
22 ・・・・・・
 23コーヒーの水が野生の女だった頃

六番目の輪
 グラン=タンスの町を吹き抜けた大風が、
 会ったこともないのにみんなが敬っている一人の男の来訪
 を告げ、私たちの生活をいつも不愉快にしてきたさまざま
 な心配事を穏やかな香りで包んだ。

24 将軍の手
  25 ・・・・・・
26 ・・・・・・・
  27コーヒーの水、七つの大罪より醜い黒人女

七番目の輪
 クリスマスの月の昼と夜を、ひっくり返るような忙しさに 
 巻きこみ、どんなに根深い恨みでも和らげ、何人かの心を
 突然の愛の出現に備えさせる待降節の優しさの後に、凶悪 
 な暑さにみちた一月がやって来る。

28  アンティーリャの溺死
  29コーヒーの水、最後の言葉
30  ・・・・・・・
  31・・・・・・・・



(ラファエル・コンフィアン 「コーヒーの水」より、目次  塚本昌則訳)
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# by leea_blog | 2001-10-29 02:15 | Comments(0)

めまいの映像

セルゲイ・パラジャーノフさんのシナリオから


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サヤト=ノヴァの死を悼む
トランスカフカス地方の人々の
嘆きのさまが演じられる細密画

マタグ*1

白い山々を背景に、黒い身なりの女。なぜ彼女は泣くのか? なぜか? 黒い身なりの女は喪の装束を脱ぎ捨て、熱にうかされたように踊りながら、前へ進む・・・・・・白い山々を背景に・・・・・・するとまた、女は黒を着ている。女は泣く・・・・・・なぜ、アルメニア女は泣くのか?
灰色の岩山を背景に、黒い身なりの女。この女も泣く。なぜか? なぜ女は喪の装束を脱ぎ捨て、歌いだすのか? 女は岩山を背景に歌う・・・・・・歌声が岩山にこだまする・・・・・するとまた、女は黒を着ている・・・・・・なぜか?  なぜグルジア女は泣くのか?
なぜ黒い身なりの女は海辺を去り、草原のほうへ歩いてゆくのか? なぜ女は黒を着ているのか? なぜ女は泣くのか、この女もまた? なぜ彼女もまた喪の装束を脱ぎ捨て、天に両手をさしのべるのか? 女は泣き、歌う・・・・・・
 女たちは近寄り互いに見つめあい、泣き、歌い、石になる、いま、ここで・・・・・おわかりだろうか?
 さあ、じっと見て・・・・・女たちは消えてしまった・・・・残っているのは、ただ・・・・
   カチュカール!*2
   クヴァ!*2
   石碑!
ここ、彼女たちの出会いの場に!三人の黒をまとった女!三体の永遠の悲しみ。

だが、なぜ羊をかついだ若いアルメニア人は泣くのか?
まして、羊をかついだグルジア人は?
さらには、羊とともに海辺を立ちさるこの若者は?
なぜ白ばらたちはその花びらを散らすのか?
なぜ許嫁たちは花嫁のベールを脱ぎ捨てるのか?
なぜ〈聖なる石〉のそば、石の永遠のそばで、三人の若者は羊の血を流すのか?
なぜ、思いがけずも、修道士サヤト=ノヴァはかたわらに姿をあらわし、彼もまた、涙を流すのか? そして、その黒い長衣にくるまれて、白いチュニックを着た幼いアルチュンは、脅えた眼差しで供儀を眺め、彼もまた涙を流す。
修道士サヤト=ノヴァは泣く!
そして、その幼き日のアルチュン少年も泣く・・・・・
そして、白ばらたちも泣く、幾歳月にもわたり、花びらを散らしながら。

          ・・・・・・・書物を愛せ・・・・・

*1 アルメニア語で「供儀」の意。
*2 「カチュカール」は中世アルメニアの記念碑。彫刻された(0.五〜三メートルの高さの)石碑群からなり、碑群の中央には、同様に彫刻をほどこされた十字架が立てられている。
*3 グルジア語で、「石」の意。


(セルゲイ・パラジャーノフ「七つの夢」収録、「サヤト=ノヴァ」より  露崎俊和訳)
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# by leea_blog | 2001-10-24 02:14 | Comments(0)

夢の解放区展のお知らせ

*夢の解放区展*

少し咲き。いえ、先ですが。
11月19日(月)〜27日(火)、アトリエ夢人館にて、『夢の解放区展2001 』があります。夢を分析したり解釈するのでなく、詩や物語のように楽しむコンセプトに共感します。

私は今回は不参加ですが、会場に行ってみようと思います。
夢メモがひたすら未整理で、展に望んだアプローチがすぐには出来ないのですよ。夢に出てきた人物・風景・夢の色彩その他を表現する時間があればなぁ。

11時〜5時   23日(祝)・25日(日)休館    最終日は3時まで。
詳細は、以下をご覧下さい。

http://member.nifty.ne.jp/suiheisen/tenrankai.html


    ****   ***  **

夢は、憶えていても少し時間が経つと忘れてしまう。一瞬前まで憶えていた夢も、ふっと忘れる。そこで、ともかく書き留める。起き抜けはがひどい。痛みを無視して書き留めると、ワープロ入力の意慾はあまり残らない。メモ書きの夢は書物の間、チラシの間、紙くずの間に紛れ込む。捨ててはいないが、どこにあるのか判らなくなるのだ。所在不明の夢メモが混在する居住空間。探すと見つからず、探さないと見つかる、おなじみの感触。
単に整理整頓されてないだけと知りつつも、その在り方は自分の夢メモにふさわしいような気がしている。
(そうか、『未整理夢メモ混在時間』で夢解展に参加するという手もあった)
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# by leea_blog | 2001-10-20 02:13 | お知らせ | Comments(0)

俳ラ観戦

十月七日。「独演! 俳句ライブ」を見に行った。

事前に頂いたチラシは、独特なインパクトがあった。
俳句ライブのルールや出演者紹介キャッチコピーだけでも面白かったが、来場予定のお客の名まで盛り込んであり、驚いた。固有名詞にハンドルネームや「○○友人」がバランス良く混在する。固有名詞の意味と無意味を動員して先入観に足払いをかけるあたり、唸ってしまった。

BBS「俳の細道」、熱のあるやりとりが書き込みされています。
http://www82.tcup.com/8217/samurai.html


さて。何度も休憩をしながら新宿にたどり着いてみれば、立ち見客ぎっしりの盛況ぶり。大小の招き猫に埋め尽くされた店内には墨書の俳句・川柳が垂れ幕めいて掲げられ、お客がそれぞれマイペースで開演を待つのも面白い。予想外の混雑をすり抜けつつ飲み物を運ぶスタッフや、ハードな出番の前なのに普段と変わらぬ接客ぶりの天狗仮面氏やギネマ嬢の体力配分にも感心。空間自体を楽しめた。

出し物も、それぞれの個性が際だって飽きなかった。
自分のHPだし、ひたすら個人的な観点の感想を。「女人の神性」に思いめぐらしている折であり、情野、ギネマ、梅野さん等はたいそう気持ちよかった。都市は「女人神」が欠乏すると劣化が進む。「有るべき論」をゆうゆうとまたぎ越してゆく女人らの姿は幾夜みていても飽きないだろう。頭上一髻の黒髪に花枝のかんざし、和装白塗り、上代神のおももち情野氏がお題をちょうだいして川柳を詠み、「五体詠み」に移行して締めくくった。私は大喜びで客席に投げられた花枝を自分の髪に挿した。
今後は、ぜひ年輩女性にもご参加頂きたいものだ。


俳句の朗読は、前後の空間で様々に奥行きが出る。詩の朗読と決定的に違う所は、お客も反応するポイントが判りやすいところか。極端なたとえで申し訳ないが、五十文字、百文字なら一句とは見なさず句の集合と見なすだろうし、調子を変えて一息で語ればその部分が俳句だとわかる。
詩は形自体がノールールであり、有効な野次をいれるタイミングが掴みにくい。静聴だけが真剣に聴くスタイルでは無いのだが、聴く側も朗読する側もまだそこまで成熟していないのかもしれない。観客側のご意見ご要望も大いに待ちたい。
俳ラは独演を旨としており、立ち見客の私にも「良かったら勝手に舞って絡みを入れて良いですよ」、と余裕あるお声を頂いた。臨機応変になまもの空間の醍醐味を取り入れる姿勢は特筆もの。精神統一が必要な私のスタイルでは有効な絡みを入れられないと判断、聴衆に徹した。
年に一度とのことなので、機会を逃した方は次回をお楽しみに。


ところで、俳ラはライブ書き起こしレポートも生とは別の味わいがある。間や野次もうまく拾われている。単なる再現を越えて文章が面白い。冊子作成は労多くして益少なし。それでもアナログ冊子はネットが及ばない力を持つ。電源を入れようが入れまいがその場に存在する紙は偉大である。神は偉大なり。紙上レポートも、各イベントで適正価格販売なされたらいかがでしょうか。
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# by leea_blog | 2001-10-10 02:12 | Comments(0)